『フロベールのエジプト』"VOYAGE EN ÉGYPTE" par Gustave Flaubert(叢書・ウニベルシタス 618)読了

 This book is published in Japan by arrangement with les Éditions Grasset & Fasquelle, Paris through le Bureau des Copyrights Français, Tokyo.

 折りこみの地図(ちゃんと折りこめないので少し紙を切ってある)なんかも入っているわりに、装丁者の名前を見つけられませんでした。

海堂昌之 - Wikipedia

訳者の斎藤昌三さんは、その名前で検索すると、1961年におなくなりになった古書研究家が出るので、オバケ👻かと思います。海堂昌之というペンネームのほうでウィキペディアに載っていて、曖昧さ回避もあるのですが、最初はなかなか紐づけ出来ませんでした。

この本も、前川健一のアフリカの本の写真の、田中真知のエジプトの本で、紹介されてたエジプト関連書籍の一冊。 エジプト関連の本はたいがい図書館蔵書で見つかり、あと、マーク・トゥウェインのエジプト旅行もあるのですが、そっちは全集の上下巻各四百~五百ページもあるシロモノなので、そのうちのどれくらいがエジプト関連かは分からねど、見合わせることにしました。

とにかくこれ一冊読めば、長かった前川健一関連書籍も読み終わるので、頑張ります。

ギュスターヴ・フローベール - Wikipedia

今のところ、頁71、わりとどこへ行っても賈春するフロベールが、通訳同席で現地女性と性行為に及ぶ場面がヒドいです。旅行中に28歳になったということなので、おさかんだったんだなあ。なんとなく、大学生の時、イケメンの親友に、お前とお前の彼女と3Pやりたいと言われ、始めたものの、やっぱりできないと泣き出した男の子を思い出しました。確か、彼女のほうはまんざらでもなかったらしい。

フロベールは梅毒になるそうなのですが、エジプトでなったのか、その後の旅行でなったのか。現在はどうか知りませんが、法政大学出版局はかつては掛売なしの買い取りのみで、わりと敷居が高い出版社だったおぼえがあります。それで1000冊突破するんだから、たいしたものです。学長が抜け忍だからか。

www.h-up.com

以下後報(『カイロの庶民生活』『バンコクドリーム』『ポテト・ブック』と、あっという間に書きかけの読書感想がまた積み重なりました)

【後報】

フロベールのエジプト滞在記は、従来、姪御さんが校閲して、露骨なセックル場面などを削除したヴァージョンだけが出回っていたそうです。それが、1991年、マニアが私蔵していたナマ原稿を研究者が発表し、初めて全文が明らかになったとか。どんなんかというと、こんなの。

頁153

 そのあとクシウクと二発目。――肩に接吻したとき、首飾りの丸い玉が僕の歯にガチッとぶつかった。――彼女の性器はビロードのようにやわらかい肉襞で僕を締めつけた。――僕はいやがうえにもいきりたった。

あちらの人の遊び方はよく分からないのですが、この時は、娼家にあがってまずセックスして、その後楽師たちがやってきて、ラキ酒と書かれてる酒を飲みながら娼婦の官能的な踊りと音楽を楽しんで、その後カフェに行って、その後神殿を観光に行って、娼家に戻って飲みながら踊りを見て、上記引用の「二発目」があって、その後また踊りがあって、で、ご休憩でなく、「泊まり」になるのですが、外国人が娼家に宿泊していると強盗団に狙われるそうで、用心棒もいるにはいるのですが、ぽんびき程度でしかなく、それで「床入り」して性交して寝て、夜中に起きてまたして、相手があとあとまで、ほかの男と違った存在として自分を覚えてくれればよいのにな、と空想するのですが、何度もヤルので「もうたくさん」と娼婦に言われます。

そのくせ、二度目にその娼家のある土地を訪ねて彼女と再会した時は、わりと冷めてて、彼女のほうが彼の宿泊先を訪ねてきたりするのですが(あいにく不在)もう二度と会うこともない、だんだん忘れちゃうんだろな、なんて書いてます。ヒドい男。

