『パラレル・ワ-ルド』"As vidas dos dekasseguis em Oizumi-Japão. : O Mundo Paralelo" por Masayuki Fukasawa 読了

上毛新聞社刊『サンバの町それから 外国人と共に生きる群馬・大泉』頁9に、1986年大泉まつりでバテリアというか、演奏する写真が載っている、現・ブラジル新聞編集長深沢正雪さんが前世紀末に叩きつけた(誰に?)大泉町の本ということで借りました。

装丁 いとうゆき カバー/本文写真 藤崎康夫

パラレル・ワールド (潮出版社): 1999|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

日本の古本屋加盟店に在庫がなく、アマゾンでバカッ高い値段がつけられてますが、潮出版で、第18回潮賞ノンフィクション部門受賞作ですので、だいたいどこの図書館にも蔵書があると思います。

表紙のタイトル:"As vidas dos dekasseguis em Oizumi-Japão. O Mundo Paralelo"

ブラジル版:"Um Mundo Paralelo. A Vida da Comunidade Brasileira de Oizumi, Japão."

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/81hMdmeG+0L.jpg日本語版のカバーやカバー折は、サンバの女性たちと、どこだか分からない(太田市のメインストリート?サンパウロ?)高層ビル街の写真ですが、その中に、ブラジル版の女性の顔はありません。これ、誰なんでしょう。

1999年の日本語版では、後述するように、「出稼ぎ」はもはやブラポル語化した"dekasseguis"である、との思いから、「大泉町のデカセギたちの生活」という意味のポルトガル語を併記しているようで、それに対し、2002年のブラジル版では、「大泉町のブラジル人コミュニティの生活」となっています。作者の鼻息は荒かったが、"dekasseguis"という日本語起源のポルトガル語は、ブラジルに定着しなかったのかもしれません。

それとは別に、冠詞がオーからウムに変わっていたり、アスがアになって、ヴィダスがヴィーダになってたりしますが、そのへんの事情もよく分かりません。

深沢さんはバブル終焉期にブラジルに移住して三年ほど暮らした後で、ブラジル経済崩壊のあおりを受けて帰国、当初は日本でふつうにジャーナリストとして働くつもりが、ブラジル人がたくさん出稼ぎをしていると聞いたので、一緒に出稼ぎしてまたブラジルに帰ればいいんじゃん、と思って大泉に来た人で、そのブラジルの三年間は、ほとんど、滅亡前のサンパウロ日本人街リベルダーデ地区にいたので、なんでもかんでも日本語で用が足せて、ポルトガル語はあまり上達していなかったそうです。むしろ大泉に来てからの方が、ブラジル人との交流を多く持ち、ポルトガル語上達したとか。そんなこんなで、ブラジル帰国後のブラジル版では、文法面でも修正がなされたのかもしれません。

深沢 正雪 (ふかさわ・まさゆき) - ディスカバー・ニッケイ

本書あとがきで、深沢さんは、かつての上司からの電話で、「ブラジルの邦人社会(の最期)を看取る気はないか?」と言われたことが自分を決めたとあるとおり、ニッケイ新聞最後の編集長、そして昨年同紙廃刊後、現在、新規に立ち上がったブラジル日報の編集長を務めています。そうやって走りながらも、何らかのレガシーをマイグレーションすべく、常にあがいているようにも見えます。

連載エッセイ128:深沢正雪 「ニッケイ新聞12月廃刊に思うこと=40年間邦字紙支えたラウル社長」 | 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

