『追う男』(徳間文庫)"THE NEXT BEST THING" by John Ralston Saul 読了

追う男 (徳間書店): 1995|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

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カバーイラスト=田中 光 カバーデザイン=花村 広 巻末に訳者あとがき。

John Ralston Saul - Wikipedia

上記、カナダ人の国際ペンクラブ会長の若き日のサスペンス小説を前川健一が『タイ様式』で紹介しており、それ(『パラダイス・イーター』)をブッコフオンラインで見つけて買う際、これも在庫があったので、併せて買いました。一冊百円強也。

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最新刊 徳間文庫  東南アジア冒険小説  タイ・ビルマ国境の深奥、地獄のジャングル、アヘン地帯に眠る仏像を追う。

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ロンドンの美術界の因襲に幻滅した主人公ジェームズ・スペンサー。彼は旧ビルマの奥地パガンに眠る時価百万ドルの仏像20体を盗み出そうと決心する。助っ人はなんとタイ在住の宣教師にして殺し屋という人物。さらに軍閥同士のアヘン支配権をめぐる銃撃戦にも巻きこまれながら、スペンサーはタイ・ビルマ国境の地獄のジャングルを越えようとする――。東南アジアの熱気が息づまるほどの臨場感で全編を満たす!

 徳間文庫は麗羅も出してましたし、後発なのでいろいろやってたんだなという。作者の三冊目のサスペンス小説だったようで、一冊目は1977年、ドゴールがどうのこうの。二冊目は下記、石油を巡る巨大企業がどうのこうの。

Baraka (novel) - Wikipedia

参冊目が本書で、徳間からの邦訳はこっちがあと。徳間は四冊目を先に邦訳してます。その時の翻訳者、北村太郎さんは当時体調が整わず、本作の翻訳者木下サンがそれを補い、刊行後、北村さんは物故。本作は、木下サンがメイン翻訳です。一章のみ、生前の北村さんが目を通されたとか。その四冊目は、本書にも登場する無頼派現地事情通カナダ人(モントリオール出身だが、フレンチケネイディアンではなく、アイリッシュ系)が主人公で、主人公とヒロインがともになかなか治らない淋病持ちで、ぱんつに黄色い?膿の染みをつけつつ組織に追われるという、前代未聞の珍小説です。

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以前読んだ岩波文庫のイタリア小説にも、主人公の少女が梅毒で死ぬという滅茶苦茶な話がありましたが、なんというかなー。

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二ヶ所ほど、訳語が、世の中一般とちがうかな、と思いました。頁248の「ロンギ」はロンジー、頁285の「イラワディ河」はイラワジ河として知られていると思います。

頁91、チベット仏教を「未開の迷信の中に深く埋没し、教えの意味が逆転していることさえある群小分派」と書いているのは、納得しなくもなく、西欧人の多くがそっちに魅かれるのに対し、本書に登場する元アナーキストのスペイン人、フランス傭兵部隊から捕虜を経て黄金の三角地帯で少数民族独立運動や国民党残党のあいだを遊弋する上座部仏教徒兼鴉片中毒者、のような人は珍しいと書いてあるのにも同意します。上座部仏教徒になって出家する白人もそれなりにいるとは思いますが、本書のように、それを密教等と比較して冷静に判断してる人は、当時は珍しかったかも。大乗仏教の現状にハテナマークの日本人はだいたい上座部にはいかず、原始仏教に行く気がします。河口慧海と発想は同じ。

私はこのスペイン人を、メキシコ人のベトナム戦争残党となぜか思い込んでいて、別の小説と混同したのもありますが、白人と見ると親しくしようとする現地人がスペイン人だけシカトする場面を読んで、白人じゃないからかと勝手に誤解したのもあります。白人じゃないからでなく、現地に同化したジャンキーだからシカトされたという。

