『神降ろしは悪魔憑き』ལྷ༌བ༌འདྲེ༌སྟོན། "The Shaman is possessed Evil spirits." ཚེ་རིང་དོན་གྲུབ Tserang Döndrup 次仁顿珠 / 『チベット幻想奇譚』བོད་ཀྱི༌འདྲེ༌སྒུང༌ངོ༌མཚར༌གཏམ༌ཚོགས། "Tibetan Fantasy Tales"より 読了

チベット幻想奇譚|星泉 チベットの現代作家たちが描く、現実と非現実が交錯する物語

装画・扉絵 蔵西 装釘 宗利淳一 ←クギの字を使った「装釘」は、暮らしの手帖などに使われていると、ほかの方のはてなブログで拝見しました。

収められている十三の短編の、一個一個の感想の、十個目。第三のチャプター「Ⅲ現実と非現実のあいだ」カテの作品。海老名志穂サン訳。初出は「チベット文芸」1984年。「チベット文芸」というのは、当時の蔵文の文芸誌だと思います。こういうの、意外と海外の大学図書館なんかのほうが、よく保存されてたりする気がします。国内には配本されてなくても、海外向けには外貨稼ぎで、キチンキチンとアジア専門書店を通じて納品されてた感じで。ただ、けっこう乱丁落丁があって、代替なんてないですから、そういう事情が理解出来ない学芸員司書が、交換要求してそのまま欠本になったりする可能性はあります。本作の底本は蔵文なのでその可能性はないですが、漢語書籍の場合、ン十年誰も開かなかった本の乱丁落丁を、中国人留学生が見つけるたび嬉々として司書に納品時のチェックミスとしてマウント取り持って報告するような事象がときどきあるようです。バイトに明け暮れなくても仕送りだけで日本で生活出来る留学生で、かつ漢語書籍に興味のある人がその手の専門になるわけですが、もうここ十年くらいは、みんな仕送りだけおkなのかもしれません。

漢語サイトを見ると、《西藏文艺》在1984年改名《西藏文学》とあるのですが、《西藏文学》は自治区の漢語文芸誌らしいので、《西藏文艺》が「チベット文芸」かどうかは分かりません。

うっかり「公開する」をクリックしてしまったので、そのまま書き込みます。本当は少し写真を整理して、第二のカテの最後の作品『1986年の雨合羽』をあげるつもりでした。

下記の本とは関係ありません。

映画監督は悪魔憑き、とも関係ありません。黄南はけっこうお祭りでシャーマンの神降ろしがあって、それがモノホンの時もあれば、酒を浴びるように飲んでも何も降りてこなくて苦し紛れに見えるときもあって、そういう土壌にも中国現代史の大躍進右派闘争文化大革命は惜しみなく降り注いでいろいろ奪っていき、その結果生まれた風潮の時に人々が何を思うかがこの作品にも反映されていると言えると思います。沖縄で会った新興宗教を信じてる人が「ユタなんてうそっぱちさあ」と言ってたのをまた思い出しました。

じっさい、神がかりになる人がごく自然に身近にいて、村のなんらかの役割を演じているところでは、こういう話は無限にあるんじゃいかと思います。私が聞いたのは、前にも書きましたが、憑依した靈が、自分がとり憑いた男は盗人で、直らないので、みんな、わしを殺せと言った話。霊が去って、本人は自分が話したことをまったく覚えていませんでしたが、村人が彼の家を改めると、はたして盗まれたものなくなったと思っていたものがザックザクだったという… 前にも書きましたが、私は、その話を聞いて、ブラックジャックの人面瘡の話を思い出しました。殺人鬼にとりついた人面瘡が、彼の良心の顔だったのかもしれない、というラストのせりふを、私は「両親の顔」と読み間違えていたのです。

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ブラック・ジャック カルテIX 人面瘡(じんめんそう)|アニメ|手塚治虫 TEZUKA OSAMU OFFICIAL

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頁159、「解放前」という単語に訳注で、〈中国によるチベット併合前〉と書かれていて、キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!  カラ・キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!でした。以上

【後報】

私が打ち込んだ『チベット幻想奇譚』の、チベット文字がいちぶ違ってるとご教示頂きましたので、つつしんで訂正します。まだほかにもあるんだろうなあ。

✖: བོད་ཀྱི༌འདྲེ༌སྒུང༌ངོ༌མཚར༌གཏམ༌ཚོགས།

○: བོད་ཀྱི༌འདྲེ༌སྒྲུང༌ངོ༌མཚར༌གཏམ༌ཚོགས། 

 

トッホッホ。(2022/11/16)