平岩弓枝にも同名の小説があるそうですが、読んだのはプラ・アキラ・アマローのほう。
読んだのは単行本。1991年1月16日初刷。装幀 司修。 初出は「小説現代」1990年9月号。全10章で、二百頁くらいの単行本ですが、一挙掲載したのか。インターネット登場以降はそんな小説誌作ってもホント、読むヒマないだろうなと。
これ、私小説なのか、別人のケースを取材したノンフィクション・ノベルなのか、その二つをミックスしたものなのか、よく分からないです。ひとりの女性が、子どもと、子どもの父親(籍は入れてない。ほかに家庭があって、そっちは離婚済)と三人で、見知らぬ人から韓国人の父親の情報が書かれた手紙をもらったので、韓国旅行する話。プラ・アキラ・アマロー師の、離婚した方の家庭ではなく、籍を入れてない方の家庭の話にも見える。小説では写真家ですが、小説家に置き換えるとそんな感じ。
その女性は、自分から気に入った男だったのでアマロー師に行き、子どもを産むまでになるのですが、自身は父親不在で、母親は既に再婚してますが、失踪した父親は韓国人でした。母親は若くして父(主人公からすると祖父)を失い、のち添えの後妻からきつくあたられ、一家で営む職人宿商人宿兼飲み屋で酌婦をさせられるのですが、そこで出入りの行商人だった父親と駆け落ちします。で、姉と主人公、ふたり女児をこさえるのですが、継母抜きに、本家の一族が親族会議で、韓国人の行商人と一緒になって夫婦になるっちゅうことだけんど、世間体的な見栄えをどうすべえかということになり、出来るか否かは別として、まんず帰化させるべえ、となって、そして父親はその後すぐ失踪。
で、主人公一行が韓国キョムサンドの草深い田舎に行くと、父親は、日本に行く前に嫁をとって子どもも生まれていて、しかし現在に至るまで帰ってきていないことが分かります。戦中、日本に行った親戚を頼って、徴用ではなく自発的に渡航したとのこと。しかし、読み進むと、徴用される前に自発的に飛んで行方をくらましたと分かります。徴用だと樺太なので、イファソン。自発的に飛ぶ先は、日本でなく中国という手もあったそうですが、ツテがあったので日本に来たと。しかし結局日本で手配される徴用で「ミツビシ・ビバイ」の美唄に行って炭鉱で働きます。中国淪陥区に逃げても、上海あたりでも現地徴用があったと本書では書いてあります。
戦後サハリンになった樺太と美唄とどっちがよかったのか、樺太に行った郷里の村人や、家族を行かせた村人に、北海道組の自分はどう顔向けしたもんだかとか(北海道も苦しかったそうですが)、戦後はユギオで帰るに帰れないし、弟が北兵士として徴兵されて行方知れずとか、帰化申請したら祖国で既婚の身の上が分かってまうだろうから重婚不可で帰化出来ないと思い込んだろうとか、そんなこんなが分かります。その後は、宮城県で子連れ女性とくっついた後、単身帰還船に乘って新潟から北に行ってそれっきりだったとか。
というような父親の人生が、韓国を旅して、韓国の太太とその子ども(異母兄)に逢ったりして、だんだん分かってくるのですが、その仕掛け人は、美唄で父親に助けられて、恩のある裕福な在日韓国人の老人で、石川町に一軒家があって、年の離れた奥さんがいるという… 立原正秋のイメージでこの老人を読みました。石川町に一軒家、山下なら分かりますが、どうなんだろう。中村の方かな。八十年代なので日本語話者がわんさか出ますが、異母兄は話せませんし、反日教育第一世代だと明記されています。
いりくんでるので、小説家としては話にしたいモチーフなのかもしれませんが、ネタ元から見たらすぐ分かる話ですし、主人公とちがって普通に結婚した主人公の姉や、異母兄の娘で日本人と結婚して小金井に暮らしてるという女性など、いろいろ関係者もぞろぞろ出ますので、あえて書くまでの話かなあと云う気はしました。
主人公は偏食なので、日本でも食事に苦労するという設定で、なので韓国でも日本から持って行ったカップラーメンやソーセージなどを食べています。キムチや焼き肉が食べれない以前に日本でも偏食。
本書時点ではまだ成田エクスプレスがなかったのか、京成ライナーで上野から成田に行っています。ソウル五輪前という設定ですが、セマウル号は走ってて、ソウルの空港は金浦空港。
