下記は2019年4月16日の記事。
下記は2020年3月9日。
「合う合わないはありますが、私にはこの町が合わなかった。名古屋ではブラジル人らしく、個々の生き方を重視するライフスタイルでしたが、この町では同じブラジル人の中でもいくつかコミュニティーがあり息苦しさを感じました。日本に長く住んでいる人が多いため、考え方まで日本人のように染まっていました。(略)ブラジル人=怠け者という目で見られることも耐えがたかった。ブラジル人の中には、アジア人に仕事を盗られているという認識を持つ人もあり、そういう感覚も理解できなかった。そんな経緯もあり、春からは名古屋に戻る予定です」
翌日掲載の続編。
ずっと行ってはみたかったのですが、なかなかで。東急田園都市線をどこまでも行くとさいたまんぞう最果ての地、久喜(と南栗橋)で、そこからさらに翔んで埼玉で人外魔境のように描かれた鶴舞う形のグソマの鶴の足、館林とかなんちゃらあるそのどこかにあるのが西小泉と、漠然と認識はしてましたが、そんなこんだから余計に、行くのが億劫そうだなあと長年ペンディング。
西小泉からそっちにあるってく途中で、骨組みだけの看板と鉄条網を撮った写真。2021/12/11。
そこに、ブラジルプラザが写ってます。
別角度から。これは文化の日撮影。
BRAZILIAN 2F O BRASIL SEMPRE PERTO DE VOCÊ! KDD Restart Commnunity WORLD PLAZA 2020 12530 30 anos de Comunidade Brazilera no Japão 125 anos de Amizade Brasil-Japão 在日ブラジル人30周年 日伯修好125周年
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ブラジル文化福祉センター SEJA BEM VINDO!いらっしゃいませ
やっとたどり着いたと思ったら、この日、文化の日は祝日で、祝日は資料館も観光協会もお休みでした。
OBRIGADO VOLTE SEMPRE! ありがとうございます
で、すこすご帰りました。それが2021/11/23の文化の日。
再訪まで、少しまたネットで記事を読んだりしました。
[B!] 《ブラジル記者コラム》祖国で高評価の日系人=なぜ日本では違うのか?(ニッケイ新聞) - Yahoo!ニュース
読者の皆様からは「あんたのとこの新聞は1カ月遅れで、しかもドサッとまとめてつく。届いたときから古新聞だ」などとのおしかりの言葉、と同時に(略)
その中で2018年末には、誰もが最後まで残るだろうと思っていた、仰ぎ見るような存在であったサンパウロ新聞が先に廃刊しました。
(略)コロナ禍によって購読者は大きく減り、さらに広告も激減しました。それ以前から厳しい状態だった経営は、パンデミックによって完全にトドメをさされました。(略)
次に行ったのが土曜日で、オープンと書いてはありますが、閉まってました。「ごめんなさい席外してます」みたいな貼り紙がありましたが、開館日を見ると、土・祝休館でした。千円床屋のIWASAKIチェーンのような休日の設定です。←昨年十二月記述。
せめてレンタサイクルでもと思いましたが、レンタサイクルは平日のみとあり、なんだよそれ意味ね―じゃんと思いました。大泉洋、伊奈、大泉町観光協会は、まだコロナカおうち時代から意識の変化がないのだろうか。観光関連の業務に関していえば、おうちリモートしかないのなら、とてもラクそう。しかし町内でレンタサイクルを二台見かけたので、人に聞くと、観光協会となかのいい人が借りてるんじゃいかとのことでした。中国の公共機関みたいな話。でも中国料理店ではない料理店で見かけたです。為念。←昨年十二月記述。
図書室の貼り紙。この時点ではブラジル人学生向けの自習室かと勝手に思ってましたが、あとで知った話で、日系南米人出稼ぎ来日などの資料室の意味合いが強く、さらに言うと、閲覧は忘れましたが、貸出非対応ということだったかと。
図書室は観光協会兼資料館の入口から入るようです。
こういう貼り紙があるので、自習室かなと誤解してしまった。愛川町にも、いちょう団地と連動するかたちで、外国関連の児童の学習支援NPOがあるので、そういう人らが使ってるのかなと思ってまいました。


