『中国の民族問題 危機の本質』"China's Ethnic Issues. The Essence of the Crisis." by KAGAMI MITSUYUKI 加々美光行著(岩波現代文庫 学術194)〈IWANAMI GENDAI BUNKO〉読了

船戸与一サン『国家と犯罪』1997年のチベットウイグルの項の参考文献。船戸サンが参考にしたのは新評論から1992年に出た『知られざる祈り』ですが、手っ取り早く読めるのが2008年の岩波現代文庫版ですので、岩波現代文庫で読みました。

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頁ⅶ まえがき

 本書は偶然にも二〇〇八年三月のチベット暴動の勃発と、八月の北京のオリンピック開催と時を併せて出版作業が行われる結果となった。このため元来は一九九二年に刊行した旧著『知られざる祈りーー中国の民族問題』(新評論)を基礎に若干の手を加える程度で出版する予定でいたが、新たな情勢の展開を踏まえて、大幅に論稿を書き加える形に計画を変更した。

どう変更したかは巻末の編集付記に詳細に記されています。章構成の移動変更、新規追加… まえがきで、岩波書店編集者林建朗サンへ謝辞。

加々美光行 - Wikipedia

昨年逝去後に、姫田小夏サンなんかが、センセイはキンペーチャン体制に警鐘を鳴らしていたみたいな追想を書いてたのを読んだ記憶があるのですが、模造記憶かもしれません。探し出せず。

本書は、北京五輪にあわせての刊行ですので、いきおいチベット関連の記述が多く、まあホントその後中国では、二度と同じ手には食わないぞって感じで、①ダムからコダリへのルートも、ヤードンルートも全閉鎖。②新公路をバシッと建設。③教育だけ亡命政府の息のかかったインドネパールで受けさせて自治区に戻る期間限定難民作戦を完全に日干しに(それまでは中国というか自治区が貧しかったので黙認)④四川に至るまで、街角で石を投げれば監視カメラにあたる状態に。天網恢恢疎にして漏らさず。

…………最後までやりきらないと、反撃も徹底的に来るので、それでプーチンも引っ込まないんだろうなという。アメリカはその辺、中途半端なんですかね。WWⅡではわりと徹底的にやったですが、あれだってベルリン突入は赤軍だったし、満洲千島も然り。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/44/DorjeShugden_Statue%2C_Buddhistischer_Tempel_Z%C3%BCrich.jpg/450px-DorjeShugden_Statue%2C_Buddhistischer_Tempel_Z%C3%BCrich.jpg頁27、チベット。ギャワ・リンポチェと青年会議派でしたか、先鋭化する若者との対立は船戸サンも書いてましたが、頁27のシュクデン"Shugden"信仰は書いてないかったと思います。「チベット仏教の異端、激しい憎悪と怨念を持つ神霊」だそうで、土俗的シャーマニズムの信仰対象なんだとか。

シュクデン - Wikipedia

རྡོ་རྗེ་ཤུགས་ལྡན་ - Wikipedia

Dorje Shugden - Wikipedia

頁31、チベット。これと関連してか、ギャワ・リンポチェは2007年1月伊勢神宮に参拝した際、次世代の「ダライラマ」は化身ラマとして探し出されて見つけられるのでなく、ローマン・カソリック教皇のようにコンクラーベで選出される方式でもよい、と語ったとか。ただしこれはソースが朝日新聞だけで、海外に拡散されたニュースかどうかは分かりません。同様の発言が繰り返しなされてれば、知られた話なんでしょうけれど。もしコンクラーベになれば、お隠れになられた後、パンチェンの二の舞は避けられるかもしれません。完全に亡命政府が選ぶから。ゲルク派ダライ・ラマにかわって、シュクデン信仰が主流になるってのは、ちょっと考えにくいです。

頁120、チベット。1966年11月初めには自治区文革は大量の漢人紅衛兵流入を招き、それまでも名目的な主役にすぎなかったチベット人紅衛兵は完全に運動の渦から放り出され、漢人紅衛兵の各派閥の飾り物に過ぎなくなったそうです。これ、名目はそうでも、チベット語をよく操る人々は、チベット人に対しては、そうとう威圧力があったんではないかと、文革後しばらくしてからのチベット語小説の内容の自主規制というか、気に障る表現を避けているフシがあるのを見て、思います。チベット語ペラペラの漢族もいることはいるでしょうが、やっぱり同族の虎の威を借る走狗を気にしてるとしか。

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頁138、今度はテュルク系。新疆生産建設兵団のことを、「生建兵団」と訳して略していて、へーと思いました。検索すると、口語ではビントワンとだけ言ったりですが、関連企業が「新疆生建兵団○○有限公司」だったりするので、ありえないこともないかなと。日本の研究者内のジャーゴンかもしれませんが。

頁184、これはオーラルな記述。加々美センセイによる吉本隆明「アジア的専制」論批判。ネトウヨ批判でなく吉本隆明というところが、いわゆる流儀を感じさせられるところです。一顧だにしないものはしない。日本学術会議内でだけやりあいたい。ちがうかな。