この小説は、アマロー師と妻以外の女性がモデルなのかそうでないのか的会話がすごいのですが、それ以外は、こんだけ設定、人間関係がこみいってても、あの時代みんないろいろあったろうから、この人物たちだけが特別というわけでもなかろう、で終わってしまう感じです。言い換えると、主人公とその男の会話だけ、なまなましくて、浮いていて、異彩を放ってます。
頁23
「キムチくらいは何とか食べられないものかね」
「駄目よ。ぜったいに喉を通らない」
「わからないな」
と、彼が味噌汁をすすって溜息をつく。
「向こうの血が流れているとはとても思えないな」
「氏より育ちよ」
「あんなうまいものがどうして食えないのかね」
「うるさいわね」
頁43には、冬はカラフルなビニールテントをかけて営業するため、幌馬車の意味の「ポジャンマチャ」と呼ばれる屋台に出かける男が、「おれは、お前以上にこっちの血を引いているのかもしれないぞ。何を食ってもうまくて、泣けてくるくらいだ」と言ってます。
父親が韓国へ帰国しなかったのは、主人公たち娘と二度と会えなくなるからかもしれないという男に対し、男も別れた妻との間に女児がいるから分かるのね、と嫌味を言う主人公。頁83。
頁36
「どうしてそれを早くいわないんだ」
「だって、手紙と関係があるなんて本気で考えなかったもの」
「どうしてそんなことがわからないんだよ」
こういうやりとりを、男性の側が執筆すると。下は、男が主人公と子どもを先に空路帰国させようと言い出したくだり。
頁154
「先に死なせるつもりね」
「落ちるとはかぎらないさ」
「九十パーセントは飛ばないようないいかたね」
「帰りは、もう一度釜山まで下って、船にするつもりだ。下関か、大阪に着く」
「帰ってくるんでしょうね」
「まさか、船が沈むことはないだろう」
「そうじゃなくて、こちらに女のひとでもつくってさ」
「本気で心配しているのか」
「わからないもんね」
ねえ、宏昭、と車に乗るとすぐに寝込んでしまった息子の額を撫でながら、美弥子はいった。(後略)
下は、子どもが生まれる前の口論の回想。
頁111
彼は彼で、抑えていた不満を口にする。何もそこまで感情的になることもないだろう、と。本当に嫉妬深い女だ、手に負えないよ。
いわれたとたんに箸を投げ捨て、食ってかかった。
黙って帰ることないでしょう。どうして嘘なんかつかなきゃならないの。馬鹿にしてるんだから!
何を、誰が。
もういい、いわないで。私が間違ってた。早くやめればよかったのに、間違ってた。
顔をそむけて泣きながら、何度も同じ言葉をくり返した。
(略)
どうすればいいんだ。
彼の疲れた声。
やめればいいの。
やめる、って。
やめるのよ、もう、こんな関係は。
別れるってことか。
彼の口からはじめて別れという言葉を聞いて、いよいよ感情が高ぶっていった。
そのほうがいいでしょう、ほっとするでしょ。
やめたいなら、そうすればいい。それはお前の自由だ。
彼は、無表情に突き放す。
ずるい。とってもずるいひとなんだ。
かもしれない。
どうして困ったの、私が妊娠して。
(略)
奥さんに義理立てするためなの。
そうじゃない。
私が変な育ちかたしてるからでしょう。こんな女に子供を産ませるのが不安だったんでしょう。
何をいってるんだ。
そうでしょう。正直にいっていいわよ。だから、奥さんと別れても私と結婚しないといったんでしょう。
馬鹿な。
だったら返してよ。
一度、中絶してるので、それを踏まえて、「返して」です。この話が、韓国の男子偏重とクロスして話に深みを与える計算をしてたのかもしれませんが、そうであるなら、それはぜんぜん成功してません。むしろ、その後、男の子が生まれるわけですので、ちゃんと返してくれたとご満悦な主人公に対して、青春を返せという女もいて、そっちは返せないが、これは返せると男が語る会話があって、アホかと思いました。素でこんな会話して、文章に落とせるのだから、そっちを深めたらどうだろうとも思ったのですが、それが多額の借金を負う方向に走った小説群の路線だったとしたら、業の深さに近づきたくない気分になります。勝手にやってくれー、世界のどこか別のところで。と思う。以上