装丁者…………桂川 潤
チベット文学研究会訳ツェラン・トンドゥプ『黒狐の谷』*1が面白かったので、同翻訳者集団のほかの本も読もうと思って買いました。勉誠出版のは黒狐から芋づる的に通販サイト関連書籍で出るのですが、これだけ東京外語大出版から出ていて、この本を読んだ人はこんな本も読んでいますに出ないので、まずこれを意図的に探してクリックしました。
上の百度にチベット語の人名表記がないのが気になりました。以前はチベットのものにはチベット語の名称も併記してた気がするのですが、やめたのか、ここだけないのか。なんとなく、台湾の多文化共生に張り合ってもあちらの進みっぷりには追いつけないし、多文化共生は日本のネトウヨからも評判が悪いので、さっさと漢語一辺倒に乗り換えたのかもしれません。
ので、しかたなく、評判の悪いWindows標準装備の中国政府版チベット語キーボードで、ああでもないこうでもないとチベット語を入力しました。アラビア文字の場合、語頭と語中と語末で形が変わってしまうので、年とってからだと覚えて判別するのが大変なのですが(ので、ウルドゥーもペルシャもウイグルも、手入力の努力を放棄しています)チベット語は字形が変わるわけではないですので、打ったら打てた。細かい部分が間違ってないか、検索してそれっぽい画像が出るかどうかでファクトチェックを行いましたが、どうかなあ。なんともいえない。
カバー折と帯のおりかえしと、目次のつぎのページの原題と初出一覧。チベット語タイトルは、各話の表紙にも、木版画だかマジックイラストだかの絵といっしょに載っています。茶系統のおされな紙。でもこのカバー折の煽り文句は、思い入れが強すぎて帯に採用されなかったのかもしれません。
解説者もウィキペディアや関連検索ワード見ると、敵がいそうな人で、「解説 差異と普遍性 ―現代チベット文学が切り拓くもの」を読むと、なかなかチベットフリークが言いづらいこともサクッと書いてます。
・日本のチベットブームは二回。河口慧海と中沢新一のチベットのモーツァルト(チベットフリークから総スカンと聞きます)
・でも地球の歩き方に一冊のチベット編があるくらいだから、ふつうなんでしょ?「チベットが好きなんて、変わってるって言われるんです」なんて言わせないよ、みたいな。
・現代チベット語による文学活動の歩みは実はまだ三十年程度と日が浅く、それは、
頁259
それに対してチベット語による文学的表現は、じつは中世以来の古い伝統を持っていたが、インド文学の古典的修辞学の圧倒的な支配下にあり、現代文学の創出に不向きだったという。
文語と口語の乖離、お勉強が出来る子ほど文語の古典文法習熟に傾倒してしまうため、魯迅のような、じっさいに100パーそうするわけではないですが、「話すように書く」試みが始まらないという。本書のタクブンジャにしても、黒狐のツェラン・トンドゥプにしても、ほかに勉誠出版から出ているこのシリーズの作家たちにしても、アムドの作家ばかりというのが非常に興味深かったです。最も漢語文化圏とまじわりが深く、現ギャワ・リンポチェと先代パンチェン・ラマを輩出し、かつまた、回教文化の居住者たちとも混在環境にある中で、何が育まれたのかという。ラプランや西寧から蘭州に行くと、一気にチベット系に対し、アタリがきつくなるんですよね。でも西北民族学院には新疆の少数民族もいてるので、それまで日常接していた回族とまた違うイスラム文化も、インドネパール経由とまた違うコーカソイドも見れたりする。
これがラサだと、チベットと四川と北京と、インドネパールを見据えた関係になるので、生成しにくかったのか、チベット文化の総本山だから、伝統を崩すことが、イコール民族文化の崩壊につながるとの懸念や批判があったのか、など想像します。また、本書に登場する西北の民族学校が一連の作家たちの揺籃になったのに対し、窓ガラスも全部割れて建物ぜんぶ閉鎖された西藏大学がそのゆりかごたりえなかったというふうに考えることも出来るかと思います。北京の中央民族大学からそれが出るかというと、知らないから知りません。
この解説で、漢語で書く小説家も挙げ、タシダワでないザシダワと、阿来を出してますが、ラサとカムが漢語、というふうにも言えるかと思います。で、漢語で書くかチベット語で書くか、の問題がまずあるとしていますが、そう読んでくと、誰でも、ダラムサラやインドネパール各地の亡命者学校で英語教育に熱心なことに思い至り、英語で書くかの選択問題もあるんじゃない、と考えると思います。解説者は流して書いてるのでそこまで知らなくてもいいでしょうが、読む方は考える。