本書は多くが大泉町の移民受け入れ三十年史の最初の十年を描いているわけですが、それは同時にストロー現象でブラジルの日系人社会が急速に衰退、同化吸収され消滅する過程でもあり、ふたつの社会の盛衰が同時進行するさまを、「並行世界」パラレルワールドの題名であらわそうとしています。「看取る」覚悟が伊達でなかったことは、深沢さんのその後の二十余年が証明済。本書あとがきでの謝辞は、キタンジーニャ(お店の名前)ウニードス・ダ・トッカ(深沢さんが参加したサンバチーム)高橋幸春さん、藤崎康夫さん、今野敏彦さん、JICA日系社会青年ボランティア諸氏、潮出版成田福裕さん。キタンジーニャは空間面でも時系列でも大泉のキープレイス、大切な座標だったと思われるのですが、それもまたリーマンショック以降の不況もあって今はもうないという。

ブラジル版は43レアルが大幅値引きで13.76レアルでブラジルアマゾンで売られているので(正規品)1レアルは約25円ですので、一冊三百五十円弱と非常にお安く、プリンテッドマターの送料で考えると、これは歴史的な円安にも関わらず珍しく安く輸入出来る逸品ではないかと考え、カートに商品を入れ、ブラジルアマゾンのアカウントを作ろうとして、CPFで挫折しました。

質問失礼しますブラジルAmazonに登録しようとしたんですがCPF番号... - お金にまつわるお悩みなら【教えて! お金の先生】 - Yahoo!ファイナンス

いや、アマゾンアカウント作るだけのために、なぜわざわざ五反田の領事館まで行かねばならないのかという… 前から疑問だったのですが、ブラジル大使館は青山にあるのに、ヴィザやらなんやらの事務仕事はぜんぶ五反田の領事館で、なんでふたつを分けてるんだろうと不思議です。兼務出来るやろ。青山をムダと思わないのが未来世紀ブラジル思想なのか。

巻末の潮ライブラリー広告。ヨコジュン中村真一郎鷲田清一、ムツゴロウ、谷沢永一渡部昇一… 右から左まで、四角い学会が、まあるくおさめまぁす。

オ ムンドなのかウム ムンドなのか分かりませんが(グーグル翻訳ではどちらも正しい日本語になる)だいたいブラジルポルトガル語は、母音のアルファベットがそのままアイウエオでない気がして、北京語のピンインで"u"は「う」ではなく、「う」の形で「お」と発音するとうまくいく、的なコツが随所にある気がします。そういうレベルとは別に、本書は随所にシェラスコを「シュハスコ」と言っていて、これは大泉ではブラジル人はもとより観光協会の人も堂々「シェハスコ」と言ってますので、生きたことばが、マスコミが流行らせた言い方を駆逐して定着してる好例と思います。だいたい、"churrasco"をシェラスコと読む言語がforvoで出ないです。誰が言ってるんだ、シェラスコスペイン語だとみんなチュラスコって言ってやすぜ、旦那。

churrasco の発音: churrasco の ポルトガル語, スペイン語, ガリシア語 の発音

シュハスコ - Wikipedia

まあ、「ラ」が「ハ」になるのは、ロドリゴがホドリゴになってロベルトがホベルトになるとか、そういうので知ってる人は多いと思います。カリオカことラモス瑠偉がフイ(H音)ハモスだと知っている人もようさんいるはず。

天国と地獄 : ラモス瑠偉のサッカー戦記 (文芸春秋): 1994|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

下は、アマゾンブラジルのアカウントを作る時、グーグル翻訳で日本語にしながらブラウザに記入してた時に、住所をGPSで入れてやれば早いですだとAIに言われ、ポチった時に出た結果。

神奈川県がブラジル連邦に所属していないことが分かったのは収穫ですが、「おっとっと」とはまた気安いなこの野郎、と思いました。

ポルトガル語の原文。この、Opaをそのまま言えば「おっとっと」の意味になるのでしょうが、「オパ」と読むのか「アパ」と読むのか分からないです。

カバー折 ふだん工場でパートとかしてるオバチャンたちが、ブラジル本国だったら、とっても恥ずかしくって、こんなカッコ出来な~い、なんて言いながらやってたのが、「日本人の期待に後押しされるように」(頁188)拡大につぐ拡大で、トラブルも相次いで結局強制終了、現在、なんとかかつてのよすがを取り戻したいというイベント関係各位の思惑が暗中模索の中コロナカガー状態だそうですが、何万人というカメラ小僧やジジイが来ることを考えれば、やっぱりなくてもいいんじゃいと思います。バテリアと呼ばれるサンバ楽隊は、エスパルスの応援でも好きなので、あっていいと思いますが…

