トレース・シリーズ『二日酔いのバラード』TRACE Series No.1 "TWO STEPS FROM THREE EAST" by Warren Murphy(ハヤカワ・ミステリ文庫)読了

小泉喜美子訳のクレイグ・ライスのマローンものを読んだ時、巻末の文庫ラインナップにあった小説。これも酔いどれ探偵ものということでしたが、読んでみると、そうでもないかったです。

カバー・吉田秋生

このシリーズは七冊あって、ぜんぶハヤカワ文庫になってるそうで、ぜんぶカバーは吉田秋生で、で、全部品切れ増刷予定なしのようです。絶版では、ないと思う。

おそるべしハヤカワ。江口寿史はハヤカワほかから仕事を請け負ううち、イラストのほうが漫画より儲かるので、従来遅筆なこともあり、漫画から遠ざかってしまうのです。吉田秋生も危なかったかも。しかし、吉田秋生は、いつのまにか子育てを終え、海街ダイアリーをフラワーズに不定期だか定期だか連載し、綾瀬はるか長澤まさみと広瀬錫をまとめて姉妹役でキャスティングするという滅茶苦茶な映画化まで達成します。漫画家はやっぱし漫画。夏帆Add Oil!

この白人男性が主人公なのですが、原作のイメージと、違うといえば、違う。毒舌家で頭の回転がよく、モテる男が主人公です。このカバーを見ると、『河よりも長くゆるやかに』の、「姉ちゃんの恋人」だったか、バイト先のバーテンだったかに似てる外見で、さらにいうと、吉田秋生も当時造型に影響を受けた大友克洋の、『さよならにっぽん』に登場する、大食い競争とか、ライバル屋台を潰すために雇われる白人で、「あんたそんないいガタイで学歴もあるのに、なんでまともに就職しないんだ?」「俺…ホモなんだ」「…」の人に似ています。このせりふも、21世紀だと微妙な表現になってしまうのかな~。

出だしのこの一冊を読む限りでは、ローレンス・ブロックの須加田さんシリーズのように、アルコール使用障害に本格的に主人公を落としこむつもりはなさそうな気がしますが、分かりません。続刊の原題見ても、最初のうちは、ロープだ🐘象だと匂わせるのですが、本書がツーステップと言いながら、ダンスとどう絡むのか分からないのと同様かも知れません。東三というのは本書に登場する療養所の精神病棟なのですが、療養所自体老人向けの施設なので、認知症などを扱っていると、考える方が自然です。本書の原書は勿論キンドル化していますが、題名は、ただたんに、「トレース」になっています。ややこしい題名はのけたのかもしれない。

Trace (English Edition)

Trace (English Edition)

 

 原書の煽りだと、"He also drinks vodka by the pint," のように書いてあるのですが、読んだ限りでは、ウォッカは飲みますが、パイントで飲むような場面はないかったと思います。フィンランディアという銘柄が好きらしいです。私は飲んだことありません。

二日酔いのバラード (早川書房): 1985|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

f:id:stantsiya_iriya:20210122195324j:plain

療養所で死んだ男は、なぜ保険金受取人を家族から院長に変更していたのか。ニュージャージーへ飛んで、事情を調べてくれ――保険会社の依頼で、トレースはしぶしぶラスベガスを離れた。ニュージャージーには行きたくない。別れた女房と子供がいるからだ。ラスベガスで同居しているチコの素行も心配だし――トレースは事件の関係者から言葉巧みに話を引き出してゆくが、やがて明るみに出る意外な陰謀とは? ウィットに富む絶妙の話術を武器に、事件の核心に迫るアル中調査員トレース。アメリカ探偵作家クラブ賞ノミネートの新シリーズ第1弾!

ウォーレン・マーフィー - Wikipedia

Warren Murphy - Trace & Digger Series

訳者あとがきにもあるのですが、トレース・シリーズは、当初ディガー・シリーズという名前で、別の出版社から出ていて、まったく売れなくて、名前を変えて捲土重来別の出版社から出したら、あたったそうです。この辺、訳者あとがきだと、大幅に手を入れたことになっていて、アマゾンの原書のレビューで、よくいるネ申レビュアーみたいな人のレビューだと、ただたんに登場人物の名前を変えただけ、ということです。どっちがほんとかは、読み比べれば分かりますが、やりません。

本書にはチコ・マンジーニという、イタリア人と日本人のダブルで本名ミチコさんが登場しますが、作者自身も、当初共作者、のちに後妻の、モーリー・コクランという、日本人とアイルランド人のダブルで、ピッツバーグ大学とソルボンヌ大学に学び、趣味はフルートとダンスという女性がいます。邦訳のどれのレビューだか忘れましたが、本シリーズの日本の扱いについてなんか言ってた人がいると思いましたが、本書では、あんま、日本は出ません。

頁297

 ふりむいてチコを見たとき、顔に一瞬むっとした表情がうかんだが、もちまえの礼儀正しさから、ケリー夫人は穏やかに会釈した。 

 これが、あえて言うなら、やられるほうは敏感だが、やるほうは、おおげさに考えすぎないでください、コールガールの副業のほうに眉をひそめてるのかもしれないじゃないですか、となるところでしょうか。

頁273

「いい助手をおもちですね」ウォッカを注ぎながら、ヒューイは言った。

「ん? だれのことだろう」

「東洋系のご婦人。マコとかなんとかいう」

「チコか。なにか言ってたかい」 

 砲艦サンパブロ。

マコ岩松 - Wikipedia

頁198に、『操り人形』と書いてマンチュリアン・キャンディデイトと読ませる何かが登場し、リチャード・コンドンという人と関係があるらしいので、これも日本ねたかと思ったら、ただ単に、二度映画化された、ベストセラー小説の題名だそうです。

影なき狙撃者 - Wikipedia

作者のウォーレン・マーフィーさんは、朝鮮戦争(抗美援朝战争)参加者だそうで。奥さんは、ウィキペディアの項目は、ありません。

mollycochran.com

訳者が特に注目してるのが、80年代ですので、離婚先進国アメリカで、別れた妻はともかく、一男一女のことを、"what's his name"と"girl"としか呼ばず、逢おうともせず、逃げ回るさいていの父親ぶり。その辺の女性からしょっちゅうコナかけられて、あれなのは、エイズによる新しい生活様式が登場する前夜の理想像だろうなと思いました。

全七作で、どんどん面白くなっていくらしく、たぶんそうなんでしょうが、ここまで軽妙洒脱な会話の極北、極相は、既に21世紀は時代的に過ぎた気もしますので、自然林に還って読まないと思います。一ヶ所だけ、本書の抱腹絶倒な会話を写します。

頁35

「うっかりしてたわ。あなたといっしょに飛行機に乗るんじゃなかった」

「礼儀のお手本みたいな男をつかまえて、なにが気にくわないんだい」

「どうしてスチュワーデスに、イスラム教の戒律にのっとった食事しかできない、なんて言ったの」

「そう言わなきゃ、タラかチキンしか食わせてもらえないだろう。おれはラムが食べたかった」

「だからといって、通路に毛布を敷いて、膝をついて、拝むことはないでしょ」

「少しは気が休まるだろうと思ってね。ちょうどうまい具合に機首が東をむいていたし。じつをいうと、メッカにむかってじゃなく、操縦室にむかって拝んでいたんだよ。パイロットが酔っぱらってませんようにって。パイロットは浴びるように酒を飲む」

 以上