『セビリアの驢馬』"Donkey in Sevilla" by Yoko Hagiwara(旺文社文庫)読了

セビリアの驢馬 (北洋社): 1977|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

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カバー画 装幀・カット 阿部合成 画家のひとは1977年の北洋社単行本発刊前の1972年になくなられていて、使用は、あとがきによると、夫人の好意とのことでした。

萩原葉子 - Wikipedia

阿部合成 - Wikipedia

裏表紙煽り文句。

 「フラメンコの国スペイン、ゴヤグレコの国スペイン。アンダルシア地方の風物詩等々、私のスペインへの夢は遂に、飛行機嫌いを突破したのだった。」
――パリ、マドリッドセビリアなどスペイン旅行の思い出、身辺雑記、現代夫婦模様など、独特の鋭い感性でつづったエッセイ集。

 作者はちょうど、代表作『じんましんマイナス疹の家』執筆に呻吟苦行していた頃で、この旅行がいい気分転換になって、一気呵成に書き上げることが出来たそうです。それと、参宮橋のマンションを引き払って、梅が丘のもといた家(敷地内に借家を建てたら借地人が権利主張して狭い中をいろんな人がひしめきあっていたが、ついに借地人が引っ越して、借家を更地にして、もといた家も、息子が住んでいたのが引っ越した)に戻って庭いじりを始めるうち、どんどん健康になっていった話と、ワイドショーの夫婦の浮気相談なんかが好きでよく見ていて(みのもんたの頃までありましたが、今はないのかな。坂上忍もやらないのかな)それにインスパイアされて、戦中から1970年代までの、自身の身辺の、事実婚やシングルマザーや、居候夫婦の妻が妊娠して、欲求不満の夫に手籠めにされそうになる大家の独身女性の話や、夫が職人青年と昼も夜もいつもいっしょにいる話なんかを書いています。

 増田れい子『たんぽぽのお酒メニュー』で、萩原葉子という人はツイてない人生なので、スペイン旅行に行ってもおいしいものを食べられなかったとあるので、借りました。しかし最初は苦労してますが、コツをつかんでからは、なかなかおいしいものを食べたはる。

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最初のアエロフロート搭乗や機内食のくだりが実にういういしく、旅行かくあるべしと思いました。水の注文が通じないとか、砂糖や塩の包みがぜんぶロシア語で書いてあるのでそれが何か分からないとか、パリでロクなメシにありつけないとか、スペインでも最初はニンニク尽くしで腹をこわすとか、ハポネササヨナラと言われ続けるとか、旅行中体調を崩して足手まといになったので同行者たちからイジメに遭うとか(やはりついてない人生)日帰りのオプショナルツアーをいったんキャンセルして当日体調がなおったので急遽参加したり、ジプシーにボラれるというか、お札を出すやひったくられてお釣りもクソもないとか、ホテルや飲食店では絶えずチップに気を使ったとか(これがなくなったから前川健一は欧州個人旅行を解禁したのかもしれない)旅行かくあるべし。

下記は谷川岳登山記。

頁83

 ここが新聞などで知られた遭難者の供養碑のところなのか。花がそなえてあり、見ると小さい字で碑面ぎっしりに遭難者の名前が刻まれている。団体客の一杯機嫌とは裏腹の、なんと暗い現実があることか。谷川岳と言えば、遭難と結びつくことの現実を見せられた思いであった。 

 『歩道橋の魔術師』の吴天益が、自身の祖先の、雷電を作った台湾少年工の顕彰碑を日本に見に来た時、ひとりひとりの名前がないのに怒ったそうですが、こういうことを知っていたのかどうか。

頁85

 ふと気がつくと、岩場の周囲に、花を供えた墓がいたるところにあるのだ。Fさんが、この山での死者は五百人を越えると言った。山に挑戦しようとして失敗した若者の墓であった。眼前の紅葉の盛んな景色のなかで、明るすぎるくらいの見事な一ノ倉沢出合であるが、不思議に暗い。あたりは幽気さえ漂うのはなぜか。バスで来た観光客は、紅葉の景色に歓声をあげ、持参の弁当を広げて、さっきと同じに品の悪い話に花を咲かせていたが、墓が気になるらしく、早々に引き上げてゆく。 

 海外に行かずとも、人生至る処青山有り。

頁91

 麓の方に来ると和服の年配婦人と、一杯機嫌の老人の男の連れが、ふらふらと尾根を歩いていた。団体客の迷子なのか、他にはだれもいない。私たちを見ると「頂上まであとどれくらいある?」と、問いかけた。Fさんはさっきからこの種の客に嫌悪感を催していたので、無視しようとするとさらに、迫ってくる。

(中略)Fさんに往復六時間はかかると言われたが、意地になって登って行く二人だった。Fさんはあのような人に「助けてください!」と、泣きつかれ、(以下略)

 頁104、作者は、「モミ」と書かず、「モミ」と書きます。

頁156

祖母(父の母)は「朔太郎の字はもう少しなんとかならないものかね?」と、父を責めたのである。近所の子供が「子供が書いた」と、ばかにして表札に石を投げていくからだった。 私も父の字は、恥しくて友達にも見られたくないと、思っていた。

 室生犀星の字はこどものような小さい字で、三好達治の字は努力家の字だったそうです。

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頁183、日本人男性は白人と結婚すると、急に亭主関白をやめて婦唱夫随になるが、中国人や朝鮮人と結婚しても、日本人と結婚するのと変わらないそうで、中国人と初婚、白人と再婚した日本人男性の例を挙げて説明しています。よくそんな例が身近にいたものです。

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旺文社文庫中表紙のマーク。サンリオ文庫菊と刀の文庫(名前忘れました)に比べ、早くに消えた文庫なので、駒田信二の中国艶ばなしくらいしか記憶にありません。本書の巻末見ると、百閒とか、鴨居羊子『わたしは驢馬に乗って下着をうりにゆきたい』なんかが出てます。

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以上