ガマの聖談 : 人生に関する珍考漫考 (光文社): 1968|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
ガマサンは、七十五なのに尻の肉が落ちて下がったりしてないそうです。五十代の皮膚の張りと艶を失っていないというのは言い過ぎとしても、尻の肉が落ちてないのはすごいです。日々銭湯で見るご老人と比較してそう思います。
ガマさんによると、それは女のおかげだそうで、それも一人や二人でなく、適正人数はだいたい7~8人だそうです。医学書の『医心方』にも彭祖が黄帝を例に引いてそう言ってるので、間違いないとか。その後、『医心方』がどういう本か解説してます。
『医心方』は平安時代、984年に日本で編まれた本で、こんにちでは失われた中国の房中術が多く収められ、この本がなかったら現代まで伝わらなかったものも多いとか。しかし何故7~8人だと年を取らないのかの理由までは書いてなくて、ガマサンはそれを合気道の観点から説明しています。曰く、合気道は常に一対多を想定しており、一人やっつけたら即次の相手にかからねばならない。これがためにつねに鋭い感覚が養われるんだとか。
それだと若さを保てるのかどうか知りませんが、相手も年を取るので、二十年前に二十代だった女性もアラフォーとなり、ガマサンはもう門下に新入生を取らないつもりだったが、七十五にして尚後続部隊を必要とするやもしれん、などと好き勝手書いてます。
そこから章題の話になり、女性もアラサーになると、常に相手に100%の全力投球を要求し、事後の余力を残すこと能わずという状態をキープするよう手管を尽くすそうで、だから耳がキレイな男は、そこまで女性がくまなくすみずみまでなめたりこすったりして磨き上げたということで、男性はそういう女性に弱くて、ジーンとなるそうです。
で、ガマサンに言わせると、早いかおそいかのちがいで、女性は最終的には「みんなそうなる」そうです。ここのあいだに尺八談義が挟まりますが、ヴァン・デ・ヴェルデというハルマ和解にでも載ってたのかみたいな単語は置くとしても、ガマサンはこれをやられるとひとたまりもないと言ってて、ちょっと信じられないです。
その後は、射精はどれくらいのペースがいいのかという話で、一日何回の青春時代が過ぎ去って、七十代のガマサンは五日に一回という、五十代のペースを維持してるとか。すごいですね。
その後は、腹上死は相手はしんどいが本人は天国なので太平楽だが、膣痙攣はおえんとしてます。昔の人は、なので神社仏閣で性交すると膣痙攣とか、人妻が不倫すると膣痙攣とか、メイドに手を出すと膣痙攣とか、世の社会秩序や道徳維持のために膣痙攣の抑止力を活用していたそうです。
頁190
そんなときの女は、目を三白眼にして、歯ぎしりをし、たいへんな形相になる。
これを快楽の表情と取り違えてはいけないそうです。そうなんですね。
章題:不老長生の秘訣 / 男の耳を見る女 / 平均的放出回数 / 男の危機
以上
ボーツー先生と福田和也の下記書評対談に登場する本。カーリルで県内図書館に蔵書があると出て来るので(白帝社版かな)公序良俗には反してないと思うのですが、他館本リクエストで数回なしのつぶてだった本。最近思い立って、日本の古本屋で、愛媛の古書店さんから、てごろな値段のものを購入しました。七百円。送料三百円。計千円。
stantsiya-iriya.hatenablog.com
裏表紙のサンケイ新聞フジテレビ会長(当時)水野成夫サンの一文は、著者ウィキペディアの記述を裏付けるものです。
著者ウィキペディア
(略)1940年転向仲間の水野成夫と古紙再生会社「大日本再生製紙」を設立する。1945年には宮島清次郎が社長を務めていた国策パルプと合併し、同社の常務取締役となる。(略)
(略)経営が悪化した同球団をヤクルト本社が買収したこの一件について、当時は「水野の窮地を盟友の南が救った」と言われていた。(略)
カバー折。田中一光のデザインとは。目次の次のページによると、本文さし絵・藤城清治だそうです。そんなそうそうたるメンバーが、このエロトーク集に結集したと。
杉 靖三郎先生を偲ぶ - 日本生理学会
http://physiology.jp/wp-content/uploads/2014/01/064100237.pdf
いつも元気、いまも現役(文化勲章受章・写真家 田沼武能さん) | 健康長寿ネット
まえがき(昭和四十三年一月二十五日)によると、このトークは、光文社の雑誌「宝石」に昭和四十年十月号から昭和四十二年十一月号まで二年にわたって連載したものをまとめたとか。すでにオープンリール*1の録音装置は普及していましたが、まあ、ライターと編集者にご本人がざっくばらんに語って、ライターがそれをメモして、だいたいな感じで文章に仕立てあげたんだと思います。そのほうがラクだし、ライターも腕が揮える。
奥付 昭和43年2月15日初版で、読んだのは同年7月1日の37版(37刷)左上に神吉晴夫サンの名前が見えます。カッパブックスの生みの親はもちろん、「戦後最大の出版プロデューサー」©Wikipediaだとか。
神吉晴夫のベストセラー作法十か条
1. 読者の核を20歳前後に置く
2. 読者の心理や感情のどういう面を刺激するか
3. テーマが時宜を得ている
4. 作品とテーマがはっきりしている
5. 作品が新鮮であること。テーマはもちろん、
文体や造本に至るまで今までお目にかかった
ことがないという新鮮な驚きや感動を読者に与える
6. 文章が読者の言葉遣いであること
7. 芸術よりモラルが大事
8. 読者は正義が好き
9. 著者は読者より一段高い人間ではない
10. 編集者は常にプロデューサー・企画制作者の立場に
立たねばならない。先生の原稿を押し頂くだけではダメ
右上の伊藤整『文学入門』と、サラリーマン目白三平シリーズがカッパブックスの最初だったそうで、この巻末広告を見ても、ミッキー安川のアメリカ留学記、三笠宮殿下のご著書、中帰聯の三光作戦、関川夏央も読み込んだ『にあんちゃん』、わだつみの声、川喜田二郎のヒマラヤもの、ゾルゲ事件連座の尾崎秀実『愛情はふる星のごとく』と、実にバラエティに富んだラインナップになっていて、驚きます。私もこれらの本は読んだり積んだりのはず。
以上