『パラダイス・イーター』(徳間文庫)"THE PARADISE EATER" by John Ralston Saul 読了

パラダイス・イーター (徳間書店): 1992|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

以下後報

【後報】

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男は追われる。退廃と欲望の街バンコクで今残虐な罠が口をあけた。  タイの首都バンコクで二十年近く暮らす元ジャーナリスト、ジョン・フィールド。セックス産業の退廃の中でシニカルな日々を送っていたが突然、かつての恋人が何者かに惨殺される。ジョンは背後に麻薬取引の不正を嗅ぎつけるが、そのため果てしなく“追われる男”となってしまう。チャンドラーがロスアンゼルスを美しく描いたように、ソールは独特の手法でバンコクを魅力ある街に描ききった。迫力の傑作!

カバーイラスト=安田尚樹 カバーデザイン=池田雄一 文庫オリジナル初訳。訳者あとがきで、訳者が病気がちになって二年ぐらいのびのびになり、木下哲夫さんという同業者に手伝ってもらったとあり、謝辞を述べています。そういうわけで、原書が1988年刊で、邦訳が1992年なんだと。訳者の方はこの年の終わりになくなられていて、作者の小説はもう一冊邦訳があるのですが、そっちは、ここで手伝った、木下哲夫さんが訳されています。

北村太郎 - Wikipedia

木下哲夫 - Wikipedia

前川健一が『バンコクの容姿』を文庫化した『タイ様式』に付け加えたエッセーで、バンコクの描写はいいと書いていた小説。前川健一はがんらい小説じたい好きでなく、旅先が書かれているので仕方なく読む人だともそこに書いていて、なんじゃそりゃと思いましたが、とりあえず読むことにして、図書館にも日本の古本屋にもなかったのですが、アマゾンの出品とブッコフオンラインにはあり、後者が百円強で妥当な値段でしたので、後者から買いました。で、昨日アマゾン見たら、アマゾンも下落してた。版元品切れなのに不思議な話です。原書が電子版ないのは意外。国際ペンクラブ会長の著書なのに。加藤徹卑弥呼』なみの若気の至りなのか。

Paradise Eater: The Field Trilogy

Paradise Eater: The Field Trilogy

 

 <以下、三日前に日記に書いた感想を再掲>

ジョン・ラルストン・ソウル - Wikipedia

タイに慣れ切った白人たちの、バンコクビエンチャンを舞台にしたハードボイルドストーリーという大枠はいいのですが、前代未聞の、主人公が淋病を患ったままお話が動いてゆく展開が、なんともいえませんでした。何度も何度も感染してるので、耐性菌になっていて、そのへんの抗生物質がもう効かなくなっている。ハードボイルドなので、思い付きで少女を拾うというか助けて庇護するのですが、その少女も淋病(プラスクラミジア、おそらくプラスコンジローム等いろいろ)で、こちらも何度も感染して卵管にまで達して爆発して切除手術を受けており、もう赤ちゃんが生めないからだ、というか妊娠出来ないからだになっています。そういう理由で娼婦は生殖能力を失うのか。前川健一はひとこともそういう小説だと書いてなかったのに、なんということでしょう。淋病ハードボイルドロマン初めて読んでます。淋病は膿のついたタオルからでも感染するんじゃなかったかなどうだったかなと思いながら読んでいるので、抵抗力を削ぎ、抗生物質の効きを悪くする飲酒の場面含め、誰かと会食する場面など、どきどきしながら読んでます。これがブッコフオンラインで百円強で入手ですから、堪えられません。いい買いものをした。

<ここまで>

ハードボイルドに限らず、娯楽小説は、ラストの余韻が大切な成功要素ですが、本書はそれがあります。当事者の主人公たちにとっては、余韻どころでないその後の人生なのですが。それがまず1ポイント。

次に、こういう本は、主人公はえてして狂言回しで、周りのキャラが光るもので、逆に言うと、主人公も脇キャラも光らないと箸にも棒にもかからないのですが(そんなものはめったに出版されないので、まあ大丈夫です)本書も、泰英混血の医師、英名マイケル・ウッドワード、泰名ミーチャイ・ウシワットがまずとても光ってます。マイケルとミーチャイの意味は同じ「強い」だそうで、ミカエルって「強い子」なんだと思いました。

