『ボート』"THE BOAT" by NAM LE(新潮社クレストブックス)"Shinchosha C R E S T BOOKS" 読了

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たぶん著者のサインが印刷されています。奥付。

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/41JR8eoevYL.jpgなんとなく手に取った本。

Illustration by nakaban

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この本も、新潮社公式に記載がありません。作者紹介はあるのですが、そっから行けるのは、別のアンソロジーだけです。品切れ再版未定書籍のウェブ掲載を、コストか何かの理由で大幅に見送っているのか。

アマゾンの内容紹介(最後の一行を除き、カバー折と同じ)

作家修業中のベトナム系青年。戦争中、少年だった父はその目で何を見たのか。多くを語らずに生きてきた父と、書きあぐねながら、出自は題材にすまいとする息子(「愛と名誉と憐れみと誇りと同情と犠牲」)。初老の画家がカーネギーホールに向かおうとしている。妻とともにロシアに去った娘が、天才少女チェリストとして凱旋したのだ。いそいそと支度をする男の待望の一夜(「エリーゼに会う」)。そして、ベトナムから難民ボートに一人乗り込んだ少女の極限の12日間を描く表題作「ボート」など、すべて異なる土地を舞台とした全7篇。生後3カ月で両親とともにベトナムからオーストラリアへ渡った作家が、持てるすべてを注ぎ込んだ清新なデビュー短篇集。プッシュカート賞、ディラン・トマス賞ほか多数受賞。

www.shinchosha.co.jp

ナム・リー『ボート』(翻訳) (新潮社): 2010-01|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

著者公式

Nam Le - The Boat | The Official Website

en.wikipedia.org

小川高義というひとの訳者あとがきによると、「ベトナム料理店に立ち寄るつもりでナム・リーを読んではいけない。ここは無国籍レストラン」「エスニックな店を開いても繁盛したかもしれないが、あえて創作料理の看板を掲げた若い料理人の、開店記念のような第一短編集」で、訳者はそれを祝福したいとしてます。なんとなく、上星川で、インド人の店主がイタメシの修業をしたからという理由で、インド料理以外にイタメシも出しているようなものかとも思いましたが、多分ちがう。

最初の作品 "Love and Honor and Pity and Pride and Compression and Sacrifice" 『愛と名誉と憐れみと誇りと同情と犠牲』で、作者の分身と思われる主人公のガールフレンドが白人で、ウィキペディア他、本書カバーの写真を見ても、キアヌ・リーブスふうのイケメンですので、本人がどこまでもフラットな場所に自らを置こうと、気をはっているのかもしれません。

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ⒸJoanne Chan

日本語の著者紹介ですと、メルボルン大学卒業後は「大手法律事務所勤務」としか書いてませんが、英語版ウィキペディアにはちゃんと "worked as a corporate lawyer" 顧問弁護士として働いていたとあります。2003年。試験合格したんだなと。しかしその後作家を志し、まあ書くだけでなく投稿して、アイオワ大学の作家養成コース、ライターズ・ワークショップに2004年から学び、その後2006年にはジュンバ・ラヒリが加わったこともあるマサチューセッツの若手支援芸術家コミュニティにするっと入り、そのあと2007年ニューハンプシャージョン・アーヴィングの母校で住み込み作家 "writer in residence" になり、2008年今後はイギリスで同様の知遇を得て、現在に至るようです。

訳者あとがきによると、ナム・リーは自分の家族史を「クール」と表現しているとかで、テッド・チャンやケン・リウのような華人作家のようには、家族をとらえていなさそうです。"Love and Honor and Pity and Pride and Compression and Sacrifice" にしてからが、アンド多用のでたらめ英語のタイトルをつけておきながら、父親がソンミ界隈で米軍兵によるマサックゥル、アトロシティーを体験していることをさらっと書き、さらにはそれを息子が草稿に落とすと、父親は息子が寝てる隙に白人ホームレスが住む河原にもってってドラム缶の焚火で燃やしてしまうという。わざわざオーストラリアからオイオワに来て何してくれてんねん、的な話に仕立てています。こういうのウケる人と、あたまからシャタウトな人両方だろうな、でもイケメンだし、このころ若かったろうし、という。

ちなみに私は、訳者あとがきを読むまで、父親が紙の原稿を燃やす場面だと気づきませんでした。それくらいあざとく、読解力を試すように隠し玉で書いてくる。でも直球を投げないのはいやらしい性格からじゃないよ、という感じなので、憎めないというか、なんか事情があるんだろうなと思ってしまう。

