『女中っ子』(ジュニア版日本文学名作選35)読了

中森明夫ビッグコミックオリジナルのコラムで素九鬼子について書いていて、それで素九鬼子の本を二冊読み、素九鬼子由起しげ子に原稿を送っていたが由起しげ子はそれを積ん読状態のまま放置、由起しげ子の没後、編集者が遺品を整理中に素九鬼子の原稿を発掘して出版、ベストセラーという一連の出来事を知ったので、それじゃ由起しげ子の小説も読んでみようということで読んだ本です。

素九鬼子 - Wikipedia

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大地の子守歌はおもしろかった。ハチキンの隣のくにのものがたり。

由起しげ子 - Wikipedia

この『女中っ子』はベストセラーで映画化もされたそうですが、どうも促音がひらがなでなくカタカナで書かれているようで、しかし偕成社ジュニア版日本文学名作選の本書はひらがなです。

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小説は山形から上京なのですが、映画では秋田からに変更されています。映画は👹なまはげが出るので、そのせいかも。

女中っ子 (偕成社): 1966|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

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読んだのは1986年の28刷。まさかホイチョイプロダクションが見栄講座で、テニスラケットの中央を炙って煤でそこによく当ててるふうにするとテニスがまいうーと思われてモテる、みたいなことを書いていた同時代に、山形から女中奉公に上京する中卒女子の物語が版を重ねようとは、お釈迦様でも気づくめい、と思うのですが、このシリーズは、バラで売るわけでなく、団塊の世代とその子の世代、ベビーブーマーたちが義務教育に通う段になると新設される小中校の図書館にかなりの高確率で納品されるので、それで増刷されてるんだと思います。

奥付の隣は作者年譜で、晩年、1964年3月に二ヶ月、作家協会の訪中団で中国を訪れていたとあります。文革は1966年ですからまだ劉少奇時代で、1964年の10月には中国が初の核実験を成功させるのですが、3月時点ではまだ知る由もなかったことでしょう。年譜によると、翌年『中国の粟』という作品を発表するようですが、どの程度中国を語っているのか。右上に、『女中っ子』12月刊行の年に、東南アジアを旅行した旨も記載されてます。

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解説に載っている魯迅夫人許広平由起しげ子のツーショット写真や、犬の散歩写真。水におちた犬を以下略。本書解説は文芸評論家の板垣直子という人で、ジュニア版ですが解説があり、巻頭には同者による「*この本について」があります。

板垣直子 - Wikipedia

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これも解説に載っている、北京は北海公園の由起しげ子。昭和39年=1964年。

解説や「*この本について」によると、夫と事実上離婚し(籍は抜かず)別居して三男一女をすべて自分のほうに引き取ったこと、早くに母親を亡くし、姉と義兄も失っていることなどから、作品には「ある暗さ」があり、その人生の苦労が作品に厚みを与えている、文学者はそうやって昇華するものだ、だそうです。西洋音楽を長くやってたので、作品を流れる叙情感もまたエラいことだと。それは分かりますが、よくジュニア年代にこれを「是非!」と勧める気になるものだと思いました。

以下ジュニア版日本文学名作選全60巻ラインナップ。

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思い出しましたが、私はこのシリーズで、『次郎物語』を全巻読破しています。家に帰らず図書室に入り浸るとそういうことも出来る。三巻まででじゅうぶんと言われつつ五巻まで読んで、「飼い殺し」ということばを知りました。

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独歩の『武蔵野』とか、ジュニア年代で要るのかとも思います。獅子文六の『悦ちゃん』がここにいて、由起しげ子獅子文六のように「再発見」されなかったなと思いました。

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なんかどんどん、これほんとにジュニア年代へのラインナップなの、という。吾輩は猫であるは退屈だけれども、じゃー三四郎は面白いか、とか、田宮虎彦がここに来るか、とか、林芙美子の放浪記以下同文、とか。

