『団塊ひとりぼっち』"NODULE (=baby boomer in Japan) ALONE"(文春新書)読了

山口文憲さんの本も少し読もうかなあと思って読んだ本です。この辺の人たちは読書量に裏打ちされた文を書くわけですので、参考文献のなかに、これは読んだ方がいいかなあ、と思う本がなんぼでも出てきて、おえんです。「団塊」ということばのこの意味での名付け親、元通産官僚堺屋太一さんや、「シングル・ライフ」の名付け親、海老坂武さんは読まんでもいいかなと思いますし、作者が転向をなじった、津野海太郎『歩くひとりもの』(還暦間近に初婚を迎えたことで、内容がすべて現実に迎撃され、ひっくり返った)も、おいおいぼちぼちですが、道浦母都子さんの『無援の叙情』は読もうかなと。援助交際の無い叙情、という意味ではなさそう。

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頁173<定期的に夜出て行くを党会議と知りつつわれは行く先問わぬ>

「浮気だろう」「いやいやミーティングという説も」以下略

頁174<少女のようなお前が離婚するのか老いたる父がひとこと言いぬ>

澁澤龍彦ヨメに捧ぐ。

どうしてこういう全共闘詩人を出すかというと、作者はこの手の変化球投手によくある話で、まずもって団塊神話をまず解体するところから本書を始めるわけで、いわゆる団塊神話の数々は、団塊世代のほぼ半数を占める団塊女子には全く当てはまらない(学生時代はゲバ棒ふるって卒業後は企業戦士になるったって、女子は男女雇用機会均等法がまだねーからそんなあんべいにはいくめえよ、ってなことで)から始め、当時の大学進学率、さらにその中でノンポリでなく、二、三回興味本位でデモに参加したくらいの御仁を除いて、全共闘に没頭したのなんて、世代全体で言えば5%くらいだろう、5%を以て団塊を語るな、が本書の半分の主眼であるからです。作者は全共闘でなくベ平連で、しかも芸大受験を狙う高校生の時点で逮捕されてしまったため(ベ平連唯一のタイーホ者)前科者は音大に入れそうになかったので、いさぎよく進学をあきらめ、高卒ドロップアウターとして肩書に頼らず口八丁手八丁で渡世を生きてきたそうで、その辺、斜め下というか、王道派から主流派を突き上げる権利が大いにある、ということみたいです。

左は頁261。
もう半分の主眼というか、メインは、団塊全共闘を証明した後、では団塊とはなんぞやで、「俺が団塊だッ!!」で始まる自叙伝です。ヰタ・セクスアリスでもないですが、クラシックコンサートが初デートだったとか、ベ平連はオモテの鶴見や小田実でなく、日共を追放された実務経験豊富な裏方が支えていた、などなど。作者の半生の裏話。まだ最後まで読んでないのですが、関川夏央とゴチエイは頻出。青春の光と影で、影の筆者に対し、光の沢木耕太郎も出ます。玉村豊男は出ません。どこかで松田道雄の名前だけ見ました。

そんな本です。まだ最後まで読んでないので、この人のさいだいの特徴のひとつ、年金収めてない問題が、執筆時点でもまだそうだったのか、そうだったのなら、執筆時点での覚悟はどのようなものだったのか(なまぽ狙いだとしたらいつか炎上するでしょう)それが出てきて、読めたらいいなと思ってます。

「本の話」2004年6月~2005年11月連載を大幅加筆、再構成とのこと。巻末に主要参考文献、年表、団塊世代の主な有名人などをつけて、新書なのに三百ぺージまで膨らましてあります。こういう新書の無駄遣いをしたから新書が売れなくなった、わけではないと思いますが… まえがきとエピローグも当然あります。

あと何かあったらまた書きます。

【後報】

だいたいよく考えたら、この世代は全共闘でなく全学連じゃないデスか。かんばみちこさんが死んできしのぶすけが言葉を失った60年あんぽでなく、70年安保。60年あっぽのころは、何歳だ。小中学生か。

全学連と言いたくないほど、①「Z」ヘルメットがキライ、②今でもセクトとかかわりがあって、隠したい、③不明 さてどれでしょう。ベ平連ノンセクトだから、はとらないと思うんですが。でも、全共闘世代とはいうけれど、全学連世代って、確かに言いませんね。不思議。世代ぐるみで印象操作してるのか。

頁61、チャールズ皇太子とカミラさんの結婚を引いて、イギリス国民はおおかたブーイングもしくは無視だったが、ここであえて結婚支持した人たちというのはどういう人たちだろう、イギリスのベビーブーマーではないかとしています。日本にも数多くて、アメリカでもクリントン夫妻がその象徴とされる、「トモダチ結婚」友愛ゆえの同志的結婚だからごく一部が称賛出来たのではないかとしています。その伝で云うと、マコさまとコムロさんの結婚は、団塊世代からしても「ちがう」となるのかなあ。そもそも天皇制フンサイ以下略 まあ親が、自然なんとか研究会とかのサークル名や、学習院前の横断歩道とかはうわべの虚飾で、実態は学習院女子の卒アル見ながら後輩にナンパさせたと、まことしやかに噂されてたしなあ。次男はワル説の継承。

