『或る酒場』読了

増田れい子『たんぽぽのメニュー』に作者が出て来て、スペイン旅行で本来おいしいものが食べれるはずなのに、萩原葉子という人はやることなすことツイてないので、おいしいものにありつけなかったという、そのエッセーを借りようかと思ったのですが、手近の図書館にないかったので、それでこれを借りました。しかし、'70年代の萩原葉子と、'90年代、ダンスに開眼した萩原葉子とではおのずと異なるであろうから、1994年刊行の本書を読むのはちょっと違ったかなと思いました。

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或る酒場 (毎日新聞社): 1994|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

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萩原葉子 - Wikipedia

なぜ踊らないの-生誕100年記念 萩原葉子展|前橋文学館

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/51MhGh8u2SL.jpg装幀 成田朱希 プロローグとエピローグがあって、そのあいだに、「酔櫻」という酒場を舞台にした7~8ページの連作短編が22個入っています。どこに連載してたとかそういう、初出の記載はなし。毎日新聞社もへんな本出してるなあと。

「酔櫻」は、最初に、「よいざくら」とルビが一回振られて、あとはルビがないので、途中からてきとうに読んだ私は音読みで「すいおう」もしくは北京語で「ズイイン」と読んでました。頁146によると、バーではなくサロンだそうで、私鉄沿線S駅で、買い出し先は新宿で、あと、渋谷に出る感じもあり、空襲で焼けなかったとのことで、店が閉まった後同窓会をするのが、箱根に向かう途中の「T温泉駅」ということでしたので、じゃあ鶴巻温泉で、祖師ヶ谷大蔵か世田谷代田だろうと思っていたのですが、実は成城学園前、否、シモキタでFAです。たぶん。千駄ヶ谷、笹塚、桜上水や下高井戸、千川、柴崎、聖蹟桜ヶ丘三軒茶屋、新丸子、鷺沼ではないでしょう。

シモキタのどこが山の手なのか分からないのですが、世田谷区が山の手という意味合いで、山の手なのか。

三省堂|東京山の手物語

麻布、麹町など江戸の武家地から松涛や田園調布、成城学園や国立、近年の田園都市線沿線まで、東京「山の手」の百年の変貌の歴史をたどる。 

 そういうところで45年続いたサロンが、立ち退きで店をたたむまでの数年間を描いてるのですが、ああ、これが、バブルがバブルだと気づかなかった頃の物語なんだなと。1994年といえば、ギリはじけてなかったと思います。ちょうど桃ナントカ興業の社長が飛んだ頃では。常連同士が実によく口論、ケンカするのですが、そんななのにどうして同じ店をいきつけにするのか、今から考えると信じられないです。LGBTQはてな絡みでかなり21世紀にはそぐわない台詞があるので、この時代のみの作品としたほうがいいと思います。シモキタらしいといえばらしいですが。

作者の分身の主人公は、小学校からいじめられていたとのことで、酒も飲めなかったのが、作中連続飲酒で死亡するとっちゃん坊やに連れられてこの店に足を踏み入れ、「パパドラゴン」や「黒木」といった、娑婆のウサを酒場の咆哮で晴らすタイプの男性に毎回罵倒と恫喝されながらなんとか食らいつき、社会性を磨いて現在に至るという小説です。本書だけ読むと、お嬢さん育ちだからと思ってしまいますが、ウィキペディア読むと、ほんとにこの人ツイてないので、絶句します。

だいたいにおいて私は、「」と「」どっちが「オギ」でどっちが「ハギ」か今だに字形の区別がついておらず、どっちかがケモノでどっちかがノギヘンなんだが、さてどうでしょうという状態で止まっています。そういうわけで作者がオギワラなのかハギワラなのか深く考えず読み、月に吠えるのサクタローの娘とウィキペディアに書いてあったので、スキーのジャンプとかとは違うんだなと思いました。またこの人の代表作が、『蕁麻の家』というのですが、ロクロクルビも振られておらず、じんましんの蕁麻疹からシンを抜いた字ですので、「じんまの家」と読むとそれがちがうそうで、「いらくさの家」と読むそうで、「いらくさ」というと変換候補が「Iraqさ」しかなくて、アホかと思いました。お子さんが朔美という名前なので、惣領は冬実だし、なんだっけ、睦美かと思い、睦美は萩岩でした。朔美は吉野。しかし萩原葉子さんのお子さんはおとこのこだそうです。

