『スリランカ水利研究序説 ー灌漑農業の史的考察』中村尚司 "ශ්‍රී ලංකාවේ ජල සම්පත් පර්යේෂණ හැඳින්වීම - වාරිමාර්ග කෘෂිකර්මාන්තය පිළිබඳ ඓතිහාසික සලකා බැලීම" නකමුරා හිෂාෂි "இலங்கையில் நீர்வள ஆராய்ச்சி அறிமுகம் - நீர்ப்பாசன விவசாயத்தின் வரலாற்று பரிசீலனை" நகமுரா ஹிசாஷி 読了①

字数制限でタイトルスペースに入れられなかった英語の題名(グーグル翻訳):""Introduction to Water Resources Research in Sri Lanka - Historical Consideration of Irrigation Agriculture" by Nakamura Hisashi

装幀者の名前未記載。

読んだのは1988年3月25日の初版。定価¥2,200ですが無税です。当時まだ消費税はありませんでした。その後の導入も最初は3%で、10%じゃなかったし。この一割二百円はなんなん? と思う人もいないと思いますが、巻末の広告「論創社の水と土、好評シリーズ」に載っているほかの本にそういう値段設定の本はありませんでした。為念。

状態ヨクナイデスヨの記載済で五百円という破格の出物が日本の古本屋にあったので買いました。もう一冊中村サンの著書を五百円で買って二冊で送ってもらって、そしたら送料が一冊三百五十円かける二で七百円もとられたのには驚きました。一括配送だから、もう少し送料安くなるかと思ったのに。

スリランカ水利研究序説 : 灌漑農業の史的考察 | NDLサーチ | 国立国会図書館

右はカバ―裏。カバーをとるとまっしろなハードカバーで、何の印字もありません。

だいたい「序説」を書く人は本論を書く前に序説だけで承認欲求が満たされるのか、その後本論を書きませんが、それは、序説だけで読者もおなか一杯になるからかもしれません。もうこれ以上情報いらないヨーとなる。本書も1961年に京大文学部の西洋史を卒業した後、何故か通産省傘下のシンクタンク・アジア経済研究所(当時。現在はジェトロに移管)に1961年から1984年まで勤務、アンタ南アジアやんなはれということで、1962年くらいからスリランカ人留学生の手ほどきでシンハラ語に手をつけ、1965年から三年あまりセイロン大学(当時)に留学、1979年から二年あまりスリランカの公的機関と思われる?農業問題研究所に在籍した中村サンの現地研究の集大成というか、たまりにたまったエートスやらパトスやらがほとばしって出来た本です。おそろしい。序章からすごく飛ばしてる。学術書とは思えないほど。

アジア経済研究所 - Wikipedia

アジ研が発足当初、現在の中央大市谷キャンパスにあったとは知りませんでした。後ろが防衛省。現在は幕張に移転したとかで、ちょっともったいない気がします。

序章は「スリランカの経済と社会」なのですが、スリランカの先住民ウェッダ人について、まず、

頁2

(略)一九五三年のセンサスで登録されているウェッダ人人口は八〇三人にすぎない。(略)その後のセンサスには、ウェッダ人という区分はない。

(略)ウェッダ語なるものも、シンハラ語の方言とほとんど判別しがたいともいわれている。(略)むしろ、多数民族がつくりだしたイメージに基づく生活スタイルを押しつけられ、見せ物化しているという点で、「オロチョンの火祭り」というような形で風俗化させられている、北海道のギリアーク系住民のウィルタ人と同様の課題を負っているとみるべきであろう。

飛ばしてると思いませんか。次のタミル人も、こうです。

頁3

(略)南インドから導入された、スリランカの市民権をもたないタミル人(中央山地の住民)は、在日朝鮮人の数より多い。さらに北部のジャフナ(ヤルパーナム)を中心とする、スリランカの市民権をもつタミル人の間での「イーラム国」分離独立運動も加わって、日朝関係以上に複雑で深刻な現代的課題となっている。

実際にタミル・イーラム解放の虎との内戦は大変だったわけですが、もうひとつの内戦、人民解放戦線の蜂起の影に北朝鮮の蠢動があったとして、北朝鮮人全員国外退去となったとアーサー・C・クラークサンの本*1に書いてあったことは書いてません。

