『東南アジアの三輪車』読了(書きかけ)→xiele

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東南アジアの三輪車

東南アジアの三輪車

  • 作者:前川健一
  • 発売日: 1999/09/15
  • メディア: 単行本
 

 表紙と裏表紙はこんな感じに白地にサムローを置いていて、見返しを開くとそのサムローの後ろに広がる赤茶けたイサーンみたいな風景と、乗客運転手が写っています。

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装幀:旅行人編集部 装画:水野あきら 写真:前川健一 巻末に参考文献(日本語と英語)と年表。奥付に、下記のように紙の記載があり、関川夏央の本みたいだと思いました。誰のこだわりなんだろう。

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【本文用紙】オベリスク四六Y71.5kg 【表紙】サンカード菊Y155kg 【カバー・帯】パールコート菊Y76.5kg 【扉】パールコート四六Y90kg 【見返し】タントL-71四六Y100kg

 前川健一を読んでみようシリーズ 

この本をアマゾンで検索したら、今年の六月に著者が出版した近刊が出て、それの一個だけ付いてるレビューがさんざんなものでした。まあいきなりチェコプラハに前川健一が行ってもなあという。若い頃は欧州嫌って欧州旅行しなかった?人ですし。レビュアーが前川健一アンチでなければ、プラハ愛がない、チェコを知らない人間になんで書かせんねんと、憤ったのでしょう。

プラハ巡覧記 風がハープを奏でるように (わたしの旅ブックス)

プラハ巡覧記 風がハープを奏でるように (わたしの旅ブックス)

  • 作者:前川 健一
  • 発売日: 2020/06/29
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 【後報】

構想26年、執筆10日だそうで、勿体ない本です。いろいろ。

本書の巻末には旅行人から当時出てた本の広告が載ってるのですが、この後に旅行人から出した『アフリカの満月』にそれはありません。作者がこだわりで、こいつの名前を俺の本に載せるなとか、もし言ってたとしたら、また人間関係ガーと思いますが、そういうことはないと絶対思います。

イラクアルカイダに大学生がつかまって首ちょんぱ動画が世界中に出回って、そして「自己責任」ということで、一気に熱が冷めたと思います。その後、バックパック旅行というものは、猫も杓子もやるものではなくなり、80年代半ばまでの『バンコク楽宮旅社』のあたりよりはマシな世界に戻ったのではないかと思います。私はサーチャージがさっぱり分かりません、というくらい海外に行かないまま時が過ぎた。誰か、フクやんのモデルは前川健一とか言わないかなあと思います。誰も言わないかな。ボクサーみたいですねと言って褒めごろす人はいるかもしれない。

旅行人も、チベット編とかむちゃくちゃ詳しくて、それと、地球の歩き方チベット編で、公安チェックポストを避けて通天河を自力で冬季渡河しようとして肺炎になって死んでしまう日本人旅行者の話が、いい具合にコンボになってたと思います。それとは別に、2ちゃんねるの時代ではありましたが、旅行人もウェブサイトの遊星旅社というところの掲示板が荒れてたという話は京都で聞いたことがあり、旅行者の世界にインターネットという飛び道具が入ってもよくなるだけではないんだろうなというそのままの話だったと思います。今は旅行しながら働く人が世界各地からブログやFB、インスタあげることも多いだろうし、落ち着いてるといいなと思います。

私はタイはバンコクより田舎が多かったので、トゥクトゥクよりサムローという言い方がしっくり来てたのですが、日本ではバンコク帰りの人のほうが圧倒的に多いので、タニヤで姉ちゃんと同棲して、帰国後もしょっちゅうコレクトコールで、"I miss you."ばっかラリってさべってくるタイの姉ちゃんに、ルースターズのように「ワチュワナドゥー」ばっか答えてる兄ちゃんとか、タイのグリーンカレーはゲーンキャオワンというんですよとか教えてくれる兄ちゃんとか、一日三食海南鶏飯だったという兄ちゃんとかの話聞いてるうちに、トゥクトゥクという言い方に洗脳されてしまい、とてもくやしいです。インドネシアのベチャとベモ、どっちがどっちか忘れてますし、シクロがベトナムで座席が前なのは覚えてますが、フィリピンは行ったことがないので知りません。インドも知らない。中国の三輪車は分かりますが、中国でオート三輪をほとんど見ない理由は(台湾韓国含め)本書を読んで初めて理解しました。

