『丸の内魔法少女ミラクリーナ』"Marunouchi Magical Girl (little witch) Miraclina" by Murata Sayaka 読了

コンビニ人間』が面白かったので、ほかも読んでみようと思って読んだ本です。長編かと思ったら短編集で、四編収録。魔法少女の英訳を、単純にマジカルガールにすると、主人公の三十代オーエルは不思議ちゃんでFA、でしかないので、ひねったほうがよくないかと勝手にあれこれしました。

en.wikipedia.org

 This popularized the term majokko (魔女っ子, lit. "little witch") for the genre, especially with Mahōtsukai Chappy (1972) and Majokko Megu-chan (1974).

eikaiwa.dmm.com

wizard は「魔法使い」という意味です。怖いイメージではなく 小説/映画「ハリーポッター」に出てくるハーマイオニー・グレンジャーみたいな 魔法使いのことです。

【wizard】 と 【witch】 はどう違いますか? | HiNative

A wizard is a male
A witch is a female

回答は正しいが、回答者のアイコンは信用ならないと思いました。私もこういうキャラを演じてみたい。

Witch vs. Wizard - What's the difference? | Ask Difference

‘I hate that old witch.’;

‘Use the "Add Network Connection" wizard to connect to a network in a series of simple steps.’;

装画 原裕菜 装幀 名久井直子

原裕菜という人は、最近だと原田ひ香『口福のレシピ』の装幀を手掛け、かつてはあの柚木麻子『BUTTER』で目にした人も多いと思いますが、画像検索すると外原裕菜という女性の撮影会だかなんだかの画像がウェブにたくさんあがっているのが混在し、さらに吉原の同名ソープ嬢まで登場するので、えらいカオスだなあと思いましたが、日記のほうで書きますが、今日からしばらくグーグルクロームでなくエッジで書きますので、検索エンジンもグーグルでなくビンになり、そうするとそういう結果になるのだとわかりました。グーグルの画像検索では、イラストレーターのひとしか出ません。マイクロソフトのビンは、まだまだグーグルに比べて、フィードバックの精度が上がってないんでしょう。だいたいエッジを開くとトップページに来るビンのニュース見出しが古くて、見るたびにイライラします。ヤフーニュースが一日前二日前に消化しつくしたお題をヤフコメなしで見せられて、何が楽しいねんという。

丸の内魔法少女ラクリーナ』初出は野生時代2013年7月号

本の刊行は2020年なのですが、初出はけっこう前でした。30代でOLをやりながらも、小学生の時に誓った、魔法少女としての自己暗示を忘れず、日々、悪の秘密結社や世の理不尽と戦う自分がいることで、なんとか職場のパワハラなんかもやり過ごしている主人公が、ひょんなことからDV男に期間限定で二代目魔法少女としてのタスクを課すことになり、意外や意外、水を得た魚のように彼は魔法少女として八面六臂の活躍をしてゆくのだが、実はそれは、コロナカで顕現した「自粛警察」「マスク警察」と同ベクトル、反論しそうにない弱い者を見つけてはマウントを取って自己の優越を再確認して満足感を得る、歪んだ心理行動をスタンピードさせているだけであった。それに気づいた初代、魔法少女一号の主人公が出た行動とは……!?

三十代独身で小学生時代の親友が今でも飲み友とか、東京っぽいな~と思いました。それともその世代はそうなのか。女子飲みなので邪魔が入らず落ち着ける個室居酒屋がマストで、金曜だと二時間制だったりする描写が、とてもリアルでよかったです。飲む飲まないはもとより、そんな店まず行かないので。タイ人やベトナム人の店で、そのような設定はあまりなさそう。インド亜大陸の店もないでしょうが、ほぼほぼ、店員が男しかいないのがネック。

また、パワハラで物理的に文房具で何度も何度もはたかれてますが、これは録画録音の可能性のある現代では、ほぼ封印されてる気瓦斯。

また、化粧落としが中途半端だったり、心理的にいろいろあってうまくいかなかった顔が随所に挿入され、いやー電車内でばったり遇ったら、なにこのやばい女と思う気持ちがこちらの顔に出て、相手が先制攻撃で「きもちわるいおっさん」と言ってくる気がします。

作者はテーマ小説が本業なのかなと感じてますが、これはテーマではなく特定の人間の属性観察で、『コンビニ人間』もその路線で大成功でしたから、「ムラタチャン、リームーにイフの世界、シモシモなんて書かなくていいから、こういうの書いてチョーダイ!」ズッ!! とものさし片手にのたまう編集の人がいるかもしれません。

秘密の花園』初出は野生時代2013年12月号

JDが同級生男子を監禁する話。具体的に町田とか横浜とか地名が出ますが、現実の事件とはシンクロしてないはずです。両者の関係性を見て、こういう男子を「いやーん、でもそこがかわいい」と思う女性と、主人公がなかよくなれるか、だけ考えました。最初は、こういう男をつけあがらせる女こそ「タヒね」くらいに考えて東大に上野千鶴子にテコンドーを学びにいくタイプが主人公かと思いましたが、「そうなんですよしゃぶると裏金なめてとかいうし、いくときもかわいいの」と監禁が人生の糧になったことを伺わせるダイアローグをしてくるのかもなと思いました。

