ལོ་བཞི་བཅུའི་སྐྱེས་པའི་ལོ་ཉི་ཤུའི་དུས་ཀྱི་བརྩེ་དུང་།『四十男の二十歳の恋』"A 40-Year-Old Man's 20-Year-Old Love"《》_ལམ༌གྱི༌ཉི༌འོད།『路上ろじょうの陽光ようこう』"Sunlight on the Street"《路上的阳光》ལྷ་བྱམས་རྒྱལ། ラシャムジャ lha byams rgyal 拉先加 日本オリジナル短編集 Japan Original Edition 日本独创短篇集

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『路上の陽光』ラシャムジャ|海外文学|書籍|書肆侃侃房

路上の陽光

路上の陽光

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装丁 成原亜美(成原デザイン事務所) カバー写真 Chongtian/EyeEm/gettyimages

むっつめの話。帯にあらすじなし。四十男が、西寧の空港で、かつて同地に学んだ時の恋人に再会するが、ふたりは地理的にまるで正反対の生活を送っていた、そのいちいちの説明と、二十年の時の流れを随所に再確認させる会話がおかしい短編。この短編集で、いちばんか二番目に好きな話です。

場所:西寧の空港(飛行機の経由地)悪天候でフライト遅延

ツェラン・ワンシュク(男) クンサン・ラモ(女)

出発地:北京        ラサ

目的地:ラサ        北京

住所:北京         ラサ

子供:息子         娘

子供の高校:ラサの学校   北京のチベット高校

最終学歴:北京の大学    西寧の高校

仕事:北京でカメラマン   ラサで役所勤め(親が幹部)

配偶者:北京のチベット人  ウー・ツァンの人(ラサ出身)

ふたりは最後記念写真をとって、ウィーチャットを交換して、それぞれ搭乗します。バンッ!!JOJO第三部のラストシーンのようだ(ちがいます)

読んでいて、邦訳の「高校」という表現がふと、気になりました。「青春時代に通っていた西寧の高校」(頁132)と書かれると、まるで自宅からパンを口にくわえて、ブレザーor学ランセーラーの制服で「ちこくちこく」とか言いながら登校してるかのようなイメージが湧いてしまいますが、そもそも二十歳の時に通っているのだから、「高校」でなく「大学」か専門学校だろう、と誰もが思うはず。誰もが、と書いたのは、ほかでもない訳者解説でも「二人は二十年前、西寧の地で大学生活を送った」と書いてあるからで、なんだよだめじゃん、なんで本文では「高校」と訳したのさ、と思いました。

本書はチベット語からの邦訳であるからか、漢語中国小説の邦訳に比べ自由で、だいたい大陸の漢語中国小説の邦訳だと、「中学」「高校」じたい訳語として使われないですよね。原文の漢字の羅列「初中」(チュージョン)「高中」(ガオジョン)に引き摺られてしまい、「初等中学」「高等中学」の単語をそのまま日本語の文中にブチこんで、日中の学校制度のちがいについて注釈等で説明する場合がほとんどです。「高中」"gaozhong"がニアイコール日本の高校で、その上に大学があるわけで、このお話のおふたりが通っているのは大学なので、なぜ「高校」と訳したのか、それは分からないです。そう訳した方が甘酸っぱくてキラキラしてると考えたのでしょうか。『川のほとりの一本の木』も、「初中」chuzhongを「中学」と訳してますが、民族学校ということもあり、それほど奇異には思われませんでした。こっちは奇異奇異。

「八一路の東の端の左側にあった」高校とは、青海民族学院なのですが、当時の「学院」は英語にするとカレッジ、単科大学に相当する扱いで、ようするに日本でいう大学です。中国ではうにばーしてぃを「大学」カレッジを「学院」と呼んでいたというだけの話。だから二十歳の恋はDKJKの恋でなくDDJDの恋ということになります。〈高考〉gaokao(大学入試)のあと進学するんやし、と書くとさらに混乱するでしょうか。21世紀には全国各地の「民族学院」はすべて「民族大学」になりましたので、この話の登場人物たちの青春時代はそれより前ということになります。

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グーグルマップで青海民族学院(大学)関連の場所を検索すると、それっぽいサークルが出ます。「あの高校、とっくになくなっちゃったのよ。知らなかった?」(頁140)というセリフの真相は、移転したということなのかな?

百度地图

百度の地図を開くと花園っぽいものも見えます。昔と違うものということでしょうか。

baike.baidu.com

西寧の民族中学は回族のしかないそうなので、やっぱり大学、それも東側の大学だから、民族学院しかないだろうと思います。実はコペルニクス的転回で、二人が通っていたのは、漢語で教育を行う普通中学でした、ということですと、話はまったくちがうのですが。

う~ん、「とっくになくなっちゃった」のは、往時の教室棟や学生寮、教職員宿舎の建屋という意味と考えるのが妥当だと思います。いくらなんでも、ソ連の技術者が指導して作った、紅衛兵が二派に分かれて内戦した時の銃眼やら銃痕が残ってるような建物を、GDP世界二位の中国が見逃すはずがないので… キンペーチャンにとっては、蘭州のほうで自分もやったような、懐かしい青春の爪痕だったにせよね。

この小説の舞台が西寧なのは、アムド作家だから自然なことと何も考えず読んだですが、星センセイや大川センセイのグループが訳してるアムド作家たちで、青海民族大学出身者は意外にもツェラン・トンドゥプひとりだけで、蘭州の西北民族大学がペマ・ツェテンとタクブンジャの二名、本書のラシャムジャとトンドゥプジャは中央民族大学と、分散してるんですね。そして『絶縁』に関連していうと、現代文学における漢族作家は早期から女流作家がいたのに対し、チベットの女性作家はまだまとまって紹介されていない(いるとは思います。いなかったらびっくりです)です。

青海はチベット人多数なのでこういうふうに書けますが、兰州の西北は、ほかの少数民族と拮抗する中のチベット人ですので、チベット人アイデンティティを形成するのにはよいと思いますが、こういうふうには書けないかもしれません。私としては、お互いしいたげられてるはずの、ウイグル人学生とチベット人学生が仲が悪くて、チベット人学生は酒を飲むと手が付けられないと噂されてたり、ウイグル人学生はいろんなアンダービジネスに手を染めてると噂されてたりだったので、そういう学園ライフを文学にまで高めて発表してもらえるとうれしいのですが、まあ相手方からの反発を考えると、慎重にならざるを得ないとも思います。北京の中央民族は、また別の何かを書けると思いますが、靠作者。ほかにも成都の西南民族、昆明雲南民族、武漢の中南民族、忘れちゃいけないラサの西蔵大学があって、私は『雪を待つ』の後半モノローグを読んだ時、場所が北京なのか成都なのか、判別出来ず迷ったです。今でも迷ってる。

空港のカフェでコーヒー(直接お茶っ葉をブチこんだ蓋つきカップのお茶でなく)をすする二人の都会的チベット人。イイデスネエ、と言って逃げます。以上