ほんとはそういう話、大阪の太陽の塔万博公園にある民博なんか、どこかのブローカーの口車に乗せられてフィリピンのゴテゴテバスやトゥクトゥクやベチャの本物を、幾らで買ったか知りませんが展示してあるので、そういうところでト書きで書いておくべきだと思います。前川健一が民博の学芸員になるのも、自分で自分にリミットをかけなければ夢ではないかも。何しろ関川夏央新百合ヶ丘日本映画大学で特任教授の時代ですので。老後と年金の絡みで、少子化で学生を引っ張ってくるのに役立つと見なされれば、どっかしらでアカデミックな碌をはむことも可能(期間限定)だと思うのですが、この本はその最後のチャンスになったのではないかと。さいごのつもりはなかったでしょうが、日常茶飯と音楽本の後、これ書いたら、あとは異国憧憬というコタツ仕事的な本しかないので。建築は、プロの目に叶う本を書くのは、ムズいだろうと思います。四方田犬彦が台湾の本で、ほかの人のアーケード研究をそのまま引用するくらいしかしなかった、その程度が出来れば上出来ということだと思う。

ほんとにね、日常茶飯はもっとそうですが、サントリ―学芸賞とかね、とってれば、ぜんぜんその後ちがったと思う。今、サントリー学芸賞の過去作品見てたら、こんなのがありました。

滝澤 克彦 『越境する宗教 モンゴルの福音派 ―― ポスト社会主義モンゴルにおける宗教復興と福音派キリスト教の台頭』 受賞者一覧・選評 サントリー学芸賞 サントリー文化財団

2015年社会・風俗部門受賞 

選評抜粋

 日本の学問も捨てたものではない。「モンゴルの福音派」という一見誰の役にも立ちそうもない研究――学問や文化の本来の姿なのだが――に若い学者が何年も没頭し、日本学術振興会や諸財団も支援してきた。最近、目先の利害による大学改革の動きがあるだけに、この点は強調しておきたい。

2014年の『木琴デイズ』作者は木琴、マリンバ奏者ですし、2010年『モスクワの孤独』は図書新聞スタッフライター、2012年はフリーライターマイク・モラスキー切通理作もとってるし、小熊英二は、まあ、東大ですが、博士課程で本出してとってる。前川健一グル導師も、なー。

[社会・風俗]部門別一覧 受賞者一覧・選評 サントリー学芸賞 サントリー文化財団

だいたい、講談社から三冊も四冊も本出してる時期なのに、これを講談社選書メチエで出せなかったのは、なんでやろ。出さはらへんやったんやろか。中公叢書とか新潮選書とか、ぜんぶ門前払いやったんやろか。

日常茶飯が面白かったのは、例えば、イサーンの昆虫食をキッチリ取り上げていたからだと思います。昆虫食といえば、オーストラリアのアボリジニが有名で、あとは信州のザザムシとハチの子でFAですが、本書が、カンボジアから東部タイを世界の昆虫食マップに置いたことで、鶴見良行の『ナマコの眼』にも通ずる、西洋的利害でブッタ斬られた島嶼アジアから東南アジア、オセアニアの、「じつはつながっている」「実は連環している」的視野のスキマが開けたと思うからです。

オーストロアジア語族 - Wikipedia

オーストロネシア語族 - Wikipedia

オーストラリア諸語 - Wikipedia

アボリジニの言語とオーストロネシア、オーストロアジアを繋げて考えないって、ふつうにヘンだと思うのですが、そういうのを、食文化の面から風穴開けてゆく作業の最初の一歩にも見えたです。諧謔はあったにせよ、もちっと地道にコツコツやってればよかったのになあ~、という。だって、志してたわけではないにせよ、料理人いちどはやってたんでしょ?ケンタローみたいなもんで。

音楽は、楽器とかそれなりに出来るのかもしれませんが、サッパリ分からない。エッセーには、ギター弾く場面もないし、歌う場面もない。カラオケすらほとんど登場しない。カラオケ嫌いそうな気がしますが、狩撫麻礼はカラオケが好きだったわけなので、この人も好きかも知れない。建築は、上記四方田参照。

そういう人が、車の免許もない、運転もしないのに、原動機付三輪車の本を書く時点で、大丈夫なの? 共著にしたら? と編集者から老婆心かけられ、へんくつ根性がねじれてこういう仕上がりになっていたとしたら、残念閔子騫すぎます。じっさい、車の構造にシロウトと明言してる時点で、それが第一の弱点です。スクーターくらいは乗れるのだろうか。冒頭、インドカルカッタで、リキシャ引きと運転交代する場面があるので、自転車は乗れると思います。どっか、ニッサンでもトヨタでもドロップアウトしてバックパッカーになった奴に協力してもらえばよかったのに。

