https://www.edgarmagazine.com/from-futur-le-cachemire-accessible-et-eco-responsable/
これもやがてこのはてなブログから見えなくなるであろうパリのファッション関係サイトの画像。
初出:月刊コミックビーム2020年6月号~2021年2月号
編集長:清水速登
編集担当:奥村勝彦
装幀:セキネシンイチ制作室
もうひとり未来人が出ます。そっちはなんしか国保も住民票も得れてます。頁100、工藤さんという人物の描かれ方は、いましろ節の真骨頂な気がします。頁59で、四十八と五十過ぎという年齢が出ますが、私の周りを見ても、今はみんな若いので、もう少し上、五十代後半でいいと思います。頁24「上級国民」この単語当時誰が分かるのかと。
この漫画は、昭和四十五年なので、みなタバコを吸うわけで、それで、国保を借りた主人公がまず行くのが歯医者で、オクチくさいから歯石除去をするのですが、昭和四十五年にそんな歯石除去あったっけと思いました。まだアメリカでやってるレベルな気瓦斯。
出版社が潰れて給料未払いになります。でもあまり深刻にならないのをゆるい時代のせいにしてますが、ほんとにそうなんかと。無国籍の件は、分かりません。
後半どんどん主人公の外見が、実在の原作者のモデルいるんかなみたいな造型になってゆきます。私は、たなか亜希夫の『リバーエンド・カフェ』はある意味狩撫麻礼へのレクイエムだと思ってますが、この作品もそうなのかも。コロナを見ずに死んだのは実に寂しい。ボーツー先生も橋本治もそうなんですが、昨年早春までに逝ってしまった人たちが、コロナカの世界を見てたら、何を言ったか、考えるとさびしくなりつつも、ちょっと面白い。
逆に言うと、今生きてる人が、コロナカでごろっと変わった世界に対し、何かいってるかもしれませんが、それは私にはあまり届いてません。言ったという事実すら、世界のハルキ・ムラカミがワセダの入学式に来てなんか言った(珍しく)というのを聞いたくらい。ビッグコミックとビッグコミックオリジナルの連載陣が、コロナカで作品を描き続けて、内容もドンドンコロナカをアップデートしてるのは知ってますが、いわゆる文化人枠どやさというと。
頁168は、これが団塊じゃ~と言いたいのか。やればいいのに。逆に、頁173の70年代パパ活は、やらんでよろしいかと。時代が時代なので、パパ活ではなく、愛人バンクでしょうか。それもまだないか昭和四十五年。
頁159で、すべてのタイムパラドックスもののお約束を片付けて、株も馬も覚えてないので儲けられないよ~ん、パソコンとか出てきたら、覚えたらええで、と急ぎ足で描いてます。五十年前は遠すぎる。シンボリルドルフとか、ハイセイコーとか、私でも名前知ってる馬が、まだいないのか。でも馬の名前って、見たら思い出しそうなんだけどな。株は、フォレストガンプばりに、アップルとマイクロソフト買えばいい気がしますが、昭和四十五年から、何年待てばいいのか。その前に何が来るんだろう。オイルショックを見越してトイレットペーパー買っとけと助言してますが、3.11の助言でも同じことが言えるような。あとコロナでも。
頁140、「一将校成りて万骨枯る」は誤字。と金と混同したか。
この巻になると、ピースといい神保町といい哲学堂といい、ストックがないのか、ちょいちょい現代でもあまし変わってないからええやろ、みたいな背景が出ます。それを描いてるのがどういう人で、これからどうしてゆくのか、それを言わず、しらんけんしゅたいんで終わるのがいましろ節というふうにも読めました。あと、UFOじゃなくてタイムパトロールみたいなもっと先の未来人の仕業というふうにしたほうが、21世紀的にウケがよかったと思います。
以上