ちがった(棒
まだアンドロイドガラケーのレンズがくもっています。職場のひとが、熱心にすすめるので来ました。ベルマーレの試合と組み合わせようにもチケットがとれず、単独平塚行。ほんとうに平塚に来てなかったなと、帰りに新装なった市庁舎など見て思いました。美術館前からハロワ通るタテの小道なんか、今まで気づかなかったです。
追加展示の塑像五点。撮影可。これをトラに見立てて年賀状に使おうとしましたが、ウィンドウズイレブンがうまくUSBに画像をコピーしてくれないです。
数点だけ撮影可の作品があり、それ以外はだめとのこと。ワークショップの作品はどうですかと係員に訊いてる人がいましたが、返事まで聞こえへんだ。
初期のものでもタテヨコ2メートルはあり、後期になるとタテ3メートル、ヨコ5メートルの作品が多く、勧めたひとによると、もうこれだけまとまった数の規模の作品展をむにゃむにゃなうちに開催できるかどうか分からないから、今見ないと、ということでした。
私が圧倒されたのは、①相模原在住 ②ほとんど作家蔵 ③会場スペースの広さ です。日頃どうやって保管してるんだろう、これだけの数の大作を1970年代から。私なんか絵も写真もぜんぶ捨てたりどっか行ったりしてるのに。さすがプロ。プロは保存管理までひっくるめてプロ。旅は家に帰るまでと同義語で、プロは永世管理がベーシック。
で、大作しかない、これだけの数の作品を展示するスペースを確保するのも、大変だろうと。なんで平塚で相模原の画家さんのをと思いましたが、県内あちこちセッションして、ここがはまったんだなと思いました。まずドカンと天井が高くないと、高さ3メートルの作品に負ける。
開館30周年記念 物語る 遠藤彰子展 2021年10月2日(土)~12月12日(日) | 平塚市美術館
せっかく撮影可の作品もあったのに、細部しか撮りませんでした。全体像は公式やらなんやらにあります。たぶん。
1981年の「私の街」という作品が撮影可で、この絵は、ちょこちょこ登場人物が黄緑色を着ているので、のちのベルマーレーひらつ化を預言していたのではないかと思われます(ちがう)
シーサイドバウンド。
ラブミーテンダーはゼルビアのチャント。
右側のモブに何人もベルマーレカラーがいるのですが、うまく写真が発色しませんでした。左でとっくみあってる片方は浦和サポではないと思います。赤いけど。
窓から顔を出している人も現物は黄緑。試合日になると、自分の家や部屋の窓からフラッグを掲げる習慣って、オリテンからそのあと少しまでのクラブな気がしますが、どうでしょう。あんま武蔵中原や武蔵小杉で見ない気瓦斯。調布も。
これも原画だとあっちこっちの通行人がきみどり。実際には私生活で黄緑の人なんか、そんなにいないか、子どもです。ユース時代の遠藤航くんは黄緑のセーター制服に着たこともあったそうですが。その色を買えばそれでいいので、ファッションコーディネートとか色合わせとかガン無視で生きていけるのが利点。
この絵はこういうサインなのですが、絵によってサインがちがいます。
これはトップバッターの、1981年の「街(たそがれ)」という絵のサインかな。これも撮影可。
これは1990年の「私は来ている 此処に、何度も」の一部。ムルムル。そういうのも踏まえて、私は勧められたのかなあ。好きっぽいと思われた。
38枚絵があるのですが、人物の口に歯が描いてあるのは三点で、しかも、歯を際立たせている(ほとんど人物には歯を描いてる)のは2007年から翌年にかけて制作の「鐘」だけです。松本大洋を知ったのがその年だったのか、インプラント絡みで何かあった年だったのか。
「鐘」(部分)
「鐘」(部分)
「鐘」(部分)
これはコロナカの2021年に、活動が制約されたのでアトリエにこもって描いた新作「黒峠の陽光」の一部。この絵は、歯のある人と、歯が見えない程度にしか口が開いてない人が混在してて、クロニクルって感じです。
これも「黒峠の陽光」だと思います。「眸ひらく明日」2016年ではない、と思います…
歯が見える作品が撮影可で、歯を見せない作品はそこに入れてないのも、何らかの符丁かもしれません(うそです)薦めてくれて、ありがとうです。確かにこの規模のをしょっちゅう搬入搬出する箱はそうそうありそうにないです。平塚にも来れたし(数週間前にも用事で来ましたが)よかった。以上