本書は作者が気弱になってる部分がそのまま弱点なので、第二の弱点は、インドと中国に触れられなかった点です。タイトルが『東南アジアの~』なんだからいいといえばいいですし、インドに関しては英語の本で一冊良書を挙げているのでまだいいですが、中文に触れられなかったのは、完全に弱い。

The Rickshaws of Bangladesh | The University Press Limited

なぜなら、本書は三部構成で、

①ヒトが引く人力車、俥 

もともと駕籠かきがあった日本が発明したっぽくて、車は馬が引くもので、人間が引くものではないと考える西洋人社会とでは、アジア、アフリカの各地でフリクションを招いた。

www.youtube.com

上記映画は、植民地朝鮮の青年が日本で人力車を引く21世紀作成の映画ですが、中華世界等でも、貴人や花嫁の輿は人が担いでいたわけですから、本書の日本語資料と英語資料をたどっても、アジア各地への輸出は日本からより、華人ネットワークを通じて中国の租界などからの輸出が多そうに見えます。同時発生っぽい。そこの掘り下げ、補強が弱い。

②ペダルを踏んでチェーンを回す三輪自転車

これも中華世界からの輸出が多いそうで、誰でも考えつくので、おそらく世界同時発生なのでは、との推測で、それで終わりです。プロジェクト作ってやらんと無理にゃ、と、作者弱音吐いてます。

❸原動機付三輪車 

アジア各地で普及して、タクシーと競合しながら、本書執筆時まだ余命を保っているのですが、なぜこのタイプが普及したのか、誰が金を払ったのか、の部分で、ダイハツなどに取材しながらちゃんと取材出来なくて愚痴をこぼしつつも、日本のオート三輪が「戦後補償」で東南アジアに入った、で、FAとしています。ここがスバラシカッタのに、なー。(同時にそれで、台湾韓国はオート三輪を戦後補償で輸出しなかったから広まらなかったとか、ベトナムはだからシクロまででオート三輪タイプがなくて一足飛びにバイクタクシーとか、中共以下略とか、一気にぜんぶ謎が解ける)

Rickshaw Coolie: People's History of Singapore, 1880-1940

Rickshaw Coolie: People's History of Singapore, 1880-1940

 

Rickshaw Coolie: A People's History of Singapore, 1880-1940 – NUS Press

 頁46、上記本で、福建省出身者は、人力車を「カンチャ」と読んでいたとあります。マレーやビルマではランチャと呼んでいたそうで、Wiktionaryではそう書いてませんが、私は広東語で「力」はラムだと思ってたので、広東語から入ったのではないかと思いました。カンチャは分かりません。カンチャ、セックスしよう。

力 - ウィクショナリー日本語版

カルカッタは本書執筆当時まだ人が引く人力車が走っていたそうで、それは、カルカッタ市当局の判断で、むかし、市街地に三輪車を入れないようにして、人力車だけにしたからだそうです。これと同じページに、作者は、タイ人が氷の多い飲み物が好きなのは、好きなのではなくて、サリット政権が、庶民のために、オリアン(レイコー)の値段を強制的に下げさせたので、露天商が氷でカサ増しして対抗したからと分かったと書いているのですが、その参考文献が、今までも作者の本で出てくる本で、ちゃんと読んでなかったやろ~と思いました。

www.keisoshobo.co.jp

私は上の本読んでません。

特集:存続か廃止か コルカタの人力車 2008年4月号 ナショナルジオグラフィック NATIONAL GEOGRAPHIC.JP

それが今どうなってるかは検索で出ませんでした。

timesofindia.indiatimes.com

錠がかけられたリキシャの最近のニュースが出ましたが、コロナで密になるから営業禁止ということみたいで、ということはまだ走っている(コロナがなければ)ということと理解しました。

頁47、観光力車について記したページ。京都や鎌倉のアレですが、例の、シンガポールで夜のオカマ見学ツアー目当てで集団で疾走するリキシャも出ます。これが、禁止されたからかどうか、最近見なくなった、「自分で運転する」マリオカートに進化したのかなあとも思いました。電動レンタサイクルすらこぐのがめんどい人もまたいよう。かといってレンタカーも荷が重いという向き。

www.j-cast.com

②に関して、頁124、脚踏黄包車というものを見た邦人回想録に触れています。黄包車というと、日本人はだいたい、上海語の訛りというかカタカナ表記の、ワンバオツーとか、ワンボーツェー、ワンバオツァーで覚えてるんではないでしょうか。生島治郎も、横光利一もそんなようにルビ振ってたように思います。本書では出ません。