で、邦訳者集団のホームページを見たら、まさに最近そのアンサー書籍を訳していて、カムの父を持ち、セブンイヤーズインチベットの頃にギャンツェ、ラサ、ヤードン、ダージリン、ロンドン、ティンプーと流転の生涯を送った人の英語による小説がこの十月に出るとか。内容はアメリカ宣教師とカム、みたいな話だとか。で、英語のチベット文学は入れないの?と星泉に訊いた人は、アメリカの漢人研究者で、検索で一個そういうのが出るので、台湾系の人かもしれません。日本人もつっこめよと思いました。
「草原が生んだ小説家、タクブンジャ ――訳者解説」を読むと、"Takbum Gyal"サンは若い頃内気で、酒浸りだったことが分かります。 そこからどう巻き返したのか、実はいまだ巻き返せないまま五十代半ばの危険水域に入ってるのか、そこは分かりません。本書未収録の『苦悩の葉は酒で濡れたのではない』(1998)読んでみたいです。
また、ケサル王と並ぶチベットの民間伝承、「死体物語」というのは知りませんでしたので、これの語り部たちのドキュメンタリーを作れば、向かうところ敵なしと思いました。
ヴェーターラ・パンチャヴィンシャティカー - Wikipedia
以下各話感想。
『ハバ犬を育てる話』ཧྰ་པ་གསོས་པའི་ཟིན་བྲིས། , 2006
ハバ犬というのは漢語の〈哈巴狗〉から来ているそうで、狆でもパグ犬でもハバゴウだそうです。
愛玩犬というそのまさに茶坊主が人語を解し、単位内で次々に上司に取り入って出世してゆくおそろしい不条理寓話なのですが、かわいいかわいいわんちゃんにロックオンされて求愛されるおさげの十代事務職女性が漢族なので、ここは何故かチベット人女性ではいけないのかしばし考えました。結論は、深い意味はないだろうというものです。
『犬』ཁྱི་རྒན། , 1996
これも怖い話。死後硬直してカチンコチンの犬を引きずって歩く場面が目に浮かぶようです。
『罵り』སྡིགས་མོ། , 1993 文芸誌にのみ掲載。書籍化未。
最初の奥さん(牧地出身でしたか)が、改革開放から追い風の波に乗らず、字ばっか書いてる薄給教員の宿六を口汚くさんざんコテンパンに罵る話。まあ、ただ、こういう女性は漢族社会では当時まったく珍しい話ではなく、下放で農村女性とセックル婚したかつての知識分子青年はたいがいこんなだったと思います。日本でも、一度対応したファンウェンシュエジャー、访问学者の嫁さんがものっそいそんな感じで、書店勤務していた頃、図書券で中文書買いたいとまず来て、社長の了承のもと売ったら、その時ある程度漢語が話せることが分かってしまい、そうなるともうご想像のとおりで、数日後、水に濡らしてふやかした本を、不良品だから代えろ、ただしこれはもう読んだから別の本に代えろと言ってきて、そんなの即断ると、こっちが日本語オンリーだったら語言不通で引き下がったのでしょうが、なまじある程度通じると讨价还价ではないですが、しつけーしつけー。で、翌日、ジャオショウ、教授のおっさんが謝りにやってきて、あれも悪気はないんだみたいなこと言って、若い頃の恩は一生かかっても返さねばならんのだなあと思いました。
頁75、アク・トドンというのは、『黒い狐』に出て来る、アラク・ドンと関係あるのだろうかと思いました。
『一日のまぼろし』ཉིན་གཅིུག་གི་ཆོ་འཕུལ། , 1990
代表作のひとつで、実験的な作品だそうです。『黒狐の谷』で、ミルクティーと訳しているものを、「乳茶」、磚茶を煮出したものにミルクをまぜたチベットでよく飲まれている茶、と書いていて、これなら分かると思いました。ミルクティーと言われると、チャンガァモォ、シナモン効かした、インドのチャイしか連想しなかった。お互いに憎からず思っていた女性がよその村に金銭で嫁いでいったあと、
頁92
彼は、若い女たちの中から関係を持ったことのある者を指折り数えてみた。
さらっとこんなこと書けるのが、性にゆるいというか開放的なチベットの描写(でもたぶん男性オンリー)漢族ではこうはなりません。
『番犬』སྒོ་ཁྱི། , 1990
ツェラン・トンドゥプがラロシリーズとアラク・ドンものの人だとすると、タクブンジャという人は「犬」シリーズの人だそうで、それで収録されてる話かと思います。犬が一人称で語る小説。ただし人語を話したりはしません。リアリズム。
頁112、肉をゆでたお湯を、犬に飲ませないでラバに飲ませる場面、ラバは肉食でないのに、悦ぶんだろうかと思いました。
『貨物列車』བྱིས་ཁ་དང་མེ་འཁོར། , 1988 文芸誌にのみ掲載。書籍化未。
これも実験的作品。読むほうが勝手に風刺を読み取ってよいのなら、天空列車開通後に沿線住民が読んで何を思うか知りたい気がします。邦題は貨物列車なのですが、打ち込んだチベット語で画像検索すると、旅客列車ばかり出ますので、打ち込み間違ってないか気にしてます。
星の王子様のチベット語訳なんてあるんですね。
『犬と主人、さらに親戚たち』ཁྱི་དང་བདག་པོ། ད་དུང་གཉེན་ཚན་དག , 2002