ここで中村サンは世界のスリランカ史研究まで概観しており、王統史や仏教教団史中心の古代・中世史と、ポルトガル、オランダ、英国それぞれ百五十年ずつの近世・近代植民地史にこれまでは研究対象が集中していたが、独立後、ペラデニヤ大学などが勃興し、新たな成果が発表されつつあるとしています。ナマコの眼の鶴見良行サンとの絡みからすれば当然ですが、中村サンは西洋中心史観でない、それまでのインド洋交通の要衝であったスリランカと西洋列強進出以前の東西交渉史に注目しており、日本には東大の辛島昇サンが中国史料を用いた明朝とシンハラ王朝の朝貢関係のすぐれた研究を出してるし、東外大の家島彦一サンはアラブ史料を用いたエジプトとシンハラ王国の交易関係に関するすぐれた研究がある、と言及しています。まるで、東洋学の系譜を読んでるかのよう。ただ、これは、たとえば漢籍解読の本場である漢族世界が内戦や竹のカーテンで閉鎖環境にある状況下に対し、日本が米国庇護のパクス・アメリカーナで平和を享受出来た恩恵のひとつにもほかならないです。漢族目線で書くと、自国中心主義になりがちで、対等な貿易関係などにはなかなか目を向けづらいところがあるわけですが、どちらにも利害や肩入れ思い入れのない日本なら、第三者目線で、ある意味クールに歴史を書くことが出来る(自国が噛んでる事象じゃないですしね)良い時代だった、で終わらせるのはオカシイですが、漢籍史料やアラビア語史料の読解スピードで、ぜったいに邦人は漢族やアラビア人に勝てないので、彼らに伍した研究成果が今後どこまで出せるかは、ちょっとどうかなと思ってます。彼らが恣意的な成果を出すとしても、AIでチェックしてみるくらいが関の山になるのかもしれない(欧米人もそうでしょうけれど)

バーガーに関しては、本書はバーガーより「ランシー」という言い方を使っていて、イギリス人との混血とオランダ、ポルトガルとのそれを統計上分けていた時代もあるが、現在は一括しているとのこと。

頁5

(略)クリスチャンではなくても、シルバ、スーザ、ピーリス、フェルナンド、ダヤス、ペレーラなどというポルトガル風の姓をもつ人がいる。とくにカラーワ、サラーガマ、ワフンポラ、ドゥラーワなどの下位カースト住民に多い。

私はポルトガル風の姓を持ってれば即バーガーだと思っていたのですが、ことはそう簡単ではないようです。シビル・ウェッタシンハサンは親の姓がシルバですが、シンハラ人のカテでみんな考えているようなのは、そういうことだからかなあ。

イギリス統治下、イギリス人はマレー半島にタミル人を移植し、スリランカにマレー人を移植したわけで、

頁6

(略)マレー語を話すイスラム教徒の住民が、キャーガッラやハンバントタの近辺に集住しているのは、その遺産である。

ハンバントタって、例の中国が借金のカタにとった港ですよね。ちがったかな。今日本にたくさんいるスリランカムスリムについては、中村サンはこのようにまとめています。

頁6

(略)スリランカ第二の少数民族であるマラッカラム人は、(略)植民地時代にインド・ムスリムとの融合がすすみ、内陸部にも定住するようになり、商品経済に適応して経済的地位を高めている。大半がタミル語母語とし、少数がシンハラ語母語としている。

中国の回族は言語による民族区分でなく宗教による民族区分なので(祖先はペルシャ系が多そうですが、もう混淆が激しい)言語は漢語なわけなのですが、同じ概念を中村サンはスリランカムスリムに適用しているようです。だからシンハラ語話者でも信仰が回教であれば「マラッカラム人」となる。

そんで、そこまで疾走する中村サンなので、当然シンハラ人についても走ってます。ついていけない。

頁6

(略)たとえば慣習法が尊重され、ウダラタ・シンハラ人にはキャンディ法が、北部タミル人にはテサマライ法が、マラッカラム人にはイスラム法が、パハタラタ・シンハラ人にはローマ・ダッチ法が適用される、というように法域が重層化している。