頁139に出てくるスワンニー・スコンター『サーラピーの咲く季節』が、前に別の本で出てた、ウィタヤコーンの小説のパクリだったでしょうか。いや違うか。1930年代に60年代70年代の学生運動やってたはずがない。

頁183、毎年、イランや中東含め、三桁程度輸出していたミゼットが、1960年と1962年に東南アジアの特定の国に数千台単位で輸出されていることに作者は気付き、戦後賠償による輸出の判明につながります。頁253、インドネシアで1962年開かれたアジア大会が、イスラエルの参加に怒ったアラブ諸国が前日ボイコット、中国を参加させるため、開催国インドネシアは中華民國もボイコット、と書いていて、作者もたまには政治を書くんですねと思いました。また、下記の本に出てる、大江健三郎とおかつの話を思い出しました。

『太陽の男たち/ハイファに戻って』(現代アラブ小説全集7)"Selected of Modern Arabic Novels" "رجال في الشمس MEN IN THE SUN" "عائد إلى حيفا RETURN TO HAIFA" by غسان كنفاني GHASSAN KANAFANI 読了 - Stantsiya_Iriya

頁241、タイで実際にトゥクトゥクを作っているメーカーに行き、エンジンは日本から輸入した中古品を使ってると説明される箇所を読んで、今でもそうなのだろうかと思いました。なんか、エンジンの中枢設計は三菱が握ってるから、韓国のヒュンダイなど自動車メーカーは永遠に日本に追いつけないと、何の根拠もなく安心してた人たちを思い出しました。

タイの田舎はナンバーなしのオンボロ車もたくさん走っていて、バンコクでナンバーがないのは、逆にフェラーリなどの高級車で、警察が手が出せないからだと、頁250に書いています。ナンバーは今はもう整備されてないかなあとも思いますが、金持ちと警察のポルカは、最近もレッドブルの孫の件があったなと思いました。

www.afpbb.com

②に関しての個人的な思い出として、カンチャナブリーで私はペダルをこぐタイプのサムローに乗る機会があったのですが、どうも戦場に架ける橋の街、泰緬鉄道の町で日本人としてそれに乗る気がせず、現地でたまたまあって同行してた日本人旅行者はそれに乗りたがったので、別行動した思い出があります。気楽に観光出来る町ならいいんですけどね、酔ったオランダ人に絡まれるような街でわざわざ乗らんでもよかろうと思いました。そこであえて乗ってやって見せつけるタイプの旅行者ではないと、自分に気づいた旅でもあります。

私は派遣で某コングロマリットのいち事業部に勤めた時、派遣元のひとから、「組織のダイナミズムを知ってください」と言われ、在職中は、組織のセクショナリズムに苦しめられましたが、それでも、ぼんやりと、ダイナミズムのようなものがある(阪神淡路大震災の時などそれは機能した)とは理解しました。作者も誰か、信頼出来るスタッフを見つけて、集団で動ければな、と、もし単身ばかりだったら、残念なので、思うです。歌手の本では、坂井さんという方がうまいことバイプレーヤーになってくれましたし、イザヤ・ペンサンでしたか、在米タイ人の友人もいた。いろんな力を、もっといかせれば、講談社選書メチエサントリー学芸賞、どうでしょうか。勿論旅行人で大宅壮一ノンフィクション賞でもいいと思いますが、でも、学芸賞向けの題材だと思うので… 旅行人で獲ったら、蔵前ロマエの人も悦ぶのではないでしょうか。1999年はわりとアレな年だったと思いますので、十分狙えたような。どうでしょうか。

この本の読書感想メモに、「むつ」「軍艦島」と書いてあって、いずれも私が、左派コーと間違えられた旅だったですが(佐世保になんか行かなくても原潜も空母もジャンジャン横須賀に来るデスヨ、みたいな生意気な受け答えをしたから、いまだに多古聖廟への旅も、トルコライス食べ歩きの旅も出来ていない。むつは恐山への旅でした)何故この本の書評にメモったのか、思い出せません。

数年前、朝もやの中を東名高速を走るトゥクトゥクを見たことがあり、トゥクトゥクはトラクターなんかと同じ小型ナンバーだと思っていたので、高速走れないだろうと思い、長年不思議でしたが、この本の感想書くついでに検索して、トゥクトゥクを日本に輸入してる会社のQ&Aサイトを見て、高速走れることを知りました。ということは、トライクなんかと同じように、軽自動車以上のナンバー、車検マークということでしょうか。定員の多い、テーマパーク移動用なんかは、中型車扱いもあるのだろうか、そういうのを高速走らせる際は、自衛隊の兵員輸送車もそうですが、全席シートベルトつけるのだろうか、と思いました。

以上

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(2020/8/15)