『みんな水の中』ー「発達障害」自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるかー"Everyone in Water : Which World Do the Literary Researcher Belonging the 《Developmental Disability》Self-help Group Inhabit?"(シリーズ ケアをひらく)"SERIES : PIONEERING CARES" 読了

これもビッグコミックオリジナルのまんが『前科者』に出て来た本。頁230によると、香川まさひとー横道誠間は私的な交流がまずあったとか。

みんな水の中 | 書籍詳細 | 書籍 | 医学書院

表紙 阿部海太 ブックデザイン 松田行正+杉本聖士 シリーズロゴ 小林孝子

表紙の画家さんは、高座渋谷の冒険関係の書店で見た、探検家角幡唯介さんの絵本の絵も描いていました。本書の表紙の絵は、学芸大の書店でやった展覧会のサイトにズバリ載ってたのですが、掲載期限切れで、ひっぱれません。世の中そんなんばっかしや(ちがう)装丁家の人はこないだ読んだ、これも前科者に出て来た、『装丁道場』という本に登場する人です。で、本書で著者がうっとりと語る大江健三郎の書名の中に、最近前科者に登場する、『新しい人よ目ざめよ』が出ます。『芽毟り仔撃ち』や『見る前に跳べ』はあんまワクワクしなかったのか、頁209のワクワク大江+ハルキ・ムラカミ書名紹介コーナーに出ません。『飼育』も出ない。

英題はグーグル翻訳に手を加えたもの。頁203で著者が翻訳療法を勧めていることとは完全沒有關係的了。

あとがきに、医学書院の白石正明さん、校正の大友哲郎さん、文献索引を作った石射弥生さん、印刷会社さん、「エスノグラフィーとフィクション研究会」「カレーライスをおいしく食べる会(当事者研究本の研究会)」への謝辞があります。これらの会とつながっているのかどうか、エンタメノンフ研究家の高野秀行のひとが本書の書評を医学書院のサイトに書いています。

抱腹絶倒! 辺境探検家が『みんな水の中』を当事者研究的に書評する。|かんかん! -看護師のためのwebマガジン by 医学書院-

シリーズケアをひらくは、北里の人だか東海大の人だかが勧めていた、『その後の不自由』と、なんかで知った『驚きの介護民俗学』は読んで、この日記で感想書いてます。前者は、よかった。これを前科者で出してもよかったのにと思うくらい。本書は『クレイジー・イン・ジャパン』『やってくる』ほかを取り上げてますが、読むかどうか分かりません。『コンビニ人間』は読むと思います。というか、読んで忘れてるかも。

医学書院も医学書の出版社なので掛け率が悪いはずですが、それとは関係なく、本書は青と黒二色刷りで約二百六十ページもあるわりに本体二千円プラス一割の消費税ですので、お安いような気もします。第一章が詩で、第二章が論文(定型発達者ぶりっこをして書いたそうです)第三章が小説。そのほからくがきまんがもあって、お得な感じです。著者はこの本で一躍出版業界から注目されてしまったのか、天下の文春からトルコの本を出すまでになってますが、いしだ壱成とも植毛とも関係なさそうです。

著者は大阪出身で京大出て京都府立大でテデスコ文学なんかを教えてたそうですが、いろいろあって休職し、そこで初めてADHDASDの診断を受けたそうです。それまで、京大の頃はアスペルガーということばが流行していたけれど、京大生はみんな変人だったので居心地がよく(頁140)社会に出てしばらくしてから金属疲労というかゴッツンした感じ。アメリカ精神医学会発行の精神疾患診断統計マニュアル第五版というのが本書第二章の骨子になっていて、「DSM-5」と略されてますが、それが随所に登場し、そこでの症例病状に対し自分はこうである、という比較が縷々続きます。このマニュアルはそうとう分厚いんだなと思いました。アルコール依存症者が、棚卸はいざ知れず、久里浜のスクリーニングテストをいちいち書いて、こうなってるけれど自分の場合はこうだった、をラレツして、一冊本書いて読者の反響を呼べるかというと、さてどうか。

で、自閉スペクトラム症ASD多動症・注意欠如をADHDと言い代えて、だいたい書いてますが、代えてない時もあります。また、「定型発達」という言い方をしていて、これは知りませんでした。「健常者」は書くときは、まあなんというか、逆説的です。分かるけど。で、「社会モデル」という考え方をしており、環境が適応して追いつけば、生きてゆくうえでその困難は消滅するという、信じる信じないは別として、可能性としてゼロでないのでサムな結論がまずあります。AIも支持するはず。