パシュトゥーン人が棲んでるパキスタンのアフガン国境寄り、トライバルテリトリーはイギリスもパキスタンも出が出せない慣習法が支配する地域、的なことが、「アジアで最良の英語を話す国民」(コロンボ駐在イギリス大使)(頁4)の国にもあるのか、と思う反面、ウダラタ・シンハラ人とパハタラタ・シンハラ人がなんなのか一切説明がなく、インターネットがなかった時代に本書を手に取った読者はここでとても困ったろうなと思いました。

シンハラ人 - Wikipedia

また歴史的な経緯から、内陸部に住むウダラタ(高地)シンハラとパハタラタ(低地)シンハラに分かれており、言語・習慣・慣習法の違いがある。

経済研究所在勤だった中村サンなので、独立後のスリランカが二回六ヶ年計画、一回十ヶ年計画、二回五ヶ年計画と五回計画経済を試みながら、すべて中途放棄されたことの詳細な分析が必要と書いてます。その後1977年に政権交代を経て、IMF世界銀行の勧告で、自由化政策を取り入れ、中村サン自身も岩波新書で触れていた医療の無償サービスなどが徐々に見直されつつある、となるのですが、中村サンらしいと思ったのが、自由化で放棄されつつある各種福祉政策は、「市場メカニズムの発達を最優先する視点とはちがったもっと広い立場(広義の経済学)から、これらの福祉政策の功罪が拳闘されるべき」で、「多角的な検討に値する貴重な実験」と書いている点です。頁8。

この調子で本論の灌漑農業についても書いてくだろうので、これまで読んでなかったスリランカの概論、たとえばハイジャックの本の作者も師と仰いだ澁谷利雄サンの彩流社の本など読み進むべきであるかと思いました。庄野護サンが百冊嫁と言ったその百冊セレクトっぽい方向に、進みつつある。

スリランカ現代誌 - 彩流社

そういうわけで、とりあえず「序章」"Prologue" "පෙරවදන" "முன்னுரை"で感想①ということで、置きます。全部で何回の感想になるのか、ちょっと分かりませんが… 以上

"EXTRA"『あまりもの』from『千年の祈り』イーユン・リー(河出文庫)(新潮社クレスト・ブックス)YIYUN LI "A Thousand Years of Good Prayers"〈KAWADE BUNKO〉〈CREST BOOKS Shinchosha〉読了

だいぶ昔だと思うのですが、この人の『独りでいるより優しくて』を読んで、他も読もうと思ったのですが、それから、だいぶ時間が経ちました。どれくらい時間が経ったかというと、某自治体の図書館のウェブサイトで、そこの蔵書の「いつか読む本」をたくさん自分のログイン後の場所にブックマークしていたのですが、システム変更でぜんぶバニッシュされて、それからもう一回システム変更があって現在になった、くらいの時間です。その間楊逸サンにちょっと似ている著者は、自殺未遂し、その後、息子が自死

www.kawade.co.jp

ロゴ・表紙デザイン/カバーフォーマット 粟津潔 本文フォーマット 佐々木暁 カバーデザイン◎名久井直子 カバーアート◎Laurie Rubin/gettyimages

新潮社クレストブック版はPhotograph by Christopher Drake/Red Cover/Getty Images Design by Shinchosha Book Design Division

shinsho-plus.shueisha.co.jp

この人の漢字の名前は李翊云(雲)”Li Yiyun“で、ウィキペディアで見ると本書の漢語タイトルは《千年敬祈》“qiannian jingqi”で、ランダムハウスから出ているとあったので、ランダムハウス公式で「千年敬祈」で検索してみたのですが、結果は下記でした。

Whoops, you lost your place we can't find that page. But don't worry - there's still plenty more to discover! Head back to the homepage or find your next read below.

訳者篠森ゆりこサンは河出あとがきに新潮社あとがきのかなりの部分をそのまま入れていて、その後2007年から2023年までに起こったことなどを書いています。文庫化に際し、大幅な改稿はしていないが、細部の修正は施したとのこと。登場人物名の漢字はすべて訳者が問い合わせて作者が指定した漢字であることなどは訳者あとがきに明記されてるのですが、台湾や香港でも漢語版出てないの? と思ってしまう私は、その点の異常さというか、状況について思いを馳せ損ねていました。だから漢語版がふつうにあると思ってしまった。