頁100、宮崎学『突破者』に、ゴチエイが本名新崎智名義で登場してる場面をわざわざ引いてるので、孫引きします。

頁100

「それじゃあ何か、学生大衆のなかから『オマンコがしたい』という要求が澎湃として沸き上がったとしたら、執行部の諸君は大学当局に掛け合って、われわれにオマンコ実現を勝ちとってくれるというのか。馬鹿げた無原則的なことをいうんじゃないよ」

ここは、全共闘的自覚のない全共闘組織内人間の好例としてゴチエイを出している箇所で、彼は当時からおそらく封建主義者で、一ミリも変わっていないのだが、時代が彼をこういう場所に置いていたという記述の一角です。当時の学生は、そうでなくば、ユニクロ創業者柳井正1949年早生まれの回想にあるように、休校ばっかの時何をしてたかというと、映画パチンコ麻雀にあけくれていた、そういうしとのほうが多いんじゃないかという箇所。

ゴチエイは頁238にも、セックスの回数を作者から名古屋まで電凸され、「まれーに、まれーにだな」と答えたのを、ゴチエイともあろうものが「まれーにディートリッヒ」のしゃれくらい言えないのは情けない、または名古屋人らしく「やっとかめセックル」の造語くらい作れないのかと口撃され、その文章が掲載されたのはインターネット時代の紙メディア「本の話」だったのですが、発行後即レスという即ファックスの反応があり、「ボボ・マーレー」と書いてあったそうです。狩撫麻礼がゴチエイに与えた影響の大きさに以て瞑す思いです。土屋ガロン、なんとかゆうほうのしとも1947年生まれで団塊ど真ん中ですが、本書には出ません。何故かこれから刊行される谷口ジローコレクションに、『青の時代』が入っていて、ウソだろう、これだから小学館の編集者は… と思っています。また、このコレクションに、関川夏央との「坊ちゃんの時代」シリーズが全巻入るのですが、関川夏央のポジションが、「原作」でなく「共作」という耳慣れない書き方なのも不思議です。

話を戻すと、1995年『テロリストのパラソル』で直木賞とった藤原伊織サン1948年生まれはノンセクト全共闘ボヘミアン派を名乗っており、作者の分類では「文学派」となるそうです。頁104の注記。その小説は読んでませんが、主人公がアル中だそうなので、読んでみます。まあファンタジーのアル中だとは思うんですが…

頁114の回想で、作者は音大受験のレッスンの帰り、ふらりとお茶の水神田川ぞいのベ平連オフィスを覗き、吉岡忍というのちにノンフィクション作家となる人に、別に邪険な扱いもされなかったので、そのままボランティアからずぶずぶになり逮捕に至ったそうで、もしあの時すげなくされたりイヤ~な感じの応対されてたら、人生変わったろうなと書いてます。でも初見でそんなイヤな応対、同世代ばかりのサークルならありがちですが、年が離れると、ふつう、ないものだと思います(だから職場のオナクラくんは、同世代の多いコンビニやファストフードでは働けないと私は思っています)吉岡忍という人は特に書名書いてないので、読もうと思わず、助かりました。ベ平連の活動については、阿奈井文彦という作者の同志が書いた『ベ平連と脱走米兵』(文春新書)に詳しいそうです。成果としての脱走米兵成功数は十数件しかなかったそうなので、カンパの金額を考えると、現在似たような活動を始めると、クラファン詐欺的にネトウヨが叩きに来るコスパだと思います。米兵をソ連領を通行させてスウェーデンに逃がすという、どう考えてもソ連の協力がなければ成功しない作戦ですので、そのソ連との実務交渉に、不破哲三を学生時代パシリに使うほどでありながら日共を破門された、吉川勇一という人や、武藤一羊という人が、かつて小河内ダム武装蜂起のための戦闘訓練を積んだ際のマシンガン供給ルート等を十二分に活用したとのことです。「良心的マルクス主義者」の市民活動への献身、と作者はいいように書いてますが、ネトウヨ的にはぜんぜんよくないだろうなと思いました。反共宣伝に活用出来るから「いい」ような気もしますが。

頁133、ベータ至上主義の作者がVHSの軍門に下った際の感慨が書いてあります。そこは、大和心とは何かを問われ、「朝日に匂う山桜花」と答える精神が骨格にあるのだなと感じさせる描写でもあります。系列販売店を持たなかったことが敗因なのではない、系列販売店のオヤジが裏ビデオをオマケにつけて売ったから負けたのだとする、β派陰謀史観が紹介されてますが、ほかの日記でもそれは書きました。島耕作に聞かせてやりたい。初芝東芝ですが。