Google マップ

パッポン通り - Wikipedia

パッポンにほど近いところに、上のグーグルマップでは"BNH"としか書かれてませんが、「バンコク・ナーシング・ホーム」という在タイ欧米人向けにバンコクで初めて出来た西洋式病院があり、北京のロックフェラー病院(協和医院)や同仁病院みたいなものかと思いました。タイは共産化しませんでしたので、当然北京のように主人も変わらなければ、つとめ人も一掃されない。スイス迎賓館は調べられませんでしたが、クライスト・チャーチやフランス人が作った聖ヨゼフ校が密集していて、パッポンというのは、ここから遠からず近からずに形成されたんだなと分かります。マイケルは、西洋人相手の高額診療をここで行っている。

Google マップ

で、ミーチャイとしての彼は、私が読むとクロントイ、本書ではクロン・トエイと書かれるバンコクのスラムというかなんというかで貧民治療を行っている。前者では冷房の効いた部屋向けのサマースーツとワイシャツ姿、後者では襟なしシャツに素足サンダル。飲むのは私が読むとオーバルティン、本書ではオーバルタインと書かれる、ミロみたいなチョコレート風味の麦芽飲料。これを飲む場面はおいしそうです。私の知ってる単語と本書のカタカナの差異はこれだけ。主人公は、そのどっちにも通いますが、目的は淋病治療で、ここだけでなくほかのヴィザとかパスポートの場面でもそうですが、ガイジン&おともだちの特権を、最大限行使します。貧乏人の行列の最後尾に並ばず、「よっ」とか友だちに声かけて横入り。医師も外来患者も、誰もとめ立てしない。けっこう白人の人はこういうの物おじしないでやるんですよね。中国でもイギリス人などは、行列に平等参加して「これだから社会主義ノーメンクラツーラは…」とか云うのでなく、さっさとボス交して恩恵を受けてた。

ほかの脇キャラもよかった。ミーチャイの父で、ユダヤ系なので大英帝国海軍で出世出来ないこと悟ってタイに帰化したウッドワート提督御年95歳だか96歳。パガという主人公と同時期に農村からバンコクに来たパッポンの成功者。アマラというバンコク上流階級女性。レイカー夫人というバンコク白人社会の富豪米国人。淋菌が卵管に達して子どもが生めなくなったまだ十代のアオ、タイの日常茶飯であるクーデターの立役者でこれもタイの日常茶飯である出家でエクソダスするクリット将軍など。さいごの人はそれほどクローズアップされないのですが、軍人としての枷をといたあと、主人公と突然欧亜比較文化論を始めるくだりがよかった。こんなに思弁をまとめていて、発露する機会がなかったのかと。

で、ビエンチャンで主人公旧知の友人が惨殺され、主人公はその第一発見者として窮地に追い込まれるというお約束の巻き込まれストーリーが、100ページほど進んでからやっと始まるのですが、前述の魅力的な脇キャラに危害が及ぶのかそうでないのかという、ストーリー展開の妙があり、そのハラハラ感もポイントでした。これでポイント3。

惨殺の仕方が、パテト・ラオってこんなことするんだっけ、クメール・ルージュならするかな、どっちにしろ1988年で、1970年じゃないし、と思いながら読みました。北米サスペンス小説としてはこうした残酷場面が必要で必ず付け加える風潮が、須加田さんシリーズなんかを読んでも、90年代はあったわけで、それででしょうか。ゴッドファーザーで、フランク・シナトラのベッドに愛馬の首が投げ込まれる時代から徐々に観客が恐怖慣れして、描写がエスカレートという。

で、ここの真相と謎解きとか、命を懸けてせっかく託された機密がメコン川であっれー、のその後とかが、暑いからめんどくさくなったのか知りませんが、マイナスポイントと思いました。伏線回収しよし、さもないと、読後に、カッチリはまった感が出なくなる。淋病に流されて終わってしまった。

主人公は、モントリオールアイルランド系という設定で(しかしアイルランドでも旧教でなく新教)これは作者の反映だろうかと思いました。だとすると淋病もという。

本書の隠れたイイポイントのひとつは、日本人がまったく出ない点です。歴史の記述として、大東亜戦争における日本軍の占領が記述されるだけ。あと日本車が数か所出るか。パッポンがあれだけ出るのに、タニヤのタの字も出ない。この辺、必要以上にバンコクの日本人だまりに埋没せず、バンコクの白人ホームパーティーにお招きされて、タイのネポティズム縁故主義)については白人と議論が出来るが、鍋のフタという英語"lid"にピンとこず、そんなのアリエナーイと女主人からけげんな顔をされる経験を書いている前川健一としては、読んでて痛しかゆしではなかったかと。前川健一は『東南アジアの三輪車』で、バンコクトゥクトゥクが普及したのは、日本の戦後賠償のオート三輪からと、謎を解き明かしてますが、本書主人公は何の疑問も持たずトゥクトゥクにもタクシーにも乗ります。値段交渉はします。

