『チベット女性詩集 現代チベットを代表する7人・27選』དབྱངས༌ཅན༌པི༌ཝང༌ལྟང༌ལྟང༌། "Tibetan Women's Poetry Collection. 7 Representatives of Modern Tibet, 27 Poems." (現代アジアの女性作家秀作シリーズ)(Contemporary Asian Female Writers Excellent Works Series) 読了

上は表紙の一部。チベット女性の、ベタづけの髪の毛がよく描かれてると思いました。下は版元公式 各詩人の写真の、元がカラーなものはここにカラーで掲載されています。というかホワモという人だけモノクロで、なんでって思う。

チベット女性詩集│ゾンシュクキ/デキ・ドルマ他

正確には何文字までか分からないのですが、はてなブログを下書き保存する際、あまり題名が長いと中途で切れて保存されますので、編訳者である海老名志穂サンのご芳名は日記の題名には入れてません。

東外大公式の刊行告知

チベット女性詩集: 現代チベットを代表する7人・27選 | TUFS Today

チベット語タイトルはツェラン・トンドゥプサンがつけたそうで、「弁財天の琵琶の音色」の意味だとか。それならウィキペディアで弁財天と琵琶を出して、そのチベット語版を開いてコピれば大半解決すんじゃん、僕ってあったまいい、と思いましたが、よくある話で、それぞれチベット語版へはリンクがなされておらず、けっきょく薬局手打ちしました。

これだけ多言語がコンピュータの翻訳機能とOCR機能の軍門に下ったのに、ひとり気を吐いているのがチベット語とゾンカ語で、ほぼほぼ全世界のことばが自動翻訳出来る昨今(ゴールデンカムイの最後、シライシ通貨のビルマ文字が速攻iPhoneで解読されてついったで流布された時はショックでした)、キカイが対応していないのでひともじ一文字手打ちする愉悦がまだ味わえて、脳がとろけるような悦びがあります。これがアラビア文字みたいに、語頭と語中と語末で字形が変わる文字だと即お手上げなのですが、チベット文字はそうでないので、いっこ一個ウィキペディアチベット文字から字を引っ張って合成してもなんとかなるという。

なんでチベット語が自動翻訳出来るようになってないかは、①ゾンカ語のブータンがまだもう少し鎖国したいので、チベットがそれにおつきあいしている。②中国の入力方式と亡命政府の入力方式ほかが並立しており、そのへんで何かがある。③それ以外。さてどれでしょう。

最初、 という字をལྦ と誤認識して、そのまま突っ走ってましたが、何故か解決しました。

པི་ཝང་། - Wikipedia

チベットの大地からあなたへ 感動と新たな視座 ジェンダー、生命の誕生、 故郷の喪失、 労働の重圧・・・ 閉ざされた世界をうち破り、 女性詩人たちがいま自らの人生をうたう ◎漫画家・蔵西による挿画 (司馬遼太郎・原作 「ペルシャの幻術師』 / 『月と金のシャングリラ) ◎チベットの女性事情をつたえる7つのコラム

満を持して、という感じの本で、これほどのものが刊行されてこようとは思っていなかったので、非常にいい意味でショックでした。

好評発売中 現代アジアの女性作家秀作シリーズ ★サーラピーの咲く季節(タイ) ★エリサ出発 (インドネシア) ★シンガポーリアン・シンガポール(シンガポール) ★スロジャの花はまだ池に (マレーシア) ★二十世紀: ある小路にて(ネパール) ★12のルビー(ミャンマー) ★レイナ川の家(フィリピン) ★虚構の楽園 (ベトナム) ★熱い紅茶 (スリランカ) ★金色の鯉の夢 (韓国) ★ぼくの庭にマンゴーは実るか(インド) ★カンボジア 花のゆくえ (カンボジア) ★天空の家(イラン) 発行 段々社 発売 星雲社 定価 2,200円 (本体 2,000円) ⑩

段々社のこのシリーズは、読んだのはビルマの『12のルビー』くらいですが、タイやフィリピンの背表紙は何度も何度も図書館のアジア文学コーナーで見ており、そこから本書が新刊として刊行されたこともまた一読者として望外の喜びでした。最初、販売の星雲社星海社と空目して、講談社の子会社のメフィストがなんでこんな、『サトコとナダ』を刊行したからだろうか、等々妄想に耽りました。スリランカの小説は今度読んでみます。近隣のスリランカレストランはシンハラ人とムスリムの店しかないので、タミル人を描いた小説を読んだよと言っても、話が広がるか分かりませんが。

