『ノー・ノー・ボーイ』"No-No Boy" by John Okada 晶文社版 読了

ブックデザイン 平野甲賀

俺は日本人でもなければ、アメリカ人でもない! 対日戦争下に青春を迎えたイチローは、二世仲間でただひとり、徴兵を拒否して、刑務所入りを選んだ。戦争が終り、彼は二年ぶりに故郷のシアトルに帰ってきた。アル中の父、日本の敗戦を信じない母、兵隊志願の弟、傷つきしんだ仲間たち……。俺は誰なんだ! どう生きればいいんだ! 失われた未来に向けて、イチローの放浪がはじまる。

まあ上の煽りは一部ウソで、徴兵拒否の青年は一握りはいたみたいです。頁17には、裁判で、あれやこれや言いわけや詭弁を弄して裁判官を愚弄するアングリージャパニーズヤングアメリカンたちの各論法が併記されています。入隊の強制は出来ないだろ、ドイツ人やイタリア人は強制収容しなかったくせに、ドイツ系やイタリア系も徴兵しろよ、これはパールハーバーの意趣返しなんだろ、兄が皇軍兵なので、自分が入隊して兄弟同士撃ち合うわけにはいかない、軍服のウールアレルギーだから入隊したくても出来ないんです、行きたいです、日系人強制収容の命令を下した陸軍将軍がそれによって儲けた利益のひとくちをくれれば戦争に行かないでもない、死にたくないので、軍人になって戦地に行く以外はなんでもします、兵役だけは免除させてください、等々。このへんののらりくらりは、学生運動で捕まった活動家経験のある70年代の学生さんたちにはウケたんじゃいかと思います。

序文をローソン・フサオ・イナダという人が書いて、巻末に「ジョン・オカダをさがしに あとがきとして」をフランク・チンという人が書いて、そのあと訳者メモがあります。戦後のこの時期は日系中国系がごく親しくまじわっていたらしく、仏教徒教会経営書店救済のためのチャリティー朗読会を催したりしています。序文で、ハリー・キタノというトロンボーン奏者が登場し、この人は中国系に化けて収容所を抜け出して戦中も音楽活動を続けていたという、信じられない経歴(日系が戦後でなく戦中に中国系を騙る)が披露されています。

ヨシコ・ウチダさんの本を読んでいたら、戦争も半ばの頃に、強制収容所内の日系青年に対し、アンケートがあって、天皇への忠誠を拒否するか、募兵に応じるか、の二項目が問題で、そのどちらにもノーと回答した青年たちがいたことが記されており、検索すると、そのものズバリの小説が出たので借りました。

本書に関しては、ディスカバー・ニッケイというサイトに、川井龍介という方が24回にも渡る連載で詳しく紹介しており、晶文社版に関しては、当時晶文社に努めていた津野海太郎さんの尽力があったことなども記してあります。川井龍介という人はこの小説が好きすぎて、晶文社版が版権切れになっていたので、自分で訳して刊行してるくらいです。ムッシュかまやつかなんかの同名の歌もあるようですが、それも川井さんという方が書いてるかなあって感じで、調べてません。

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けっきょく旬報社版も借りまして、最初からこっちを借りればよかったと後悔してます。

中山容 - Wikipedia

本書の訳者の人は上の人で、ボブディランがどうのこうのとウィキペディアに書いてあります。本書はけっこう気安い文体なので、そういうのもそのまま再版としてはどうかというのがあったのかなあと思います。原文が、相当気分だけの会話文だったりなのかもしれませんが… 本当に気安い文体で、学生の下訳を整合性無視でつなぎ合わせてるような箇所も見受けられました。その手のアカデミックゴロだったのかも。

英語版の現在の表紙についても川井龍介さんの連載に書いてあったはずです。

ノー・ノー・ボーイ (小説) - Wikipedia

en.wikipedia.org

もともとの表紙は、米国らしく個人として苦悩しているのですが、晶文社版の表紙に邦人イラストレーターが書いた女性が、最初アメリカ人女性かと思ってましたが、手に取ってみると、おそらく雑貨店を営んでいるという主人公日系家庭の母親一世で、家族の呪縛がひとつのテーマだと、私は考えました。誰が誰の意思をおもんばかって、自分の人生なのにノーノーを主張したのか。

その意味で、晶文社版が刊行された1979年当時は、教育ママとかママゴンとかの単語があった頃でしょうから、あらぬ方向で日本の学生たちから共感を得た可能性もあると思いました。以下後報

【後報】

この本は、掟破りのガムテープ補修がしてあって、中表紙にたくさん頁数の書き込みがあります。利用者さんが勝手にやったことだと思います。司書の人も、注意はしたはず。

フレディー ろうごく入ってたとなりの女 ↕  エト つばかける人

たぶんこう書いてある書き込み。本書は人物相関図や登場人物紹介が冒頭にない(ハヤカワや創元推理によくあるやつ)ので、あれ? これは誰だっけかな?と分からなくなります。それでメモったのか。メモするなら自分のノートにしよし。

この母親の日本勝利を信じる気持ちはすごくて、この頃からディープステートやキューアノンがいたんだと思わざるを得ません。ウソです。この時代にも現代にもいません。たぶん。

