『東京難民戦争 外国人労働者問題が喚起するもの』"Tokyo Refugee War : What the Foreign Workers Problem Raises"(同時代批評ブックレット3)Contemporaneous criticism booklet 3 読了

f:id:stantsiya_iriya:20210710215528j:plain
f:id:stantsiya_iriya:20210710215549j:plain

一連の読書もこれで最後でしょうか。ブックレットとあるので、岩波かと思ったらぜんぜんちがった。1990年刊行ですから、東京難民戦争連載の1985年から五年も経っていて、編集長が船戸与一にインタビューして、東京難民戦争連載再開完結よろ、とたきつけてます。それにいろんなライターが記事を寄せて、本になって、船戸与一のフォトは高橋勝視。写真協力 アジア太平洋資料センター

東京難民戦争 : 外国人労働者問題が喚起するもの (青峰社): 1990|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

現在国会図書館でも掲載号が所在行方不明になっている『東京難民戦争』第二話、第三話のあらすじが載っています。

船戸与一 - Wikipedia

 復讐を成し遂げたグエンたちは、自らの行動にとまどいつつも、「梶木荘」から飛躍するための新たなステップを決意する。韓国から麻薬密輸グループが来るとの情報をつかみ、現金強奪を計画、実行する(第二話)。

  現金強奪に成功したグエンたちは、そのことを知った中国人マフィアから、「黙っていてやるから殺人を請け負え」と、もちかけられる。マフィアからピストルを手にした彼らは、次第に暴力性を成長させてゆく。同時に、マフィアが自分たちの抹殺をたくらんでいることに気づいたグエンは、仕事を成就すると、マフィアの元におもむき、自分たちに手出しをしないことを要求する。

 その後の構想では、組織として完成され、頂点に立ったグエンたちに、本国ベトナムから新参者の犯罪者グループがやってきて、当初は下につくが、やがて下克上となり、そこで真の「東京難民戦争」が勃発する、という壮大なサーガになる予定だったそうです。たぶん、1996年の不夜城と1997年の不夜城Ⅱ鎮魂歌に、先を越されたーてな感じで、続編書かなかったんだと思います。そのかわり、フィリピンセブ島のジャピーノを主人公にした『虹の谷の五月』を書いて、直木賞獲った。

虹の谷の五月 - Wikipedia

現地取材してないので続編書いてないとこのインタビューでは言ってますが、日本での取材はなかなか勘所を抉ったものだったようで。

船戸 救援といっても、現実には管理ですから。(略)「管理センター」とは言わないだけで、名前だけは「救援センター」ですが(笑)。

 それで、そこには無数の善意のボランティアが集まってくるわけですけども、この“善意”がある意味じゃ難民にとってうるさいんですよね。善意の裏側にあるある種の優越感、その他の感情に、我慢ならないような面がある。難民としても、活きがいいのは、“あんなところで飼い殺しになってたまるか”という気に必ずなるはずです。ですから、救援センターを出てしまうというのは、当然じゃないですかね。

 よく見てらっしゃる。

船戸 (略)

 それから日本のヤクザだとか、在日韓国、朝鮮人、それから中国人という場合は、 警察権力と何回もこれまでの段階で野合してますよね。ところが要するに難民として作り上げた犯罪組織は、その野合も拒否されているという前提で書こうと思ってますけどね。

――それは大事なことですね。警察筋からの情報ですが、あの暗殺された山口組四代目竹中組長ですね。みごとに徹底的な非妥協を通したらしい。野合はおろか、談合もできないということで、警察としては本当に困った存在だったと。あとは推して知るべしですが。

船戸 ああ、そうですか。やはりね。

 というようなブックレットで、あとは不正就労から戦中の強制連行まで、さまざまな人があれやこれや書いてます。編集長が黒竜江省の鷄西で見学したバケツについてのエピソードは、知りませんでした。私も鶏西は行ったことあるのですが、新井一二三が言われたような”你怀旧来的吗?“とまでは言われなかったものの、こうした事柄も経験してないです。