イーユン・リー - Wikipedia

彼女は母国語の中国語ではなく英語で全ての作品を描き上げており、「英語モノリンガル」作家である[3]。実際に中国の出版社から中国語に翻訳出版する話が来たが、中国に自身の作品を読まれる準備ができていない、中国も自身の作品を読む準備ができていないという理由で断っている[4]。

訳者あとがきで、新潮社クレストブックス版では須貝利恵子サンと校閲部の各位、河出文庫では竹下純子サンに謝辞。

Yiyun Li

クレストブックス奥付に載ってる著者サイン。

©Jynelle A.Gracia

クレストブックスカバー折に載ってる著者写真。

楊逸サンはイーユンサンより8歳年上なのかな。下記の産経新聞の記事ふたつ、開くと最近の顔写真が載ってます。

www.sankei.com

www.sankei.com

どうしちゃったんだと思った楊逸サンの著書。劉燕子サンとの共著はまだしも、櫻井よしこサンやオーノス・チョクトサンとの共著も出しているそうで。

米国で生きるか、日本で生きるか。だいぶ違う。イーユンサンと入れ替わりに?米国から中国に帰国して祖国の懐にもう一度抱かれた、イェン・グーリン(严歌苓)サン、ピンインを英語風に読むとゲリン・ヤンサン“yan geling”のようなケースもあるわけですが…

『千年の祈り』の冒頭には、「大鹏"dapeng"に捧ぐ」という一文があり、ネットで検索すると、アルズ(息子)の名前はちがうから、これはジャンフ(宿六)ジャナイカという感じでしたが、真相は知りません。

篠森サンは原書の"working unit"を《工作単位》と、著者に聞いて戻してくれちゃってるので、我知らず「こうさくたんい」でなく、"gongzuodanwei"ゴンヅォダンウェイと、中国語が原文であるかのような錯覚で読んじゃったりするわけですが、原書を見ると、北京紅☆縫製工場が"Beijing Red Star Garment Factory"になってたりして、なんかニヨニヨしてきます。

河出文庫頁8 クレストブックス頁6『あまりもの』

 林リンばあさんの状況を聞いて、「山に至れば必ず道あり」と近所の王ワンおばさんが言う。

 そして「道あるところにトヨタあり」と次のくだりが出てくると、林リンばあさんはやっとそれがトヨタのコマーシャルだったことに気づく。

「そういうことよ、林リンばあさん。あんたは楽観的な人でしょ。そのまま前向きでいれば、あんたにも自分のトヨタが見つかるわよ」

トヨタは「豊田」で、繁体字にすれば「豐田」で、簡体字にすれば《丰田》で、ピンインは"fengtian"です。中国では誰も「トヨタ」となんて呼ばなくて、フォンティエン、フォンティエンと言っている。“(车到)山前必有路,有路必有丰田(车)”

そして名は体を表すで、上のような会話があれば、「道あるところに豊かな田地あり」「あんたにも自分の豊かな田畑が見つかるわよ」というような、漢字ならではの意味合いがどうしても込められると思います。これ、原文どうなんだろうと思いました。河出は原題載せてないんですが、クレストブックスは原題載せてます。

Extra | The New Yorker

“There is always a road when you get into the mountain,” Auntie Wang, Granny Lin’s neighbor, says to her upon being informed of Granny Lin’s situation.

“And there is a Toyota wherever there is a road.” The second line of the Toyota commercial slips out before Granny Lin realizes it.

“There you go, Granny Lin. I know you are an optimistic person. Stay positive and you will find your Toyota.”

イーロン、否、イーユンサンは漢語ではどうしても自己検閲で小説が書けなかったが、英語を手にしたことで、自分はラッキーだった、もしくは我就是幸运と言っているそうで、その反面、フォンティエンがトヨタになってしまうことで、何か失ったものもそりゃああるわけですが、それらは「分かる人には分かる」秘かな愉しみの世界に落とし込んでいるんジャイカと思いました。訳者の篠森さんは、『あまりもの』の中の、古典作品の紅楼夢へのオマージュの箇所にはあとがきで言及していますが、トヨタとフォンティエンのような卑近な例にまではいちいち触れてません。こうしたことをひとつひとつ、見つけては読者と作者が共有する小さな花園の構築が、イーロン、否、イーユンサンの作品の醍醐味であり、訳者の篠森サンが、愛されて単行本から16年目の文庫化と言ってる具体例だと思いました。

