লালসালু『赤いシャールー』"Tree Without Roots"(LAL SALU)(アジアの現代文芸 BANGLADESH[バングラディシュ]①)সৈয়দ ওয়ালীউল্লাহ by Syed Waliullah. Translated by Kyoko Niwa THE DAIDO LIFE FOUNDATION

装幀 山崎登 上は表紙のベンガル語題名。2004年出版時、まだベンガル語フォントが入手出来なかったのか、手書きっぽい題字の表紙。これも、白水社の外国文学翻訳者よもやま話の本*1でこの人のベンガル語訳を読もうと思って借りた本です。

扉絵 樹下龍児 上は中扉。

赤いシャールー|アジアの現代文芸の翻訳出版|翻訳出版|事業紹介 | 公益財団法人大同生命国際文化基金

アジアの現代文芸の翻訳出版|翻訳出版|事業紹介 | 公益財団法人大同生命国際文化基金

ショイヨド・ワリウッラー - Wikipedia

bn.wikipedia.org

ベンガル語ではショイヨドとのことですが、アルファベットのスペルだけ見るとサイードベンガルイカス。

Syed Waliullah - Wikipedia

バングラディシュ独立の二ヶ月前に49歳で心臓発作で逝去。東パキスタン時代に文官外交官として各地に勤務、妻はオーストラリアで知り合ったフランス人で、その人ももう今はいないとか。外交官ほかの仕事で時間をとられていたせいか、長編三作など、残した作品は多くないそうです。中でも本作は処女作で、24、25歳で自費出版し、その時は鳴かず飛ばずでしたが、十数年後に再版されるや大変な反響を呼び、バングラでは知らぬものがないくらいのメジャー作品となり、インド側でも、読んだことはないが名前はみんな知ってる、くらいの作品だとか。

লালসালু (উপন্যাস) - উইকিপিডিয়া

Lalsalu - Wikipedia

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/bn/7/74/%E0%A6%B2%E0%A6%BE%E0%A6%B2%E0%A6%B8%E0%A6%BE%E0%A6%B2%E0%A7%81_%E0%A6%AA%E0%A7%8D%E0%A6%B0%E0%A6%9A%E0%A7%8D%E0%A6%9B%E0%A6%A6.jpg英題のツリー・ウィズアウト・ルーツ、根無し草は、作者自身が英訳した際に原題と違う名前にしたタイトルで、主人公が村にふらっとあらわれた風来坊、よそものなのでそういう題名にしたみたいです。

原題のラルサルは、そのまんま「赤いシャールー」で、私は何も考えず本書を読んだので、パキスタンのマントー*2*3の『黒いシャルワール』(کالی شلوار)*4を赤くしたようなものかなと勝手に考えてましたが、シャールーというのはパキスタンのシャルワールカミースとは無関係で、聖なるものにかける布だそうで、ラル(লাল)がレッド、サル(সালু)がシャールーだそうです。ここでいう聖なるものとは、作中に出て来る聖者廟で、どうも私はその単語が出ると、ウイグル回族のゴンベイ(拱北)を連想するのですが、確かパキスタンなんかにもそういう聖者崇拝はあって、それが題名ということです。

www.risingbd.com

上の記事にはちゃんと赤い布がかかってるのが見えます。室内ですけど…

bn.wikipedia.org

上の、ダルガーというのも聖者廟ですが、作中のはこれではないようです。

bn.wikipedia.org

上の、マカームというのも聖者廟だそうで、もとはペルシャ語だそうですが、作中のはこれでもないそうです。

bn.wikipedia.org

上の、マジャールというのが作中の聖者廟で、もとはアラビア語だそうですが、もうベンガル語でしか使ってないことばだとか。上のウィキペディアを翻訳して読んでると、ワッハーブ派なんかは、あんまし個人崇拝を神への崇敬に入れて、しかもかたちになった偶像を祭る方向に行きやんな、と言ってるそうで、さすが改革派と思いました。日本でいうと、戦前の日蓮宗のようだ。

お話としては、花登筺『どてらい男』*5バングラディシュ版というか、阿部牧郎『ぼてぢゅう一代』のムスリムバージョンというか、加瀬あつし『カメレオン』というか、要するに口八丁でのしあがる風来坊宗教バージョンです。「収穫よりもトゥビ(ムスリム帽)の方が多い。稲よりも信仰の草が生い茂る」(頁11)と描写される作者自身の出身地でもある地域から、北部の山沿いの農村地帯に流れ者の主人公がやってくる。筋肉少女帯の歌で、「僕の宗教に入れよ何とかしてあげるぜ宗教!」コーラス「宗教!」「犬神付きのはびこる街にやってきた少年は以下略」みたいな歌があり、公式がないので貼りませんが、そんな感じ。

www.google.com

ノアカリがおそらく出発地で、終着点は解説ではモエモンシンホ、検索するとマイメンシンと出る地方。

ja.wikipedia.org

その村は、ニルモレンドゥ・グンという詩人の出身地でもあるそうです。

bn.wikipedia.org

現代は高速通信の発達により、一足飛びにアラビア語原理主義が学べる時代ですが、それまではやっぱり中央アジアでも南アジアでも、あいだにペルシャ語をはさんでのムスリム浸透だったのだなあ、と改めてしみじみ感じています。京大の西北回族研究でも、経典の多くが一度ペルシャ語を経てから現地に入っていることが分かる。意外や意外、トルコ系の言語は武人の言葉にとどまって、アラビア語からペルシャ語、そして現地語への流れでは傍系というか、外部にとどまって関与していない。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