「(略)ブラジルでは楽器に触ったこともなかった者がほとんどだし、俺も指揮をするのは初めてだ。でもそこに意味がある。俺たちはブラジル文化を、自分の手で見せるためにやるんだ。その日限りのプロを呼んでくるやつらへの怒りをこめて、力の限り叩くんだ。明日は怒りを爆発させろ! 大泉のサンバをやつらに聞かせてやれ!」

頁190 ここが本書のクライマックスで、「どうせ授業に出たって、何言ってるか分かんない」とリーサボで踊りの練習に来るJCたちも加わって、ボーカルは"Oi, Oi, Oi, Oizumi! Solnascente maior Grande fonte da alegria"(大泉! 日出ずる地の、楽しさ溢れる大いなる泉よ)(頁191)と16ビートで打楽器をいくつも連ねながらシャウトするという。

私はもう後出しジャンケンで、その後の十年、リーマンショックから東日本大震災、さらにコロナカまでのもう十年をまとめた本を読んでますので、サンバで〆ても、さらにその後人生は長い、ということが、骨の髄まで共感出来てしまい、いやー、資料館や本書、上毛新聞の本でもあるとおり、稼いだ金を不動産投資してそれの家賃収入で食ってくのがいちばん勝ち組で、その日暮らしで散財した挙句、ならまだいいが、ヒドいのになると薬物中毒その他になって、という、人生のその先も読んだうえで、幸多かれと願うだけです。

本書は最初の十年というか、これからという期待も込めてか、そんなに教育にページを割いてませんが、そこにいちばん長いポルトガル語の文章があります。

頁168

 彼は「Os amigos japoneses vão entrar no colégio. Mas para min, é muito dificil de passar no vestibular. Acho que vou trabalhar na fábrica(日本人の友だちはみんな進学するけど、僕には高校は難しい。卒業したら働く)」と恥ずかしそうに口ごもる。兄にあわせてしばらくポルトガル語で話していると、妹が文句を言ってきた。

「何言ってんだか分かんないから、日本語でしゃべってよ。ここは日本でしょ!」

頁172に、欧州でもかつては国籍を血統主義で行う国が多かったが、生地主義併用に法改正される例が多くなり、それは、無資格滞在者間に生まれた育児放棄児童が無国籍化し、最低限の人権すら守られない恐れがあるからだとしています。本書時点で、大泉でなく太田市に三人無国籍児童がいたとか。ここはなるほどと思いましたが、一方で、ブラジル出身者が日本社会に及ぼす影響がいまだ限定的なのは、ブラジルが国籍離脱を許さない国家であり、日本国籍を取得した後でも、どこまでいっても二重国籍でしかないため、政界進出などに枷がかかっているのではないかと私は思っていて、まだそこまでの記述はないです。

頁177、ブラジル人出稼ぎの本国への送金は、1996年に四十億ドルとの試算があり、1995年のブラジルのGNPの約七パーセントにあたるとか。頁150、日系移民の九割以上が最終的にブラジルに永住したが、同時期のイタリア系移民、別名渡り鳥移民の定着率は一割強だった(かつてあれほどいたイラン人が、砂漠の商人の伝統だからか、今ほとんどいないのを想起)邦人のブラジル渡航には三度の波があって、最後の波は敗戦後で、そののち、新規の波がないので、新しい血液が送り込まれず、ほかの東アジアの国からの移民に押されることもあって、徐々に日系人社会は衰退したとか(ロスのリトルトーキョーみたいと思いました)日系人社会のラジオ体操や天長節、食堂での老人たちのサウダージ風景(綾瀬のブラジルスーパーのようです)

