『サンバの町それから 外国人と共に生きる群馬・大泉』"Samba town then. : Gunma Oizumi living with foreigners. " "Cidade do samba então. : Gunma Oizumi morando com estrangeiros. " 読了

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大泉で買った本。英題葡題はいつものとおりグーグル翻訳。

サンバの町それから | 上毛新聞社のニュースサイト

サンバの町それから 書籍販売 - 大泉町観光協会

カバー 大井田 久

表紙写真 2017年大泉カルナバル(大泉文化むら)で踊るダンサー バックは1991年大泉まつりサンバパレードの様子(旧国道354号)

1990年の入管法改正から刊行時まで上毛新聞大泉支局に勤務した記者たちの記事がもとになった本で、勤務歴がもっともながい和田吉浩という方が編著を担当されたそうです。この人は学生時代、原稿料をもらえるレベルのバックパッカーだったそうで、大泉では不法就労パキスタン人、バングラディシュ人が正規雇用の日系南米人へと切り替わる1990年前後の激動期に出っくわし、2017年、定年までの最後の勤務地に大泉をふたたび希望し、教員資格を持っていることから、日本語授業にも携わっておられるとか。

前巻の『サンバの町から』は1996年の上毛新聞社会面四十回連載を1997年書籍化したもので、現在はすでに絶版、昨年観光協会に行ったときはまだあったかもしれませんが、記憶違いかも。現在は観光協会にも在庫なし。日本の古本屋にもブッコフにも出物はなく、アマゾンでバカっ高い値段で出品されています。

頁230 終章

 大泉町日系人コミュニティーができて三十年。時間が経過すれば日系人も日本語を覚えて、日本社会の一員として働き、税を納め、次の世代を育んでいくものだと私は漠然と信じていた。しかし、そんな予定調和な世界は来なかった。移民を受け入れるというコストについて、私は楽観的すぎて、見誤っていた。日本と南米の双方にルーツを持ち、日本人と比較的近い文化や考え方を持つ人たちであっても、同じ空間を共有し、互いに譲り合い、理解し合うことは、容易なことではない。日本と何の縁もゆかりもない国籍・地域の人を受け入れるのは、さらに困難さが増すだろう。

本書ではこのように総括されています。前書では甘い予測の部分が玉虫色に描かれているでしょうから、その言質をつかんで鬼の首をとったように小躍りしたい人に、前巻の古書的需要があるのではないかと推測します。観光協会の人は、水野龍哉さんの『移民の詩』よりこっちを推していて、前巻がなくても、「これにぜんぶ入っています」と強調してました。確かに、入っているのみならず、認識が冷徹にアップデートされているように感じます。

頁231 終章

 政府は移民受け入れを政策決定していないが、二〇一九年施行の改正入管法で「特定技能」制度を設け、外国人労働者受け入れ拡大に道筋を付けた。特に「特定技能二号」は家族帯同を認めるもので、「事実上の移民受け入れ」につながる懸念がある。

移民政策を考える上で必読の書 1990年代の取材当時と比較してこの30年を俯瞰すると、およそ10年ごとに大きな節目があった。2001年には町を全国区に押し上げたサンバパレードの中止、2011年は東日本大震災、2021年からは新型コロナウイルスの猛威。蜜月期から離反、そして今もこの地に暮らす外国籍住民との協働や子どもたちの教育はどうなるのか。それに伴い、国や自治体の対応はどうあるべきか。

帯裏。「コロナカは2020年からデスヨ、2021年ジャナイだから」ですが、本書はこの三十年を十年ごとに分けて、「蜜月」「離反」「協働」という三つの章題で紹介しています。「離反」というのは一方だけがそむく行為だと思うので、相互不信をあらわすにはイマイチな言葉だと思いますが、それよりも、リーマンショックで帰る人は帰った後で、それでも残った人たち(東日本大震災福島原発事故も不安要素を増大させた)は、以前より地域共同体として理解し合おうという志を持つものだけが残ったかのようにも思える、みたいな出だしから始まるのですが、生活保護世帯におけるブラジル人の割合増加や、税金滞納帰国問題が町議会で取り上げられるのは、リーマンショック以降とさらっと書いてます。「協働」といいつつ、そうでない事例もたんたんと取り上げてゆく。ゼロワン思考人間の追随を許さないこと百億光年です。

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読んでて、町の規模等、どうしても比較してしまったのが、愛川町。私の認識は90年代で止まっているので、人口四万に対し南米系五千人という過去のデータがアップデートされておらず、観光協会の人にもそう話してしまったのですが、今では南米系は千数百人といったところだそうで、じゃあそれが、大泉がそうであるように?ベトナムインドネシアネパールなどに置き換わっているのが今の数字かというと、いちょう団地だけでなく、愛川の団地もインドシナ難民を受け入れてきた実績があるので、今の東南アジア系の数字の中には、その時代からの人たちも含まれているわけです。切り分けは出来ると思いますが、細かくなりすぎて「何が言いたいねん」データになりそう。

