字数制限でタイトルスペースに入れられなかった英語の題名(グーグル翻訳):""Introduction to Water Resources Research in Sri Lanka - Historical Consideration of Irrigation Agriculture" by Nakamura Hisashi
装幀者の名前未記載。
読んだのは1988年3月25日の初版。定価¥2,200ですが無税です。当時まだ消費税はありませんでした。その後の導入も最初は3%で、10%じゃなかったし。この一割二百円はなんなん? と思う人もいないと思いますが、巻末の広告「論創社の水と土、好評シリーズ」に載っているほかの本にそういう値段設定の本はありませんでした。為念。
状態ヨクナイデスヨの記載済で五百円という破格の出物が日本の古本屋にあったので買いました。もう一冊中村サンの著書を五百円で買って二冊で送ってもらって、そしたら送料が一冊三百五十円かける二で七百円もとられたのには驚きました。一括配送だから、もう少し送料安くなるかと思ったのに。
スリランカ水利研究序説 : 灌漑農業の史的考察 | NDLサーチ | 国立国会図書館
右はカバ―裏。カバーをとるとまっしろなハードカバーで、何の印字もありません。
だいたい「序説」を書く人は本論を書く前に序説だけで承認欲求が満たされるのか、その後本論を書きませんが、それは、序説だけで読者もおなか一杯になるからかもしれません。もうこれ以上情報いらないヨーとなる。本書も1961年に京大文学部の西洋史を卒業した後、何故か通産省傘下のシンクタンク・アジア経済研究所(当時。現在はジェトロに移管)に1961年から1984年まで勤務、アンタ南アジアやんなはれということで、1962年くらいからスリランカ人留学生の手ほどきでシンハラ語に手をつけ、1965年から三年あまりセイロン大学(当時)に留学、1979年から二年あまりスリランカの公的機関と思われる?農業問題研究所に在籍した中村サンの現地研究の集大成というか、たまりにたまったエートスやらパトスやらがほとばしって出来た本です。おそろしい。序章からすごく飛ばしてる。学術書とは思えないほど。
アジ研が発足当初、現在の中央大市谷キャンパスにあったとは知りませんでした。後ろが防衛省。現在は幕張に移転したとかで、ちょっともったいない気がします。
序章は「スリランカの経済と社会」なのですが、スリランカの先住民ウェッダ人について、まず、
頁2
(略)一九五三年のセンサスで登録されているウェッダ人人口は八〇三人にすぎない。(略)その後のセンサスには、ウェッダ人という区分はない。
(略)ウェッダ語なるものも、シンハラ語の方言とほとんど判別しがたいともいわれている。(略)むしろ、多数民族がつくりだしたイメージに基づく生活スタイルを押しつけられ、見せ物化しているという点で、「オロチョンの火祭り」というような形で風俗化させられている、北海道のギリアーク系住民のウィルタ人と同様の課題を負っているとみるべきであろう。
飛ばしてると思いませんか。次のタミル人も、こうです。
頁3
(略)南インドから導入された、スリランカの市民権をもたないタミル人(中央山地の住民)は、在日朝鮮人の数より多い。さらに北部のジャフナ(ヤルパーナム)を中心とする、スリランカの市民権をもつタミル人の間での「イーラム国」分離独立運動も加わって、日朝関係以上に複雑で深刻な現代的課題となっている。
実際にタミル・イーラム解放の虎との内戦は大変だったわけですが、もうひとつの内戦、人民解放戦線の蜂起の影に北朝鮮の蠢動があったとして、北朝鮮人全員国外退去となったとアーサー・C・クラークサンの本*1に書いてあったことは書いてません。
ここで中村サンは世界のスリランカ史研究まで概観しており、王統史や仏教教団史中心の古代・中世史と、ポルトガル、オランダ、英国それぞれ百五十年ずつの近世・近代植民地史にこれまでは研究対象が集中していたが、独立後、ペラデニヤ大学などが勃興し、新たな成果が発表されつつあるとしています。ナマコの眼の鶴見良行サンとの絡みからすれば当然ですが、中村サンは西洋中心史観でない、それまでのインド洋交通の要衝であったスリランカと西洋列強進出以前の東西交渉史に注目しており、日本には東大の辛島昇サンが中国史料を用いた明朝とシンハラ王朝の朝貢関係のすぐれた研究を出してるし、東外大の家島彦一サンはアラブ史料を用いたエジプトとシンハラ王国の交易関係に関するすぐれた研究がある、と言及しています。まるで、東洋学の系譜を読んでるかのよう。ただ、これは、たとえば漢籍解読の本場である漢族世界が内戦や竹のカーテンで閉鎖環境にある状況下に対し、日本が米国庇護のパクス・アメリカーナで平和を享受出来た恩恵のひとつにもほかならないです。漢族目線で書くと、自国中心主義になりがちで、対等な貿易関係などにはなかなか目を向けづらいところがあるわけですが、どちらにも利害や肩入れ思い入れのない日本なら、第三者目線で、ある意味クールに歴史を書くことが出来る(自国が噛んでる事象じゃないですしね)良い時代だった、で終わらせるのはオカシイですが、漢籍史料やアラビア語史料の読解スピードで、ぜったいに邦人は漢族やアラビア人に勝てないので、彼らに伍した研究成果が今後どこまで出せるかは、ちょっとどうかなと思ってます。彼らが恣意的な成果を出すとしても、AIでチェックしてみるくらいが関の山になるのかもしれない(欧米人もそうでしょうけれど)
