『偶然の祝福』"La Bénédiction Inattendue * * * * " by Yōko Ogawa 読了

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読んだのはソフトカバーで、下記文庫とはだいぶん表紙が違います。でも出てくる犬は本文のレトリバーというかラブラドール。いや、ラブラドールとレトリバーは別の犬種でしたでしょうか。私は詳しくないので分かりません。

キンドル版には表紙絵がありません。もったいない。

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カバー折 表紙のフラ語でそのまま仏語訳が出てるみたいですが、作者名は、YōkoでなくYôkoになっています。のばす記号がちがうようで。

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これもカバー折 要するに犬の絵はこの二種類で、それを装丁のしとが自在にくふうして置いたという。イラストレーション●寺田順三 ブックデザイン●松岡史恵 

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本の旅人」1998年4月号から1999年3月まで掲載の連作に加筆。

ja.wikipedia.org

小川洋子 - Wikipedia

本の旅人 - Wikipedia

斎藤真一という画家のしとがイラストを描いた『シュガータイム』という小説を読んで、そこに出てくる弟さんの描写に衝撃を受け、えーどういうことなのと思って少し検索したら、この本をノンフィクションとして感想を書いてる方のブログがあって、それで、『まぶた』という短編集に収められている『バックストローク』という短編を読み、それから本書を読みました。本書の『*盗作』というお話が、それに関連しているとのことでした。しかし、ヤフー知恵袋などには、本書はノンフィクションでなく、一人称で書かれた連作小説集ではないかという火消しがありました。後者なんだろうかなあ。

頁39『*盗作』

 まず弟の突然の死が、すべてのはじまりだった。教会のバザーを手伝った帰り道、不良グループの少年たちに殴り殺されたのだ。二十一歳の誕生日の十日後だった。すれ違いざま肩が触れたとか、目付きが気に入らないとか、そんな理由だった。

 インターハイにも出場したハンドボールの選手で、突き指だらけのごつごつした手をしていた。大学では美術史を専攻し、大学院への進学を希望して熱心に勉強していた。部屋に閉じこもってマンドリンを弾いているかと思えば、夜行列車に乗って山登りに出掛け、はにかんだ笑顔でみんなを魅了し、私の何倍も両親から愛された。そんな弟が、青黒く腫れ上がった頬で両目が潰れたまま死んでしまった。

この個所であれっと思ったのは、「教会のバザー」くらいでした。『シュガータイム』ではこの家族の信仰する宗教は神道系であると書かれていて、それはウィキペディアの作者の履歴とも合致するのですが、神道系の宗教もバザーするのかなあ、よく知らないや、という、「あれっ、」です。

本書の連作は、コンサートマスターなんだか指揮者なんだかの人と不倫して男児を出産する過程をていねいに描いているのですが、作者の人はエンジニアの男性と結婚してから小説を書き始め、またそこの関係性の中で長男を出産しているので、シンママではなく、なので、そこで一歩引いて、この連作の「私」は、作者ではないんだろうと気づくべきと思いました。私は斎藤真一絡みで読み始めるまで意識的に作者の小説を読んだことがなかったのですが(アンソロジーで短編を読んで忘れてる可能性はあり)ベストセラー作家で、現役女性作家でもっと作品が多く海外に訳されている作家とのことですので、読者を選ぶ作家とは考えにくく、カジはミサトにころされたと信じるしともまた読者なりとして書かれた作品を私は読んでいて、その描写のひとつが上記だったりするのだろうと認識することにしました。

そうやって考えると、街角には神様がいて、的に、どこに真実のダイヤモンドが埋め込まれているか分からない小説を、どれが真実でどれが土くれか考えること自体神を試すことにほかならないから峻別せずに読むべきかと考えること自体意識的な行為なので、ゾーンに入って読まねばならないだろう、などと以下略

『* エーデルワイス』を読むことで、そうした思いはだいたい昇華されるので、そこはそれでよかったです。自分を弟だと思い込んだ熱狂的愛読者との邂逅と別れの話なのですが、この男性が、いつもずぼんのポケットに手をつっこんでちんちんをいじってるとか、そういう、紙一重の一線を越えた描写があったりしたら、そうした昇華の感情はむろん得られなかったでしょう。そのへんが小説家の名手小説の名手ということだと理解しました。

なんかそんな感じで、アポロという犬くらいは、せめて確実かつオフィシャルに、実在を認められててほしいなあと希望してます。その願いは、せつないか、切なくないか、どうでしょう。以上