『殺人出産』"The Murder Births" by Murata Sayaka 読了

これも『コンビニ人間』を読んで、作者のほかの小説も読もうと思って読んだ本。

読んだのは単行本で、もっとずっとエッジの効いた表紙です。

こんなの。装幀 帆足英里子 英題は英語版ウィキペディアから。

Sayaka Murata - Wikipedia

今これを書こうとして思い出したのですが、文房具で顔をはたきまくるパワハラ場面は、『丸の内ミラクルガール』ではなくて、本書でした。表題作が中編で、それと、短めの短編三つが組み合わさった本。

殺人出産』群像2014年5月号

ifもの。十人出産すれば、一人殺せる社会の到来。海外でそういう法体制を整えた国が増えて、いずれも成功しているので、日本もそうして、それで、少子化抑制に成功という話。もうこの今北産業読んだだけで「ばかげとる。ありえん。作者は本当に小説家なのか。ポテサラくらい以下略」という御仁がいそうな気瓦斯。

前提として、人工子宮の開発に成功というのがあり、これによって男性も妊娠が可能となり(ただし出産は帝王切開のみ)高齢女性でも出産出来るようになってます。人工授精前提。十人のうち、流産死産はノーカン。ここはよく考えるとシビアで、人工中絶の偽装流産で人を殺そうとするヤカラの出現を抑止してるんだなあと。十人産む前に母体が壊れてしまう例も多く、そう考えると、殺人罪も一人なら十年くらいだろうから、出産し続ける年数よりへたしたら少ないし、その後の余生の健康や体調考えたら、殺人罪で捕まるほうが合理的では、とも思ったんですが、殺人出産の場合、十人産んだのちに相手を指名出来、相手が逃げられないようずっと当局が監視、逃亡の場合は確保され、昏睡状態で「産み人」の前に提供されるそうなので、いざとなると人を殺すのはそれなりにエネルギーが必要なので踏み出せない人も安心で、それを天秤にかけたら十人産むことをチョイスする人もいる、というふうに作者に納得させられてもいいのかなあ、という。

「産み人」に殺される「死に人」も、国家の人口維持のための尊い犠牲なので、名誉の死としてとうとばれます。もうそういうことになってるので、「小説でしょ、現実だったらやっぱりご近所の評判とかあるわよねえヒソヒソ」と言ってもムダです。通常の葬儀のファッションは黒ですが、「死に人」の葬儀の場合、参列者は白一色をまとうこととなる。法施行から十五年で、もうそこまで慣習が出来上がってるというのが、フィリピンがスペインから米国への統治国変移に伴ってあっさりスペイン語から英語へ置換が完了したより速いと思いました。

この社会は前提が少子化なので、女児は初潮が来ると親が避妊処置をします。割礼よりは遅い年齢。人工授精で生まれる子より、「産み人」が生んでセンターに預けられて、センターから引き取る子のほうが多いので、誰も「殺人者の子」なんて陰口は叩かない。だって多数派なんだもん。それに、認められたいいことをした人の子なんだし。

そんな感じでしょうか。避妊前提で、セックスは快楽のためだけのものという社会だと、性病とかまた別の問題があるんでないのと思いましたが、それはムードンコ派の考えで、ピル、海外で使われる日本でまだ未認可のものも含めてすさまじいピルの圧があるところの女性は、いまでも性病リスクは変わらんよ、と思ってるのかもしれません。

ありえない話を現実的にしてるのが会話のリアルさで、傑出した女子トークというか、なぜそんな心にも思っていない褒め言葉や相槌、感嘆符を次から次へと繰り出せるのか、が本テーマ肯定の主旨のもとに登場人物の口から飛び出ますので、基礎化粧品の宣伝や季節のコーデおすすめと同じレイヤーで殺人出産礼賛トークを読むことが出来ます。ここは面白かったです。話者のその後の運命を考えると、それなりに複雑ですが。

主題と並行して、昆虫食の話が展開されるのですが、現実に食品化したコオロギでなく、最初は蝉、次は蜻蛉です。蝗の佃煮が対比として出ます。流行装置として、読者モデル激賞、インスタ紹介がまずあるのですが、本書時点では「読モ」という言い方がなかったのか、作者がその縮め方嫌いなのか、使ってないです。ぜんぶ「読者モデル」