萩原朔美 - Wikipedia

渋谷系の創造者と言われても、じゃー知らないですとしか。作者の分身の主人公にこの店を紹介した骨董品店の主人は、六十過ぎても家業に身が入らず、独身の遊び人で、八十過ぎた母親があれこれやってるのでかろうじて店がもってるが、若い女の子にひっかけられて入れあげるのと前後して母親が死んで、その後あっというまに店をたたむことになり、宅急便のアルバイトになって連続飲酒で死にます。

頁168

身体の痩せ方が目立ち、眼もくぼみ、ママの話しでは或る夜、ビール一杯やっと飲み、おつまみのハルサメを一本、一本ゆっくり飲み込んだだけで、立てなくなったそうです。

 アルバイトの過労で、衰弱したことと、ビールの他はろくに栄養も取っていなかったので、立ち上がれなくなったのでした。幸い常連の中に内科医の人がいたのでその場から病院に運び込んだが、そのまま一ヵ月経たずに亡くなりました。 

 この人の名前が冬彦で、マザコンですし、佐野史郎のドラマはここからかと思ったら、ドラマのほうが先でした。頁135にドラマが出て来る。で、本書に出て来る男性客は大半がマザコンです。マザコンかイケメン。でも料理をする男性がけっこういるとか。女性客はなべて料理をしないタイプと書いてありました。男漁りに店に来る女性が一人出ますが、恋愛の相手を探しに来るのではなく、プロスティテュートで、その女性が来るとママや常連客がいっせいに聞こえるように陰口を叩き出すのですが、馬耳東風で、女性といっしょに店を出る男性のほうは、あまり非難されません。

児童書やマンガの下請け企画をする会社の社長が主人公とものすごく折り合いが悪く、嫌味ばっかし言い合ってるのですが、マンガのほうはジュンブンみたいに売れない文学やってる主人公を軽蔑してるし、主人公はマンガのおかげで若者の読解力が低下してると本気で信じてるという、アホみたいな話になってます。作者は純文作家なのかもしれませんが、本書は純文学ではないし。マンガ企画というと、最近は吉野源三郎原作マンガのように、出版不況のなかスマッシュヒットを飛ばす仕事という気がするのですが、90年代にもうそういう会社があったのかと、認識を改めました。其の社長の娘が高校三年でもう二度も別の常連の産婦人科で中絶のお世話になっているという、ほんとにモデルがいたら車谷長吉レベルの話がさらっと書いてあります。頁100。

エピローグも、小説本文では書かなかった常連として、二十代で四十代と結婚してセクロス三昧の人生送った六十代男性が、今は八十代の恋女房との夜の営み、かつての壮絶な猥談を話し出すと止まらなくなり、周りの客から「やめろ!」と怒号が飛ぶが、毎回その話しかしないというネタを繰り出してきていて、酒が入ると人間が変わるという実態を小説で書きたかったと作者は言ってるのですが、極北だけ書かれても困ると思いました。

主人公はダンスが人生なので、ダンスのパートナーと店で待ち合せたりするのですが、二人で店を出るとなると、周りの客はもうホテルに行くものとしか見てくれません。

頁91

「お帰りを待ってるよ」と、麻代は言いました。

「どんな顔して帰るのかしら? 満足した顔でしょうね」と、ママが言いました。

「多分、その通りよ」と、わざと今日子は言って、ガラス戸を閉めようとすると、

「帰りは、お腹大きいんじゃないの?」と、麻代が言いました。 

 お店の戸はガラス戸で、ガラガラ音たてたりするので、たぶん引き戸です。そんなバー、90年代でも珍しいわ。とにかく一部の常連の悪口雑言がヒドいので、それでよくほかの客がついたなと思うだけです。この頃はまだ、カラオケやらチェーンの居酒屋に行くという発想がなかったのだろうか。いや、既にあったし、う~ん。プロローグは、閉店後、取り壊し前の店に行ってみて、二階の住居スペースに行くと、ママの姿見に、死んだ古道具屋の冬彦が映ってるという話です。そっから初めて、二十歳の年の差婚のサルセックスで終わるというのが、なんともかんとも。スペイン料理の本も読んでみます。以上