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畦柳二美『姉妹』だけ完全に知らないです。佐多稲子が解説ですし、面白いんだろか。福翁自伝ここに入れるのかと。草枕も来るし、大佛次郎は先に二冊入れてるのに、鞍馬天狗まで入れてる。前のページの芹沢光治良『パリに死す』も知らないです。

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本シリーズ表紙裏表紙開いた次の見開き、遊びのページは各作家の落款なのですが、これがまた分からない。右の「獨歩」「啄木」左上の有島武夫、鴎外、真ん中の「實篤」、左の漱石、その右下の田宮虎彦、これくらいしか分からない。ジュニア向けなので、説明してほしい。「健さ」は宮沢賢治かと思ったのですが、彼はこのシリーズにはいない。

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本書の「注」これは素晴らしいです。昔の文庫本にはよく注がついてたのですが、なぜ最近はやめてるのだろう。注は、作中の時代を知るよすがでもありますし、注が書かれた時代を知る情報の宝庫でもあります。

(1) 銀座(八) 東京都中央区にある繁華街。修学旅行の中学生は、ここで自由時間をあたえられて、買い物するばあいが多い。 

 銀座に注がついてるなんて、見栄講座の時代からは想像も出来ないでしょうが、しかし本書は見栄講座の時代も増刷していたのです。ちなみに、中国残留孤児や残留婦人が訪日のさい自由時間に買い物するのは、碑文谷ダイエー

「瞠目に値した」「阿諛」「独立不羈」分かってるようで分からないようで分かってる、と思いながら読んでると、「一つがみなり」は死語なので分からない。

(8) 鬼っ子(三五) 親に似ない子を鬼子という。

鬼子来了。「我々は負けたのではない、戦うことをやめただけだ」あちらの監督に、こんな脚本書かれてしまうんだからな。分析乙、みたいな。

(2) 安静四度(五一)安静度とは、患者の病状に合わせて処方された日常生活の基準で、絶対安静の一度から、普通の生活の八度まである。安静四度は、午前午後に二時間ずつの臥床を必要とし、屋内と庭先の歩行、週一回の入浴、一時間以内の面会がゆるされる。 

 今はこういう基準なのかどうか。まさにその時代の生きた資料。注の「臥床(がしょう)」がまた、分かるようで分からないようで分かることば。

「ドレイン」「扈従(こしょう)」「矜持(きんじ)」

(5) シベリアへ送られる(八八) 第二次世界大戦の末期に日ソ不可侵条約を破って攻めこんだソ連軍は、日本の将兵を多数捕虜にしてシベリアへ送り、激しい労働に使役させた。 

 チコちゃんに怒られる。頁をめくると「クーニャン 娘(中国語)」「上野の浮浪児」「一視同仁」「天長節」など。また、「蹌踉(そうろう)」「偏頗(へんぱ)」「静謐(せいひつ)」最初のだけ意味を間違えてました。

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今はあまり注釈つけないのは、「分裂症的」のような単語に老婆心から注をつけると、返り討ちになる風潮があるからかもしれません。いや、もうそういう風潮はないかな。

「新円切り換え」「ラバウル」「お米の移動」etc. トライアンフはバイクだと思うのですが、本書では「英国製自動車の一種」だそうで、調べるとそうでした。

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トライアンフ・モーター・カンパニー - Wikipedia

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原作を全文収載=小・中学生向 当用漢字・新かなづかい使用/注・解説つき 明治から現代にいたる文豪の名作,及び,ひろく世の感動を集めた作品の中から、若い読者にふさわしい作品を精選 全國学校図書館協議会選定・1・7巻は必読図書

 こんな表紙です。目隠しリレーのカットは、表題作のいちシーン。でもいささか女の子が幼すぎる気瓦斯。中卒上京奉公人に見えるでしょうか。

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中表紙二点とカラー口絵。真ん中の白黒の絵が、さし絵―松井行正 と書いてあるその人。このもんぺ姿が、実像に近い気がします。小説で実像もくそもないですが。右のカラー口絵は、明らかにタッチが違うので、別人が描いたと思うのですが、なんだかよく分かりません。長旅で足が煤だらけになったので、井戸で洗う場面。装幀―AD 沢田重隆・D 坂野豊 

