『夜がらすの記』"The Note of The Night Heron" by AKIHIKO KAWASAKI 読了

津野海太郎『歩くひとりもの』に出てくる短編小説集。装幀 粟津謙太郎

夜がらすの記 (編集工房ノア): 1984|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

下は、表紙と中表紙。

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川崎彰彦 - Wikipedia

1978年から1983年まで六年間、「新日本文学」に断続的に掲載された作品をまとめたもの。あとがきで、編集の石田郁夫さん、小沢信男さん、人文書院の樋口至宏さん、出版した編集工房ノアの涸沢純平さん(社主)への謝辞あり。

新日本文学 - Wikipedia

編集工房ノア - Wikipedia

津野海太郎さんの本では、夕暮れ時になると、そぞろ飲み屋に足が向く描写がとてもいいとのことでしたが、それ以前に、いろいろ大変でした。

(1)

作者の分身のような独身中年男性の日々を描いた連作なのですが、これがまた、独身アパートどくだみ荘というか、迷走王ボーダーというか、先日逝去した西村賢太の北町寛太ものからDVとストーカー要素を抜いたというか。北町寛太にストーカー気質はないかったかもしれませんが、なんとなく。

(2)

主人公の名前は青西敬助。頁42「奥さんがいたが(略)逃げてしまった」で、書き置きが<あなたは結婚するタイプではありません>なので、バツイチかと思ったら、頁15「妻子と別居」で、設定が微妙に変わっていったことが分かります。作者のウィキペディアのリンクの四国新聞によると、葬儀の喪主は長男の方だったそうなので、奥さんだけでなくお子さんもいたことは間違いないと考えられます。

(3)

学生向けのアパート暮らしで、一年契約で週イチの講義の短大講師をやっていた時期だったので、警察庁の過激派狩りローラー作戦にもめげず、なんとか入室出来たんだとか。風呂なしトイレ共同。
(4)

しかし基本的に「働かない中毒」なので、ロクに働かず、前半は無職、中盤は自宅校正仕事(もっと割りのいいコピーライターやらないかと発注元から打診されるが、理由不明のプライドから即座に断る)後半はカルチャー教室や市民講座で小説読み教室の講師。

(5)

洗濯はろくにしない。汚れものは押し入れにしまいこむ。下着は裏返しに着直す。セーターを着ようと出したら穴だらけで、はたいたら瞬時に埃の山と化す。書架の百科事典はGの糞だらけ。その話を飲み屋でしたら、知人の女性客からバルサンを謹呈される。80年代前半にもうバルサンあったんですね。後半は「馬臭」のまま満員電車に乗って、密着したサラリーマンが必死に脱出を試みるまでになる。

(6)

ので、一ヶ月入浴しないなんてザラ。本書を見ると、80年代の大阪銭湯は、入浴料プラス、洗髪代を洗髪客から取っていたことが分かります。頁93、155円+洗髪料10円。私は90年代初頭大阪銭湯に行ったことがあるのですが、そういうものを取られた記憶がなく、かつまた、東京や神奈川(今でも)とちがって、サウナ料金を別払いしなくてよかったので、大阪銭湯すばらしいと思ったものです。

(7)

ほぼ毎日連続飲酒。家飲みをすると体調崩すから、外飲みだけに制限しようとしてるよう(頁52)ですが、朝起きて、昨夜飲み屋から帰る途中ワンカップを買ってこなかったので飲む酒がないという場面があったり、食事は一日じゃがいも一個もしくはパンの耳一枚で、それも食べたくないのに体調管理で無理に食べてたり(酒は受け付けなくなるところまではいっておらず、食べないが飲む状態をまだキープ)体重が47キロから43キロまで落ちて(頁230)歩行困難になってその後倒れて入院。

(8)

アル中になってから?の田村隆一エッセー同様、異様に引用で升目を埋めて、水増しして原稿料稼ぎをしがちです。新聞記事やら、辞書の項目やら、校正してる会社案内やら。

(9)

煙草はエコー。80年代なのにエコー。土田世紀のマンガで、美人局の女性が主人公のエコーを吸って「エコーってえがらっぽいから嫌いっちゃ」と言ってたのを思い出します。

そんな主人公が、ほぼ一年ツケで飲ませてくれるお人好しな店で飲む酒やら、知人の仕事場で昼からおごってもらう酒やら、家賃二ヶ月滞納して通帳残高ゼロ円で飲む酒やらを書いてるので、いやー確かに夕方の気分の描写はスバラシイけど、それって部分じゃん、全体としてどうなのよと思いました。

左は本書の巻末の出版広告。読んだのはおそろしいことに、1984年5月10日の初刷でなく、1984年6月25日(ユギオ)の第二刷。当時からすでに「重版出来!!!」戦術が一部では始まっていたのかと。

最初の話『清遊記』は、橘さんという、下駄で河原を歩けるような主人公より年上の知人を誘って、木津川のほとりで初冬の雨のなか屋外飲酒する話。橘さんは予科練かなんか出た人で(主人公はボクラ少国民世代)絡み酒で説教癖があって、手が出るタイプの酒乱です。で、この話のあとは、橘さん登場しません。まさかの捨てキャラだった。

