昨日は連休の谷間でした

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人形シリーズ 港の見える丘公園

昨日も今日もラジオ体操しました。昨日は読書感想書いたらもう23時でしたので、もういいやと思って寝ました。今朝はストレッチもして、はなずおう(花蘇芳)が枯れたので切りました。その後朝食。

店内でお茶も飲めるケーキ屋で、ケーキふたつとヒーコ飲みました。

ヒーコ。お茶うけにナッツの小さな菓子が添えられていました。

マーガレットというケーキと、レアチーズケーキ。この店は、不二家などと同じ、固いクリームのクラシックなケーキの店という感じでした。

レアチーズケーキ拡大。

マーガレット拡大。

湘南に旧ソ連圏の選手がいないと先日日記に書いてから、そういえばタリクはどこだろうと思って検索して、ノルウェーであることを確認しました。先祖がどこか知りませんが(イブラだってジョルカエフだってトラソプの御寮はんだって)まあノルゲ。

五月三日は一円拾ってお地蔵様にお賽銭し、五月五日は十円と百円拾って同様にお地蔵様にお賽銭しました。その伝で云うと、今日私は千円と一万円と十万円相当の何かを拾わなければいけないのですが、それを達成出来る可能性はほぼゼロです。

https://m.media-amazon.com/images/I/61kFc6Y-sIL._AC_SX569_.jpg

https://www.amazon.co.jp/-/en/PartyYeah-Thousand-Limited-Collector-Republican/dp/B07JQZN4WV

「なんで借金してんだっ!!!」とひとりごとを言いながら自転車をこいでる人とすれちがいました。私もときどき自転車に乗りながら考えごとをして独り言を言い、でっくわした人から「しゃべんじゃねー、びっくりするやろうが」と言われたりもするので、気をつけようと思います。

ブリンケン。

ラマダンが5/8までなので、5/6の昨日、いよいよギリギリの人々を見れるのか見れないのかという感じで、ベンガル人がやっている、「(マヒチェなどの)ペルシャ料理も出すインド料理店」に行こうとしましたが、私の記憶違いで、ラマダンは5/3までで、みな終了の歓喜にもだえつつたらふく食べまくった後と分かりましたので、よしにしました。

ほとけさまの湯呑を漂泊、否漂白しました。

野菜が高いとすぐ記事になりますが、安いとあんまり記事にならないというか、なっても反響が大きくないのかなと思います。「豊作貧乏の農家には気の毒だが、天の恵み、おいしくいただくこととしたい」などというコラムはあまりない。賛同する人はいれど、サイレントナントカで、声高に言い立てる人の動向=読者評価になってしまってるのでは内科医外科医。どうしても汲み取れない、声。

www.asahi.com

たどうせ…は教室内で目立つがヤングケアラーは目立たない、みたいな話にするとそれはそれで方向性が違う話で、私のとこでは早生の玉ねぎは大きくならないまま結球するものが多く、そういうのは売り物にならないので処分せざるをえず、もったいないから食べてるので、毎日ちっこい玉ねぎ尽くしです。こんなのポトフ用で一山幾らの袋売りもされてない気瓦斯。

だから、売り物にならない野菜でも契約農家から箱買い定期的に送ってもらうとかの人なら、それなりに玉ねぎもいろいろ食べてるのかなあという。あるいはフェアトレードみたいな店。と、ここまで書いて、なぜ玉ねぎが高いのか人に聞くと、「中国産が入ってこないんじゃない、知らんけど」という、天声人語の分析と異なる意見があり、清零政策の余波、ギャフンと思いました。

ビッグコミックオリジナルを買いましたが、まだ読んでる途中です。とりあえず新連載は、『神様のカルテ』やら『七帝柔道記』やらと同様、原作の単行本が既に出ている(それも昭和)の話かと思ったら、原作者の宮部喜光という人がまったく検索で出ず、こないだの『徘徊先生』の伴茶彰さん同様、あまり知られてないか変名の原作者なんだなと思いました。行政の支援を受けつつ孤独死という導入なので、その辺の事情もあるのかなと思います。タイトルだけでいうと、上野英信という人に関するお子さんの本が同じタイトルでした。

上野英信 - Wikipedia

父を焼く : 上野英信と筑豊 (岩波書店): 2010|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