この調子で、十篇をひとつひとつ感想書きます。以上

『まほうのひょうたん』スリランカの昔話(こどものとも年中向き)2015年1月号 シビル・ウェッタシンハ 再話・絵 松岡享子 訳 "Dancing in the gourd - An old Sri Lankan Folktale" by Sybil Wettasingha Japanese text by Matsuoka Kyoko 読了

スリランカ関係47冊目。シビル・ウェッタシンハサンが2014年に描き、月刊「こどものとも」の2015年1月号になりました。ウィキペディアを見ると、英語版と日本語版しかないようなので、もうそれでFA。シンハラ語版やタミル語版は探しません。⇒シンハラ語は見つかりました*1

www.fukuinkan.co.jp

www.ehonnavi.net

左は英語版の表紙。日本語版とまったく同じ。

悪魔払いの儀式が出ます。シンハラのテラワーダ仏教の中での悪魔祓いは、なんだかよく分かりませんが、民間信仰で、あるんだろうという。シビルサンは自伝『わたしのなかの子ども』でも悪魔祓いの儀式を書いています。頁116。空想癖のあるシビルサンは寝言を言うくせがあったので、たびたび近所の専門の村人が、悪魔払いの儀式を行ってくれたとか。寝言はたいしたことではないので、儀式もごく簡単なものだったのですが、幼いシビルサンは悪魔退散のマントラを覚えてしまい、悪魔祓いごっこの遊びをするようになったので、母親は娘を案じて、むやみにマントラを唱えないよう、その前に歌う別の歌を教えたりしたそうです。

その後、シビルサンの母親がほんとに病気になり、本格的な悪魔払いの儀式を家で行う展開になるのですが、シビルサンの父親は迷信と科学の区別がついてるので、儀式の後、わざわざシビルサンに悪魔役の村人がお面を外してくつろいでいるところを見せてくれます。けっきょく、こういうことなんだよと。

左は『わたしのなかの子ども』の悪魔払いの場面。頁122。『まほうのひょうたん』の悪魔はもう少し簡略化されて描かれていて、しかし悪魔役の村人がお面を外して腰につけて、太鼓叩きの人といっしょに帰ってゆく後ろ姿の絵があります。最後のページ。これは逆にイイ絵だと思いました。悪魔ダンスの人は冒頭に顔も描かれるのですが、こういう儀式に呼び出されるだけあって、どこか浮世離れしたキャラです。日常の百姓生活に加えて、こういうことの臨時収入(現金含む)がある人の顏。

アマゾンにこんなようなタイトル(ひょうたんの中の悪魔ダンス)の電子版があるのですが、作者は別のひとです。あらすじだけ見ると、別物のストーリーかもしれない。

Starvation threatens the people and animals of Sri Lanka during a drought. Garamarala, a local farmer, decided to seek help from nearby Devil Dancers. As the Devil Dancers brought the rain, a whole series of events conspired to create an intriguing tale of how each creature fed another.
Will the land be restored and people be fed? Will the Devil Dancers escape their predicament?

(グーグル翻訳)干ばつの間、スリランカの人々と動物は飢餓の脅威にさらされています。地元の農民ガラマララは、近くのデビル ダンサーに助けを求めることにしました。デビル ダンサーが雨を降らせると、一連の出来事が重なり、生き物同士が互いに餌を与え合うという興味深い物語が生まれました。
土地は回復し、人々は食料を得られるでしょうか。デビル ダンサーは窮地から逃れられるでしょうか。

この絵本にもヒラマネヤが出ます。下に椰子の殻が落ちていて、中の繊維部分、ポル・キリをとって鉢に入れてることが分かります。

この絵本でもヒラマネヤの上にネコが乗っています。ヤシを一刀両断にするのか、蛮刀も見えます。右上は外皮を剥いた椰子の実。よく観光地で椰子ジュースで売ってるやつ。私がむかし果肉を食べるものと知らなくて、汁だけ飲んでボンと捨てたら、売り子が驚愕してた、という話は前にも書きました。マレーシア。

この、捧げものを載せる台みたいなものもよく分かりません。

右は、自伝『わたしのなかの子ども』に出て来る同じもの?のイラスト。父母への献辞のページに描かれたイラストなので、それ相応の大切なものだと思うのですが、なんだろう。

