「没後25年 三原順 原画展 in マルイ(横浜)」鑑賞 

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大奥最終回の載ってるメロディの裏表紙がこれの広告だったので、行ってみました。

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没後25年 三原順 原画展 in 横浜  独特な作風で1970~90年代に活躍した作家・三原順は、1995年3月20日、42歳で夭折されました。 本展示は『はみだしっ子』を中心に、原稿や、新たに発見された原画の初公開などを加えた、横浜で初めての三原順 原画展です。 展示作成にあたっては2020年3月に出版された画集『三原順 All Color Works』を定本と致しました。 三原順の作品世界を、本展を通して多くの皆様に感じていただければ幸いです。

ここを読んで、「夭折されました」ってヘンじゃないかとか、この場合「定本」でなく「底本」ではないかとか思ったわけですが、入場無料なので何か言えた義理ではないです。複製原画買うほどの余力があるわけでなし。

底本とは - コトバンク

すべて写真撮影可。エアブラシは当然使ってたと思いますが、昔のひとのカラー原稿はほんときれいですね。目の中の星とか、様式美なんでしょうが、描けない人は漫画家になれなかったのでしょう。

http://www.hakusensha.co.jp/hbstation/mihara/

三原順 - Wikipedia

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はみだしっ子』という漫画は、少年が短パンから横ちん、ふぐり、というわけでは無論なく、非行という形でしか家庭から避難出来ない少年たちが、ひとり、親類から定期的に金銭を送ってもらえるので、その資力で、身を寄せ合って旅しながら暮らすという連作まんがで、子どもなのにホテル暮らしだったり、着ているものもいいものばかりだったり、飲酒喫煙もあれだったり、そういう中でも早熟なので哲学的思惟に耽ってみたりだったりという、こうやって書き出すとクラクラするような設定の話で、それが、圧倒的読者の要望をたぶん裏切って、生涯消えることのないスティグマ、原罪を背負ってしまったのか雷電、という感じで、その十字架をどう精算するかに主人公のひとりがひたすら拘泥するようになり、忘れろよとか、環境の変化とかいろいろある中で、逆に、その事件の記憶だけが変わらないものであるかのように、えんえん引っぱって、初期から読んでる読者は、どうしてこうなっちゃうの、さっさと終わらせて次のエピソードに行けばいいのに、と思うような時代ではないので、根気よくつきあってよりそって、最後まで読んで、雪の降る針葉樹で終わるという話、だったはずです。完全に記憶だけで書きました。

ので、その、主人公一行の運命が決定的に狂う雪山スキーバスツアーの話の原稿があればと思ったのですが、何故か、後年、二次性徴を終えた主人公のひとりが童貞を喪失する場面の生原稿ばかり展示されていて、m9(^Д^)プギャーwwwwwwと思いました。

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アハ…ダナ 暖かい!  ボクはここ! 誰もいない!  いないよ! 過去の人間達も やってくる人間達も!

こういうふうに一部だけ拡大すると、水野英子『ファイヤー!』のオチとどうちがうのかという気もしますが、だいぶ違う。この「アハ」というせりふは時代の特徴でもあり、作者の特徴でもありますが、21世紀では確実に気恥ずかしいです。誰か罰ゲームで使ってみたらよい。

黒髪で片目を隠した主人公が大人になるあたりで、副主人公格のおかっぱやほかのキャラが、黒髪はエビバーガーが好きだったと語るのですが、エビバーガーというのは、舞台となるイギリスは知りませんが、日本ではロッテリアにしか売ってないので、どういうことだといまだに疑問です。ロッテリアが好きだったのかなあ、作者。

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馬に乗ってる少年だけ、イギリス人でなく、亡命ロシア人の孫です。たしか。これは作者が覚悟を決めてだらだらやった長編一話目の表紙だそうで、二十話目くらいの表紙と構図が対になってるように見えます。

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最初の連作のほうの話で、かすみ網の話があり、日本では、使用禁止なのに販売が禁止されていないという法の盲点が時おり取沙汰されていた頃なので、いやおうにも連想してしまうのですが、まったくそれには触れてません。

また、シベリア出兵の日本軍が、生きた人間を蒸気機関車のカマにくべるという談話をする人物が、ごく初期に登場するのですが、この話は、真偽はおいといて、共産圏ではかなりポピュラーに流布されたはずで、しかし、西側ではそんな知られてないので、どこからどう作者や編集に伝わったか知りたい気もします。外モンゴルの人とか、学校の歴史の授業で教えるので、みんな習ってるんじゃないかな。以前、日蒙ダブルの人が、学校でそのことを習って、父親に、どうして日本人の母と結婚したのかとなじった告解を聞いたことがあります。自分の中に流れる半分の血がなくなればいいとさえ思ったとか、いろいろ、聞かされた。

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ここへ 、アンジーを入れて下さい  Jun.

くせのある絵といえばくせがあるのですが、カラー原稿は、今の色彩感覚と違ったところもあり、ちょっと口ごもってしまうような気迫を感じます。萩尾望都サンコミックスの巻末でしたか、岡田史子を評して、北海道はこの天才を静かに雪の中にひっそりと埋もれさせ、みたいなことを書いてたのが、もうちょっと直截的に、作者にあてはまってしまったなと思います。なんでこういう感受性だったのか。

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クリアファイル買って帰ったのですが、好きだが持ち歩くほどではないと拒絶に遭いました。まあ仕方ない。以上