バーガーに関しては、本書はバーガーより「ランシー」という言い方を使っていて、イギリス人との混血とオランダ、ポルトガルとのそれを統計上分けていた時代もあるが、現在は一括しているとのこと。
頁5
(略)クリスチャンではなくても、シルバ、スーザ、ピーリス、フェルナンド、ダヤス、ペレーラなどというポルトガル風の姓をもつ人がいる。とくにカラーワ、サラーガマ、ワフンポラ、ドゥラーワなどの下位カースト住民に多い。
私はポルトガル風の姓を持ってれば即バーガーだと思っていたのですが、ことはそう簡単ではないようです。シビル・ウェッタシンハサンは親の姓がシルバですが、シンハラ人のカテでみんな考えているようなのは、そういうことだからかなあ。
イギリス統治下、イギリス人はマレー半島にタミル人を移植し、スリランカにマレー人を移植したわけで、
頁6
(略)マレー語を話すイスラム教徒の住民が、キャーガッラやハンバントタの近辺に集住しているのは、その遺産である。
ハンバントタって、例の中国が借金のカタにとった港ですよね。ちがったかな。今日本にたくさんいるスリランカのムスリムについては、中村サンはこのようにまとめています。
頁6
(略)スリランカ第二の少数民族であるマラッカラム人は、(略)植民地時代にインド・ムスリムとの融合がすすみ、内陸部にも定住するようになり、商品経済に適応して経済的地位を高めている。大半がタミル語を母語とし、少数がシンハラ語を母語としている。
中国の回族は言語による民族区分でなく宗教による民族区分なので(祖先はペルシャ系が多そうですが、もう混淆が激しい)言語は漢語なわけなのですが、同じ概念を中村サンはスリランカのムスリムに適用しているようです。だからシンハラ語話者でも信仰が回教であれば「マラッカラム人」となる。
そんで、そこまで疾走する中村サンなので、当然シンハラ人についても走ってます。ついていけない。
頁6
(略)たとえば慣習法が尊重され、ウダラタ・シンハラ人にはキャンディ法が、北部タミル人にはテサマライ法が、マラッカラム人にはイスラム法が、パハタラタ・シンハラ人にはローマ・ダッチ法が適用される、というように法域が重層化している。
パシュトゥーン人が棲んでるパキスタンのアフガン国境寄り、トライバルテリトリーはイギリスもパキスタンも出が出せない慣習法が支配する地域、的なことが、「アジアで最良の英語を話す国民」(コロンボ駐在イギリス大使)(頁4)の国にもあるのか、と思う反面、ウダラタ・シンハラ人とパハタラタ・シンハラ人がなんなのか一切説明がなく、インターネットがなかった時代に本書を手に取った読者はここでとても困ったろうなと思いました。
また歴史的な経緯から、内陸部に住むウダラタ(高地)シンハラとパハタラタ(低地)シンハラに分かれており、言語・習慣・慣習法の違いがある。
経済研究所在勤だった中村サンなので、独立後のスリランカが二回六ヶ年計画、一回十ヶ年計画、二回五ヶ年計画と五回計画経済を試みながら、すべて中途放棄されたことの詳細な分析が必要と書いてます。その後1977年に政権交代を経て、IMFや世界銀行の勧告で、自由化政策を取り入れ、中村サン自身も岩波新書で触れていた医療の無償サービスなどが徐々に見直されつつある、となるのですが、中村サンらしいと思ったのが、自由化で放棄されつつある各種福祉政策は、「市場メカニズムの発達を最優先する視点とはちがったもっと広い立場(広義の経済学)から、これらの福祉政策の功罪が拳闘されるべき」で、「多角的な検討に値する貴重な実験」と書いている点です。頁8。
この調子で本論の灌漑農業についても書いてくだろうので、これまで読んでなかったスリランカの概論、たとえばハイジャックの本の作者も師と仰いだ澁谷利雄サンの彩流社の本など読み進むべきであるかと思いました。庄野護サンが百冊嫁と言ったその百冊セレクトっぽい方向に、進みつつある。
そういうわけで、とりあえず「序章」"Prologue" "පෙරවදන" "முன்னுரை"で感想①ということで、置きます。全部で何回の感想になるのか、ちょっと分かりませんが… 以上