こんな世の中じゃポイズン、という感じで、自然にカエレ、パートナーとの性交による受胎出産を目指すレジスタンスグループが登場するのですが、これがまた、えっらい塩対応というか、悲惨な扱いでした。映画「ミッドナイトスワン」でも感じたのですが、ほんと今は、体制への信頼感がハンパないですね。筋肉は裏切らない。体制も裏切らない。はぐれもの、かわりものはそこへの迎合の苦労をわかちあえば認められるが、分かち合いをしないかわりもののままだと、排除され、そこへの視線は冷たいです。すごくそう思った。ディストピアにおける希望とか、そういうの微塵もない。いらないでしょ扱い。この辺が、就職氷河期から派遣世代なのに、いや、それで兵糧攻めにあって反抗の牙を抜かれたというか、甘やかされたそれまでの世代と一線を画しちゃってるのかなあと思いました。

トリプル』群像2014年2月号

カップルならぬトリプルで、三人で付き合い、三人で結婚する人たちの比率が、カップル派と拮抗しつつあるまでになった社会の話。肉体の性は二つしかないので、第三の性を交えた話にはなりません。三という数字は聖なるもので、東方の三賢者とか父と子と精霊の三位一体とかだからトリプルなんデスヨ~というロジックも出ません。イスラム教の一夫多妻、チベットの兄弟婚とも違う話です。

哺乳類や鳥類はつがいが主流なので、人間もそうだろうから、それでこの話も、ありえぬ空想が普遍化した社会という作者のオハコなのかなと思ってます。ニホンザルみたく、ハーレムが主流なんじゃよじつはウッホッホ、だったら困りますが。

作者のセックス観は、触れ合って魂が共鳴すればセックル、みたいなものなのかなあ。Aがキスで、Bがペッティング、Cがセックス、Dが妊娠、焼いたふたりの骨を同じ骨壺に入れてZ、という価値観の私からすると、BがCに飲み込まれてしまった…… という感じです。

清潔な結婚』GRANTA JAPAN with 早稲田文学 01

これはifものでなく、あるセックスレス夫婦の物語。

頁159

「性とは僕にとって、一人で自分の部屋で耽る行為か、外で処理する行為なんです。仕事でつかれて、ただいま、と帰ってくる家にセックスがある。そのことに生理的嫌悪感があるんです」

「とてもよくわかります。私も、恋愛の初期段階ではいいのですが、だんだんと付き合いが長くなり、半同棲のような状態になると、眠っていていきなり相手の手がのびてきたり、何かのきっかけで、のんびりくつろいでいたのにいきなり相手の手つきが性的になったりすることが、辛いんです。性欲のスイッチは自分で入れたり切ったりしたいし、家ではオフにしていたいんです」

「まったく同じ考えです。僕だけが異常なのではなかったと、ほっとしました」

こういう夫妻が婚活で出会って結婚し、夫の愛人からえんえん夫の痴態画像を送られたり、妊活をしたりする話です。くつろいでいたのにごめんなさいと、黙とうするばかり。みんなそうでしょうか。

余命』すばる2014年1月号

とても短い話ですが、これもifもの。人類は不老不死を達成したが、みんなてきとうに死にたくなったら死ぬので、人口爆発は起きなかった、という世界の、ある人の終活の話。役所に行って、組成拒否手続きをして、お役所仕事だからか面倒な事務処理のあとに死亡許可証をもらって、尊厳のある、人に迷惑のかからない死に方で死ぬ、その記憶が途切れるまで。

なんというか、生存欲求の強さを、甘く見たらいかんぜよ、と思いました。みんな死にたくないだよ、ふつうは。グレッグ・イーガンの小説のほうが、ありそうな未来と思います。もちろん分かった上で、あえてそうはならないifをえがくことで、ワンアンドオンリーになるのだとは思います。

本書は、奥付に、単行本化に際して加筆訂正とか、そういうの書いてません。

bookclub.kodansha.co.jp

二冊読みましたが、どちらも二時間かかったかかからなかったかで、さくさく読めました。短編だからでしょうか。もう二冊くらい読んでみます。こんなに早く読めるなら。感想書くほうが時間かかりました。以上

【後報】

表題作追記。竹宮惠子『地球テラへ…』を思わせる方に全然いかなかった恋愛結婚自然分娩秘密結社のエージェントが、主人公の肉親が「産み人」であることを知って近づいてきたくだり、もっとヒュージな組織かというサスペンス感がいつの間にか消えたのも、残念閔子騫です。

『トリプル』追記。実は、EXITのりんたろー。と兼近のような男性との3Pを妄想してうっとり、がそもそもの執筆のきっかけだった、というデマが流布されているということはないと思います。すごいドンピシャなイメージでしたが。「なぶる」は「嬲」と書き、「かしましい」は「姦」と書くが、女二人男ひとりのハーレム状態を表す漢字がないのは、ムッツリスケベの中国人にしてはぬかったと思います。後宮と皇帝をセットにした言い方になっておそれおおいからでしょうか。

(2022/8/21)