海外移住資料館 Japanese Overseas Migration Museum. Museu da Migração Japonesa ao Exterior. Museo de la Migración Japonesa al Exterior. 見学

海外移住資料館

横浜にあるのですが、ワールドポーターズや赤レンガ倉庫のあるほうは、お台場臭がするというか、行ったことがなく、存在すら知りませんでした。大泉町の移民資料館にパンフがおいてあったので存在を知り、休みのうちにまとめて行こうと考え、山梨から東京経由で行きました。

jica JICA横浜 海外移住資料館

ジャイカ立派デスネェ。

jica jica jica

ジャイカは"Japan International Cooperation Agency"の略だそうで、国際協力機構ジェトロは"Japan External Trade Organization"で、日本貿易振興機構。どちらも独立行政法人です。ODAは"Official Development Assistance"で、政府開発援助。政府なので、外務省が担当です。

JICAジャイカ JICA横浜 JICA Yokohama 海外移住資料館 Japanese Overseas Migration Museum

一階。宿泊客はこっちから入ってフロントに行くんでしょうが、見学やお茶する人は、サークルウォークと呼ばれる十字路の歩道橋から二階に直接入るので、一階はほとんどスルーのはずです。海外青年協力隊の仕事で、ケニヤでトマト作ったりボリビアで軽量瓦屋根作ったりのスキームや、自転車こいで発電して水をろ過して飲めるようにする機械を紹介してます。

三階のカフェからの眺望。思ったほどではないかったです。今はコロナカ延長戦で夜の営業はやってなくて、ランチは週替わりでいろいろ海外のレアものや、レアでないけどネタがないのでこれでメンゴ、が玉石混合な感じで、行ったときはランチ終わってたのですが、さほどレアではないメニューでした。

子どもが遊べる壁の塗り絵。右が南米、左が北米で、真ん中が横浜。これが横浜史観(うそです)

つるみ JICAよこはま

その世界の中心に、JICA横浜と鶴見があるという。ちむどんどんは、炎上商法が分かったので、まあよしという。海外移住館の展示には、宮沢和史のコメントもあって、「かずし」でなく「かずふみ」と読むことが分かりました。

JICA国際協力事業団 海外移住センター 横浜国際センター(根岸) 昭和四十二年五月起 業務日誌 神戸移住センター

資料館の外の展示①

JAL JAPAN AIR LINES

資料館の外の展示② 船から飛行機へ、移り変わる移民の脚、という展示。難民もまた、ボートピープルからエアピープル、という言い方を支援団体がはやらせようとして流行らなかったのは、プラ・アキラ・アマロー師はじめ80年代のラオス難民華人女性の裁判ルポで知りました。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

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「流民」ということばも定着しませんでした。頭で作った造語だからか。

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東京難民戦争の第二話、第三話所蔵誌が国会図書館からも紛失してて、笑いました。もう未来永劫お蔵入りか。

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上記をネタにしたオッサン向けジュヴナイル。

ぶえのすあいれす丸 BUENOS AIRES MARU あ

柱のイラスト①

丸戸笠 KASATO MARU

柱のイラスト② あと二隻くらい船のイラストの柱があります。戦艦とか巡洋艦とかはありません。空母も駆逐艦も潜水艦もない。

海外移住資料館 外交史のなかの海外移住 ~それぞれのはじまり

入口。やっと来ただよと思いました。

写真が撮れる箇所はカメラ📷のマークがあります。最初の写真撮れる展示が、オレゴンのお祭りに出た、日系人が製作した、野菜で装飾した車の実物大模型。上の写真だと、運転してるのもコーカソイドですし、菊しか分からん感じですが、実はいろんな野菜を使ってるそうです。

イモと白菜とカブとダイコンの屋根。手前が、なぜかイチゴで、日系人はイチゴ農家が多かったそうなので、なじみはあるでしょうが、大量のイチゴがもったいないと思いました。

柱はネギ。玉ねぎは欧米人も使いますが、長ネギを持ってきたところがオリエンタルといえばオリエンタル。

日米友好。

!人やものをたたかないでね!

