石岡瑛子 | 展覧会 | 東京都現代美術館|MUSEUM OF CONTEMPORARY ART TOKYO
例の、入場時間を分けて三密回避を初めて体験しました。それだけ人が来ているということ。まわりが低層建築ばかりの木場なので、助かってる気がします。上野などもそうなのかな。
ホームページ一面にはこんな告知が。清澄白河で、予約済だと話しながら美術館におもむく人々も見ました。
とうちゃく。
何も考えず、この人のことも知らずに来たので、群衆に圧倒されました。都内でアートやデザインをべんきょうしてる人は、商業芸術、広告アートの先駆者で成功者のひとりだから、ゼヒ見ろとハッパかけられてるのかもしれません。オンライン講義ばかりで実制がないから、えらい人のお手本を見に来るしかないのかもしれない。この展示は、どう見ても、「これで食えてるの?」という系のアートではないです。ゴージャス。資本主義。若い人はリスクも低いし、いいですね。勿論外国人も多いです。私が行った時は黒人は見ませんでした。マイルス・デイヴィスもやりつつ、レニ・リーフェンシュタールやニーベルングの指輪というところが、「恥知らずの折衷主義」(byジェラルド・サトルズ)に映るのかどうか。
全ヶ所撮影禁止ですが(ウェブにいろいろあげてるサイトは、許可済?)ミシマの金閣寺だけ、別の意味で撮りたいと思いました。ここに来る途中、右翼の街宣車数台がこっち方面に走るのを見かけ、特にイベントもないけどにっちょびだからな~、と思ってたのですが、この展示があるので、それでだったらすごいな、と思いました。ここだけ、金閣寺のオブジェと彼女のスケッチ十数点だけで、ほかのように、映画の衣装などの展示もないですし、映画の一部を大スクリーンで表示するようなことを一切していなくて、ただ、天井の高い、ガランとした部屋が、一面金色に塗られているだけでした。そのシュールさを撮ってみたかった。金粉ショーとかで黄金に慣れてる人にとっては、なんでもない風景なんでしょうけれど。
それで、美術館のはすむかいの某国料理店で、私ネトウヨと間違えられて鼻先でドア閉められたんだろうかと思いました。こういう、自分勝手な妄想で合点する癖は危険です。かなり実像と違う像を結ぶことがあり、ひとりよがりを修正出来ない。
M・バタフライは映画しか見たことがなく、モデルの英国外交官でしたか、最後までスマタを見抜けず、相手を女性だと思っていたというのが、いまだに信じられないと思っています。そういうことにしてただけなのではないか。映画だとジョン・ローンが演じていて、無理があるせいもあります。北京語は、「チュイバ」"去吧" しか言わない。
それで、ビョークがあって、北京五輪ですよね。ほんと、弘法筆を選ばず(ちがう)蔡国強(石岡サンとチャン・イーモウを結ぶ触媒の役目を果たした人)の名前、一発で覚えられたのですが、以前なんかで覚えていた可能性はないです。李国強と同名だから覚えられたのかな。いや、李克強だからそれも違う。北京五輪は、やりたいことの20%も達成出来ないほど、ストップが多かったそうですが、集団演武動画を白人が魅入ってるのもこわいものがありました。なぜここでそんなに足を止める。
山本海苔とMAXIMにほっとしました。こんなのまで挑発的なヌードでパッケージングされたらどうしようかと思った。資生堂の一番最初が、人が多くて、見れませんでした。野生時代は、私が図書館でよく読んでた頃より前の'70年代なので、馴染みなし。最後の展示の「えこの一代記」"Eco's Life Story"が、解説ボードはあるのですが、会場スタッフの椅子しか見つからず、どうしたことだと思いました。目が悪いせいかな。
若い頃、西洋に憧れたオリエンタルが、デヴィッド・ボウイやらヴィスコンティの映画やらからどんどんスポンジ・ボブ的に吸収していき、西洋と同化し、西側として発信する側になり、欧米やアジアが摸倣する人にまでなる、その歴程です。そこに切りこむ際、女性の身体性の表現で、他の追随を許さなかったふうに見てもいいかもしれません。
以上です。
【後報】
この辺見た記憶がありません。人が密集してたから避けたのかも。
(2021/2/10)