次の『小人閑居図』は、奥さんが稼いでいるので働かない友人と飲む話。ここで、かなり主人公の衣食住のディティールが語られます。

『「芙蓉荘」の自宅校正者』

頁77

 虫塚君は心から愉快そうにグラスの氷をカラカラと鳴らした。「ああ、ウイスキー飲んだら暑さを感じんようになった。暑気払いとはよく言ったものですね」

作者が生粋の関西人でなく、北関東や東京で暮らした経験もあるからか、大阪を舞台にした小説としてはめずらしく?標準語と関西弁が混然一体となっています。京都が舞台だとそういうのは珍しくないけれど、大阪だとなんか深圳、否新鮮。大阪の鬼門に当たる方角の新興ニュータウンで学生が多いとのことで、どこなんでしょう。辻元清美が当選したり落選したりしたあたりな気はするのですが、どうか。

頁92、紅野律子という若いバイク乗りの女性が出て、関川夏央のエッセーと既視感がありました。うん。

頁93、主人公は散髪にも行かず、カミソリを仕込んだ櫛で長髪の先端を梳るそうで、「梳る」が読めず(「梳く」なら「すく」と読めるのですが)検索して、「くしけずる」と読むと知りました。銭湯は、開いた直後の第一陣の老人客が引いたころ、四十五分くらいすぎたあたりに行くのがいい、という箇所はうなづけるのですが、まあそうそういつもうまくいくものでもないです。ただ、ここの、明るい時間の、透明なお湯に日の光があたって、天井に乱反射する中、足を伸ばす描写などは、やはりうっとりします。だいたいこういうひとはその人たらしテクを自分に即作用する、メリットのある相手にしか使わず、文章で万人をたらそうなどとはしてこないので、作者はめずらしい人だと思います。

頁99、校正仕事で、「治具」「治工具」をぜんぶ「冶具」「冶工具」に青鉛筆で直したら、「治具」「治工具」が正しかったという箇所(英語の"JIG"が語源だとか)も、自分の恥を正直に書いているので、よかったです。

jigの意味・使い方・読み方 | Weblio英和辞書

そういえば以前の職場で、校正だか文選工だかの最後の生き残り世代の人がちょっとだけ働いていたことがありましたが、やっぱりおきれいな方ではなく、商品を並べた机の上で平気でシェーバー使ってヒゲ剃ったりしてました。

『春は名のみの…』

頁121に「転置(デペイズマン)」という単語が出て、意味が分かりませんでした。

デペイズマン - Wikipedia

主人公は郵便局員たちを見て、言い知れぬ親しみを覚え、「富貴栄達とは無縁に一生を終わる彼らに、同類をみているのだ」と感じますが、そりゃずいぶんデスネと思いました。

この話の前の話にも出たような気がしますが、≪ひょうろく≫≪すもも≫以外の行きつけの飲み屋として、≪ヂンダレ≫という店が出ます。頁137、140。「詩人のマスター、キムさん」の店で、メニューは八割朝鮮料理とのことで、まあそうなのですが、チンダルレはつつじだけど、ヂンダレって何だろうと思い、検索すると、同人誌は出たのですが、意味は分かりませんでした。このカッコを使う意味も不明。

www.kinokuniya.co.jp

カラムラサキツツジ - Wikipedia

頁149、椋の木の実は食べられる、ほんのりと甘くてうまいとあり、検索しましたが、ムクノキ自体知らなかったです。実の食用の記載はウィキペディアになし。

ムクノキ - Wikipedia

『愛鳥週間』

頁165、「例のギニョル風がますますひどくなって、おいたわしいかぎりでしたよ」の「ギニョル風」が分からず、検索しましたが、分からないままです。

www.tsogen.co.jp

頁173、「南蛮鴃舌」の意味も分からず、しかしこっちは検索で意味が出ました。

kotobank.jp

『青西センセ片片録』

この話は第七話まである連作で、第七話『扇子の男』が、まるでオーパーツのように、インターネットなどない時代の中高年ウヨサヨ激突を描いていて、目からウロコです。大阪市教委の依頼で主人公は〈成人大学講座〉「現代文学の課題」を週イチ二ヶ月全八回16回講義することになり、戦後問題小説を集めたアンソロジーをテキストとし、第一回に中野重治『五匁の酒』をもってくるのですが、定員四十名スシ詰めの会場で、主人公青西敬助が感じた中野重治の本作テーマ「天皇天皇制から解放せよ」に、聴講生からくちぐちに「こんなものが小説ですか」「センセは、何が言いたいのです。この作品を紹介しただけですか」「これはこれだけのものですな」と口撃され、最後のには「どういう意味ですか」と問い返すのですが、

頁215

 扇子の男は、ちょびひげをふるわせた。「わが国には古来の長い歴史と伝統がある。戦後というのは、ほんの短い一時的な混乱期で、どこの馬の骨とも知れん者が雑音を撒き散らした時期だ。…これはそのころの作品の一つということですな。過去の一時期の作品ということですな」

青西センセはやっきになってそれを否定するのですが、暖簾に腕押し、第二回の講義は出席者十五名と大幅減少で、扇子の男も現れず、お題は佐多稲子『夜の記憶』だったそうです。

『五勺の酒・萩のもんかきや』 (講談社文芸文庫)読了 - Stantsiya_Iriya

『夜がらすの記』

夜がらすというのは五位鷺のことで、夜、ゴイサギが、くわっ、くわっ、と、鳴きながら飛んでいく音を聞くのがむしょうに好きなのだそうです。もののあはれを感じる、もしくはエンパシーを感じるのだとか(どっちもそんなことは書いてなくて、今私が作りました)気持ちは分かります。この後すぐおなくなりになってたらこわかったですが、2010年逝去との由。つかまらないでそこまで生きた。以上