人口五十万から五万に減少したビエンチャンの描写もいいですが、雨季のバンコクは、数年前に日産の工場が冠水した画像よりもひどくて、これは1988年だからの描写で、21世紀はここまでじゃないんじゃいかと思いました。すぐ水に浸かって公共交通機関が麻痺する。読んでて、バングラディシュのダッカの間違いじゃなかろうかと思いました。でもこれが一昔前のバンコクなのでしょう。上流の家は自分ちだけポンプで排水するが、自分ちまでの道が冠水するので、家に帰れなかったり家から出れなかったりするという… 

頁49、タイでは、イギリスのヴィクトリア女王は、子宝の女神として広く信仰されていて、バンコクの英国大使館のヴィクトリア女王像には、参詣のためお供えを持って訪れる女性があとを絶たず、守衛の目をかいくぐっては花やおいしいものをお供えしていったそうです。検索すると、警備もむろん厳しくなってたのでしょうが、大使館じたい昨年高層ビルに移転して、もうこの女王像はなくなったとか。

www.telegraph.co.uk

頁80、現金を国外持ち出し出来なくなったイラン人がキャビアを持ち出して国外で売ってお金をゲットするそのキャビアをパーティーで使うため、権力のあるタイ人が税関を動かして没収したら没収しすぎてキャビアがあまる場面があります。キャビアはその直後、ソ連崩壊で、もう保存もくそもない常温で世界中にばらまかれたです。イスタンブールの露店に常温で積まれたキャビアを誰が買うのか(私は買いました)

こういうことは主人公の身にも起こって、頁371、主人公は特に理由を説明されないまま、38回目のシックスマンスヴィザを取り消され、国外退去を言い渡されます。これが中国であれば共産党の法治ならぬ人治主義の恐怖、香港は今や、になるのですが、タイなので、やっすいヒットマンの人に消されるおとろしさはそりゃあるのですが、イデオロギー中傷につながるわけでなし、そんなもんかで進みます。別にそれでタイを見下すような描写も記述もないのは作者の徳性だと思いました。

しかし、主人公はタイに初めて来た時最初につきあった相手との間に娘がいて、その最初のパートナーの、主に知性に関してぜんぜん評価してません。対して娘は、名門女子高からチュラロンコーンに進む才媛に育ち、パパが英語を教えなかったので、父親とはタイ語で会話し、娘は流暢なタイ語、父親は舌っ足らずで文法もあやふやで語彙も少ない外国人のタイ語でやりとりします。だいたいパパはタイ語が読めないのみならず、タイ文字を「タイ・サンスクリット」と書いていて、読んでて、確かにサンスクリット起源だけれども、梵字とぜんぜん違う字なので、その言い方にはおおいに違和感があったです。ベトナムのチュノムや契丹文字を、ベトナム漢字や契丹漢字と言われたら、そりゃちがうと言うようなもので。日本の国字は漢字ですけど。

娘さんがほっといても(ママがパパから上から目線で断罪されるあれであっても)よいこに育つというのはファンタジーで、そうあってほしいので、そのご都合主義に飲み込まれそうになりましたが、直前に『ボダ子』という、ここまでいくのもちょっとと言う逆の例の小説を読みましたので、飲まれず終わりました。プラマイゼロ。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

主人公は女性の面ではタイにおそろしくはまって、二、三十種類試しても効く抗生物質があれな淋病を病むくらいになるのですが、その反面、欧米人はやっぱそんなもんかなという感じで、食事はわりと欧米人いきつけの店でサンドイッチなんかが多いです。だからサイアムかどっかの、バンコクでいちばんおいしいベトナム人バインミーの店とかに詳しい。反面、タイ人の屋台は、頁361にやっと出ます。

頁361

メニューは炒めたニンニクとべたべたの飯、そしてチキン、パパイヤのサラダ。チキンは道端であぶっていた。テーブルにはナプキン代わりにトイレット・ペーパーがロールのまま載っていた。 

 カオナーガイ、海南鶏飯とソムタムの店だと思うのですが、明らかに食べつけてない人の描写だと思います。こういうのに詳しくないのもどうかと思いますが、こういうのにだけ詳しくなって、タイの上流社会のコネを使ってあっというまに役所手続きを済ませたり、パーティーでオーストラリア人や王族に近い人やタイ華人の大物と話す場面が構築出来ないのもツラいと思いました。サスペンス小説はどっちかというと後者になるので。読めてヨカッタデス。以上

(2020/9/4)