結城昌治さんの絡みで読みました。カバー写真・デザイン=矢島高光
マルタの鷹 - ダシール・ハメット/村上啓夫 訳|東京創元社
特に深く考えずに、図書館所蔵のいちばん新しいのを借りたのですが、1961年初版の2011年第55版(刷)でした。しかしそこまでのロングセラーであっても、「サースビー」を「サービスー」に誤植したままにしてます。これが創元推理版の味なんじゃ、文句なかろうが、とでも言いたいのか。頁333。
解説の中島河太郎サンによると、江戸川乱歩はこの小説をあまり高く買わなかったとか。主人公が、相手がオリるまでハッタリと詭弁と暴力振るうタイプだからでしょうか(それで推理まですな、という感じなのか)実際に作者が探偵社に勤めていたころの体験に基づいて作られた作品だそうなので、当時米国の探偵はそんな感じだったのか。版元公式の下記意見には完全に同感。小泉喜美子と生島治郎でどう讀み合ったかとか、考えるだけで楽しい(でも修羅場になったら楽しくない)
●藤田宣永氏推薦――「私立探偵小説の原点。男そのものだけではなく、男の、女に対する態度も面白く読めます。」
登場人物一覧のひとりに、誰かが「女」と手書きしてました。誰がどう讀んでもこのキャラは男性もしくはノンバイナリーに見えませんが、なんでかな。ああでもノンバイナリーかもしれない。図書館本に書き込みしたらあかんえ。ネタバレと無関係な書き込みです。
裏表紙
私立探偵サム・スペイドは、若い女からある男の見張りを依頼された。だが、その見張り役を買って出た同僚は射殺され、つづいて問題の男も惨殺されてしまった。――かつて、マルタ島騎士団がスペイン皇帝に献上した純金の鷹の像。スペイドはやがて、その像をめぐって血で血を洗う争奪戦に巻きこまれてゆく。ミステリ史上の最高傑作とまで評された、ハードボイルド永遠の名品!
確かに名品と思います。この同僚の妻と主人公が不倫関係にあるという出だしがすべて。すげえなあ。全然歴史知識は必要ない。なんといっても、マルチーズ・ファルコンなので。
『マルタの』を『マルチーズ』と訳さなくてほんとうによかったと思います。検索しましたが、この点にひっかかったブログは一件だけでした。それも、その後、鷹はファルコンでなくホークだろう、という、ブラックホーク・ダウンや、イーサン・ホーク、福岡ソフトバンクホークスから来たような展開にズレていき、マルチーズをつきつめてはいませんでした。残念閔子騫。
表紙のこの文章は冒頭の書き出しの原文。四つも「V」が登場し、おそらくビクトリーとかとは関係なく、「俺たちに明日はない」がボニーの唇アップで始まるのと同様、VIO(デリケートゾーン)をイメージしてるかと思われます(口から出まかせです)
頁8
サミュエル・スペイドのあごは、骨ばっていて長く、そのさきはV字型にとがっており、それよりももっとなだらかではあるが同じようにV字型をした口の下に、つき出ている。鼻のさきも、小さいV字型をなしてたれ下がっている。黄味をおびた灰色の目だけは水平だが、同じVの字のモチーフは、鈎鼻の上部にきざまれた一対の縦じわから外側につり上がっている濃いまゆの形にも、あらわれており、薄茶色の髪までが――高い平らな両のこめかみから――前額の一点に向かって生えさがっている。その顔つきはなんとなく
上が邦訳。
頁242に、どうしても原文を載せないとニュアンスが伝わらないので、原文を載せた箇所があり、おもしろいと思いました。
頁242
「ラ・パロマ号に?」("On the La Paloma?")
「La にThe をくっつけるのは、くだらないね」と彼は言った。(船名にはTheという定冠詞をつけることになっているが、もともとLaがスペイン語の定冠詞なので、皮肉ったのである)
頁29、のちに主人公に殴られることになるダンディー警部補初登場場面、襟の折り返しに、「小さな凝った、ダイヤモンド入りの、何か秘密結社の記章」をつけているとあり、橋爪大三郎さんの本で読んだとおり、この時代の米国は、社交クラブとしての秘密結社全盛(秘密結社だけは既婚男性が妻子同伴せず参加出来る、息抜きの隠れ家だった)だったのだなあと。ここ、じゅうような伏線かと思いましたが、まったく関係ありませんでした。残念閔子騫。
stantsiya-iriya.hatenablog.com
作者の文体はこういうものだと、さんざん書評などで聞かされていたのですが、やはり、「とは言ってみたものの、むろんハッタリだった。ハッタリが通じる相手であることを祈るしかなかった」などの説明的内心の声がまったく書かれないので、読解力低下に悩む現代人にとってはまったく不親切で、逆にいえば、小説読むのにこうした心理描写のチートは不要なのかもしれないです。
ダシール・ハメットという人は、最初の傑作数作で承認欲求が満たされたからか、その後はあんまり創作せず、社会活動に熱心になって赤狩りなど睨まれもして、晩年は女性劇作家の元で暮らしたとあります。本書の、美男子でない、押しが強くてガタイのいい(でも背は低い)エグいほどのマッチョぶり、「社会的地位に行動原理を縛られる男性」というステレオタイプを考えるにあたり、作家自身のその後は皮肉と捉えるべきなのか、そうはいってもそういうのに惹かれる女性もいるし、たらしの面の有効活用でFAとすべきなのか、など、いろいろ考えることが出来て、いいです。
この小説もまた、1930年前後の映画の場面転換をそっくりそのまま小説のテクニックとして使っていて、それもよかったです。この頃の映画は、なんしか廉価DVDになってたりするので、字幕を気にしなければ安く見れるはず。配信も安いのかな?
いい小説でした。以上