解説によると、文革前、中国では〈内地〉少数民族地域問わず、狂犬病絶滅のお題目のもと、犬殺し運動がさかんだったそうです。大躍進のころの〈除四害运动〉、蝿、蚊、鼠、雀を駆除する運動は記録に残っていますが、犬殺し運動のほうはほとんど記録が残されておらず、公的に口承を記録に残したりもしてないとか。それが村にやってきた時代と、チベットというか仏教では、輪廻転生で人間に生まれ変わる前に一度犬に生まれ変わるという説話をもとに現代でのムラの人間関係の複雑さ、クセのある人物や、寝取られ亭主とマオトコの大喧嘩などがクロスオーバーしてゆきます。
この題名でなく、「犬」のほうのチベット語で検索して出てきた動画が上です。たぶん飼い犬の凍死。こどもが泣いてますが、この話でも犬が殺されて泣き叫びます。
父親なのか誰なのか、上の撮影者兼話者の声の中で、"巴不得"や"通过去""已经liu4了"などの漢語が混ざる気がするのですが、気のせいでしょうか。そこだけ聞き取れてしまうと、それはそれでなんだなあと思ったりもします。トンではなく〈冻〉かもしれない。
中国は死刑などで射殺した後、遺族に弾丸の代金を請求すると聞いてましたので、この話でも犬はバンバン射殺してますので、弾丸代請求すると思ったのですが、その場面はありません。たま代がもったいないから、ふつうは撲殺と思います。ブラックジャックみたいので、頚かアタマを叩くだよ。
ふっと、中国には野犬はいないが、インドには野犬がいるから狂犬病がこわいみたいな話を思い出しました。上記地球の歩き方のチベット編の昔の版にも、ラサの野犬の狂犬病について書いてあったかもしれない。この話の赤い雌犬は立派です。私はむかし、サキャだかサムイェだかで、100mくらい牧羊犬に追いかけられて、50ℓのバックパック背負って全力疾走し、人間やれば走れるものだと思いました。その旅行から日本に帰って、一週間くらいからだが軽かったかもしれません。
この小説の、浮気男と亭主の罵りあいは、漢語小説ではまず読めない素晴らしい出来です。ずっと読んでいたい。あとまあ、気まずい人間関係なので別の村に移住するくだり、テント移すだけなわけですが、簡単に出来るようでもあり、意外にしがらみがあってめんどくさいようでもあり、です。
『道具日記』“ལག་ཆའི”སྑོར་གྱི་ཟིན་ཐོ། , 1995 文芸誌にのみ掲載。書籍化未。
『黒狐の谷』には、チベット語に混入する漢語をわざとばんばん出した小説がありますが、この話もたくさんの単語にヤマカッコ〈〉がついてますので、その部分は漢語なのかなあと思ったりしました。カッコ内も邦訳してるので、チベット語なのか漢語なのか分からない。二つだけ、「道具ラクチャ」「権力ワンチャ」と、ヤマカッコでなくカギカッコで、チベット語のルビ振ってる単語が出ます。これ以外漢語ということなのだろうか。原題はヤマカッコでなくダブルクオーテーション、漢語だとせりふに使うカッコを使ってますが、そのへん、現代チベット語文法がまだ確立されてない時代の執筆と思います。
題名を検索すると、〈藏族教育網〉"Tibetan Edication Network"というサイトの、いろんな工具の漢語名とチベット語名と英語名を画像入りで列記したサイトが出ました。
頁179、「ムスリムの老人から中古バイクを購入」とありますが、回族と書いた方が分かりやすいのではと思いました。サラール族である可能性もあるから「ムスリム」と訳した、という話なのかなあ。
『村長』སྡེ་དཔོན། , 1999
ラストを飾るにふさわしい、ボリュームのある中編。味わいのある話です。最初にチベットの格言から引用してる時点で、力がこもっている。題名からして、「そんちょう」と読まず、「ツンジャン」と漢語で読みたくなってくる。上から任命される書記と、村内だけ直接選挙制があって、そこだけ民主主義的に選ばれる「村長」という中国の村を描いた作品として読んでもいいですし、国営企業や地方の公務員がいちばん危機に瀕して、給与の欠配遅配が頻繁だった時代の落後した大西北の実状として読んでもいい。「局長」がなんの局長か分かりませんでした。財務局はもう出てるので、あとなんだろう、兵部局、工部局、民政局、药局,结局,なんなんだろうなあ。じゅじゅじゅ。
『黒狐の谷』や巻頭の話もそうですが、現代中国は、国政批判(と党中央)は許されませんが、地方の腐敗、タンカンオリ、一発変換出来ませんが貪官汚吏は大いに告発してガス抜きして綱紀粛正にも一役買ってほしいと云う感じなので、少なくとも初出時点では、そこはおおっぴらです。逆に日本のほうが、言いたいことハッキリ言わないかもしれない。
この話をウイグル料理店で読んだので、どこの話か、脳内でカシュガル郊外などの光景とどんどん重ね合わされてゆきました。そんな話。
以上