訳者あとがきに謝辞多数。段々社編集坂井正子サン、装幀を担当されたということなのか、草本舎の青木和恵サンにイラストレイアウトの謝辞。本書は日本学術振興会特別研究員研究奨励費と東外大AA研共同利用・共同研究課題「チベット・ヒマラヤ牧畜文化論の構築 ー民俗語彙の体系的比較にもとづいてー」の成果の一部とか。

蔵西サンは、イラストというより、描き溜めたスケッチをかなり提供されていて、風景や建物、人物が、この人のマンガやイラストとは異なるタッチで描かれています。何の注釈もないので、頁24の街などは、どこでも、自分の行ったところと重ね合わせればいいのですが、頁39のカンリンポチェなど、自分で気が付かねばなりません。頁61の、崖のむきだしの地層の下の寺院など、私はさっぱりさっぱりでした。頁63のお城も、ギャンツェのお城をこんな角度から見れる旅行をしたのかしら、と思ってみたり。落ち着いた味わいがあって、本書によく合っていると思います。

助言等への謝辞は、根本裕史サン、今枝由郎サン、ガザンジエサン、ラジャブンサン、ジャムヤンサン、チベット文学研究会の岩田啓介サン、大川謙作サン、小松原ゆりサン、三浦順子サン、星泉サン、と、西夏語研究者のパートナーと、息子さんへ。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/stantsiya_iriya/20190702/20190702202501.jpg西夏語研究者って、とんでもなく浮世離れしてると思うんですが、どうでしょうか。私は契丹文字のTシャツを持っていて、中国人がそれを見て、解読出来ないので日本の國字と勝手に解釈してしまうことしきりなのですが、西夏文字も一部で「怖い」と思われてるようで、東大卒の人のはてなブログのそんな記事も今、検索で出ました。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/41/Bi%C3%A1ng.svg/90px-Bi%C3%A1ng.svg.pngしかし、今はビャンビャンメンの時代なので、もうどうでもいいじゃいかとも思います。こわかなかろう。ビャンビャンメンだから。

ビャンビャン麺 - Wikipedia

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/stantsiya_iriya/20220902/20220902181638.jpg読めれば怖くないかというと、そうでもないという。右は台湾の恐怖映画の呪い除けかなんかの呪文の場面、の、映画紹介まんが。

『邦画プレゼン女子高生 邦キチ!映子さん』Season9 / 1~3本目 "HOUGA PURESEN JOSHIKOUSEI HOUKICHI!EIKOSAN"(JAPANESE MOVIE CRAZY PRESENTATION COMICS : Japanese movie freak eiko)Presented by Shota Hattori 読了 - Stantsiya_Iriya

閑話休題。ゾンシュクキという人と、デキ・ドルマという人と、カワ・ラモという人の詩のうち、四編は「セルニャ」にすでに掲載済で、今回改稿して、さらに掲載の許可を得て載せてるんだとか。今回七人のセレクトに関して、デキ・ドルマサンは相談に乗ってたそうで、そこも謝辞がありました。全員にウィーチャットで掲載許諾のやりとりをしたそうで、亡命後最終的にオーストラリアに落ち着いたしともいますので、そのしとともウィーチャットのやりとりなのかしらと思いました(本書は、私のような読者が多数いるのかいないのかの前提で、周到に執筆されています)

左は見返し。漢語では粉紅色と書く、ピンクです。

私は、一連のチベット文学研究会などの邦訳が、ずっと男性ばかりなのを不思議だと思っていて、ドンドゥプジャ、タクブンジャ、ラシャムジャ、ペマ・ツェテン、ツェラン・トンドゥプ、さらには英語小説や幻想アンソロジーも出したのに、男性作家ばかりなので、チベットの女性作家って、そもそもいるのかくらいな認識でした。蔵西サンのBL調イラストが多用されだしたこともあり、なんというか、チベット文学を日本に紹介するとなると、現状BLが突破口なのかなどと勝手に思ってました。ちがった。

