『遠い国からの殺人者』読了

 読んだのは1989年4月20日初版のハードカバー 直木賞受賞作 装丁 三尾公三

遠い国からの殺人者 (文春文庫)

遠い国からの殺人者 (文春文庫)

 

 元Gダイアリー編集の室橋裕和という人の下記記事に出てくる作家さんの本を一冊読んで、もう少し読もうと思って借りた本です。一冊目の『海を越えた者たち』は電子書籍になってないのですが、こっちはなっています。b.hatena.ne.jp

じゃぱゆきさんが日本人のヒモを殺す話です。じゃぱゆきさんに関しては、そのものズバリのタイトルのルポルタージュが、バブル日本の光と影、その金字塔的作品ですので、本書が付け足すことはそれほどないかと。講談社文庫で読んだのに、今は何故か岩波現代文庫

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山谷哲夫さんのこのルポでいまだに記憶に残ってるのは、ガサ入れかなんかでナマ板ショーやらなくなって閉鎖されたストリップ劇場前にパキスタン人男性たちがたむろしてて、著者が近づくと、「あのう、どこに行けば彼女たちとやれますか、私たち、やりたいんです」と日本語で問いかけてくる場面。すごい縮図だと思いました。

「じゃぱゆきさん」の関連検索ワードが、ルビー・モレノだったりして、リア・ディゾンはワードにならないんだなと思ったり。妻はフィリピーナは万福寺シネマ。フィリピーノ、ジャピーノ。じゃねーの。

ビートルズは東京公演のあとマニラに行ったんでしたっけ、くらいな時からの歴史の積み重ねがあって、現在では、相撲界で「日本出身力士」なる言い方で、「日本人」「外国人」の境界が別定義で上書きされたり、昨日もエグザイル関連の人が母親について語るコラムとそれへのコメントをヤフーで読んだばかりです。アンドロイド不具合のニュースを見るつもりが、思わぬものを読みました。

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タイで出家した『遠い国からの殺人者』著者の本も、『推定有罪』という本が岩波現代文庫になってるそうで、なんで賞獲った本じゃないんだろうという。岩波食い荒らされてる感がないでもないです。どういう基準で現代文庫出してるんだろう。売れてないだろうに。まだ、返品不可の大名商売やってるのかなあ。

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会員名簿 笹倉明|日本推理作家協会

日本人のヒモが、平塚出身のパンチパーマの青年で、名字が木山で、格闘技で有名な大学でリンチに遭って退学してから歌舞伎町なんかをぶらぶらしてた、という設定で、

頁217

「湘南に、あんなことをする男は二人といないと思うんです」 

 私もこの頃は、平塚は西湘であって、徳富きょうだいが持ち上げた逗子葉山の「湘南」とは別世界と考えていたので、本書で兵庫出身の作者が正確にひらつ化を勝難、否、平塚を湘南と認識していて驚きました。ベルマーレより五年以上早い。

本書はいちおう入れ子の構造になっていて、最初、『じゃぱゆきさん』ではあまり深く描かれていない、南米、コロンビア系の描写で目くらまし攻撃してきます。

頁8

 その後、時を移さずに飛び出した女へ最初のピン・スポットを投じた綿谷四郎は、なごりの笑いを消した。その舞台になるときまって、泡立つように起こる不快さのせいだ。マリーの舞台が天真爛漫といえるものであったから、よけいに心のうちが翳ったように感じたのかもしれない。

 彫りは深いがほとんど無表情の、見事なプロポーションをした黒のアミ・タイツ姿。長い手脚をディスコ・ダンス風にうごかしながら、本舞台から花道へと進み、そして引き返す。はげしいロックにしてはおざなりの、 単調な、むしろ気怠いような動きだ。

 南米、コロンビアから来た女であった。

 ほかにもいろいろ、読者が勝手に、オリエンタルにはない白人の激烈さを想起してしまうようなあれこれがあり、

頁78

(略)が、それからは、熟した身体にいくらか水を差されたような思いで女を抱いた。肉体そのものの輪郭もよりはっきりと意識した。外観から想像していたほどの豊かさがなく、乳房でさえも意外に張りと瑞々しさに乏しい。むしろ痩せ衰えているといってもいいくらいで、乾き擦りきれてきた歳月を感じさせずにはおかなかった。 