頁35

 その手紙はブラジルのサン・パウロで投函されたものだった。あて名は彼の知らない人だった。封筒の中には一枚のしわくちゃな和紙があり、ややっこしい日本文字がぎっしりならんでいた。

(略)「中心にして名誉ある日本国民である貴下へ。衷心よりの喜びをもって、以下の重大なメッセージを仲介するものです。連戦連勝にわく日本国政府は目下、苦境にある外地在留の忠誠をつらぬく皇国臣民を祖国に送還すべく船舶の準備を遂行中との報らせがとどきました。日本国政府は勝利にともなう諸々の責任遂行のため、やむなく船舶の派遣に遅滞を生じていることに遺憾の意を表しております。この名誉をうけるべく残留の少数者のひとりになることは、誠にありがたき大君の御配慮であります。連合軍勝利の虚言をもって人心をまどわすラジオおよび新聞報道の宣伝に心をうばわれることのないよう呉々も心がけるようにとのことであります。特に、その生を受けた母国に背信し、自らの反逆的行為をあえて冒している輩、裏切者の同国人の虚言にまどわされてはなりません。栄光の日は間近です。その償いは偉大にして人智をこえるものとなるでしょう。我々は為すべきを為してきました。日本国民として為すべきを為したのです。祖国日本の政府はそれを歓迎しております。胸をはり、いまこそさあ出帆の準備を。船の到来は間近です」

(略)まるで不気味な悪夢だ。(略)

「南米の知りあいの方さ。わたしたちだってひとりぼっちじゃあないんだよ」

(略)

「まちがってなんかいない。この手紙が証明してるじゃないか」

「証明してるさ、この世界に、おれたち以外にも気狂い人間がいるってわけだ。(略)

母親は息子を、ほかの勝ち組の婦人仲間のところに連れてゆきます。

頁45

「あの、写真ごらんになりましたか」と母がたずねた。

(略)

「ああ、そうね、日本の写真ね」彼女はちらっと鼻で笑った。

「あの子ってとっても真剣なんだから。日本でとったっていうのを全部みせてくれたわ。ヒロシマナガサキのもたくさんあったけど、わたしね、言ってやったの、これはまちがいよって、あんたが信じてるように、日本は戦争に負けてなんかいません、もし日本に行ったんなら、生きて帰れるはずはないんだからってね。(略)だからわたし、あの子にきいてやったの、前に日本に行ったことがあるかしらって、ほんとうに日本へ行ったんなら、証拠はあるかしらって。そうしたら、あの子ったら、写真をみろってくりかえすの、でわたし教えてあげたの、ほんとうはね、軍があの子をべつのところに連れていって、そこが日本だっておもわせたんだってね。デマ宣伝にひっかかるなんていけないわって言ってやったの。そうしたら、すっかり怒っちゃって、顔を真っ青にして、こう言うのよ(略)いまにもなぐりかかる剣幕だったわ、自分の叔父や従兄弟、兄弟姉妹にむかって弓矢をむけるだけではまだ足りないんだから。もうあの子には年寄りをうやまう気持ちもないんだから。もしわたしんとこに息子がいて、日本と戦うためにアメリカの軍隊に入ったりしたら、それこそ、はずかしくて生きていられないわ、わたしなんか」

「あの人たちは自分のしてることがわからないんですよ、でもあの人たちのせいじゃあない、親の責任ですわ。いつも言ってるんだけど、(略)さんて、ちょっと足りないのよ。博打とお酒が生き甲斐なんだから。あの人と知りあいだってだけで顔が赤くなるわ」(略)

(2022/6/16)

次に、母親はイチローをクマサカさんという家に連れて行くのですが、クマサカ夫人は、母親と同類項のはずなのですが、どうも転向したようで、態度がさびしげです。ここでの母親のせりふが、中山訳と川井訳で正反対です。頁51。

中山訳「日本のために生命を失ったのと同じくらい立派なんですから」

川井訳「この子が日本のために命を捧げてくれていたのだったら、これ以上ないほど誇らしかったんですけどね」

クマサカさんの息子さんは戦死していて、それでクマサカ家は喪中の静けさに満ちているのですが、母親は知ってか知らずか、こう言います。

頁51

「母親っていうのはけして楽なものじゃあありません。男とねて子どもをつくるなんて大したことじゃあない、その子を自慢できるような大人に育てるのは遊び半分じゃあできません。中にはうまくやってらっしゃる方もいますけど、もちろんうまくやりそこなう人も多いですわ。残念なことね。でも人生ってそういうものなんでしょうね」

なんだかなあ。クマサカ家にはジュンというロスの日系人青年もおじゃましていて、彼はクマサカ家の息子さんが死んだときそばに居合わせていたので、その情景を語ります。ここで、ジュンをクマサカ父がイチローらに照会するさい、「ポン友」という言い方で紹介するのですが、日本の学生ならいざ知らず、日系人が朋友のチャイ語訛りを使うものかよと思いました。中山容訳はこのようにくだけすぎている。川井訳は「戦友」です。

