[全館・特別企画展]傘寿[80歳]記念 画家・原田泰治 心の絵の足跡  80th Birthday Celebration: "Artist Taizi Harada - Retrospective of Works of Born from the Heart" 鑑賞

諏訪に来て、孤独死した知人に手を合わせたらあとはほかの人のブログをとにかく読みまくろうと思ったのですが、すぐ疲れてしまい、散歩がてら行きました。

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この人、孤独死した知人に外見が似てるわと思いました。同郷人だから外見はそりゃ似るのかもしれませんが、才能と努力と度胸はだいぶちがうと思いました。セルフプロデュースのため粉骨砕身頑張れたかどうか。

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ここには座らないでね  TAIZI HARADA ART MUSEUM

これも自画像なのかなあ。右は愛車。

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原田泰治50年前の愛車トヨタS800 昭和43年〔1968〕原田泰治はグラフィックデザイナーとして小さなスタジオを立ち上げた。しかし、当時デザインの仕事はなく生活も苦しく悩んでいた。そんな姿を見た実家の全面的な支援でこの車を購入する。 しかし、足の不自由な泰治は運転ができない。つまりブレーキを踏むことができなかった。そこで、相談を受けた自動車修理工場の人が工夫しオt-バイのハンドルを加工して手動ブレーキを考案した。 障害者用の車などない時代であった。 照りつける厚い夏の日も、 凍てつく吹雪の冬の日も、一度の故障もなく原田泰治の足となって走り続けた。 50年間手放さなかった。 それは深い思い出と感謝の気持ちからである。 改造した手動ブレーキ  クラクションのスイッチ  オートバイのハンドルを加工した手動ブレーキ 

原田泰治 - Wikipedia

高校の時県で賞を獲ったアブラが展示されてたので見ましたが、アブラで賞獲る人は、やっぱ豪快だと思いました。ほかの技法では繊細でも、アブラは特質として豪快に行けやみたいのがあると思う。全然関係ないですが、私がむかしボードにアクリルで描いてちょっと県でほめられた絵は、いつか母校に引き取りに行こう行こうと思いつつ何もしないでいたら、OB訪問した人の話では、著者不明品の一括整理で撤去されてたとか。世の中そんなものですね。

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TAIZI HARADA ART MUSEUM

ヘボン式でなく訓令式が好きらしいハラダ先生。売店の、さだまさしが名誉館長の写真も撮りたかったのですが、売店内が撮影可かどうか分かりませんでした。終身名誉館長なのか永世名誉館長なのか忘れた。

www.taizi-artmuseum.jp

1975年の「冬支度」という諏訪を描いた作品に、地酒の「舞姫」の宣伝が書き込まれていて、「眞澄」じゃダメなんですかというツッコミが聴こえてくるような気がしました。この絵はポストカード等になっておらず、複製を買うこと能わずでした。残念閔子騫。あと、1982年に描かれた、千葉の、銚子鉄道かなんかの駅の絵に、指定ゴミ袋有りますみたいな文字があり、千葉は当時からもう指定ゴミ袋だったんだと思いました。私の暮らす神奈川県央の座間はまだ指定ゴミ袋じゃないので、大き目のレジ袋はあまったりせず、有効活用されてました。ので、レジ袋有料化によるダメージはわりとあります。

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[全館・特別企画展]傘寿[80歳]記念 画家・原田泰治 心の絵の足跡  80th Birthday Celebration: "Artist Taizi Harada - Retrospective of Works of Born from the Heart"

駅前の観光案内所で割引券をもらうと、団体料金で入れます。以上