途中でオナクラクンに何読んでるのか聞かれたので、ちょうどいいので、統計的には男性が多いのだが著名人の先人は女性が多く、それは、ほんとは男女比はそんなないのだが、働く上でいきづまって露見する割合や、カッコつけず露出出来るのがどちらか、などにもよる(私が読んでそう思った)や、DSM-5によると単体の発症より、コンボでふたつがいっしょに発症してる人が七割、三個以上が四割というデータがあって、りんごに見えて葡萄もあって、さらにバナナも入っていて見かけでは何のくだものか分からないフルーツポンチ状態(頁48)とか説明すると、オナクラクンが、仕事という点で女性は風俗うんぬんと言い出したので、ウシジマくんでも読んでおととい来やがれと思ったですが、まあそれは言わず、石原慎太郎『完全なる遊戯』という小説の例を出し*1、好きな男ならセックルにクレージーだが、客となるともうぜんぜん暴力ふるうレベルで大抵抗、店にせっかんされてもなおらないので店側が返品してきて、しかたないのでコマしたチョイわる青年たちは自殺にみせかけて… で、露見しないのでほっとしますた、というあらすじを話すと、オナクラクンはとつぜん神妙に、「殺されちゃうんですか…」と言って、何か、太刀打ちできないものに滅ぼされる諦念あきらめ、透明な哀しみ、といった空気をただよわせていました。おどろいたです。ちょうど本書を読みつつ、不注意で?事故に遭いやすいなどの個所があったので、戦争は女の顔をしていないならぬ、戦争はASDの顔をしていない、は言えるのかなどと思っていたので、イキナリ目の前で滅せられるかなしみの表情を作られて、イヤー色即是空と思いました。本書は、引用が異様に多いと事前に聞いていて、碧巌録や正法眼蔵も出ますが、情報の洪水が暴力的に窒息させようと圧をかけてくる感じではなく、編集に、イヤーこの引用はさすがに長すぎといわれたという頁73も、田村隆一の晩年の文字数稼ぎの引用量に比べれば、なんてことないです。しかもちゃんと伝えたい意図があるし。

頁80、私が宇宙人と言われたのは、90年代に外人ハウスで働いてた頃ですが、最近ひさしぶりにまた宇宙人といわれ、懐かしかったです。そういえば、私は中国で、日本人らしくないし、中国人らしくもない。ナニ人らしくもないと言われてました。唯一無二。

頁91で痛みについて書かれた箇所を読んだ時は、私も幼少期は頭打っても(自分で転倒して打ったことはないが、喧嘩で投げられて床に打ち付けられたことは多い)足がぐきっとなっても(田んぼの刈った後を踏んづけて走ってるとときどき足首がぐきっとなる)平気だったなと懐かしく思い、まさか著者が箇所を分けて虐待の思い出を書いてくるとは夢にも思いませんでした。頁120で、アスペルガーの自殺リスクは定型発達の二倍と書いてる箇所でも、まだ自身の虐待経験はおくびにも出してない。

頁92 ハイリー・センシティヴ・パーソン、とても敏感な人、繊細な人の個所

(略)もっとも、HSPを自称する人はしばしば自分の問題には敏感で繊細なのに、他者に対してはそうではないことがあるから、彼らも多くの場合、真にHSPと言えるのかどうか分からない。

他人は自分でないから分からないのだろうと。そんな共感力、現生人類にはまだ無理じゃけえ。

頁119、著者は、他人を見ているうちにその人のパーソナリティを模倣してしまって、本人の自我がちっさくなって(でも消えはしない)る状態を「キマイラ現象」と呼んでるのですが、なぜ「キメラ」でなく「キマイラ」なのかと思いました。キマイラというと、夢枕獏朝日ソノラマ文庫『幻獣少年キマイラ』しか思い浮かばないので。1979年生まれの著者は、キマイラ読んでて、自分も少年カテに入れてるからキメラでなくキマイラなのでしょうか。本書にはガラかめも出ますし、性に関してと絡めてですが、萩尾望都に影響を与えた矢代まさこ(私は未読)が出たり、私がたぶんなくしてる『星の時計のLiddell』をガツンと出してます。頁169。結婚願望について書いている箇所で、これらの古き少女漫画の影響を言ってますが、『風と木の詩』の、名前忘れた先輩の、「俺はドタ足のロバでいい」という発言は、相手に失礼で、どうせそんなこと言いながら自分も面食いだろうので、ほとんど実現性がないと考えています。あれはなんだろう、竹宮惠子が自分を男性化して娶りたいケースを描いたのでしょうか。オタクの奥さんはきれいな女性が多いとよく言われますが、その水面下というか摺鉢山の広大な裾野は、膨大な数の孤独死死屍累々が隠されているのだろうと(隠してないか)