別にフロベールだけがヒドいわけでもなく、現地で同行するフランス人もこんな感じ。

頁105

(略)フトゥーフ門あたりの黒人奴隷市場の近くを通りかかったときなど、妙に浮かれて、僕らの前にいた哀れな黒人女を指さして、「あの女に素っ裸になれとガイドにいわせなさいよ」などというのだった。 

 もいっちょ。

頁297

 翌日、キュニー医師のもとで昼食と昼寝。彼曰く、申し訳ないが女は世話してあげられない。というのも、つい先頃まで任にあった総督が四角四面の謹厳派で、女たちを一掃してしまったのだそうだ。 

 エジプト人はどうかというと、これもめちゃくちゃ。

頁66

 結婚式の行われている家に行く。――そこでの道化芝居。役者の一人が女に扮し、医者を訪ねて戸を叩く。「誰だ?」――「病人です」――「だめ、戸は開けないよ」。――また戸を叩く。「誰だ?」――「あの……、あのう……、あの……」――「だめだよ」。(略)「誰だ?」「淫売です」――「ああ、入りなさい!」。 

 同じ艶笑噺。

頁66

「医者は何をしているの?」――「今、庭に出てるよ」――「誰と一緒に?」――「驢馬と一緒に。驢馬の尻につっこんでるところだよ」 。

 地元のガキ。

頁67

(略)こんなことをいう。「五パラくれれば、母ちゃんを連れてきてやらせてあげるよ」。また、ほかにもこんなことをいう、「何もかもみんなうまくいきますように、特にものすごく大きいマラが持てますように、お祈りいたします」。 

 これも婚礼の余興の芝居。

頁73

「どういう職に就きたいんだ?」――「医者です」――「医者はだめだよ、どうしてかというと、云々……」――「じゃあ、兵隊さんになる」――「だめ、そりゃ大間違いだ、負傷したり、殺されてもいいのかい」――「じゃ、商売人」――「だめ、破産して大変なことになる」云々。こういうあんばいに、あらゆる職業がことごとく身の破滅を招くものとされたあげく、「いいかね、じゃ教えてあげよう。こうやってお金を稼げばいいんだ。いい仕事はこれなんだよ」と、こういうと、彼は長さが三ピエもあろうかという特大の木製陽物を自分の肛門につっこませた。別の男がその道具を自らの下腹に擬し、うんうんいって押しこむのだが、ぐいと押しこまれるたびに、掘られているほうは口からざらざらと金貨を吐き出し、もちろん同じ口から訓戒を垂れることも忘れない、と、こういう趣向だったそうな。 

 こういう状況で暮らすと、ひとはどうなるか。

頁99

 ロゼッタイスラム教隠者で、女に跳びかかって衆人環視のなかで犯したのがいたそうだ。その場に居あわせた女たちがとっさに被っていたヴェールを脱ぎ、交接中の二人を覆い隠したという。 

 最近でもときどきウェブで出るのですが、「アラブの春」の時、街中や広場に繰り出して女性が踊っていると、ふと気が付くと周りが見知らぬ男ばかりになっていて、乱暴されてしまう、という、実際に被害にあったアラブ女性の手記などを思い出しました。そういう女は何されてもいい、という暗黙知がいつからあったかというと、この時代既にして、という感じなのだなあと思いました。ハッサン中田考や田中真知、ヌタハラ先生などが、こういう文献を読んで、自分たちがゴッツンしてるエジプシャン気質を理解し、溜飲を下げようとしてたことだけは分かります。在中日本人が『支那四億のお客さま』を読んだり大観園の本を読んだりするようなものか、と。

けっこう酒を飲む場面がありますが、ハシシュは、一ヶ所あったかなあ、覚えてないけど、というくらい。鴉片も一ヶ所かな。それより、マムルーク(傭兵)朝とはよく言ったもので、エジプトでありながら、カイロやアレクサンドリアは、トルコ人アルメニア人がちょくちょく出ます。上ナイルに行くと、遊牧民やアビシニア(エチオピア)人やヌビア人スーダン人?)が出て来るのと対照的。回教に改宗したイギリス人女性も、ユダヤ人学校の生徒さんも出ます。

そんな本です。以上

(2020/11/3)