自伝『わたしのなかの子ども』頁27に、客人をもてなすためのキンマなどを入れる台の絵があって、同じものにも見えるのですが、キンマ受けの絵に、

愛をもって 

父と母にささぐ

なんて書くものなのかなあ。ナゾです。

以上

【後報】

左はシンハラ語版『私のなかの子ども』本文の、母親がベッドにキンマ台を置いて来客をもてなしている場面。ふしぎだ。これはどう説明されるのか。スリランカ料理店に聞きに行くかもしれませんが、どう質問したらよいのか分からないので、ほっとくかもしれません。

(2025/1/23)

*1:右がシンハラ語版表紙。

題名は、"ලබු ගෙඩියෙ තොවිලෙ"と書いてあるのですが、グーグル翻訳にかけても意味が出ません。ලබු がラブゥで、ヒョウタンの意味のようです。見返しにこう書いてあります。

このお話に出てくるひょうたんは、スリランカではLabu(ラブゥ)と呼ばれていて、どこにでもある野菜です。中の柔らかいところは、かきだして、カレーに入れたり、サラダにしたりして食べ、殻は乾かして、水を入れるのに使います。

"American Forces Network"で"APT."がかかって驚きました。新大統領就任祝いかな?

人形シリーズ 座間編

1/20㈪早朝六時台にFEN、否AFNを聴いていたら、いきなり蒼い火星というかロゼというかのアパツがかかって驚きました。前にこの日記で、ぜったいに米軍放送ではかからないのではないか、韓流ぽいので、というような文章を書いたインクがまだ乾いてないような時点でいきなりかかると、AENの選曲担当者は私のブログ読んでるのかと誤解しそうになります。誇大妄想はこうやって膨らんでゆく。

1/21㈫は、ホームセンターとドラッグストアに寄ってから、図書館にも寄ってみたのですが、駐車場に空きスペースがないかったのでそのまま帰宅し、昼食を作って食べてひと呼吸してから、ガススタに行って給油して、ついでにタイヤの空気圧を計って空気を入れるということをしようとしました。値上がりしたばかりだそうで、ガススタ全体がガラ空きで、スタッフの人が全員勢揃いで何か打ち合わせているのを帰宅時に見ていたので、教えてもらえるかなと思っていたのですが、私が給油しているあいだに空気を入れてもらうというサンビスぶりで、私自身は何も覚えられなかったのですが、素直にうれしかったです。

凸凹路で跳ねるのが気になっていたので、軽積と定積とで、定積で入れますかと言われましたが、砂利五袋(100kg)くらいしか最近は積まず、耕運機を積んだら定積ですが、最近は積む機会もないので(しかも一度紐で固定する際紐に遊びがあって動いたのでコワイ)空気圧の測定は月イチがオヌヌメとかネットに書いてあったので軽積で入れました。これで走行時どうなるか。

図書館でなく公民館で貝沢正サンの本のリクエストをしました。行きつけの図書館に蔵書がなくても、県内ならどこかにあるはず。

灯油のポリタンも一個買い足しましたが、計算が狂って、使わなくても済むかもしれません。最近はマルチにも雑草が生えないよう加工したのもあるようで、玉ねぎ用マルチ、雑草が生えにくい! なんて書いてあるのを以前見たので、それの写真を撮ろうと思ったのですが、忘れました。どのみち玉ねぎの作付けの時期は秋までなので、もう売ってないかもしれません。

キャベツ輸入急増 1月既に前年比12倍ペース / 日本農業新聞

横須賀の元自衛官のひとと話していて、帰宅したら地元のキャベツを買いに行くというので、作業所などで作ってるやつかと聞くと、三浦はまだまだキャベツがあるというので、三浦に盗みに行くやつはいない、道が狭いので帰り見つからず無事に帰れる可能性が低い、みたいな話をして笑いあいました。