とりあえず、カンボジア寺院やラオスの寺院が愛川にあるのはそっちの理由(インドシナ難民)からで、近年の出稼ぎの人が定住して寺院を建てたわけじゃないよと。教育も、いちょう団地の教育関係の本を読んでくと、すぐに愛川町にも飛び地というか、分会を作ってくさまが小気味よく読めます。大泉のブラジル学校について本書は詳しいですが、いちょう団地関係にあったような、生徒たちの自発的な自助活動とその部活的継承が、大泉では弱いのかないのか書いてないのか、な感触は持ちました。

頁228には、学習支援教室に通う児童らがコロナカでほとんど顔を出さなくなった旨記述があります。この辺は逆に、神奈川ではアフターコロナ、どうだろうと思いました。

教育に関しては、頁81に、2000年に新任中学校校長が荒れる学校に赴任した際に打ち出した改革実践のうち、保護者向け学校自由参観が目を引きました。モンペがたえず校内をうろつくということはなく、かえって、我が子のみっともない姿を目の当たりにした親が校内で子どもを叱り飛ばしてくれる効果があったとか。その前のページには、登校時教室に入る前に、校庭でみんなに見えるように抱き合って濃厚なキス(ママ)をするブラジル人女生徒が登場して、00年代の高校生陽キャ業界では、ブラジル人と付き合うのが流行った時があったと聞いたのを思い出しました。

DVとか性的虐待は具体例よりことばや数字で静かに迫ってくる体裁ですが、本書ならではというか、頁86では、常態化した児童労働について書かれています。暗黙の了解で、多くの児童が企業で安く働き、親も、我が子が盛り場ふらふらする不良になるよりは、目の届く範囲で働いてくれる方がマシと容認してたとか。

外国人専門の託児所が、コロナカで存続が確認出来るところが一個もなくなったと頁167にありました。

頁103には、子どもにダルクの体験談を聞かせる試みの記事もあります。アメリカでは高校くらいでAA聴きに行くそうですが、大泉は子どもにダルク。頁197には、私が昨年文化の日に行ったときはまだあった、リスタートコミュニティが昨年末休止と書かれていて、私が四回ほど通った中でも、変化する状況があるのかとくらくらしました。

頁9に1986年大泉まつりで演奏する写真が載っているニッケイ新聞等編集長深沢正雪さんの『パラレル・ワールド』は読んでみます。本書はせまい地域にきらぼしのように輝いた幾多の人々の、ある一瞬を切り取ったポートレートを数多く載せていて、知らない人たちなのですが、見ててドキドキしました。ブラジルレストランの創業時の人の1990年の写真とか、頁83の2001年の加藤博恵さんという町の広報の人の写真など。

また、私の事実誤認もどんどん修正され、私はブラジルプラザが先、タカラが後だと勝手に思い込んでいたのですが、タカラが先だったと頁44で読み、脳内情報を修正しました。

頁56、1994年の大泉での調査では、当地の日系ブラジル人の出身地は沖縄が一番多く、しかし日本国内の親せきとつながったり交流することはまれだそうで、沖縄から南米に行ったからと言って、出稼ぎ先に沖縄を選ぶわけではないと書いてます。沖縄から見たら異論あるかもしれません。あと、このページで、日系人が多い地域として、西の浜松、東の大泉と書いていて、西が東すぎるけど、中国地方九州地方にはブラジルタウンないんだろうかと思いました。ふっと、大村収容所で、韓国からの密入国者を、「みっちゃん」と呼んでいたという昔話を思い出したり。

私はブラジル料理店やペルー料理店のキャッサバはすべて業食と思い込んでたのですが、生イモ調理が好きな人が多いとのことで、大泉の隣町の邑楽郡は東日本有数のキャッサバ生産地だそうです。頁177。

本書がリーマンショック東日本大震災並みに書いてるのが、三洋のパナソニック買収で、ベルクは三洋電機独身者寮跡地に建ってるそうです。頁194。また、頁140には、テクノゲートに「SANYO」の看板が掲げられた写真が載ってます。パナソニックになってからの建屋じゃないんですね。

頁229 終章 木下サムエルさん

「大泉で暮らすブラジル人の九割は人材派遣会社で働くか、その管理業務をしていると思う。自分は、人材派遣だけじゃない分野を切り開いて独立しようとソフトウェアを学んだ」

町民6人に1人が外国人、 大泉町を知れば 日本の未来が見える!

カバー。

頁231 終章

 南米日系人が急増した大泉町で得られた教訓は、「労働力だけ都合よく、使うことはできない」ということだ。違う文化、宗教的背景を持つ人たちは、身を守り、家族を守るためにコミュニティーを必ずつくる。コミュニティーが内向き志向を強めれば、地域社会に背を向けることだってありうる。

私は、日本側だと、日本とガイジン、外国人側だと、自民族と日本、という二者択一が、疲れるというか、閉塞だと思います。かといっていろんな民族がそれぞれ日本で交流出来るとも思わない。複眼的視座、多角的な価値観の実践を目の当たりにするのは、愛川町というより、綾瀬のブラジルスーパーや大和のペルー料理店で、あちらの言葉を話す米兵や軍属を見るときです。彼らの落とすお金もけっこうなもののように思えますし、ヘソ出しもしないサンバもやらない迷彩服の彼らがポルトガル語スペイン語を話すことは、日本か自民族かの二極化を防ぎ、多様な視座をそこにもたらしてくれるのではないでしょうか。とりあえず熊谷駐屯地に米軍の核装備でも置いてみよう。以上