もうこの本の段階では「流民」なんて言葉はまったく登場せず、編集長は「じゃぱゆきクン」という名称を定着させたかったみたいですが、事実としてその言葉は定着しなかった。毎日新聞の萩尾信也という記者さんは、「じゃぱゆきさん」というだけでイメージが沸き起こって、そこで話が止まってしまうので、毎日新聞ではじゃぱゆきと言わないようにしたと書いてます。編集長とくいちがい。さらに、萩尾さんは、マスコミあるあるで、ヤクザやブローカーはボカシ入れるのに、肝心の不法就労者は顔隠す等の配慮がいっさいないのはおかしいとしてます。それでいうとこのブックレットも、左の写真含めて、ヤクザやブローカーの写真はないかわり、不法就労や難民の写真は、ふつうになんのモザイクもなく使っている。

上の写真は、私が見るに、どう見ても80年代の中国人ですので、偽装難民じゃいかと思ってみたり。表紙の漁船改難民輸送船も、偽装難民船に、見えなくもない。柏木博というデザイン評論家は、潰れてしまえ新聞1989年8月31日を例に出し、その前年五月以降の偽装難民の中国人の数は1,170人で、毎月何十万人てな数ではないので、騒ぎ過ぎじゃいかと書いてます。

f:id:stantsiya_iriya:20210710215612j:plain

上の写真も、東南アジア系というより、ぜんぶ中国人就学生に見える。既に東南アジアから中国への置換が始まってた時代なんでしょう。『東京難民戦争』は、第一話がアコギな邦人のカタギ、第二話が韓国人犯罪者グループ、第三話がチャイマと、敵がスケールアップしていて、日本のヤクザや中東系orムスリム、南米と、総当たりで戦うとしたら、話が見えなくなるだろうなと思いました。ある程度テーマに沿って人物を絞らないと分からなくなる。家畜人ヤプーは日本人だけが白人黒人より下の隷属的地位で、そこを甘受したマゾヒズムの悦びが味わえるのは日本人だけ、なのですが、それは中韓などほかの東洋人がすべて謎のウイルスで死に絶えたから、という説明があってこそです。もし中国人や韓国人が死滅していなかったら、邦人と、最低の地位の奴隷の座獲得戦争奪戦を行っていたであろうことは論を待たない。

そういえば、執筆者に梁石日ヤン・ソギル)がいるのですが、ルビが「ヤン・ソイル」で、誤記です。

最近の入管法でクローズアップされた、ネトウヨ云うところの「中国に取り込まれた国」スリランカの女性について、本書時点で既に、長野県に、スリランカ人女性を研修生の名目で委託工場に労働力として送り込み、その中から、農村花嫁としてあっせんする事業者がいたことが、野崎六助によって紹介されてます。

論者の共通した考えとして、今後、一度直面して、痛い目見ないと日本は変わらない、だそうで、本書登場の不法就労がともすれば高学歴のインテリだったのに対し、現在逃亡研修生が村落共同体をそこここに形成しつつあるベトナム人安田峰俊いうところのベトナムのマイルドヤンキーで、人権ガーなんてめんどくさいこと言わないので、入管も期限切らない長期拘束なんかせず、野放しで、そうなるといよいよ直面しそうなもんです。いつだろう。

このブックレット同時代批評は、1が「食の安全性と日常のなかの危険 マスコミノタブーに挑戦する」で、2が「いまや私たちのまわりは放射能だらけ! 日常に忍び込む放射能」です。見事なまでに、買ってはいけないと牛乳飲みてえの時代における二番煎じ本。17か18くらいまで出ていて、版元は編集長の事務所に変わっています。しんゆりにあるそうな。

岡庭昇 - Wikipedia

編集長。ウィキではパヨクから学会へ華麗なる転身を遂げたと書いてあり、それがいつからなのか分からないのが残念閔子騫です。以上