ガマの聖談 : 人生に関する珍考漫考 (光文社): 1968|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
この回もひどいです。まず、「紙とれば雛ご機嫌におわしけり」という日露戦争以前の川柳が出ます。姫始めを詠んだものだそうで、連載時新年号だったのかなあ。
Yahoo!知恵袋にはほかにも「姫始め」に関するQ&Aがあるのですが、「アダルト」の扱いで、18歳未満は見れない建前で、閲覧にはログインが必要になっています。
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姫始めにふれたついでに述べておきたいのは、女というのは自分のアソコに絶大なる自信を持っているということだ。だから、多少男の経験を積んだ女に、「君は自分のアレに自信を持っているか。」と聞いてみたまえ。十人中十人が、他の女性より、あたしのほうがよいはずだというだろう。なかには、「わからぬ。」と答えるのもいるが、むろん本音ではない。
ついでどころか、姫始めぜんぜん関係なし。その次に、男性が一人の女性では満足出来ないように、女性も、どの男性がいちばんよかったか、ちゃんと覚えているとし、ソーラン節を書いてます。「先の亭主をほめるじゃないが、あんな気のいくマラはない。」ヤサエンエンヤーーーァサーァのドッコイショ。ハードッコイショドッコイショ。
ここで、「三十三のサネコロバシ」という言葉の解題となります。男性を知った女性がアラサー、三十路を迎えると、女の爛熟期に入り、ひとりでにセックスがはじけてしまいそうになることを言うんだそうです。その後で、欲求不満が心身に不調をもたらす例を書いていて、神様が下りて巫女さんになったりヒステリーになったりする現象をセックスから説明した小説は、筒井康隆はじめいろいろあったはずですので、素直に納得したです。で、それを解消するため、ガマサンの知り合いの女性は陰部をしばいたりするそうで、修道士が冷水を浴びて自分で自分を鞭打って性欲を鎮めようとするのにそっくりと思いました。イランには、みんなが先をあらそって自傷し合うお祭り(عاشورا)がありますが、それは自分のためではなく、歴史上の偉大な殉教者の死を悼むために行うので、目的がちがうようです。
人々はフサインの死を大声で喚き、涙を流して嘆き悲しむ。さらに、フサインの棺を模した神輿が担ぎ出されたり、人々が鎖で自分の体を鞭打って哀悼の意を表現するなど、熱狂的な儀礼が繰り広げられる。
「三十三のサネコロバシ」の絶頂期をなるべく長く引き伸ばそうという試みを行う女傑たちの集まりが「御前会」だそうで、何をするかというと、男性の金冷法に対し、「豆冷法」というトレーニングを行っているのだそうです。女性の下腹部は冷してはいけないものなので、局部だけ冷やすために、試験管🧪状のガラス管を陰核にはめて、そこのみ水冷でひやすんだとか。「御前会」Team of Holy Front. という命名のセンスに、女性らしさを感じるとガマサンは感心しています。
その後は、下つきは具合がよろしくないとか、でっちりはいいものだが、その中に下付きが含まれるからその人に関してはよくないとか、ハイヒールを履くとでっちりになるから、その危険性が出るとか、自説が止まらないです。ハイヒールをくさして気がとがめたのか、日本古来の内または、実は広がってシマリが悪くなる、西洋人の歩き方のように外マタ(ガニマタとは書いてません)で歩く方がしまるので合理的で、この頃の日本女性は内またをやめて外またで歩いているので、ことほぐべきと喜んでます。
頁158
「女は全身これ生殖器であり、上半身、下半身ともに人格はない。」といっているので、おれは女性の顰蹙を買っているらしい。だがおれは、そんなことはちっとも気にしない。おれはほんとうのことを言っているつもりだからな。
こう大見得を切って、女性の化粧の分析をしています。ヤクルトすごい会社だ。いわく、眼のふちのくまどりは、「わたし、淫乱よ。」ということだそうで、何故かというと、やりすぎると目にクマが出来るので、わざわざそれを人工的に模造してアピールするくらい、なんですね、ということだそうです。頬紅は性欲の強さを表すそうで、その次がルージュ。映画「俺たちに明日はない」が、冒頭、ボニーが肉厚のくちびるにルージュを引くシーンのアップから始まって、クライドの不能がメタファーで知らされ、欲求不満が連続銀行強盗に向かったと、あんた誰やねんみたいな心理分析がされてるのは有名ですが、ガマサンによると、口紅の引き方は性器の大きさと相関関係があって、ぽってり肉厚に塗る行為は、その女性の正直さのあらわれなんだそうです。明治維新より前の、おちょぼ口型に口紅を塗る風習は、きんちゃく型のすぼまった性器を模していて、しかし現実には巾着型の性器など千人にひとりしかいないので、口紅だけおちょぼ口に塗った女性は「完全なるインチキだ。」そうです。