頁162、団塊の半分は女性、のくだり。この人らしく、実に身も蓋もない方向に思いを馳せてゆきます。曰く、少女漫画のベル・エポックはなぜ生まれたか。受けた高等教育と社会に出た後の仕事のギャップから、有能な女性が自己実現を求めて業界に雪崩れ込んだからである。1947年大島弓子山岸涼子池田理代子。1948年里中満智子。1949年萩尾望都青池保子一条ゆかり。1950年竹宮恵子。で、この後の展開で、芸能人とスポーツ選手に「在日」が多いのと同じ構造だ、と脳天唐竹割り攻撃してきて、その後、本人の努力とソフィアはもっと評価されてしかるべきである、と、きれいにまとめています。まとまってるのかな。

団塊女性の社会進出とその挫折の前振りで、頁166で、「BG」から「OL」へのことばの変遷について、齋藤美奈子『物は言いよう』をもとに今北産業アジェンダをまとめています。ブラックジャックのコインロッカーベイビーの話で、確か「BG」という単語が出てきていて、後続世代にも「BG」という言葉を認識させる役目を果たしていたのですが、さすがに改版で直されてるかなあ、現代だと。どうでしょう。で、「BG」はアチラでは売春婦の略なので好ましくない、ということでオフィースレイレーに切り替わったそうなのですが、ブズネスガールって、そういう意味なのでしょうか。私としては、北京語で「B」は女性器を指す〈屄〉で、「G」はもちろん妓女を直接言えないからの〈鸡〉、〈野鸡〉の鶏なので、それでやめたのが真相ですとデマを飛ばしてみたいです。

この後、りえママと貴乃花のママの対比を書き、道浦母都子サンについて語ります。しかし、山口文憲サンも同時代ライブラリー版の『無援の抒情』は読んでなかったのか、大阪中華学校で日本語を教えていたこと、現代歌人協会訪中団として三度、80年代に中国に行っていることには触れてません。触れてほしかった。

頁191。『歩くひとりもの』という名著を記した津野海太郎という人が、還暦間近に16歳年下女性と結婚するくだり。ブンケンサンは関川夏央と組んで、津野海太郎というひとを背教者として糾弾するのですが、左翼上がりなら、転向とか日和ったとか、そういう言い方で追及するものだろうに、何色眼鏡で見られたくないからみたいにキリスト教の語彙を使ってるんだと思いました。

津野海太郎 - Wikipedia

頁196では、女性のおひとりさま代表格として、阿川佐和子檀ふみを挙げていて、本書出版後、後者は母親介護があったけど、前者は父親が逝去するや結婚しなはった。ので、人は変わると思いました。

頁201、「生涯未婚率」の説明。50歳時点で一度も結婚したことのない人の統計で、50歳以後結婚しても「未婚率」のほうにカウントされるんだとか。

生涯未婚率 - Wikipedia

頁222。ブンケンサンが金子光晴に親近感を持っていたというのが意外。なぜなら、金子光晴は香港ではろくに査証ももらえず、物価も高しで、けんもほろろに次の寄港地に行っているので。香港に関してはブンケンサンと意見が一致しないはず。パリでの金子光晴が好きなのかなあ。もしくは、男の宇野千代なのか男の寂聴なのか、の、『金花黒薔薇艸紙』が好きなのか。ヒヒジジイエロジジイ。

金子光晴 金花黒薔薇艸紙 | 小学館

最近読んだ谷恒生の船員もの小説で、小野田寛郎ヤラセ説が出ていて、そんで今小野田寛郎さんを描いたフランス映画が封切られていることを知って、シンクロニシティこわいと思ったですが、本書にもその事件出ます。ただし、フィリピンのジャングルで靴下を履いてたので日本人と信用してもらえた、小野田さんの次は雪男を探しに行って消息を絶った、「大放浪」鈴木紀夫団塊人生の紹介で。

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『大放浪』文庫版に、小野田さんがネパールに鈴木クンを探しに行く手記が載ってます。夜中に宿のベッドに南京虫が出たので、マッチ箱に追い込んで、マッチ擦って、ポンと箱の中で爆ぜさせた、そうです。私が今回ブンケンサンの鈴木紀夫評を読んで思ったのは、法政大学という大学のチョイスが、やや影響してたのかもなという点。右翼青年が法政大学を選ぶふしぎ。

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頁242、団塊だからオナヌーというわけでもないでしょうが、「ごぶさた」というタームを間に挟めば、あら不思議、「団塊」>「ごぶさた」>「オナヌー」と、立派に一本の線でつながります。ここで、ブンケンサンがオナヌーキングとして挙げてるのが、亀和田武サンで、小学三年生から毎日かかさず二時間ずつ、結婚後も持続してちんちんいじってたそうです。このしとそういうしとなのか。知りませんでした。

頁254、ハゲ薬に「101」が出ます。そういえばあったなあ、そんな中国の薬。

以上です。

(2021/11/6)