『聲のさざなみ』"Ripples of Voice" by MOTOKO MICHIURA 読了

聲のさざなみ (文化出版局): 2002|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

写真 楓大介 

装丁・レイアウト 伊丹友広(イット イズ デザイン)

あとがきあり

文化出版局の雑誌「ミセス」の姉妹誌みたいな「ミマン」という雑誌に、隔月刊から月刊への過渡期にかけて、四ヶ月にいっぺん載った、毎回女性先達者にもっちゃんのしとが会いに行く連載。

会いに行く人の中に、中国関係者はいません。伊賀のサ店経営の歌人も今回は入ってません。

CiNii 雑誌 - ミマン

ミマン【文化出版局】

道浦母都子 - Wikipedia

<会いに行った人>

鶴見和子 - Wikipedia

社会学

岡部伊都子 - Wikipedia

随筆家

志村ふくみ - Wikipedia

染織家

秋野不矩 - Wikipedia

日本画

冷泉布美子とは - コトバンク

冷泉家十四代夫人

桂信子 - Wikipedia

俳人

原田康子 - Wikipedia

作家

大庭みな子 - Wikipedia

作家

篠田桃紅 - Wikipedia

美術家

石牟礼道子 - Wikipedia

作家

正直、こういう本を読むと、芋づる式に、出てくる本が読みたくなるので、やんだなあとちょっとだけ思い、はたして、下記四冊をこれから読む予定になりました。

クレーヴの奥方ラファイエット夫人 ←桂信子さんが、うふふ、と紹介。

『挽歌』 ←原田康子さんのデビュー作アンド出世作アンド代表作

『浦島草』 ←大庭みな子さんがインタビューにあたって、事前に読めと指定した著書

苦海浄土』 ←いわずと知れた石牟礼道子サンの代表作

当時すでに七十代八十代の方を取材するので、リハビリ中の方も多いです。鶴見和子さんは脳内出血で倒れた折、なんきんだいぎゃくさつや広島原爆投下、水俣病患者の夢を見たそうで、なんでそんな三題噺みたいな感じになるのやと思いました。南京の大屠殺紀念館で見た白骨オブジェがそのまま出たそうで、ポルポトミュージアムの同類項は見てなかったのか、出てこなかったようです。センセーショナルな映像等でショックを受けさせて煽る戦術に引っかかって気が付かないナイーヴさ、と言ってしまうと忖度してない感じになるので、もう少し言い方を考えます。

頁10

  るいるいと人骨重なる南京の虐殺の跡目前にみゆ

ここが、本書通じて唯一の中国絡みの個所。大阪中華学校で日本語を教えた日々の回想や天安門事件の余波は、本書でも1㍉も語られません。やっぱり、前回読んだ本で、駐日大使館に知人がいると書いてあったのが、間接的に影響してるのでしょうか。

「萃点」ということばが出てきて、知らないので検索すると、鶴見和子サンが研究するクマグスサン関連のことばでした。

萃点とは - コトバンク

頁25

  萎えたるは萎えたるままに美しく歩み納めむこの花道を

これは鶴見さんの歌なのかもっちゃんのしとの歌なのか。ビッグコミックオリジナル今号の黄昏流星群に出てくる絶倫六十代(実は気のせい)とは関係ないですが、FIREということばを、ファイナンシャルインデペンデンス、リタイアアーリーと読まず、"Fresh Impotents Recognize Eroticism. " と読んでみた時のことを思い出しました。

岡部伊都子サンのところで、「ごりょんさん」という言い方が出て、「御寮はん」でなく「ごりょんさん」になんねはんねや、と思いました。頁38。にっちょび。

秋野不矩サンのところで、もっちゃんのしとの知人のインド狂いのしとが出て、さいとうなおこという名前のようなので、検索しましたが、歌人のしとということ以外分かりませんでした。

インドといってもオリッサのリンガラージャ寺院だったり、バングラ国境に近い、シャンチニケータンという街のビスババーラティ大学(日本画客員教授)だったりということで、マニアックと思いました。

リンガラージャ寺院とは - コトバンク

タゴール国際大学 - Wikipedia

Santiniketan - Wikipedia

で、大学公式をクリックすると、インドネーションについてのナニガシがトップにポップアップで出てきます。けっこう現地は大変なのかなあ。*1

Visva Bharati

https://visvabharati.ac.in/home-img01.jpg

www.google.com

天竜川の秋野不矩美術館は、藤森照信サンが設計したそうで、それも、諏訪のモレヤを見た画家のおばあはんがぜひにと依頼したんだそうです。あんな鹿の首とかおいとおるQアノンチックな場所見て、依頼しようと思うんだなあ、五十代になってから、子どもが高校生以上になって自立してるし(自身はシングル)でインドに行った人はやはりスケールが違うと思いました。美術館はいつか行ってこまします。

冷泉家は、朝日新聞社が、ウチも日本文化を守ってるんですよ知らんでしょうけど的に出版した一大文化事業、冷泉家時雨亭叢書を全巻買ったわけでもないので、何を言うこともないのですが、乞巧奠という七夕の伝統行事を知らなかったので検索したのと、短歌はこころを素直に歌うものという近代短歌観と意を異にする、定形美の追求のはてに、そこにあるはずのシンプルななにものかに相まみえんとする冷泉家歌会のくだりがおもしろいと思いました。

乞巧奠とは - コトバンク

紅旗征戎吾が事に非ず、と、1180年に19歳(数えだと思います)の藤原定家が「明月記」で記していたことを頁101で道浦サンは書いてますが、これは、中国共産党少数民族弾圧を定家が幻視して言ったせりふではないです。学刈也。挙兵した源頼朝一派に対し、平家が鎌倉討伐をするだろうけど、小生は知らんけんしゅたいん、と定家が書いただけとか。そのうち今年の大河ドラマでも三谷幸喜がだれかにさべらせるせりふと思います。その時南モンゴルの状況や如何。刮目して待て。

あとはもう小説を読むしかないので、以上。

*1:WE THE PEOPLE OF INDIA, having solemnly resolved to constitute India into a SOVEREIGN SOCIALIST SECULAR DEMOCRATIC REPUBLIC and to secure to all its citizens: JUSTICE, social, economic and political; LIBERTY of thought, expression, belief, faith and worship; EQUALITY of status and of opportunity; and to promote among them all FRATERNITY assuring the dignity of the individual and the unity and integrity of the nation; IN OUR CONSTITUENT ASSEMBLY this 26th day of November, 1949, do HEREBY ADOPT, ENACT AND GIVE TO OURSELVES THIS CONSTITUTION