 80年代のこの頃というと、入れてはみたもののシリコン抜いたとか、そういうことではないんだろうなと思いながら読みましたが、それこそが作者の術中なのかもしれなかったです。そんな術に引っかかる人も少数派でしょうけれど。

で、南米と思いきや、という展開になるわけですが、私は読んでいて、これ、本当はもうひとつ入れ子があったか、あるいは別設定だったのが、諸般の事情でこうなったのではないか、という思いを持ちました。

頁46

「とうもありがとう」

 濁音が少しばかり苦手のようだった。抑揚やアクセントにも強い癖がある。

「走ってきたのかい?」

 挨拶がわりに、岩上は問いかけた。女は、ビールを手酌した後で、まだ少し息を弾ませながら、

「ヘンな男、追いかける」

 と、いった。

「どんな男――」

「知らない。たぷん、ヘンタイ」 

 池袋の要町の店なのですが、これ、当初は大久保で、歌舞伎町から逃げてきたって設定の会話なんじゃいかと勘ぐりながら読みました。

頁7、ストリップ劇場の照明は踊り子といい仲になるわけにはいかないという記述があり、抜き系の風俗なら従業員と女性はそうでしょうが、照明係は、いちばんきれいな女の子の姿を照らし出す人なので、踊り子さんは照明係の人と結婚する例が多い、と私は聞いたことありますので、ここは私の知識(實データの裏付けなし)と異なるな、と思いました。

頁118、まだこの頃は不夜城も台湾系が強かった頃なので、タイ人も働く台湾クラブがいろいろ裏の便宜をはかる描写が出て来ます。マダムの名前が劉美郷で、ルビがメイチンなので、メイシャンだろ、と思いました。この頃の作者の華人認識はこういう感じなんだなと。

頁192、正当防衛もしくは過剰防衛になるか、殺人罪になるかの瀬戸際のフィリピン人を助けるための打合せで、有楽町のタイ料理屋で食事する場面、ここでフィリピン料理屋を選ばないというか、そもそもフィリピン料理レストランなるものがまず街中にない点(相武台前などの例外を除くと、フィリピンスナックが料理を出す程度)ここだけは当時も今も変わらないと思いました。ニンニクをきかした甘辛テイストというだけだと、ほかの個性ある東南アジア料理の中で、自己主張が弱いのだろうか。

本書はフィリピンの中でも、セブに特化してゆくのですが、頁237に出てくる、ニック・ホワキンという作家の本は読んでみようと思います。前川健一の本に出てくる小説を読むがの如し。

ニック・ホアキン - Wikipedia

頁266、英語やタガログ語より、セブアノで手紙を書くことのほうが多いと被告が述べ、弁護士が、セブアノもアルファベットで書くのですねと質問する場面はよかったです。実はサンスクリット由来の独自文字で書いてますとか言われたら天地がひっくり返ってもっとよかったのでしょうが、収拾がつかない。

この時代の資料が海外でもよく知られて、人身売買ジャパンになったのであろうかと思うような、南米とフィリピンの斡旋料の違いからくる擬装とピンハネの記述、細かい金額の羅列は、資料として価値があろうかと思います。ルポならもっとよかったのでしょうけれど。その辺の内情をバラシすぎたので、興業団体や暴力団から度重なる身辺へのあれこれがあったのでフィリピンに飛ぶ男性が登場しますが、相手の取引先ほかもたくさんいるところにわざわざ飛んで大丈夫かいなと思いました。南米系も出しておいて、コロンビアに飛ぶ方が、まだマシな気がします。実際にコロンビアの女性から、神戸に本拠地がある日本最大の広域指定暴力団の構成員が友達に惚れ込んで組を抜けてコロンビアに住んでると聞かされて、どう返事したらいいか分からなかったことがあります。

小菅の拘置所の描写、横浜入国者収容所の描写が、いずれも曇天で、現在はおそらく様相も何も変わってるでしょうので、その頃の風景を書き留めた点で、よかったのではないかと思います。高田馬場から小菅まで、山手線で西日暮里まで行き、千代田線に乗り換え、北千住で東武伊勢崎線に乗り換えて一つ目の駅が小菅。東武アーバンツリーラインに変わった以外は変わりません。以上