『南極越冬記』(岩波新書)読了

南極越冬記 - 岩波書店

西堀栄三郎 - Wikipedia

ビッグコミックオリジナルの漫画『徘徊先生』に出て来たので読みました。戦後日本復興ののろしをあげる三本締めのひとつ、南極観測隊第一回の隊長メモをまとめたものだそうです。

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国際地球観測年 1957 1958 INTERNATIONAL GEOPHYSICAL YEAR

頁21。

この隊長のひと、よく知らずに、白黒写真口絵に雪の結晶があるので、高野文子のマンガに出てくる雪の専門家かと思いましたが、そうではなく、むしろこの本の中で、その専門家を見倣ってよく雪を観察せねばと、自分に檄を飛ばしています。

ドミトリーともきんす

ドミトリーともきんす

 

中谷宇吉郎について – 中谷宇吉郎 雪の科学館

作者はどっちかというと、京大探検部のスジの人らしく、例の戦中の大興安嶺調査やら白頭山やら天池やらイドペッカやらが飛び交い、あとがきに桑原武夫さんと梅棹忠夫さんが登場します。今西錦司梅原猛は出ません。最近読んだ団鬼六さんと同じ、近江の人だそうです。

西堀榮三郎記念探検の殿堂 | 東近江市ホームページ

頁35、最近読んだ「カイゼン」のトヨタ生産方式のように、能率能率を連呼して、けむたがられる描写があります。

頁34

「能率々々といわれるけれど、いったい能率というのは何ですか」という質問が誰かから出た。わたしに言わせれば、そんなことはやさしい問いだ。能率というのは、「目的を果たしながら、もっとも要領よく手をぬくこと」である。 

 トヨタの本でも、きまじめになんでもソツなくこなしてしまう人のところには生産方式の改善はなく、いつもいかにして手を抜いてやろうか目を爛々と輝かせて考えているタイプの人間から、そういうアイデアがでてくるんだそうで。願わくば、それが単なるリソース等のムダを生み出す非効率推奨や、人に肩代わりさせるおしつけだけをねらった手抜きでないことを祈ります。著者は京大の化学研究室で、釘をのばす仕事を指導教授から命令されていた時代があったとか。なかなかのイケズ。

頁35

(略)全体の方針と目的のためには、個人の方針や趣味は犠牲にせねばならない。しかし、いかなる仕事や与えられた方針の中にも、きっとその人の流儀なり個性は発揮できる。 

 ちなみに、釘を線路に置いて伸ばすのは、駄目です。

頁40、タオルと引越しそばを配れればイチバンだったでしょうが、そういうのはなく、昭和基地設営を祝して各国越冬基地から、ひとつおみしりおきをとあいさつが来るくだり、アデリーランドデュアビルのフランス基地から流暢な日本語の挨拶が来たので(滞日三年の経験を持つ隊員がいることが後で分かる)フラ語で返信してやろうと思ったが隊員誰もフラ語が出来なかった、というくだりがバカみたいに面白かったです。大学時代の隊員は、二外、何を選んだんだろう。

不肖宮嶋の時代には、昭和基地にも中国人隊員がいたのですが、その後自前の基地を作って、もう四つくらいあるんだとか。

頁65、太郎と次郎があまりにも有名な犬に関しての記述。白瀬中尉が樺太犬を連れて行った時は、犬係としてアイヌ一名随行したとか。この辺にマナスル初登頂の記事が、メモなので前後の脈絡なく登場し、今西寿雄、中尾佐助両氏の名前が出ます。戦後樺太は日本領土でなくなったので、樺太犬も北海道で集めるしかなく、二十頭ガンバって集めてもらったそうです。それでその後火の鳥とは。

頁84、隊員数を割り出すにあたっての根拠。隊長として12名が適数と考えていたが、文部省は予算上の都合から隊員数10名を厳命してきて、隊員10人ならそれに隊長を加えて11名だな、と、11名に決まったという詭弁はおいといて、安全率のピークと隊員数の相関関係で、危険な場所で隊員が多いとかえって危ない、という箇所で、南極と吉田山、大文字山を比較していて、どんな比喩やねんと思いました。阪大の隊長だったら生駒と信太山になったのだろうか。いや、天王山と帝塚山やもしれぬ。早大隊長だったら戸山公園の箱根山

頁91、近年はNHKサラ飯にも登場し、映画にもなった南極料理人。海鳥や海獣を調理出来るかどうかは優先事項でなく、第一回からして募集一名に二十一名応募があり、書類選考で半数脱落、体格検査で二名脱落、面接で六人に絞り(シナ料理は作れるかと聞いたらしい、西洋料理や日本料理に加え。さらに豆腐を自製出来るか、パンも自製出来るか聞いたそう)さらに三人に絞り、最終的な決め手は、人柄と、「京都弁をしゃべる」点にあったとか。21世紀の今だと、そんなことポロリと書けないでしょうね。

本書には、直接的な記述ではないのですが、南極二号を使用するための離れのスペースの記載まであり〼。隊員のマージャン狂いを嘆く記述は多く、いわく、時間のムダだからだとか。隊長は賭け事はやりませんが酒は飲み、しかしその隊長をしても、第二次越冬隊の荷物のいっとうさきがすべてウイスキーだったのには、プライオリティ考えろと怒っています。映画上映はときどきあったようで、頁150には、「カルメン故郷に帰る」を見たと書いてあります。総天然色。越冬隊でいちばんよく読まれたのは吉川英治『新平家物語』だったとか。軍記物強し。頁233。隊長は、頁250、谷崎潤一郎『鍵』を讀んで、なんというくだらない小説だ、と、一刀両断に斬り捨てています。みねうちじゃ、安心せい、キレテナーイ。

南極のお医者さんも大変で、メンタルに変調をきたした隊員の名前は、伏字になっています。何があっても一年後まで帰れない。あとは歯が腫れて高熱出して、歯茎を切開して膿を出した人。それと、頁238に、カイ虫を出した隊員が出てきて、そんなの出発前から飼ってたんちゃうんと思いました。

本書は第二次越冬隊をあちこちでクソミソにけなしていて、これは刊行後物議をかもしたと思います。文句があるなら東海村の原電(帰国後の就職先)に来いや、とでも言ったのか。雪の上を歩いたことのない隊員が三人もいたので雪中行軍が出来ない、という箇所は同意。しかし、雪上車の運転は自分の部下のほうがうまいというのは、そりゃ一年実戦経験を積んだ人とこれからの人では運転スキル違うんじゃないでしょうかと思いました。イニシアチブ争いでもしてたのか。さらに宗谷が「帯に短し襷に長し」である点は厳しく糾弾していて、砕氷船として氷をバリバリ割りながら進めるほどのスペックはなく、かといって小型艇を活用して、氷と氷の隙間を縫って荷卸しする英瑞路線に追随もしてないまあまあの大きさの船なので、その中途半端ぶりを痛罵しています。だから行きも帰りも第一次も第二次も氷に挟まって身動きがとれなくなり、外国船に救助される羽目になるんだとか。これ、アマゾンのトップレビューでは、官僚主義の弊害?としてでしたか、ミッドウェーの敗戦、レイテの栗田艦隊敵前回頭になぞらえて叩いています。熱いなあ。第一次も、かなーりの物資を、運び込めずに、海中に沈めていますから、その辺で第二次(越冬せず撤収)関係者から反撃が絶対あったはず。

読んだのは1977年7月5日の第25刷。以上