実はセルニャ創刊号にすでに上述亡命詩人の作品掲載があり、その時点で彼女はダラムサラ在住だったとか。しかもその後セルニャには、詩のみならず女性作家の小説も紹介されたとか。いかに私がセルニャを読んでないか(持ってはいます)ということなのですが、訳者あとがきほかを読むと、実はというか、複合的にいろんな要素が絡んで、本書成立に至ったことが分かり、かなり舌を巻きました。

左は、カバーをとった表紙の絵。
「【コラム2】チベット文学に新しい風を吹き込んだ女性たち」(編訳者執筆)によると、やはりチベット文学における女性の出現とその継承は、1980年代漢語文学におけるフェミニズム文学革命の影響があったそうです。チベットの場合は、仏教伝統社会が男性を主とするものであったことから、その従属からの脱却、従来穢れとして捉えられていた女性の人生の一部をどう表立って表現するか、などのチベットならでは葛藤があったそうです。

「【コラム4】フェミニズム運動は詩からはじまった」(編訳者執筆)を読むと、今世紀初頭、チベットでの運動旗手となったホワモは、まず米国に拠点を置く組織の支援を次々に受けて女性詩人のアンソロジーを出版、中国政府もまた後追いで女性詩人のアンソロジーを2010年代に出版したとあります。片方が出したらもう片方は弾圧するのでなく、バトって競争で出したのがよかったと思います。訳者はあとがきで、2015年くらいから現地でチベット女性作家の著作物を見かけることが多くなったと書いています。また、文学研究会と現地交流では、ツェラン・トンドゥプから、邦訳活動でも女性作家を紹介してはどうか、と言われており、セルニャでそれは行なっていたとか。

頁193

(略)しかし、当時は、男性の詩だから女性の詩だから、とジェンダーの枠で文学作品をとらえることに直感的に抵抗を感じ、「女性詩」といった紹介の仕方はずっと避けてきた。

訳者を変えたのは、フランスのチベット文学者フランソワーズ・ロバンが英語で著述した二つの論文でした。コラム2と4がその要約になってるそうですが、それまで、個々の詩をばらばらに読んでいて、バックグラウンドを時間軸の変化とともに捉えていなかったことを自覚し、運動史の潮流、大きなうねりに衝撃を受けたそうです。

www.youtube.com

"François Robin Tibet" で検索すると出てくる音楽動画。動画ですが動きません。音楽は流れます。

en.wikipedia.org

英語版と仏語版と中文版とアラビア語とナイジェリアのピジンイングリッシュ版があるロバンサンのウィキペディア。日本語版がないのは、人口減少とかそういうのも背景かな。一億総活躍しても手が回らへんだ。

www.academia.edu

一つ目の論文「チベット女性詩と女性の身体 沈黙から賛美へ」"Tibetan Women Poets and the Female Body: from Silence to Celebration" をスキャンしてpdfにしてあげただけのページが上記。ロバンサンのチベタンネーム、ཆོས་ཉིད་དབང་མོ། がついてます。

https://hal.science/hal-01940562/document

二つ目の論文「女性の言葉と身体のケア ホワモと女性福祉協会『羅刹女の会』に関するフィールドノート」のURLが上記。原題は"Caring for Women’s Words and Women’s Bodies. A Field Note on Palmo and her “Demoness Welfare Association for Women" ことばとケアが対句なのではなく、身体とことばの両方をケアってるんですね。ホワモは本書では"dpal mo"となってますが、上の論文では"Palmo"

その後、訳者は、詩を自宅で自ら音読してみて(初体験だったとか)その後シンポジウムでも朗読し、音波の持つ力に目覚めたとか。この読書感想もたいがい刊行から遅れてるのですが、その後チベット好きのイベントの本書関連では、やっぱり朗読が含まれるそうです。まあそうなんでしょう。ドリアン助川

本書は黄金連休前に読み終わっていたのですが、すばらしいことに全著者と全詩タイトルがチベット語併記されており、それをぜんぶ打ち込もうとして、挫折してますです。訳者の人(しいてはチベット文学研究会ということなのかな)があえてジェンダーに距離を置いていた「空気」©山本七平から、回天により、本書出版に至った経緯についても、うまく咀嚼して文章に出来ていなかったのですが、なんしか書けた気がするので、まずはここまでであげておきます。

以上

【後報】

個々の詩にそれほど感想文はないのですが、七人それぞれ、独立項として感想を上げることにします。

(2023/6/9)