バールのようなもの

りあんさ最初之入植地點 アリアンサ移住地 Aliança Colony Colonia Alianza Colonia Aliança

ブラジル入植地の開墾作業を再現。13日の金曜日ごっことか、いろんなインスタ映えをしていいのか悪いのか知りませんが、「グリズリー」でしたか、伐採作業を妨害する自然団体の人が、大木に鎖で自分自身を縛り付けて、チェーンソーで切るなら私ごとブッタ切ってみなさいよ、と吠えるシーンをやる人がいるかいないか気になるところです。(ヒモから先には入れません)

祈健斗

戦前最後の移民船の平安祈願。ちゃんと展示読まなかったので、連合国の潜水艦に魚雷で攻撃される危険をおかしてまでの時期の移民だったかどうか、見てません。最近読んだ『パラレルワールド』の作者で、邦字紙「ブラジル日報」編集長の人が、移民の血が途切れることなくサステナブルで持続可能だったら、戦後の閉鎖環境で起こった、サンパウロなどの「勝ち組」挙兵もなかったのではないかと書いてたのは読みました。移住資料館の展示に「勝ち組」関連はありません。

K.TOMIOKA SANTOS BRASIL

海を模した展示に、船へのテープ。女の子みたいにさ。そして日の丸に連名。右は開拓に使った、マキリだかマチューバだか山刀だかと、太いだけでふつうの剪定鋏。

火炎放射器 Flamethrower バッタの駆除に使いました。

さらっと置いてある火炎放射器

Toil in the Soil!!

アルマゲンかと思うような、「土の苦労」

Repolho Batata

なんか違和感があったので撮った写真(撮影可ゾーン)大泉町の八百屋で撮った値札を調べた時の記憶がうっすら残っていたらしく、イモ類を表すはずのバタータが、ハクサイの上についてるのがヘンだと思ったので撮ったことが、後で判明しました。神は細部に宿る。それしか言えません。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/stantsiya_iriya/20211204/20211204083922.jpg

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Ipomoea batatas - Wikipedia, la enciclopedia libre

Batata-doce – Wikipédia, a enciclopédia livre

ReponhoRepolhoはキャベツの意味らしく、その下にキャベツがあったので、だいじょうぶなはずです。

PRODUTO DE ABSOLUTA CONFIANÇA 醤油 MOLHO Sakura "SHOYU"・TEMPÊRO NUTRITIVO À BASE DE SOJA REGISTRADO NO L.C.C.D.M.A.N.゜9950 INDÚSTRIA E COMÉRCIO DE CONSERVAS "SAKURA" S. NAKAYA & CIA. C.G.C. 61.070.694 RUA ORDENAÇÕES, 151 _SÃO PAULO INDÚSTRIA BRASILEIRA CONTEUDO 930 cm³

ブラジルの、醤油の樽のラベル(再現)

Primor Salgadinha PESO LIQUIDO 16.4 kg P.ROIBIDA A VENDA FRACIONADA SANTISTA ALDAENTOS ESPECIAL 特級 MOLHO Sakura

お菓子?と、最初サケかと思ったですが、たぶん醤油のボトル。ここまで南米の雑貨屋。

上は、北米の日系雑貨屋再現。

『ノー・ノー・ボーイ』で、遠くのパン屋まで歩いて買ってきたパンを並べて売ってる日系人主人公のグロサリーに、白人の子どもが入ってきて、パンを指でおして、これ新しくないねと文句垂れる場面を思い出しました。

左は晶文社版『ノー・ノー・ボーイ』の表紙。

強迫ナントカ症なのかそうでないのか、の主人公母が店番をする日系グロッサリー。店の外が気になるのか、きつい目つきでこちらを見ている。その前を黒犬が通り過ぎる。

この母は、勝ち組で、物語は戦後なのですが、中盤、彼女は現実との折り合いをつけられなくなります。

なぜか下駄がショーケースに収められてます。じっさいもそうだったんでしょうか。

SPARKLING PEPSI:COLA S. NAKAYA & CIA

ペプシコーラ

PEPSI PEPSI PEPSI 10 日本人が営む雑貨店 A General Merchandise Store Run by a Japanese Settler

これは南米かな。ここもペプシ。何故かは分かりません。ソ連にはコカ・コーラより先にペプシが入ったそうですが、たぶん無関係。ペプシのほうが仕入れ値値引きしてくれたとか、そんなところかもしれません。

半島や満州への移民は含まれておらず、またそっちまで包括するとテーマがばらけて、散漫になるおそれもあったと思います。戦前の日本の人口膨張と流出先、というふうにまとめた本はいくらでもありますので、そのへんは自分で整理したらよいのかなと思います。このところ私は北米日系文学の邦訳を数冊読みましたので、そうしたコーナーがあってもよかったかなとは思いました。でもそれをここでやると、映像アーティストやらなにやら入ってきて、またハバがひろがりすぎて、まとめきれないおそれガーとも思います。

海外青年協力隊でアフリカに行った知人がいるのですが、それから幾星霜、彼は今、立派なネトウヨになっています。南京の話したらけっこうアレだった。その後ついた仕事で中国韓国と軋轢があったのか、ただたんにそういうネットの論調が好きになったのか、それは分かりません。若いうちの体験が、その後どう作用するか、それは未知数です。以上