解放後、録音されてると恫喝されると、それでもう反撃をやめる男性に、えーそうなんですかと思いましたが、よく考えると小説だから。手作りの食事は何入ってるか分からないからレトルトやコンビニ弁当などを要求する姿勢は、しごくまっとうだとも思いました。監禁されて手料理ごっこにつきあわされるシチュエーションは、誰しも想像したくないし、体験したくもない。

無性教室野生時代2014年8月号

2018年9月の「りぼん」『さよならミニスカート』連載開始四年前に書かれた、性差のない制服、性を明示する要素をすべて消し去ったみだしなみでスクールライフを送ることを規定された社会での十代青春群像( 

外見上分からなくするために、吾妻ひでお『ふたりと五人』笠原倫『女郎』のように陰嚢を骨盤の中に収納してしまう技までは登場しませんが、アンダーシャツで胸がつぶれるという記述はありました。さらしを巻いてるわけじゃない。ユニセックス化した個体群では、喉仏がかなり重要な判別箇所になるようです。

各個体はそれぞれ「肉体」と「性自認」のふたつで、♂♀どちらに自分が属するかを決定しており、まあそれとは別に、恋愛の対象が同性か異性かも分かれているので、私は算数に弱いのですが、四かける四で、十六通りあればいいのかな、それがすべて未成年期は水面下におかれることがよしとされる時代という設定です。成人したらふつうに?お父さんお母さんになる。題名のとおり「無性」がもう1パターンの存在として登場するのですが、これは、今でいうノンバイナリーともちがうようで、萩尾望都『11人いる!』のウィドメニールみたいなもの、でもないなあ、という感じです。2019年に見た台湾映画で、同性愛者の上海人が台湾で暮らしているが、別れて、で、今度は異性にくどかれて承諾する場面があり、映画ではあるんですが、好みの相手が現れたら流動的で、固定的なものでもないのかもなとは思いました。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

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 私たちは性別がないまま、何度も達した。セナの様子は見えなかったが、声でそれとわかった。

(略)私はそこから溢れてくる性別のない液体を、必死に飲み込み続けていた。

高校生が授業中に保健室でこんなことしたらだめだお、いくらゆとりとはいっても、という話ではなく(だいたいおまいさん初体験じゃろうが、何度もって、なんじゃいや)私が思ったのは、この作家さんがテーマ小説を書きたいのは、こういう世界だとこういうことになりますよ、エッヘン、ムフー、と言いたいからではなく、こういうふうに世界がなると、その中でこういうシチュがあって、こういう気持ちになれるんじゃないカシラ(This "KASHIRA" is not "a head"'s meaning, also is not "a boss"'s meaning.)というのを書きたいからではないかと推測しています、ということ。それは、一人遊びの延長なので、なんとなく理解出来ました(誤解でなければ幸いです)

変容野生時代2019年8月号前編、9月号後編

これもイフものなんですが、前の無性社会の話同様、人間も動物本能があるから、そうなならねーだろ、という一線を越えてしまってるので、逆に安心して読めてしまいます。「そんなこわい社会来てほしないわ~、おどかさんといてぇな~」とか、毛ほども思わない。昨今の草食系というか、怒らない若者、をどんどん進行させていくとこうなるかも、社会を描いているのですが、攻撃衝動は個体防御のために備わってる形質ですので、いじめがなくならないのと同様、にんげんの怒りもなくならない。怒らない人間、怒りの感情が理解出来ない人間が多数派になる社会は、「それはありえへんやろ~」とこだまひびきが言って終わりかと。

また、セックスレスが加速していて、大学生の八割が童貞処女という時代からさらに二十年経った、という設定なのですが、じゃあ子どもはどうやって生まれているの? という問いへの回答はこの小説では書かれてなかった気がします。別の小説には明確に書いてあるのですが、それと同じ世界なのだろうか。

で、作中にしかないジャーゴン、造語新語が出てくるので、これは、ひょっとしたら、作者自身も意識していない、現実のミラーリングかもしれないと思いました。キモいがエモいになり、シンパシーがエンパシーになる現実を鏡として映す。

①「なもむ」なごむ、とか、もふもふ、とかとは違う意味のことば。

②「パブリック・ネクスト・スピリット・プライオリティ・ホームパーティー」ひと月六万日元の会費制。略称はパブスピホムパ。教祖(と軍師)がみんなを取り込んでぐいぐいひっぱってかっぱぐ旧タイプとちがい、みんなが平等にカリスマな自己啓発っぽい集い。

③「まみまぬんでら」自分が「なもむ」状態であることを否認している人に感じる感情。ちょっとおかしいのですが、神が降臨してその場の人たちの口を借りて新語を流布してるかのような場面です。

ぜんぜん関係ないですが、私は「ガチャガチャ」と呼んでいたので、最近の無理にちぢめた「ガチャ」が嫌です。四十代五十代以上は「ガチャガチャ」と言うが、子どもの無駄遣いの話などになると、子どもの口調がうつって「ガチャ」になる。親ガチャがあるのに子ガチャがないのはおかしいとかいう人は、育児放棄ryの可能性があるので児童相談所略してジソーはマークパンサーすべき、とは思いません。

その世の中で理不尽に怒っているのは老人だけなんですが、この小説はべつに何かを啓蒙したり比喩したりしたいわけでないので、批判のための批判ばかりのリッケンバッカー党とコミュニストパーティの支持者はどちらも高齢化、みたいな展開には持ち込まれません。

どの作品も単行本化にあたり、加筆修正したとのこと。以上です。