『50歳になりまして』“I’m 50 years old” by Yasuko Mitsuura 読了

これも、マンガ『前科者』に出てきた本。英題は下記から。

re-how.net

「はじめに」の『留学の話』のみ「文藝春秋」2020年11月号掲載。ほかは書き下ろし。

読んだのは三刷。装丁 大久保明子 装画・カット 死後くん DTP エヴリ・シンク

あとがきなし。

『前科者』では、これの前にバービーの本を紹介してて、あたし一生彼氏が出来ないんじゃないかとか、経験できないんじゃないかとか、そんなのは杞憂だから、必ず出来るからとバービーに力強くいわれた次にこの本を登場人物が読むのかと、頭くらくらしました。私は光浦靖子という人は敬して遠ざけたいというか、ハリセンボンと比較してみたくなったりします。どうも文中で本人が怯えている扱いは、ブルゾンちえみが受けた、おだてておいて陰で嘲笑う、あの底意地の悪い周囲の反応を思い起こします。

本書は冒頭以外書き下ろしだそうですが、限定公開でウェブとかに出してたとかじゃないのかと、毎回のライブ感あふれる文章を読んで思います。さらに言うと、あとがきもなく、編集者の名前もなく、したがって編集者やイラストレーターへの謝辞もない。それを指摘することと本人がへこむこととその観察までまるまるセットになって、光浦靖子という芸能キャラが形成されているとすると、それはそれなりに業が深いですよと思います。

本書はカナダ留学に行くはずがコロナで行けず悶々とする毎日や、それとは関係なく悶々とする生活を綴っています。清水ミチコが運動神経が悪くて、光浦靖子がジム通いしてるとは意外でした。逆かと思った。カナダ留学は、アントレプレナーの友人がアメリカではディスクリミネイションでヒドい目に遭ったのにカナダではみんな"May I help you?"と声かけてくれてとってもよかったのと、北斗晶がお子さんも世話になった信頼出来る留学エージェントを紹介してくれたから、だそうです。私はカナダ人に会うとよく聞くのが、"Why didn' t United States have a war against Canada?" で、答えは、"Because they like Canada!"です。  

さいごのほうで、大久保佳代子さんと自身の比較を書いていて、とてもイタいのですが、それ以前に私は大久保佳代子さんとだいたひかるさんの区別がついてませんでした。というか、小林健太郎のスキマをコウケンテツが埋めたように、だいたひかるのスキマを大久保佳代子の人が埋めたのかと思ってました。

大竹まことに心酔してるのは分かりました。きたろうとかはどうなんでしょうか。森三中の黒沢という人は本当に早期にコロナになって、感染予防が不徹底だったからではないかと叩かれて、ブスの瞳に恋してるの作者が公に反論したりしてたのを覚えてます。本書はコロナ感染には触れてますが、それに対する社会との摩擦や、痛めつけられた人への寄り添いの記述はあんまないです。光浦靖子さんは自身の痛い目は書きますが、その辺、伴走や聞き役としてのありかたがひょっとしたら課題のひとつなのかもしれません。というか、やってるけどいちいちかかねーよ、なのかもしれません。

これを書くために光浦靖子という人の経歴をウィキペディアで見て、東外大のインドネシア語学科と知り、もったいないと思いましたが、ご本人がこの本の相当前のほうで、入学はしたものの受験英語の記憶漬けの自分なので、帰国子女等でエイゴペラペーラの上さらに第三言語を学ぼうとするれんじゅうについていけず、お笑いに逃避したと書いてました。その逃避が身を助すくで、男女雇用機会均等法の後も続いた荒波をかいくぐれたのですから、オーエル経験がない自分はどうのと、じとーとしたこと書くだけでなく、もっと肯定的に書いてもいいのになと思いました。でもインドネシア語に身を入れてやってなかったのなら、ちょっともったいないです。"不要"は"tida usa"

ヒロトと別れた後の野沢直子のように、光浦の人も、カナダでやさしい男性と出会えるかもしれず、そうでなくてもこういう本を書くと、韓国なら絶対求婚者が出るので、日本でもすでに出ているかもしれません。さて。どっとはらい。以上