『ウクライナ戦争日記』"Ukraine War Diaries" by 読了

左右社と河出と世界文化社から出ている関連書籍のうち、まず左右社のものが借りれたので読みました。あとは予約のじゅんばん待ち。

ウクライナ戦争日記 | 左右社 SAYUSHA

装幀 鈴木千佳子

巻末に翻訳協力一覧

出版は七月末ですが、SNSに掲載されたであろうと思われる各日記は、侵攻前後から、大体四月~五月初旬まで。

場所ごとに章を分けていて、ハルキウ、ヌームィ、マリウポリ、メリトポリ、ヘルソン、キーウ、イルピン、リディウ、オデーサ、クラクフ、川崎、東京です。なんとなく大阪が欲しかった気がしますが、なければないでしかたない。後背地、支援地域まで入っているので、各地の状況が分かります。執筆者は香港人KAORU・NG(吴)という知られた三十代フォトジャーナリスト以外たぶんウクライナ人。ひとりだけ仮名です。

最初に「ウクライナについて」「ウクライナ地図」「ウクライナの100年史」「時系列で見るウクライナ侵攻」「はじめに」があり、あとがきや解説はありません。"Stand With Ukraine Japan"、SWUJapanという支援団体に左右社から声がかかって、出版の運びになったとか。

落ち着いたらこうした膨大な情報を整理して、物語にして届けたいと考える執筆者もなかに登場しますが、万人の心に響くことがないだろうことは、本書に出て来るロシア人、ロシア在住者とのやりとりを見て理解出来ます。ウクライナの悲惨さに共感を寄せる人が、ロシアによるその復興を力強く信じていて、そのことを熱く語ることによってウクライナ在住者を勇気づけようとするくだりなど、相互不理解もいいところ。あらためて、ツェッペリンの"Communication Breakdown"はヌルかったと実感します。しかも復興例がチェチェンで、カディロフ崇拝者まで出て来るという豪華さ。

戦争の悲惨さより、それをどうにも共有出来ない隣人の描写が、冷たく心に刺さりました。

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2月18日にバイデン大統領が「プーチンウクライナ侵攻を決断したと確信」と発言したと、頁007に出てきて、頁202の2/23の日記でも、米軍情報として15万人のロシア兵が国境に集結臨戦態勢とあり、翌朝総攻撃開始。遠藤誉サンが口を酸っぱくして、だからバイデンダメだ、トランプなら戦争は起きなかったと繰り返し書いていて、今言うことじゃないでしょうとうんざりしたのを思い出しました。もっとあちこちに、バイデンが事前に情報をつかんでおきながら、パールハーバー前夜のローズベルトのごたる相手の出方待ちをしていて、その情報が現地ウクライナにも届いていたような日記があればと思いましたが、さすがにないかったです。しかし「あれば」という私の願望が、模造記憶に転化する可能性がママあるので、ここにメモしておきたく。本書の執筆者24名のうち、パニ症と、偏執症がひとりずついました。

当日の潰れてしまえ新聞。左が先に輪転機をまわした分と推定。侵攻した側にも死者が出たからって「双方に死者」はねーだろーと思って出勤したら、差し替えたみたいで「市民犠牲」になってますた。

先にも書きましたが、各地の日記を掲載することで、「人道回廊」なんて忘れられたことばを思い出せましたし(それにすがってロシア領に避難する人の日記もあります)日本で働いてる人が休暇取って北海道でスノボ楽しんでるときに第一報を知った時の描写も読めますし、ポーダンド、否ポーランドクラクフで避難者支援をする在住者の日記も読めました。日本へ避難する人の日記もあり、京都に行くことになったそうですが、京都に落ち着いてからの部分はまだその先の日記なようで、京都人の対応がどないやったかは語られておへんのす。

いちばん最初の日記は、摑みはオッケーと行かねばならないので、モータースポーツ経験者の女性が避難民救出に向かう波乱万丈のロードムービーでした。検問や兵士、戦闘の描写もさることながら、ゾンビ映画の定番、すべてをブチ壊す無法者集団の登場がいちばんスリリングだったです。

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頁028

 家の外に出たら何が起こるのか? あらゆる考えが絶え間なく私の頭の中を駆け巡っていた。爆発で車が破壊されたのではないかと想像した。どうすれば、ここから抜け出して息子や友人たちのもとへ帰れるだろう? 自分の車が無事だったのを見て、とてもほっとした。そして、助手席に置いてあった役目を終えた物を道路に投げ捨て、ユリアがそこに座る。

 そのとき不意に、柄の悪い若者の集団がいるのに気がついた。彼らは、まるで獲物を狙うかのように、私たちのほうに向かって両腕を広げ、ゆっくりと歩いてきた。私は咄嗟に運転席に飛び乗ると、震える手でエンジンをかけ、モータースポーツ仕込みの回転で車を動かし、若者の集団をボウリングのピンのように散らした。

(略)

基本、ウクライナ側についた人の日記で構成されているのですが、執筆者の中には、ウクライナ語に不慣れだが、これからはなんとしてもウクライナ語で書かねばならぬ、などの意気込みを見せる人もいて、問題の根の深さを細部にまで感じました。ラオ語タイ語くらいの距離だと思うんですが、どうでしょう。

English:"Stand With Ukraine Japan"

українська мова:"Підтримати Україну Японія"

русский язык:"Поддержи Украину, Японию"

読んでて、まあ私は日本に住んでて、韓国に行ったり南京に行ったりタイのカンチャナブリーに行ったりスマトラ日本兵と結婚した人に会ったりするなど、ほかの人も経験するようなことはひととおりあるわけなので、もし自分がロシア人だったらということはそれなりに考えながら読んだです。

頁048 ハルキウ オルガ・ツガンチュ

 サンクトペテルブルク[ロシア西部の都市]にいる。ここでボランティアのオルガと会い、ミニバスに乗ってエストニア税関に向かった。さようならを言うとき、彼女は泣きながらこう言った。

「あなたたちウクライナ人が、いつか私たちロシア人を許してくれることを祈っているわ」

 生まれて初めて見た、この本当の誠意を、私は生涯忘れることはないだろう。

「虫のいいこと言うな」と脊髄反射で返すのは簡単ですが、どうも心の中に何か引っかかるものがあって、しばし頭の片隅にペンディングして数日過ごすうち、あ、そうだ、我々は(少なくとも私は)この希望への勝手な自己完結アンサーを知らず知らずのうちに脳内に刷り込まれてるのだ、と思い至りました。

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初代ナウシカガール安田成美(木梨嫁)の歌う主題歌はいいとして、おとりにされた半殺しの王蟲の子どもに対し、自分や自分が属する風の谷がしたことでもないのに(確か工房都市ペジテが侵攻したトルメキア軍殲滅のためにしたんじゃいかな)「人類」がしたことだからって、「ごめんね。許してなんて言えないよね。ひどすぎるよね」なんて先回りして踏み込んで言う必要はゼロではないかと。そんなの単なる自己憐憫ではないか。なんだってさ、「いつか許してくれることを祈ってます」もうそれでいいじゃん、それ以上出来ないもん。あなたの心は私がコントロール出来るものではないのだから。そのような一言であっても、救われる人がいる。それを読むことが出来たのも、発見でした。人はそれ以上背負うことは出来ない。以上

【後報】

この科白について、岡田斗司夫が言及してないか、念のため岡田斗司夫チャンネルのナウシカの回(たくさんある)延々見ましたが、たぶん言ってないと思います。あれだけさべってるが、ここはウナギのようにぬらぬらしてとらえどころがなかったか。

(同日)