資料室のポスター。


レンタサイクルの貼紙。


ステージの貼紙。
みんなヴァリグで日本に来たという。今は、エミレーツでドバイ経由で帰るそうです。ちがったかな。前より短くなったというし。
めのうかなんかで作ったボンサイ。


ぐんまちゃんはいいんですけど、チマチョゴリがあるので、大泉韓国人多いんですかと後で外で聞くと、いないよ、とのこと。でも駅前に焼き肉屋がありますし、オールドカマーはいるのかなと。なんとなくやっぱり、多文化共生を言い出すと、かならずそれがついてくるという話。←昨年十二月記述。


Monica and Friends (TV series) - Wikipedia
上までが昨年12月の記事で、半年後再訪しました。上のマンガの作家さんは、在日ブラジル人で知らぬものがないほど有名な方だそうで、日系ではないですが、何度もシンポその他で訪日してるそうです。
今回訪問したのは、書籍の購入と(通販でも買えるんですが)森田信吾のマンガが資料室にないふうだったので、一冊ブッコフで買ったのを押し付けで持ってったのと、後、上記の記事に関連して、①綾瀬のブラジル人コミュニティでも最盛期で六百人ほどしかブラジル人はいなかったはずなのに、二軒もスーパーがあったり、SNSで外部の人間がやいやいカキコしたりしてるので、西小泉ではどういうふうに派閥やグループが出来てるのか(上の記事で、浜松だか名古屋に逃げたブラジル人男性は、そこまで詳細語るのを避けてる)知りたかったのと、②神奈川県の場合、米軍基地の存在があるので、ギロッポンやサンバのイメージ一色にならないのですが、ブラジル人と言えばカーニバカ、サンバ、サンバ、サンバのイメージになってしまうことをどう思うか、西小泉ではそれを強調したいのかそれ以外の要素をむしろ見せたいのかどっちなんだろう、最初に西小泉に来た時、女子はヘソをださずんばブラジル人に非ずみたいなファッションアイコンに当惑したのですが、その感覚ってほかの非ブラジル大泉人にも共有されるものなんだろうか、等々と、③パナソニック中央に食べホーダイの新中華が一軒あるくらいしかチャイナカラーは見てないし、焼き肉店も一、二軒くらいしか見てないけど、中島飛行機があったわけだし、高座海軍廠で台湾少年工ガーみたいなオールドカマー譚も西小泉にあったんでしょうか、みたいな話も知りたかった、等々思ってましたが、のぼせたりあがってしまったりで、けっきょく何も切り出せずまた帰りました。
資料館にあったチマチョゴリは、個人の韓国の方の寄付だそうで、特にそういうエスニックグループのテリトリーや物語があるわけでもない感じでした。今回見ると、展示はなくなってました。
サイン色紙の中に「ごめんねごめんね~」と言うのがあったので、何を謝罪してるのかと思ったら、U字工事の色紙でした。
私が再訪できたのはじゃらんポイントのおかげで、日時を決めてからブラジル戦が日程被せてきたので、おそろしいと思いましたが、西小泉のブラジル人も、だいたいは家でテレビ観戦して、スポーツバーみたいなとこにはそんな行かないんじゃん、との話を聞きましたので、これ幸いと、シェハスコの店とか夜覗くのはよしにしました。
ヴァリグ、前はむき出しだった気がするのですが、今回はガラスケース内に鎮座してました。コロナ関係の貼り紙は減った気がします。水晶細工コーナーに、ネパールのククリの形の酒壜がまじってました。
移民焼畑国家の黎明期、Win-Winの関係で労働改善したりしたブラジル人の苦労話や、ブラジル人はブラジル人向けの商売をやりたがる傾向にあるので、おのずと商圏というかパイが限られてくるので、それ以上ビジネスが拡大されないといった事例や統計分析がいろいろ見れるところです。コロナカも終わったので、飲食店の案内チラシも増え、フードフェスタ再開も秒読みな感じでした。
そうだなあ、中国人自体は、パナソニックの周りを一周してみた時、すれちがったウォーキングの人が北京語話者だったりもしたので、いるんだろうと思ってます。あと、西小泉でウォッシュレットのトイレを探すなら、パナソニック南側のベルク。
昨年見た時に比べ、左側の白いところに、字や絵が描かれていました。
以上