一行はなかなかビルマに行かず、二百ページ越えるまでメーホンソーンでうろうろしており、これがややたいくつです。で、メーホンソーンのちょろっと先まで密境してアヘンの罌粟畑観てウキウキみたいな白人観光客向けツアーの記述がどっかに有った気がして、高野秀行のアヘン王国潜入記をおちょくってるのかと思いましたが、読み返してもその記述は出てきませんでした。これも模造読書なのか。

高野秀行はワ人、吉田敏浩はカレン人ですが、本書はシャン人です。いちばんメーホンソーンよりのタイに近いところの人たちなのかな。彼らとラバで、平野まで出て、あとはこっそりトラック調達してパガンに行き、仏像強奪というストーリーですが、パガンはあまりに遠いので、これは無理あるだろうと思いました。そんなことふつう誰も考えないのですが、主人公は美術品の目利きで、二束三文のガラクタの中からお宝を見つけ出す名人で、そうやって得たあぶく銭を使って、仏像を見るとボッキしてしまう自分の性癖を満たすために長途疾駆してしまうわけなので、路銀もタップリ出しますし、わけのわからない、人を動かすために必要な熱意も兼ね備えているというわけです。

(ので、パガンで主人公の意図を知ったスペイン人から、仏像を奪ったらコロスとすごまれたり、現地まで来たシャン人たちは皆、ここはお寺で、お寺から仏像を盗むのはイクナイ、としりごみしますが、「ビルマ人の寺からビルマ人の仏像をもっていくだけだ」とか、山岳民族はまあまあキリスト教徒になってますので、それでごまかします)

頁104、鼻ぺちゃのことを、「鼻が胡坐をかいている」と書いてますが、それは原書の表現か、翻訳が頑張ったのか、知りたいと思いました。

218中国国民党将軍が、「朱徳には用心しろ」「あの速さには追いつけない」と寝言を言う場面は笑いました。娘はアメリカの大学を出て弁護士の資格もとっていて、彼氏はアメリカ人の同級生なのですが、この彼氏がちょっと、本筋から脱線するのであまり書けなかったが機会があれば書きたいと作者は思ってるのではないかという、曲者です。スーチーの旦那でもイメージしてるのか。

頁259、反政府軍ゲリラということになってはいますが、アヘンはクンサーがモデルと思われる人物が統括するアヘンアーミーに牛耳られてるので、ほそぼそと、なかば鎖国しているビルマに、タイからロバの隊商で密林を抜けて密貿易物資を交易することで利益を得ているような描写があります。詩的で、雨季にポンチョのロバ隊が山行する場面など絵になりますが、ほんまにそんな小規模貿易でよかったのかなぞです。このページの密貿易品は、ゴムサンダルと避妊用ピル。ここも私は最初空目ってしまい、ムードンコを密輸してると思い込み、高温でゴム劣化しないか心配になりました。ピルだとそれはそれで湿気ないか心配でしょうが、ゴムとピル読み間違えるかなふつう。ちょっと自分で自分が心配です。

『裏切られたベトナム革命』という中公文庫があり、北政府勝利後、ボートピープルの時代に粛清されそうになってアメリカに亡命した高級軍人が、ベトナム戦争の裏側をいろいろばらした好書なのですが、そこで、ホーチミンルートなんか現実には機能しておらず、物資はだいたい海運でカンボジアのコンポンソム、今はシハヌークビルですが、そこに陸揚げされて、そっからカオダイ教のあそこの国境に運ばれてたとあり、世の中そんなもんかと思いました。だから本書の、ビルマ北部山岳地帯の少数民族反政府ゲリラの茶馬古道ロバ行商の旅も、詩的なロマンだけの記述で、実際には海のロヒンギャのほうから大部分の物資は行ってると考えたほうが合理的だなと思っています。さて21世紀の現在から見て、当たってますかどうか。以上

【後報】

上座部仏教徒の西洋人の火葬と、新教キリスト教徒の山岳少数民族の土葬の場面が天丼で、作者はかなりそこ、書きたかったのだろうなと思いました。

(2020/10/1)