真実はしりません。

スリランカ料理店のオヤジも、キャベツ高い、しかも質も悪い、なぜ中国からキャベツを輸入しないのかと息巻いていて、こんだけ雨降らなかったら育ちも悪いでしょ、作付けの時期は八月で、おそるべき酷暑残暑で、そこで頑張って植え付け作業をした人たちの畑だけでキャベツが育って、しかもそれで茨城県なんかでは厳冬の夜明け前(朝四時くらいですかね)にドカッとぜんぶ包丁で切ってコンテナにつめて持ち去るという盗難に遭ってるわけなので、生産者の苦労にも思いを馳せやがれと思いましたが、その次にトマトの話題になったので(冬にトマトの話をするかな)ちょっと話をそらして、フィリピン料理店はフィリピンだと一年中ナスがとれるので、同じノリで日本で冬でもナスをシニガンの具に使ったりするが、四季のある日本で旬の野菜じゃないものを使ってもかえって味が落ちるだろうから、わざわざ冬に高い金出して温室野菜の茄子使わなくてもよくね? みたいな話をしました。伝わったかどうかは知らない。

ビッグコミックオリジナルを買いました。まさか最近のコンビニでマンガ雑誌を立ち読みする人間がいるとは思ってもみなかったのですが、たまたま行ったセブニレブンが雑誌をテープで閉じてなくて、ナナコのチャージをしているあいだに中年とオジサンのあいだくらいの年齢のオッサンがビッグコミックオリジナルを立ち読みしだして、驚きました。別のをとって買いましたが、それも立ち読みされてる本だったら嫌だな。ショッピングセンターの大型書店などは実は今かなり無法地帯というか、立ち読みによる足腰の疲労を厭わない御仁がかなり立ち読みに来ていて、なので大型書店のマンガ雑誌コーナーには行かないのですが、雑誌に封をされてることが多いコンビニでこういう経験はひさしぶりです。絶滅危惧種の駅前書店だとまず立ち読みされないのですが、月刊誌などで色褪せたのがあったりするとなんか視てて不憫で、衝動的に「めばえ」とか「よいこ」を買おうとする… ということはさすがにないです。

会社の源泉徴収票を添付した雑収入用確定申告を今年初めてしようと思っていて、それもドキドキなのですが、確定申告は2月15日からですか、その時点に元氣に確定申告出来るといいなあ、です。さっき、1/8㈬もしくは1/9㈭もしくは1/10㈮ぐらいからなりをひそめていた、微熱がまた出た。37度2分。

www.youtube.com

ゴンチチの世界の快適音楽の1/18㈯の回で、湯浅学という人が紹介してた曲。私は湯浅学という人をもっと若い太めのドルオタ兼音楽評論家と思い込んでいたので、あー推しなのかなと思いましたが、画像を見たらもう還暦の太ってはいない人でしたので、ハラホロヒレハレでした。

りんかんモールのたこ焼きセット。楊枝はないので割り箸。ソースマヨ。ホットヒーコ。

ヒーコにミルクと砂糖を落として。これも、退院後初出社退勤後に寄ったホームセンターのついでの休息のひとコマ。

ソースマヨセット。ともかくも、一ヶ月続いた発熱と頭痛、血管炎が終わって、職場復帰して、同僚に助けられながらも、無事ひと勤務こなした安堵感をことほいだひとときでした。まさかここからまた発熱が繰り返され、尿検査と血液検査の数値が急速に悪化しようとは。

ホットペッパーグルメがポイントをくれたので、使いに行った薪で焼くピザ屋。水と突き出しのスティック。

スティックアップ。イタリア料理店だとパリパリ揚げパスタだったりしますが、ピザ屋だとこうなのかな。前回これが出たか覚えてないです。

先に出してもらったコーヒー。お代わり自由だとすぐこういう行動に出る人。

ミルクと砂糖を入れて。

●ジョンウェイン Jhon Wayne
アメリカ西部劇の名優の名前をいただきました。ベーコンとコンをのせた、ちょっとワイルドな味。

オイル二種。このガラスの小瓶が好きです。

ジェノバ Genova
バジル、松の実、くるみ、オリーブオイルをあわせたジェノバペーストを使った、北イタリアのピザ。

拡大。胡桃が見えると思います。

完食。

あんずのタルト。ちょっとすっぱい。

ヒーコおかわり。

拡大。この時、じゃらんポイントももらったので、スーパー銭湯に行ってるのですが、その時雑菌が入ったとしても、こんなに長引くのはおかしいと自己弁護したいです。ましてや腎炎をや。

Marie Sharp's™ Since 1980 ( RED ) HAMANERO PEPPER SAUCE

薪で焼く竈ピザ屋のハラペーニョソースと、バーミヤンの水。

本格焼餃子(6コ)半額! からあげ半額!