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表題作は昭和29年、1954年に小説新潮に発表された小説だそうで、この偕成社ジュニア版日本文学名作選のほかの作品同様、最初からジュニア向けに書かれた小説ではないです。上のフリルエプロンにもちょっとビックリしますが(道頓堀劇場か!)、でも上のページに『女中っ子』が凝縮されていると思います。こっそりきかん坊の次男が拾ってきた子犬、納屋、コートのイラスト、文字の場面は夜尿処理。表題作はルナール「にんじん」が協調性や調和を身につけてクラスに溶け込むまでであり、それ以前に、「にんじん」が「にんじん」になるには理由があり、それは、幼少期に、親にうとまれるだけの何かをしでかしてしまうからであり(私もしました)、そして同時に本書はキヨから見た『坊ちゃん』でもあります。『女中っ子』というタイトルですが、主役は女中。女中が、はみごをいかにしてなつかせるか。そしてそのお女中は、権謀術数などの世界に生きていないので、書生というかカテキョーというかで出入りする大学生のようには金持ち家庭に取り入って上昇することは自分には出来まい、と、さっさと見切りをつけて、お手伝いをやめ、工場労働、決め事のドライな労働に身を投じようと決意するのです。私は表題作を読んで、確かにウェットな家事奉公、特に作者は大阪泉州出身なので、「気ばたらき」などが実感としてあったと思うのですが、その世界へまったくの未経験から身を投じ、いさぎよくエクソダスする、よい話だと思いました。それほど悲惨かつヒロインが報われず陰口叩かれながら冤罪の濡れ衣着たまま追われる話とは思わなかった。そうした物差しをすべて振り捨てるから。

『女中っ子』は、解説によると作者の特異点で、めずらしく距離を置いて客観的にキャラを描いていて、他の作品はもっと内輪受けな私小説なんだそうです。

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これは次の話『一年の間に』のイラストカット。男兄弟のなかのひとり娘が結核で、三多摩の病院に入院する話。ちょうどこのページは、退院間際の青年に夜這いかけられ、未遂で終わったものの、善後策を協議する場面。男女別棟のセキュリティが緩いんだったかな。作者の娘とおぼしきこの結核患者さんは、手術のさい血栓が脳に流れこんで、片手が麻痺したまま、おそらくこれからリハビリで終わります。母の描く娘さんはそれでも明るい。作者は本来こういう話を書くのかと思いました。

次の話『脱走』は、知人の口利きで、大陸帰りの孤児を手伝いに雇うのだが、あまりに早く心を許し、あっという間に一切合切盗まれてトンズラこかれるという話。もののない時代に反物とか衣類ゴッソリ。この孤児がまた、日記を中国語でつけてるくらい、バイリンな人物で、そこはちょっと腑に落ちませんでした。実は前科もあることを、知人は隠して紹介していたということで、知人を訴えて知人から賠償させられないか一家は悶々とするのですが、どうにもできないという。そんなヒデー知人実在するのかと思いました。

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これは急にまとまった金が必要になって家と土地を売る話「買手たち」 不動産屋の中のイラストが、今と変わらないなと思いました。

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同じ話で、髪をあげて、洋装にして、バッグもって、パンプスで、今と同じようでもあり、ちがうようでもある女性が、これは決定的に違うイサーンみたいなバスを見送るイラスト。

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これは軽井沢で避暑する話「夕すげ」 息子が、奔放な娘さんと、浅間山を背景に、アハハ、オホホ、ウフフ、と走る絵。それを母親目線で描く。なんしか怖い気もします。

最後は童話。どうもこの、娘息子を母親目線で描く小説が多いことが、素九鬼子をして由起しげ子に投稿させた理由のような気がします。そしてそれを無視してしまうところが、由起しげ子の作家としてのスタンスであったようにも思います。お前の承認欲求なんかしらんがな、的な。以上