Lê Nam (nhà văn) – Wikipedia tiếng Việt

難民が、その後のベトナム政府とどう折り合いをつけているかというのも、なやましそうです。いちょう団地とかどうなんだろう。作者の故郷は、そうとうカンボジア寄りの港町です。現在のこの町は、空港があって、この距離でホーチミンまで定期便が飛んでるとか。ちょっと驚きでした。セントレアから伊丹まで定期便が飛ぶようなものでしょうか。

ja.wikipedia.org

"pity"は「残念閔子騫」とか「学刈」と訳したいと個人的には思います。サクリファイスは、犠牲というより、生け贄。次の『カルタヘナ』"Cartagena"はコロンビアの麻薬だか、コネクションだかの話。『エリーゼに会う』"Meeting Elise" はニューヨークの年取ったゲージツ家が、ロシアにヨメが連れてけえった娘の凱旋公演かなんかで再会する話。『ハーフリード湾ベイ』"Halflead Bay" は、オーストラリアの田舎町の高校生群像の話。ほかの男子の気を引いて、彼氏ではないがなんか喧嘩無双みたいな男がいるので、それが出てきてコナかけた男子をぼこぼこにするのを、なんとなく白痴美的に眺める美少女、と、喧嘩に勝てないまでも喧嘩する主人公の話。たぶんここまでぜんぶ白人。オーストラリアやアメリカで見聞きした白人社会の話を書いてるように思います。次の話が、エノラ・ゲイが原爆投下する朝を書いた『ヒロシマ』"Hiroshima"で、登場人物はぜんぶ日本人です。その次が、シーア派の熱狂的なお祭りかなんかの時期のイランに行って、反体制派の友人と会う米国人女性(からだだけの関係の男から逃げる目的)が、コミテではないけれど、民間組織のタチの悪いのに絡まれてみたいな、『テヘランコーリング』"Tehran Calling" オーストラリアの中東移民というとレバノン系が有名で、'80年代ニュージーランドイラン系出稼ぎが羊の屠殺場で働いてるとはマレーシアの漫画家ラットの"Lots more Lat" で読んだことがあるのですが、この話の元ネタは、ダルビッシュアメリカで得たんだろうなあと思いました。オーストラリア時代でなく。その次が、悲惨なボートピープルの船上の十数日を書いた"The Boat"

白人作家がベトナム人を主人公にして文化の盗用と言われるのもかなんでしょうし、かといって植民地支配を糾弾してえぐるタイプの作品を突き続けられるのもどうかと思ってるはず。難民受け入れてるし。そういうところもあって、欧米で「集中豪雨のような」「こんなに多くの文学賞があるのかと思うほど」(訳者あとがき)ウケた、と言ってしまうと、その後、書けなくなるだろうなあという作品集です。こんなに背伸びしてインカ帝国。クォン・ヨソンの小説やエッセーで、韓国にそういうゲージツ家村があることを知りましたが、欧米から来てるんでしょうか。羽田圭介とかそういうの提唱して住んで鶏むね肉のハムを食べたらいいと思うんですが、日本にもうあるのかないのか。

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写そうかと思いましたが、ヤメ。そのかわり、 "Love and Honor and Pity and Pride and Compression and Sacrifice" 『愛と名誉と憐れみと誇りと同情と犠牲』から、下記。

頁14

 だが反対に、「いいかげんにしてほしい」という意見も聞かれた。「めずらしい食べ物の話ばっかり」というのだ。あるいは「文章が簡潔だとしても、そういう意図で書いたのか、ただのボキャ貧なのか、よくわからない」。

アイオワで、民族色の強い作品ばかり注目される傾向について語る場面。こういう話を、夜、友人と、二人とも酔っぱらって、二台ともパンクした自転車を押しながら話していて、二人とも車でないということは、友人もベトナム人で、ベトナム語の会話かしら、と思いながら読んでいると、通りに面した住宅のベランダに空気銃を持った男が出てきて、二人に銃を向けるのですが、友人は酔っていて気づかず、中国人作家は中国人を書いてりゃいいんだよ、ペルー人作家はペルー書いてりゃいいんだよ、ロシア人は… と話し続け、銃声まで聞こえてしまい、それでも友人は気づかず、アンドの多いタイトルが、友人なりのフォークナーの引用であることが分かります。

以上