『永遠の1/2』"Eien no ni-bun-no-ichi" =Half of Eternity, by Sato Shogo(小学館文庫)読了

 この人の『ジャンプ』を読んだ時、解説の人が、『永遠の1/2』がどうとか、『Y』がどうとか書いていたので、読んでみました。読んだのは下記、小学館文庫版。2017年8月7日の二刷。カバー作品 表 恒匡 カバーデザイン 鈴木成一デザイン室 

永遠の1/2 (小学館文庫)

永遠の1/2 (小学館文庫)

 

 電子版は集英社文庫版しか検索で出ませんでした。

永遠の1/2 (集英社文庫)

永遠の1/2 (集英社文庫)

 

 エイゴタイトルはウィキペディア英語版から。

Eien no 1/2 - Wikipedia

1983年すばる文学賞受賞作。1987年映画化。

裏表紙

 失業したとたんにツキがまわってきた。婚約相手との関係を年末のたった二時間で清算できたし、趣味の競輪は負け知らずで懐の心配もない。おまけに、色白で脚の長い女をモノにしたのだから、ついてるとしか言いようがない。

 二十七歳の年が明け、田村宏の生活はツキを頼りに何もかもうまくいくかに思われた。ところがその頃から街でたびたび人違いに遭い、厄介な男にからまれ、ついには不可解な事件に巻き込まれてしまう。

 自分と瓜二つの男がこの街にいる――。現代作家の中でも群を抜く小説の名手、佐藤正午の不朽のデビュー作。新装文庫限定「あとがき」収録。 

 誰も解説を引き受けなかったので、自分であとがきを書く羽目になったとあとがきにありました。意味が分からない。どうにでもなりそうなもんですが。私が思うに、この人は、すごくハルキ・ムラカミに立ち位置が近いが、何かが足りない、否、何かが個性として異なるので、佐藤正午になった人間という感じです。柴田元幸がいなかったからこうなった、というわけでもなさそう。本書の主人公はハヤカワミステリ以外の西洋文学に詳しくないという自己分析で、たぶん本当は、ハヤカワミステリの作家にも詳しくないという客観的評価がつけられるであろう人物。それと世界のハルキ・ムラカミとでは、やっぱりだいぶ違うかなあ。天気のいい初夏に芝刈りをしてビールを飲む体験小説を書けば似てくるのかもしれない。

あとがきで作者がデビュー当時の自分を評価して、無遅刻無欠勤、真面目、地道、丈夫なからだ、そして凡庸としています。これが言い得て妙で、机に向かう創作業もまた体力仕事であるという哲学の裏付けがあるんだろうと思いました。すくなくとも、『おらおらでひどりいぐも』と同時に芥川賞を受賞した作品の作者のように、受賞で承認欲求が満たされたので、以後作品を発表しなくなる、ということはないだろうと。

1983年の小説なので、若い女性が二人称で「おたく」を使ったりします。

頁17

(略)そしてそのせいで、この気だてのやさしい女が、別れ際に心配性の男の気持ちを察したのか、

「おたく、もっと自信を持ったら」 

 と微笑みながら助言してくれたときに、(以下略)

 で、頁204などに、昼は商業高校に通い、夜は従妹のスナックを手伝ってる女の子が出てきたりして、それが21世紀的にアウトで解説の書き手がいないのかと思ったりしました。最後のオチのエピソードが、それまでと似ても似つかぬ、何の伏線もない、JKオチで、それもそう思う理由のひとつです。連城三紀彦も前世紀には少女を買う短編小説を書いてましたし、わりとモチーフとしてありだったのだろうし、また社会もユルかったのでしょうが、現代は、商品化が進みすぎたのと、デジタル技術の進歩で、撮影と複製が容易になりすぎたので、それでこのへんの社会規範が、どんだけ厳しくしても厳しすぎるということがない事態になったのだと思います。

瓜二つの男は、主人公よりはるかにモテで、しかし、絶えず女が寄ってくる生活の中で、なぜか女子高生とつきあって妊娠させたりとか、メチャクチャです。そういうのも現代再度出版する際、解説を引き受けるネックになったのかもしれません。

頁488

女のロング・ドレスの背中に触れるぼくの指先は盲目のアル中である。 

 上記の比喩はよく分かりませんでした。頁273に、丼一杯トマトを食べる人が出てきますが、私の縁者でもそういう人はいました。先年物故。頁257に東海大相模が甲子園を制した年の思い出が出ます。ドカベンに、神奈川を制する者は全国を制す、と書かれたせいではないでしょうが、その後は、愛甲の時と、松坂の時しか優勝してないと思います。記憶だけで云いますが。

もうひとつ、再版にためらう理由として、主人公の競輪のバカツキが考えられますが、読んで思うのは、本当に日本のギャンブル依存は、パチンコ依存ばっかだな、ということ。いかにケイリンにのめりこんでも、貯金をつぎ込むまでは考えない主人公。パチンコも暇つぶしにするが、三千円ほどスッたらやめる生活態度。もちろんCR大工の源さん「てやんでぇ」より前の時代です。この小説の少し後から、アルゴリズムがどうとかで、どこのポケットに入ったら必ず勝つみたいな必勝理論が出て、ほんとにそれで数年生活する人が登場し始めた。それでその反面、ぜんぶパチンコに吸い取られる人が出始めましたと。競輪でそうなる人、あまりいないはずです。

その数年は生活出来たのでしょうが、その後は機械の設定も法規制も変わったので、そんなのありえないのは皆分かってるはずなのですが、既に反射がおかしくなってるので、そのまま、長時間人間を前に座らせてお金を出させることだけにテクノロジーの粋を集中させたマシーンに釘付けになってしまいます、と。

以上でしょうか。どっと払い。