頁77、フレディという、今はすさんだヒモ生活を送ってるノーノー仲間がいて、カズという、兵役に行った仲間が、手のひらを返したようにつれなくなったという話をします。ここも中山訳と川井訳はちがう。中山訳「昔は一緒に輪ッパを転がした仲」川井訳「昔は一緒にビー玉で遊んだ仲」ここで、イチローにつばをひっかけたエトの話になり、エトもまた、兵役にはついたものの、半年で健康上の理由をでっちあげて傷病除隊したことが分かります。つまり、彼もまた、ノーノーにつばなど引っかける権利などない半端者ということ。

ケンジという傷痍軍人と、若くして戦争未亡人になった日系女性、エミが出て、それが本筋になります。頁176、中国人が経営するクラブに行くのですが、オーナーの名前がジム・エングで、「翁」だろうと思いました。ジュディ・オングの「翁」

頁176

「ねえ、あんたたちジャップとチャンコロ、あんたたちが好きだわ」と、メイキャップもおとさずにまっすぐレビュー小屋からでもぬけでてきたような格好のバサバサな赤毛女が黄色い声をあげた。

この赤毛女のツレは日系男性です。かと思うと、中国人少女が白人青年と踊りに来ていたり、別の日系人が黒人二人と店に入ろうとして、叩き出されます。黒人はオフリミット。「無知蒙昧な綿摘みども」呼ばわりされてます。

頁211

「おれのために一杯やってくれよな。おれの行く先がどこであれ、そこのために乾杯してくれよな、それから、この世の中からジャップもチンクもジューもポールもニガーもフレンチィもなくして、人だけにしてくれよな。

前ではチャンコロと訳していて、ここではチンク。原文はどちらもチンクみたいなので、統一してほしかったです。ポールはポーランド系。自嘲なのでしょうが、日系人が自分たち日系人をジャップと呼ぶ場面が目立ちます。かなしいことです。

頁230、「ワシャリ」という地名が出ます。どうも墓地の名前で、長いこと白人専用だったのが、日系人にも開放されたが、死んだ息子は生前、自分をほかのジャップといっしょにワシャリに入れたら化けて出てやると言っていたという場面。自分が死んだら骨はオレンジの木箱に詰めて、下水が吐き出される入江、コネチカット・ストリート・ドックに捨ててくれと、言っていたという場面。

www.google.com

Evergreen Washelli Memorial Park - Wikipedia

ja.wikipedia.org

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/44/Washington_edu_Duw._man_%26_woman_Old_Tom_%26_Madeline%2C_Portage_Bay%2C_Seattle%2C_c_1904%2C_NA591.jpg検索すると、ここに埋葬されている著名人の中には、上のように日系部隊の戦死者もいますし、左の写真の義和団事件の戦死者は、ネイティヴアメリカンです。白人しか埋葬されていなかった場所を、日系人が粘り強い交渉で勝ち取ったという本書の記述と矛盾してますが、これこそが多様性の演出、歴史の書き換えなのかどうかは、分かりません。シアトル別院という日系仏教寺院の会報pdfも検索で出て、ワシャリでのお盆の法要は、現在も続いていて、毎年七月に行っているそうです。

イチロー家は、母親がネトウヨなのに加えて、長男がイチローで次男がタローという、その時点で頭がクラクラするような一家です。父親は酒に逃避してますが、現実と向き合わざるを得なくなった母親がそのまま死んでしまう(!)と、息を吹き返して、帰国のために貯めていたお金をざんざか使って、傾いた雑貨店の立て直しを図ります。急にイキイキしだす。

主人公は、戦争という嵐のあとで、虚無にひたったり、親切な白人ホワイトカラーに出会ったり、エミと、満たされないカラダがどうのこうのだったりして、終わります。中山容のアホ訳は、フランク・チンの寄稿にも続いていて、イエローを「キ色」と訳しています。なんでカタカナにするかな。クレイジーという意味合いが原義にあったわけでもなかろうに。ジョン・オカダの戦争時期の経歴については、川井訳のほうが、研究が進んでいて、機密下にあって、彼が欧州戦線でなく、グァム周辺で日本軍占領下の情報収集、索敵に従事していたことが書いてあります。中山訳の時点では、そこまで分かってなかった。戦後も日本で通訳を五か月くらいしてたそうで、ニセイの酸いも甘いも体験済ということでしょうか。

本書の入った白水社のシリーズは、キングストンなども入っていて、キングストン柴田元幸&ハルキ・ムラカミの新潮社の村上柴田翻訳堂にも入っているわけなので、じゃあこれも入ったらいいのに、と最初は思いましたが、ボブディランを訳した(共訳)かどうか知らないが、これでは翻訳堂入りは無理ですぅ、とシバターが判断してもおかしくない、そんな邦訳でした。よくこれでロングセラーになった。そしてその後埋められて、川井龍介が発掘するまで、忘れ去られる。

川井訳を読めばよかったと後悔してますが、白水社版は母親が表紙のインパクトが強いので、それは生かしてほしかったと思いました。母親が店の外を見ると、ブラックシープならぬ、黒犬が通る。以上

(2022/7/20)