頁205、頁219、モンゴル。1945年のヤルタ協定ソ連は対日参戦の見返りとして、独立国もしくはソ連の傀儡国家アウターモンゴリア、北モンゴルについて一方的な現状変更を認めないこと、現状維持の容認を条件として求め、國府はそれを呑んだとか。樺太千島は現状変更で、モンゴルは現状維持とかおかしいやないかと言いたい人はどんどん言いよし。その後、1946年1月にはモンゴル人民共和国を國府は正式に承認したんだとか。ここで本書の記述は途切れてますので、あれ?1990年代2000年代になっても、臺灣で売られてる中華民國全図に北蒙古載ってるし、監督省庁も(かたちだけですが)あったじゃんと皆思うはず。私も思いました。

台蒙関係 - Wikipedia

1949年、国共内戦中国共産党に敗れた中華民国政府は台湾に撤退(中華民国政府遷台)した。その3年後の1952年、中華民国政府はソ連を中ソ友好同盟条約違反であると非難し、翌年の1953年立法院が同条約の破棄を決定した。この際にモンゴル人民共和国に対する独立の承認も撤回したと解釈された[7]。

傍線は私です。加々美サン、撤回したとこまで書いてちょーよ、と思いました。

チベット部分の参考文献にイシハマサンが登場しますが、ウイグルに水谷サンは出ません。歴史研究の著書をあんま書いてないからでしょうか。Ⅳ章だけ、まるまるまったく参考文献というか、引用元の記載がなくて、ある種凄みを感じました。

加々美サンは、中国周辺域のマージナルな諸民族について、「漢化」「華化」というふたつのことばを使って説明しています。習慣や制度面で漢族のそれを受け入れる。文字を受け入れる。しかし言語面やアイデンティティまでは同一化しない。各民族、段階ごとにちがう。広西のチワン族と広東人。台湾。漢字を使い箸を使い、律令体制と年号を学んだが、天皇制から幕府政権へと移り、漢人的な名前を持たない日本。漢人的な名前を持つベトナムと朝鮮も、やはりそれぞれ模倣の度合いがあり、地勢的な距離感もあり、同一とならなかった。朝鮮の場合は言語面の隔たりも大きかったと思います。

私が本書を読んで付け加えたいと思ったこと。元代色目人の多くをしめたペルシャ系は、信仰を除いて完全に同化して回族となったが、イスラム教への信仰があるがゆえに、その一点で同化しなかった。その一点以外同化が成ったのは、先行するネストリウス派キリスト教徒や、祆教(ゾロアスター教)徒、喫菜事魔として王朝ごとの民衆反乱の蔭にその姿が見え隠れするマニ教徒の存在とその同化があったからではないか。

中国が世界と同一の意味を持つことばであることは、本書以外に、『魁!男塾』の扉煽り文句に時々出て来た「海内(かいだい)」ということばからも説明出来ると思います。

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海内=世界、なかつくに。また、例の「支那」「震旦」ということばが仏典に比較的多く見られることばで、逆に二十四史では、宋史のインド人天文学者の帰参のくだりに一回出るだけということの意味も考えたく。仏典には「中国」は出ませんが、「中土」という単語が登場し、仏教の祖地インドを指す言葉としてちょいちょい使われています。仏教はインド中心主義なので中国は中国でなくインドで、中国はチャイナなのですが、そのインドで仏教が廃れたので、それ以上の展開はないという。そこまで知れば、もうじゅうぶん。

さらに加々美さんはまえがきで、中国抜きで、普遍的な民族問題について総括しています。19世紀から20世紀にかけての二大テーゼは「階級」と「民族」だった。「階級」は、「自由」を求めるブルジョワジーと「平等」を求めるプロレタリアートのあいだで争闘が繰り返されたが、社会全体の底上げもあって、前者が勝利した。「民族」は対する概念が「帝国」だったが、それ以外の要因で多民族帝国は自壊し、諸民族は自決したが、今度は優位な民族が下位の民族を抑圧する権力装置と化し、民族は国家権力とイコールのヘゲモニーになった。

ビルマ少数民族と軍事政権の手打ちを中華人民共和国がしてしまったことは私の中では有名ですが、吉田敏浩さんが書いてなくて、高野秀行さんが書いてたことが印象的です。

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高野サンが潜入したワ州は中国の経済的軍事的影響が強く、行政用語などに漢語が流入していて、少数民族はウェンホワ(文化)がないなど、漢族が言っていることをワ人がそのまま中文ごとオウム返しに口にしたりしている状態だったとか。20世紀末の「漢化」「華化」最前線の情景です。

本書にもどると、加々美さんによると、なぜ中国とテュルク系、チベットが激突というか、漢族と相容れないのか? それは、テュルク系はイスラム教、チベットチベット仏教(モンゴル含む)という、求心力のあるカルチャーパワーを持っているから、です。中華同様のエスノセントリズムというか、グローバルな「帝国」要素を彼らもまた持っている。チベット仏教は漢族信者の人口も無視出来ない数で、かつては北京の諸王朝皇帝も信仰しており、パトロンでした。テュルク系の場合はコーカソイドの外見からちがうわけですので、キンペーチャンの同化政策が、それこそナチスもビックリのロジカルな人権無視なのはワックの本でも読めば分かるかなと。読んでて信じられないくらいえげつないので、あまり口にしたくないくらい。こういう本とか臓器売買の本とか読む人は、反中というだけでなく、神経が強いと思います。

繰り返しますが、加々美さんはキンペーチャン体制下中国の未来を案じつつ亡くなったそうで、私は案じませんが、ただただかかわりたくないです。以上