黄昏流星群が、素晴らしい品質の山田錦が出来そうなのはいいのですが、今号は博多弁指導が手薄だったのか、関西弁みたくなってる時があるなと思いました。話を戻すと、『父を焼く』の主人公夫婦の服装が、1999年で33歳の設定と激しく合わないと思いました。ブレザーの下にセーターとシャツ(シャツのえりはセーターの下に入れてますが)で、革靴。1999年で33歳というと、1988年、バブル絶頂期に22歳、1984年、グリコ森永事件やロス五輪の年に18歳。西村賢太苦役列車』の少し前でしょうか。外国人労働者なんかぜんぜんいない時代。その頃は大企業に就職してすぐやめたりの、地に足の着いた生活をしていないフリーターも多かったので、就職氷河期と派遣法改正の後で契約社員となって、そして結婚育児というライフヒストリーは分かるのですが、外見や服装はどうにも年をとりすぎていて、う~ん。現在の姿もこれで55歳とか、70代でもちょい悪おやじのLEON読者が悶絶死しそうな勢いでした。パートナーも同様ですが、パートナーの人的な同世代のアイコンが分からないので、それ以上言及しません。父親享年74歳(40歳の時のお子さんが主人公)は、ある程度納得しています。

shogakukan-comic.jp

今号のウェブ版は、卯月妙子の新作が載ってるそうで、『人生仮免中』は吾妻ひでお疾走失踪日記』と出版社的に同類項の扱いと思われる同じ装幀同じ棚のマンガなのですが、そのかいわいで手に取る人がすごく少なくて、意外に思ったことがあります。公共施設併設の福祉カフェでお茶しようとすると、かたくなに拒否する人がいますが、それと似た感じでした。

ほかのマンガの感想はあとで書きます。

今日も、明日も、穏やかに、静かに、落ち着いて、平和に。そして、出来ることなら、自分も周りもみな、しあわせにすごせますように。

【後報】

そのほかのビッグコミックオリジナル感想。

黒鉄ヒロシの感想が聞きたい、と、どこかで思ったのですが、どれを読んだ時思ったのか、もう思い出せません。

昭和天皇物語。牧野伸顕サンは確かこの後2.26にも巻き込まれるハズで、その時、太郎ママがかつやくして難を逃れることが出来たと、太郎ママのウィキペディアにありました。その時ケニチ先生が何をしていたか、が、後年ケニチ先生が政治家を志さず、文士になった理由かもしれません。PTSD

セシルの女王とミワさんなりすます。どちらも、何か論理が弱いというか、前提条件が抜けてるのにそのまま話を進めていて、私は置いてけぼりになりました。前者は、7人のシェイクスピアにも感じたことですが、旧教マンセーになってるように思える時があり、集金マシーンとしての教会の腐敗が新教を生んだのに、集金がすべて良いことに使われるかのようなラルフの言い分は、どうかと思いました。かといって、英国の新教がなんちゃって新教であることに変わりはなく、コラム連載陣のうち、中条省平は知りませんが、橋爪大三郎は新教の徒ですので、ちょっとこの件について書かせろや、と言って「アングリカンチャーチと我が国のルター派教会の違いについて」なんてコラムを書いたらおもしろいと思いました。私はたぶんたいがいな汎神論者。

後者は、かつてのレンタルビデオ店バイトの飲み会メンバーが、皆社会に貢献していると豪語出来る程金を稼いでるって部分。読み飛ばしたのかもしれませんが、そういう描写は前になくて、ここで唐突に言ってる気がしました。もうひとりのミワなり職場の上司なりが公園にたまたま通りかかって窮地を救われる展開に10ペリカ

どすこい初恋。本妻へののろけを聞かされてまだ愛人やってる人は、それがツボなのかもしれません。そういう闇を抱えて生きている。

弁当親。小林カツ代礼賛が始まったらそれに対応しようと思います。私は反カツ代派。

meiyoumanhuameiyourensheng。まさにこの人の年齢が山本おさむ新連載主人公と同じではないでしょうか。このくらいのカッコ、服装がふつうだと思います。私はルッコラアレルギー(ルッコラを毎食バカ喰いし出して初めて分かった)

前科者。前号の本はそのうち読もうかと思ってますが、今号の『テヘランでロリータを読む』は、私は読んでませんが有名な本なので、読まないと思います。湘南の銭湯は数が限られているので、どこだろうと思ってしまいました。茅ヶ崎の南湖は近くの魚市場がなくなるとともにやめてしまったし(浜降り祭の汗はパース―銭湯で流す)藤沢は都内なみに洗い場の多い銭湯だから違うだろうし、ロッカーがなくて籠に衣服やバッグを入れるしかない辻堂だろうか、でも江の島の洞窟を模したオブジェがないからちがうだろう、六会だろうか、などなど想像しました。鎌倉から大船にかけては何軒もあるので、案外そっちかもしれないです。というかそっちだろう。

今号のコラムには野田知佑追悼あり。A追悼は巻末。

(同日)

【後報】

天声人語、よく読むと(よく読まなくても)中国産の影響もちゃんと書いてるとか。よく読んでませんでした。でももう新聞回収で出したので読めませなんだ。

(2022/5/10)