主人公は打ち棄てられた聖者廟に棲みついて、そこを盛り返すやり手墓守モウロビなのですが、作中に、モノホンの、生きている聖者が登場する場面があり、主人公がその聖者をインチキ、ニセモノ呼ばわりしたので、血気はやる村の青年たちが聖者一行を袋叩きにするために聖者の滞在する別の村に遠征します。結果、すぐ聖者親衛隊に返り討ちにあって、村の若衆たちは別の町の病院送りになり、主人公は、これも神が我々に与えたもうた試練どうのこうのと嘆きます。全編こんな感じで、イワシの頭でも、いることによる安心感はとほうもなく、村の生産量は増大し、人々の顔に笑顔が見られるようになります。しかし。

解説を読むと、バングラディシュの二期作稲作は、前と後とで違う品種を作付けしているそうです。直播きも、田植えも、両方あるみたいで。雹害に関しては、個人のお米屋さんのブログに、すごい例が載ってました。

b.hatena.ne.jp

そして、何故か昨日の日本農業新聞一面は、日本もインディカ米で勝負しやうみたいな記事でした。

エスニック料理に最適 国産長粒米商機あり 固定需要、販路じわり拡大 / 日本農業新聞

国産インディカ米は、「プリンセスサリー」「プリンセスかおり」「ホシユタカ」などの品種があるそうです。

そして、私は、バングラディシュという国の成り立ちに関する、根源的なむじゅんに気が付いた気がしました。

頁201 解説

(略)そもそもベンガルにおけるイスラーム教徒には極端に中間層が少ない、という事情も忘れるべきではないだろう。初期のベンガルムスリムは、概して西方から移住してきた知識人層と、ヒンドゥーから改宗した地元民に大別される。そのうち知識人層は西方出身であることを誇りに思いベンガルに同化するまで時間がかかったので、これらの人々は当初ベンガル語を用いなかった。一方改宗者は、当然ながらヒンドゥーの中の最下層の人々によって多くが占められており、この社会の底辺に位置する大多数のムスリムは(以下略)

インド亜大陸ムスリムはとりわけ仏教徒への風当たりが強いのですが(私も議論を吹っ掛けられて厭な思いをしたことが二度三度とあります)仏教徒が彼らの軽蔑する偶像崇拝者である以外に、インドの仏教徒がやはり最下層のカーストからの改宗者が多いという事情もあるのかと思います。けっこう同族嫌悪なのかもしれない。ただ、それで、社会全体の多くが仏教徒である、ビルマスリランカの人まで同様にガーと来るのも、ほんとうに迷惑だなあと。なぜヒンドゥーが盛んな真ん中インドを飛ばして、インドの東側にムスリムが強くなったのか。インド中部は熱狂的なヒンドゥー地帯ですし、中産階級も成熟してるので、はねのけられたのかもしれない。で、さらに東のビルマタイではそれほどにならず、海でも、スリランカではそれほどなのに、貿易でマレーインドネシア、ミンダナオと、ぐるっと遠回りに北上している。人口爆発のインド東部ムスリムコミュニティの親戚がロヒンギャで、もうなんか大変です。

ムスリム系移民・難民と 東南アジアの民族間関係 - CIRAS Discussion paper No.79 2018年3月

https://ciras.cseas.kyoto-u.ac.jp/wp-content/uploads/2018/09/CIRAS_DP79.pdf#page=24

上記を読んだ時、バングラディシュ政府は、ロヒンギャ追い出しに奔走するミャンマー軍に対し、どちらかというと及び腰とあって、その理由は書いてあるとおりだと納得してたのですが、それ以外に、回教徒ではあるけれども、アラビア文字で書くウルドゥーでなく、デヴァーナガリー系統の文字で書くベンガル語を選択した者たちによる建国が契機であるバングラディシュは、当初は世俗主義路線(サダム・フセインバース党イラク、飲酒もおっけー、キャバレーでねーちゃんが踊ってるバース党イラクのような路線)を選択しようとしていたのではないか、その名残りが今でもあって、それをよしとしない狂信的急進的な国民の一部*6、先鋭化する原理主義者たちに対し、手をこまねいているのではないかと思いました。訳者も書いてるように、欧米人以外で初めてノーベル賞を受賞したタゴールを生んだ国で、タゴールの詩を国歌にして国歌斉唱しているそのタゴールが、ヒンディー教徒であるという矛盾。バングラディシュは、その矛盾を抱えつつ疾走し、そろそろ臨界点が来るのかもしれません。

物語の終盤、遠くの、ドームというカーストヒンドゥー教徒の村から、響いてくる祭りの太鼓の音を聞きながら、第二の妻として老人の主人公に嫁いできた少女妻が、何も言わねども目に炎を宿して佇むくだりは、凄惨な美しさがあります。イスラム原理主義タリバンのとおり歌舞音曲禁止で、モウロビである年の差ハズバンドから、彼女は笑うことも禁止されているので、当然歌うことも出来なさそうです。第一婦人はごっついわりにおとなしい女性なのですが、彼女がバツイチで嫁いできたときは、移動時に音を立てるなと注意されています。

バングラデシュにおけるアイデンティティー 広島修大論集 第38巻 第2号(人文)

https://core.ac.uk/download/pdf/236178056.pdf#page=11

バングラディシュはどんどん非ムスリムが暮らしにくい国になっているようですが、ドームというカーストは、NPOみたいなサイトを見ると墓堀人夫のカーストで、しかしウィキペディアにはそうは書いてなく、しかしやはり本書の註にあるとおり、社会の最底辺のカーストになるようです。その村の太鼓の音が、回教徒の集落に届き、少女の目に炎が宿る。

ডোম - উইকিপিডিয়া

以上