『第三世界の長井 ① 』"Daisan sekai no nagai." vol.1 by Nagai Ken(ゲッサン少年サンデーコミックススペシャル)ゲッサンSSCS, "SHONEN SUNDAY COMICS SPECIAL" 読了

 デザイン:田中真理(T2 art) 「ゲッサン」2009年6月~2010年4月号、6月号~11月号掲載。連載担当/高長佑典 単行本責任編集/村上正直 単行本編集/高長佑典/布瀬川昌範(アイプロダクション)

 ながいけん - Wikipedia

四巻が版元品切れ重版未定のようで、三巻までブッコフで買いました。これは二百円。四巻のアマゾンレビューを読んでる段階では完結してないような感じですが、ウィキペディアで見ると完結してます。全巻読めるなら新刊で買ってもよかったのですが、四巻が読めないなら、ブッコフでいいやと。電子版ならいつでも四巻読めるわけですが、まだふんぎりがつきません。

そのうち読もうと思ってたマンガなのですが、なんだかよく分からなかったです。21世紀少年の「ともだち」モチーフみたいなキャップを被った白長袖Tとベトナムズボン(とは今は言わないか)と安全靴みたいな、ダサいはずがダサいと言われたくないのだろうな、せめて微妙と表現してほしいのだろうな、という、名前を名乗らない主人公(高校生のようだが、それは心理描写で、リアルは頁142なのかもしれない)が、前作と同じようなキャラと絡み、それでは前作と変わらないが、かといってほかの創作が出来ないという、半生をパロディに捧げた人物が、オリジナルの生み出し方を喪失し、さらにまた、パロディのネタ元が風化するのだけはどうにも避けられない、そんな悲哀に満ちた後半生を描いた佳品です(棒

物理的領域の因果的閉方性の破れが長井を中心として巨視的に発言しており、『なんでもありの世界』が現出しようとしている。
それは世界の終わりであり始まりである。

むかしのアニメのタイトルロゴデザインは目をつむっても書けるのだろうと思わせますし、主題歌のパロディふうの詩を書かせたら一万行あっても止まらない。だけどねた元はどんどん古くなっていって、高齢者しか知らない世界になっていくんだ、という漠然とした闇。

四ページ目のコラージュなどは、これが庵野とか、今とかなんだろ(庵野は今じゃないので、ちがうかもしれませんが)とでも言いたげで、コピーのきりばりがデジタル化されても、コマを突き破ったりはアナログ、とか考えてそうな。

頁97ともう一ヶ所に、「シンゴーシンゴー」というせりふがあり、草彅剛が深夜の公園で全裸で叫んでいたせりふですが、そうした、風化前提の時事ネタをあえてはさむことによって、往古のアニメねたが永遠にエターナル生命なのか、死にゆく時事ネタが万物流転なのか、などのテーマでマンガ学科やアニメ学科のある大学の学生にレポートを書いてほしいのだろうと。

作者自身は意識してないと思いますが、歩く時、「ザッザッ」という擬音が入るので、そんな奴ァいないと思いました。「常識人の冷たい目」「関羽はアニオタにしか見えないので、腕っぷしが強いわけないだろ、イキってんじゃねー」などのバランスがちゃんととれてるのか、作者が不安な時、どれだけ周囲がサポートしてるんだろうと思いました。

この巻は3.11前までの連載をおさめていて、この後3.11後の連載も続刊となり、コロナ前に連載終了するわけで、そこに、ほかのこんにち的テーゼ、たとえば、「京兄」とかは出て来るんだろうかと思いました。以上