- 作者: 玉村豊男,TaKaRa酒生活文化研究所
- 出版社/メーカー: TaKaRa酒生活文化研究所
- 発売日: 1997/04
- メディア: 単行本
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いっしゅん、研文選書に空目った。
紀伊国屋書店サイト
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784906510849
上記抜粋に加筆
目次
はじめに(玉村豊男)
第1章 現代の酒宴
ほろ酔い酒(村松友視)
酒のある学問(高田公理)
酒を肴に酒を飲む(藤本義一)
“箱”のなかの酒宴(山口由美)
第2章 酒宴の文化
酒宴のはじまり(今谷明)
江戸の文化センター ―遊里での酒宴(佐伯順子)
花見の宴(芳井敬郎)
浅草寺の酒宴(吉原健一郎)
江戸文人と宴遊文化(今田洋三)
京阪水辺の遊宴(森谷尅久)
墨水詩酒の宴 ―月に酔い、花に迷うて(寺岡襄)
江戸のワインパーティー ―おらんだ正月・異聞(戸沢行夫)
酒と芸術の日々 ―パンの会(鈴木貞美)
第3章 酒宴の心
酒席の会話はネコの毛か?(日高敏隆)
酒宴のメンタルヘルス―「ふたり酒」のすすめ(小田晋)
酒宴の原風景(福井勝義)
第一章が文筆家による酒エッセーで、
これにより一定の販売を見込んでいたのかな、と伺わせ、
第二章が中世近世日本の酒宴について、各専門家による簡単な抄を収めてます。
足利将軍家の宴席、鴨川の「床」のはじまり、漢詩家の酒、蘭学者の酒…
第三章は心理学等を狙ったものか、
頁264 酒宴のメンタルヘルス
一般に人間がその日常性からの解放を企図する手段のなかでいちばん過激なやり方は、狂気に陥ることであろう。もちろんそれは病気のために心ならずもそうなるのであるが。そうした、狂気を一時的に、インスタントにもたらす方法として人類が昔からもちいてきたのは、じつは信仰(祈祷)と薬物による陶酔であった。
頁265 同
酩酊は<ハレ>の日の行為であるが、それは一定のケジメが必要なのである。それが<ケ>の日、つまり日常的な労働と人づきあいとのあいだがなくなり、後者が前者を侵食してしまえば、昔なら酒狂、今ならアルコール依存症のような「病」として認識されることになるのである。
頁265 同
精神医学的にみても、一般に、単独飲酒者(ソリタリー・ドリンカー)は、社会的飲酒者(ソーシャル・ドリンカー)よりもアルコール依存症に陥りやすいというのは常識である。
このエッセーは、夫婦のふたり酒のような、孤立飲酒を防ぐ工夫を提起しますが、
まあただ、酒に飲まれるタイプ、そういうふうにゆがんだ酒のみに成長した場合、
誰もいっしょに飲んでくれないわけですし、自分一人ではもうそんな自分が直せない、
直そうとしても酒が入るとスイッチも反射で入る、そういう人が、
それだけの理由では、酒をやめない無力さ、死ぬのがこわいと実感出来るまで、
そこまでいってしまうのを待つしかないのか、的な怖さ、
まで書いてもよい気もしますが、それは別の本に書くべき話なのでしょう。
どっとはらい