『幽(かすか)|花腐し(はなくたし)』"faint" "A Spoiling Rain" by matsuura hisaki(講談社文芸文庫)"Kōdansha Bungei Bunko"

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著者の『名誉と恍惚』を読んだ時、実質的なデビュー小説が、中華街を舞台にした『シャンチーの宵』と知り、この文庫本に収録されているので、読みました。

『花腐し』はあくたがー賞をとってるので、その辺に英題が。『幽』はたんじゅんに英単語をあてました。あとがき的な『著者から読者へ』、三浦雅士という人の解説、年譜、著書目録がついてます。デザインー菊地信義

無縁』"Unrelated"  初出:「一冊の本」1999年2月号

なんだかんだいって女性がと切れない、まあモテということになるのか、のヒマな人が、後半、生協でも元乃木坂でもない白石さんを預言するかのような展開になる話。首から上と下のくだりなど、座間事件の犯人が読んだんじゃいかと思うくらい。あるいは、想像力なんていらなくて、誰でもこのような展開になるものかもしれません。

頁10「気の向く仕事だけ引き受けて丁寧にやるけれどふだんは猿股一つで昼から大酒をくらっている職人気質の大工が叔父」「家族も持たず家財と言えるほどの家財もなくほとんど裸一貫で暮らす初老の職人」それはファンタジーですと言い切ります。頁18、生魚は肥料にならないとか。

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ふるえる水滴の奏でるカデンツ』"swaying water droplets playing Cadenza"   初出:「文學界」1999年1月号

藤原伊織の破滅ものを最近読んで、実生活で借金が多かったそうなので( ´_ゝ`)フーンと思い、で、この人のように東大教授で安定のしとがファンタジーで破滅ものを書くのもイヤミかなあと。ジュライとか楽宮みたいなところに彼女と沈没する例って、希少なのか実はありがちなのか、知りたいです。何も女買う独身男ばっかしがたまるわけでもないだろうにと思う反面、そういう奴しかいないところに彼女連れて泊っても、奇異の目で見られたり食事のたびの外出で気まずかったりする気もするので。

シャンチーの宵』"Xiangqi Evening"  初出:「群像」1998年5月号

あとがき的な文章でマツーラさんは、中国人の老人の予言は当たったと自画自賛してますが、当たってないんじゃないでしょうか。シリア在住のクルド人だったら、当たったといえると思いますが、日本は平和だから。また、老人が歌う川中島の歌がカタカナなのは自明としてますが、自明かなあ。私には分かりません。

わらべ歌「さいじょさんはきりふかし、ちくまのかわはなみあらし~」で始まる歌詞を知りたい。 | レファレンス協同データベース

頁75、「丹谷川通り」が分かりませんでした。そんな通り、あるんでしょうか。

左は2010年夏に須磨だか明石だかの孫文記念館のあたりで撮った写真。路上の将棋指しというと、いまだにこの光景が忘れられないです。

ノックスの十戒ではないですが、この小説もまた、横浜中華街を買いかぶりすぎてます。『押忍!空手部』で、話が煮詰まると出てくる中国拳法の助っ人もしくは刺客の話を読み過ぎたのではないかと。ちなみに、『押忍!空手部』はあれだけ中国人が出てくるのに、韓国人はひとりも出ません。『魁!男塾』も然り。この手の漫画では、私の知り限りでは、『BE-BOP HIGH SCHOOL』だけ、朴という不良が登場します。東リベは読んでません。出るのかなあ、どうだろう。

私の経験でいうと、横浜中華街では、カセットテープとか売ってる店で、一度、じいさんに「ユエンジューミン」がどうとか言いかけたら、「なにい、今なんつった」と返されたことがあります。この書き方で、ああ、あの店、とピンとくる感じになってしまったらすいません。

(かすか)』"Faint"   初出:「群像」1999年3月号

「観月の宴」はファン・ヒューリックのディー判事もので読んだことがあるような、積ん読だったような。マツーラさんがトレンドウォッチャーがキライなのは頁106で分かりましたが、それは嘘で、孔明の罠かもしれません。頁118、葛飾柴又と対岸の千葉松戸や埼玉三郷も変わらんというくだりは、この三市が対岸関係にあるという認識がなかったので、驚きました。

頁140、六歳で死んだ娘の哀しみをえんえん持ち続ける描写はよかったです。言葉にならないものでも言葉にしなくては伝わらないから言葉にする。

頁161、アルマーニとフェレ(ジャンフランコフェレ)とアニエスbを並列に並べてますが、そのくらいの格づけでいいのか悪いのか、分かりません。

ひたひたと』Earnestly Overflowing"  2000年8月刊『花腐し』に入った短編

須崎パラダイスを藤木TDCが歩いてみた、みたいな話。あるいは諸星大二郎『子どもの遊び』

花腐し(はなくたし)』"A Spoiling Rain"  初出「群像」2000年5月号

フィクションだからといってしまえばそれまでですが、アスカというキノコでラリって犯されキャラのその後の人生について考えないのは空想力の欠如かもしれません。『いないいないの国へ』の女性のような残像が見えてくるという。

頁238

このあたり、何しろコリヤン・タウンみたいになってきてるじゃない。あっちこっちハングル文字の看板だらけで、日本語が申し訳程度に添えられているだけでさ。赤坂に焼肉屋建てまくって儲けた韓国系の資本が、幾つか大久保にも入ってきてて、食料品とかビデオとかの商売をこの辺で始めてることは知ってるでしょう。そういうのが次に狙ってるのはもちろんコリヤンやフィリピーナ向けのマンションとかホテルとかだよね……」

そういう感じでコリアンタウン化したような気もしますし、そうでない気もしますし。この頃、いや、この五年くらい前か、私もロッテの裏を夜十一時ごろ歩いてて、「金だせ」と言われたことがあります。「なんでだよ」と言い返してそれ以上何もなかったですが。最初「日本人か」と聞かれ、「そうだけど」と答えたら次に「金だせ」になったという。

全然関係ないですが、大韓航空コーリャンエアーと言う人がいて、高粱エアーってなんだよといつも心の中で思います。

解説で、マツーラさんとケニチ先生の対比をしてるんですが、マツーラさんは、あんな句点のない長文使いではなく、ケニチ先生がなぜあんな長文使いなのかというとそれはアル…ヨッパライだから、という視点にかけているうらみがあると思いました。以上