2021年5月4日に、アメリカ合衆国のグーグルロゴを飾った女性作家(日本は表示国に参加せず)の本ということで読みました。
https://www.google.com/doodles/celebrating-hisaye-yamamoto
ヒサエ・ヤマモト作品集 : 「十七文字」ほか十八編 (南雲堂フェニックス): 2008|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
装幀者未記載。もしくはカバー折に記載で、図書館本なのでカットされたか。どっちかです。
1988年にまず14編収録の初版が出て、現在入手可能な1994年版はこれに準ずるようです。オバーサンのヒサエサンが表紙のやつ。
んで、2001年に、4編追加の合計18編の増補改訂版が出ます。割烹着の日系オカーサンとニセイの娘さんの表紙。
"Nisei"以外にも、本書にはいろんな日本語が出ます。「ベンジョ」「ジシン(=earthquake)」「ドジョースクイ」「マンジュウ」本書には収録されてませんが、作品リストを見ると、"Eju-kei-shung!Eju-kei-shung!: A Memoir" 「エジュケイション!エジュケイション!-回想」という作品が1980年にあって、ピンク・フロイドが "Another Brick in the Wall" で、ウィードンニードノー、エーデュケイション、と歌ったのが1979年で、お受験という言葉は当時まだありませんでしたが、「ジュケンセンソウ」はあったでしょうから、なんだかぐるぐる巻きにして書き綴ったのかなあと、ちょっとおかしかったです。
ヒサエサンは"Hisae"でなく"Hisaye"と書くわけで、じゃあ「ヒサヱ」「ひさゑ」なのかなあといっしゅん思いましたが、それなら"Hisawe"になるはずなので、また違うと思いました。カンジでヒサエサンをどう書くかは分かりません。ヤマモトは山本だと思いますが、夜魔漏闘とかそういうのかもしれません。発表誌をずらずら見て行って、"Kenyon Review"を「ケンヨン・レビュー」と空目して、ケニョンってなんだっけと思いました。ケニヨンというミネソタ州のまちだった。
"Rafu Shimpo"は羅府新報とすぐ分かったのですが、もんだいは、私が、ときどき、この、中文から来たロスアンジェルスの漢字名称を中文読みしてしまい、ルオフーシンバオ、〈罗府新报〉と呼んでしまうことです。北米最大の邦字新聞なのに、それはないわorz
この邦訳の序文にタイトルだけ登場する、「ごはんに味をつけないで食べる楽しみ」というエッセーは、原題が"The Pleasure of Plain Rice"(20. Dec. 1960. Rafu Shimpo) ですので、私なら「白ごはんの愉悦」とでも訳すかなあ。シロウトですが。
1968年12月に羅府新報に発表した「ぅらいてぃんぐ」というエッセーで、当時もう結婚して長いわけですが、
「正直にいいますと、私の職業は主婦です」と答えざるをえないと苦しい胸の内
寡作の兼業作家であるがゆえの悩みを打ち明けているそうです。
http://repository.hyogo-u.ac.jp/dspace/bitstream/10132/3962/1/AA114330270130013.pdf
ウィキペディアにも本書序文にも訳者あとがきにも触れられていませんが、上記PDFの兵庫教育大生のひとの論文によると、1960年代作者はこころの病、医師の診断によると、"anciety"をわずらったそうです。
まあ、アスピリン・エイジからブロザックカントリーへとプログレスな国なので、そういうこともあるのかなと。
序文で、『茶色い家』の「クロンボ」を、ブラッキーとニガーの中間的な意味としてますが、どうもここが日本語の「くろんぼ」のアルファベット表記だったのか、そうであればそれは注釈なしで英語圏の人間に通じたのか。またはほかの単語だったのか、であれば"Black"でも"Negro"でもない単語ってなんだろうと思いました。また、序文は、トシオ・モリとヒサエサンを日系米国作家の双璧としてますが、トシオ・モリって、誰だっけ? と分からなくなって、しばらくしてから、あー『カリフォルニア州ヨコハマ町』のしとだ、と思い至りました。
stantsiya-iriya.hatenablog.com
序文を書いた人はキン=コク・チャンというエイシアンアメリカン研究の一人者で、検索すると、張敬珏という香港出身の女性でした。この人は漢字が分かった。
検索で出たこの人の画像は、やたら紐ボタンのそれっぽい襟だがチーパオでない服です。文化の強調なのか。そういうわけで、この本も各短編ごとに感想を書こうと思うのですが、他館本なので、期限内に読み終えるというか感想を書き終えられるかどうか、激しく不安です。続く