本書もまた浜松など「大都市圏のブラジル人」と大泉の比較を書いていて、日系ブラジル人二世の映画監督チズカ・ヤマザキが大泉のブラジル人を浜松などに比べ「保守的」と評した理由を書いています。サンパウロのリベルダーデが日本語だけで生きていけるのと同様、大泉ではポルトガル語だけでけっこうやれてしまうから、生活を日本化しようとは思わなくなり、ブラジルスタイルを保守しようとする。頁143。頁57では、浜松では表面化した外国人排斥運動が、人口比率ではるかに外国人が多い大泉で起こらなかった理由も推測してます。いわく、住みわけが徹底してるから。サンパウロのリベルダーデもまた、住みわけの徹底の結果生まれた日本人街であると。

正規雇用のブラジル人の一方で、不法就労(本書では「非正規雇用」と書いてたかもしれません)のアジア人との対比も書いています。日本語を必死に覚えるのはアジア人、外国人同士で生まれる格差、その上に日本人の構図、云々。本書は大泉だけを書く場合と、太田市を含めた「東毛地区」で書く場合があります。戦前朝鮮台湾人の労務者がいて、戦後は米軍キャンプが置かれたとする箇所は後者の書き方。そのふたつがあったから、大泉町民はガイジン慣れしてると頁43にあるのですが、それはどうでしょうと、戦前の相模川の砂利掘り、高座海軍工廠、厚木飛行場や相武台の接収などがあった神奈川県央の私は思います。関係ないですが、相模湖ダムが昭和二十年完成であることは、もっと知られていいです。

裏表紙(部分)

その反面、頁112には、ブラジル人が来る前は、山形青森の出稼ぎに期間労働力を頼っていた会社もあったそうで、十月から翌四月まで働き、失業保険が終わると帰って田植えをしてたそうです。そうした人たちは、ブラジル人が来て以降、働こうと思って東毛に電話しても、人は足りてるとの回答で断られたそうです。不法就労からブラジル人に切り替わっただけではないという。

そういう記述もあり、当時の派遣労働の詳細も書かれてますが、それを読んで、自分の派遣時代と変わらないのに驚きました。ほんとに次、竹中平蔵の改革は、単純労働でなく設計開発部門、QAにまで派遣を広め、日本人直接雇用外国人派遣雇用の図式だけでなく、日本人本社採用日本人派遣請負別会社採用の筋道も作ったんだなあと暗澹たる気持ちになりました。別に外国人だから派遣アリで、日本人は派遣許さねえと思ってるわけではないはずでしたが、同じ構造が邦人間にも行われる道筋を作ったのが次、竹中平蔵と思うと、不謹慎な思いに溢れます。イイ意味で逆平等。外国人も日本人も等しく派遣労働でという。使う側は大会社に就職出来た人々で、これは変わらない。

「Ai, que raiva! A linha de produção da nossa fã brica estã caindo muito, quase não tem mais Zangyo(まったく、厭んなっちゃうわね。工場の生産がすごく落ちてるのよ。もう全然ザンギョウないの)」(頁30) 

ホントに、時給計算なので、休日の多いGWのが五月とか、盆暮れの八月十二月など、休めるがその分給与は減り、休んでてもどこに行けるわけでなし、うつうつした気分のみが溜まるなどという記述は、今では多くの邦人も共有する「気分」です。日本人だからと遊んでおれませんね。どうしてこうなった(棒 次、竹中平蔵さんは、太平天国みたいなのを狙ってたのかなあ。以上

【後報】

大泉移住時すでに目についたブラジル教会のなかには、収入の十分の一税というか、もっと大きい額を教会に寄付することを強制してた会派の教会もあったそうです。そういうのは、あちらの都市部にいた人でなければ、ぱっとは分からないこと。今でもあるとすれば、どれなんでしょうか。

(2022/7/28)