本書では顔写真を出さず、てのひらの「て」の手相を強調した写真でさらっと流してるのに、検索すると顔写真がいっぱい出てきて、本書に出て来る目つきの話や、鼻くそほじりの話は私も見聞ほかがあるので一般論としてうなづきながら読んだのが、急に著者の顔とリンクして認識されてきてしまい、これが文春ほかの定型発達者のイケズっちゅうやっちゃなと思いました。ご自愛ください。顔写真なあ。

あと、著者は、肛門性交は痛いからいやだと思ってる気がします。その点は定型発達。頁82の加工写真は、こういうのソフトの力でやってる人が知人にいたと思いました。それから、定型発達ぶりっ子という言葉は「ぶりっ子」が死語なのでどうかと思いますが(例えば現代だと、定キャと多キャ、スペキャとでもいうのかどうか)私が「~じゃいか」と書くのはセルジオ越後の真似(もうしてないと思いますが)パソコンをパソウコンと書くのは誰かほかのブロガーさんの真似、「~デスヨ」などと書くのは中国嫁日記のゲツ(月)の真似です。そういうのを演じてるうちに離れられなくなった。頁212と関連して、そうカムアウトしておきます。

処方を受けているのは「脳の多様性」と相容れないのではないかという問いに対しては、ありのままでは社会に受容されないので折衷案である、社会が変わればという社会モデル論者としての姿勢は崩してないと書いてます。頁188。

京都の自助グループということで、関西は発達障害自助グループ先進地帯だそうで、たぶんそうした活動は匿名、アノニマスではないんだろうと思いました。

頁138あたりから、虐待の記述。父親の不在(失踪?)母親が海老名に本拠地のあるキリスト教原理主義ガーのところにのめりこみ、大下勇治という人が書いた本(大下勇治という名前で検索するとその本しか出ず、関連書籍は本書)に書いてあるロジックを実践される。ベルトで叩くって、スパイク・リーのジャングル・フィーバーで、イタリア系の女性が黒人と寝たという理由で、兄や父から受ける折檻の場面でした。当時ギロッポンの白人ホステスたちが、ホントにイタリア系はそう、アメリカの男はホントにこういうことするの、と言ってたです。そして、消えたマンガ家のひとのデビュー作の輸血拒否は有名ですが、右のほほを打たれたら左のほほも、の精神を実践してるので、格技の授業、柔道や剣道はぜんぶ見学と聞いていたここの子らが、先に手を出されるのはしつけだからいいという理屈なんだろうか、先にも手を出したらダメというロジックはないんだろうかと思いました。沙村広明のマンガによく出て来るスト症、ストックホルム症候群お茶を濁すわけがなく、「解離」ということばで的確に状況を説明しています。虐待後ハグされながら、漠然と、消えてなくなりたい、絶対に許さないと、誓っている。頁142。よくその辺の駅で聖書の真実とかの小冊子もって立ってる人たちに、あんたらこんなことやってんのかいや、と聞いてみたい気がしますが、ひとりが面と向かって「あなた誰なんですかなんなんですか」と言ってる隙にほかのスタッフが録画開始、的な危機管理実戦訓練くらい受けてるかもしれないので、聞かないかもしれません。

最後の小説は、メッコールさんという、名前のワルフザケはやめてほし、と思いました。せめて法リンコさんにして。以上

【後報】

中動態という現代では失われた印欧語の動詞変化が、ものの例えとしてよく使われるのですが、能動態でも受動態でもない、第三の状態、というのが分かったような分からないような話で、感想を書くとき抜けましたが、検索すると、シリーズの別の本の著者の提唱であることが分かりました。

第1回 20分でわかる中動態――國分功一郎|かんかん! -看護師のためのwebマガジン by 医学書院-

ここの出だしの、「OSがちがう」という話は本書でも出てきて、定型発達はウィンドウズで、ほかにMACもあれば、くらいな話だったなと思い出しました。まちがっても、北朝鮮の独自OSは韓国の分析によるとリナックスベースだったとかそういう話ではなくて。

私は勝手に中動態を、「煮る⇄煮られる」「燃やす⇄燃やされる」という能動受動主語目的語とは別の、「煮える」「燃える」とかそういうのかと思ってましたが、それだと印欧語じゃないですね。とほほ。

中動態 - Wikipedia

(2022/6/17)