ここまで書いた後は、「マンスト」「チンスト」の話。女性が配偶者男性にさせないのが「マンスト」で、昭和初期の文壇では文士配偶者女性たちによる集団マンスト事件が発生したが、裏切り者によるスト破りが多発し、惨憺たる結果に終わったんだとか。「チンスト」は、男性が付き合ってる女性にしないというストライキだそうで、これをやられると、冒頭の伏線が生きてきて、女性は自分のからだに絶大な自信を持っているので、そのプライドをうちのめされて、去っていくそうです。ガマサンはだから、別れたい相手にチンストし、結果、相手は自分から去っていくんだとか。ここまで書かれて、ぜんぶ鵜呑みに信じる人は本当に素直ないい人なんだろうなと思いました。この世のどこかにいるはずです、信じてる人が。
小見出し:姫始め / 女ばかりの御前会(おんまえかい) / 女の当たりはずれ / チンストの効用
ボーツー先生と福田和也の下記書評対談に登場する本。カーリルで県内図書館に蔵書があると出て来るので(白帝社版かな)公序良俗には反してないと思うのですが、他館本リクエストで数回なしのつぶてだった本。最近思い立って、日本の古本屋で、愛媛の古書店さんから、てごろな値段のものを購入しました。七百円。送料三百円。計千円。
stantsiya-iriya.hatenablog.com
裏表紙のサンケイ新聞フジテレビ会長(当時)水野成夫サンの一文は、著者ウィキペディアの記述を裏付けるものです。
著者ウィキペディア
(略)1940年転向仲間の水野成夫と古紙再生会社「大日本再生製紙」を設立する。1945年には宮島清次郎が社長を務めていた国策パルプと合併し、同社の常務取締役となる。(略)
(略)経営が悪化した同球団をヤクルト本社が買収したこの一件について、当時は「水野の窮地を盟友の南が救った」と言われていた。(略)
カバー折。田中一光のデザインとは。目次の次のページによると、本文さし絵・藤城清治だそうです。そんなそうそうたるメンバーが、このエロトーク集に結集したと。
杉 靖三郎先生を偲ぶ - 日本生理学会
http://physiology.jp/wp-content/uploads/2014/01/064100237.pdf
いつも元気、いまも現役(文化勲章受章・写真家 田沼武能さん) | 健康長寿ネット
まえがき(昭和四十三年一月二十五日)によると、このトークは、光文社の雑誌「宝石」に昭和四十年十月号から昭和四十二年十一月号まで二年にわたって連載したものをまとめたとか。すでにオープンリール*1の録音装置は普及していましたが、まあ、ライターと編集者にご本人がざっくばらんに語って、ライターがそれをメモして、だいたいな感じで文章に仕立てあげたんだと思います。そのほうがラクだし、ライターも腕が揮える。
奥付 昭和43年2月15日初版で、読んだのは同年7月1日の37版(37刷)左上に神吉晴夫サンの名前が見えます。カッパブックスの生みの親はもちろん、「戦後最大の出版プロデューサー」©Wikipediaだとか。
神吉晴夫のベストセラー作法十か条
1. 読者の核を20歳前後に置く
2. 読者の心理や感情のどういう面を刺激するか
3. テーマが時宜を得ている
4. 作品とテーマがはっきりしている
5. 作品が新鮮であること。テーマはもちろん、
文体や造本に至るまで今までお目にかかった
ことがないという新鮮な驚きや感動を読者に与える
6. 文章が読者の言葉遣いであること
7. 芸術よりモラルが大事
8. 読者は正義が好き
9. 著者は読者より一段高い人間ではない
10. 編集者は常にプロデューサー・企画制作者の立場に
立たねばならない。先生の原稿を押し頂くだけではダメ
右上の伊藤整『文学入門』と、サラリーマン目白三平シリーズがカッパブックスの最初だったそうで、この巻末広告を見ても、ミッキー安川のアメリカ留学記、三笠宮殿下のご著書、中帰聯の三光作戦、関川夏央も読み込んだ『にあんちゃん』、わだつみの声、川喜田二郎のヒマラヤもの、ゾルゲ事件連座の尾崎秀実『愛情はふる星のごとく』と、実にバラエティに富んだラインナップになっていて、驚きます。私もこれらの本は読んだり積んだりのはず。
以上