中表紙 装画 斎藤真一 「マリ・クレール」1990年月号~1991年2月号連載
斎藤真一さんの挿絵の本ということで借りたのですが、表紙、裏表紙、中表紙以外イラストはありませんでした。連載時は毎回描いてたのかなあ。
文庫も中公文庫で、同じ絵の表紙です。
斎藤真一という要素以外何も先入観なしに読み始めて、これはただごとでない小説ではないかと思い、著者を検索し、私は一冊も読んでないのですが、ドエライ小説家であることが分かりました。
岩井しまん子と同郷の大都会岡山県人ですが、たぶんだいぶ違います。『博士の愛した数式』はともかく、『妊娠カレンダー』と『ブラフマンの埋葬』は読んでみようかなあ。私がこれまで読んだ小説家のなかでは、江國香織という人が近いように思われますが、たぶんそれも細部が違う。
あとがきを読むと、この小説は作者にとって、「~ねばならぬ」小説だったようで、血のつながらない弟についてがそれなのかと思いましたが、エッセー『盗作』を読むとそうではなく、『バックストローク』は読んでみようと思いますが、その原作も知りたいです。「とある神道宗教の教会」(頁25)は、天理教かと思いましたが、ウィキペディアの、作者の一家が信仰していた、金光教なのだろうなと。
最初は、太らない過食症ってなんだそれ、ギャル曽根か! 食べ吐きといえばエイミー・ワインハウス。星新一のショートショートのように、ラスト一行で空から落ちてくるんじゃなかろうな、等々いろいろ思いました。が、次第に、作者の力技に吞みこまれ、茶化す余裕がなくなりました。ウィキペディアにもあるとおり、「とにかく描写につきる」は伊達ではないかった。
頁101
ボウルに一個、卵を割った。殻にひびの入るか弱い感触が、指先に残る。テーブルに一筋こぼれた白身を、ふきんでぬぐった。
卵割ると、一筋白身がこぼれることって、あるなあ、と思いました。そういう観察の描写の集大成で小説になっている。とんでもないですね。サンシャイン・マーケットって明治屋とか麻布ナントカな気がしましたが、どうなんでしょう。今は成城石井とかカルディがあちこちにあるので、よい時代になったものです。
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私は小川洋子さんの作品は読んでないのですが、上の夫殺しの作者の書き下ろしは、小川洋子さんとの対談用だったとは以前聞いてました。でも忘れてた。
あと、左の芥川賞の選考委員だったことも、この日記の検索で分かりました。
松浦寿輝の人の小説も、今回借りてまだ読めてません。ドゥマゴ文学賞受賞のやつ。
斎藤真一さんの絵は、ごぜや神沢利子の絵本より、はるかに丸くなってるので、それは年月のせいだろうか、作家の作風のせいだろうかと考えました。分かりません。
現役の女性作家では最も多く作品が英訳されているそうで、しかしそれを、日本の作家ではハルキ・ムラカミより多く作品が英訳されている、と誤読して、この人がノーベル文学賞候補になればいいんじゃないのと思いましたが、誤読です。
不能の恋人にふられる女性(女子大生)、が本書のモチーフなのですが、ソ連留学が契機というそのリアリティは、この時点ならギリありえたのかちょっと考えました。押忍!空手部の最強の敵のように、チベット独立を助けるために恋人の前から姿を消すとか、そういうキャラはいつ邦文小説界に現れるのか。そしてそんなキャラが現れたとき、主人公は。以上