こういうチラシが新聞の折り込み広告に入って、職場の福利厚生ですかいらーくチェーンの優待券があったので、行きました。ほかに頼んだのは、下記。

\ぷりぷり!/ カダイフ揚げ付き ※「海老出汁焼そば カダイフ揚げ付き」です。 海老出汁焼そば カダイフ揚げ付き! 一緒に使える!半額クーポンは裏面! 「海老のカダイフ揚げ」 細い糸状の衣で包み揚げました。 サクサクした食感をお楽しみいただけます

驚きの価格! 濃厚ふかひれスープ 香酢をかけて\旨みたっぷり/
鶏白湯のコクに自家製ネギ油の香りが広がる、旨味たっぷりふかひれスープ。お好みで香酢をまぜてお召し上がりください 福島料理長謹製

三杯鶏 サンペイジー ※土鍋が熱くなっておりますのでお気をつけください。 ~鶏肉の台湾風土鍋煮~ ドリンク付き

同量の醤油・お酒・ごま油で煮込むことから名付けられた台湾の伝統料理。鶏肉にしょうが、にんにく、唐辛子の風味が加わり深みのある味わいが楽しめます。バジルを混ぜてお召し上がりください。

ギョーザ。まあこんなもので。ギョーザのタレを使わない私の主義として、醤油とラー油だけで食べます。

二個食べてからハッと気が付いて撮ったからあげの写真。これは《椒盐里鸡》のノリで、塩コショウ。

夠嗆!! 老骡子® 鎮江香醋 ZHEN JIANG VINEGAR 内容量:150ml

够呛の意味 - 中国語辞書 - Weblio日中中日辞典

《够呛!》”gouqiang“は、メタバースの意味ではないらしいです。ふかひれスープ。すっかり忘れてましたが、ふかひれは《鱼翅》”yuchi“ですが、こういうふかひれエキスとグルテンで作るふかひれスープは《鱼翅汤》“yuchitang”で、フカヒレの姿煮は《红烧鱼翅》”hongshaoyuchi“だったなと。フカヒレ気仙沼でも獲れるくらいなので、ふつうに食べたことのある人は多いと思いますが、燕の巣のスープを食べたことのある人はほとんどいないと思います。私は一度、モノホンの福建マフィアを怒らしてしまって、ショーウインドーの飾り物の燕の巣を厨房に頭を下げて頼んで戻して調理して供せざるをえなくなったことがあります。そこで見たのが最初で最後(たぶん)

フカヒレスープ、拡大。まあこれもこんなもんで。

海老出汁焼きそば、カダイフ揚げつき。これは、フーンという感じ。

拡大。カダイフ揚げの、才巻海老でしょうか。ホテル中華が好きな素材だと思います。ガチ中華、街中華以外の、隠れた中華のお上品な一ジャンル、ホテル中華。ほとんど絶滅寸前の、結婚披露宴を中華でやろうとするときなどに出て来るジャンル。

さらに拡大。ここにとびっこがあるのが、面白いと思いました。私はザギンの武漢料理店のレッカン麺に日本のタクワンが使ってあったり、前菜に菊の花やしば漬けが使ってあるとニヤリとするふうなので、当然ここはとびっこに目がいくです。とびっこ、回転寿司以外にも販路を広げたいと思ってるだろうし。思わぬ場所で出会いたい食材。

三杯鶏。台湾にこういう料理があるかどうか知りません。あっても客家料理じゃないのと勝手に思う自分がいたりして。とまれ、この手の料理はいちばんガチ中華が得意なジャンルなので、ファミレスが戦うには無理があるとしか。

拡大。バジルは熱で風味が飛びやすいので厚みのあるものを入れてるとか、ファミレスのマニファクチュアリー生産でも均一の味が出せるよう、工夫のあとが随所に見てとれるのですが、やはりいかんせんファミレス。ガチ中華が乱雑に作ったほうがおいしい料理を、清潔な厨房で再現、模倣してみたという印象が強いです。いうなれば、ガチ中華ならあの中華包丁で骨ごとバンバンぶった切ってる鶏を、きちんと骨なしで出してくるようなコンプライアンス料理。食べやすい。しかし土俗の味ではない。

ハイ完食です。あなたがたのため。

この後微熱(37.8℃)が出て、職場に休みの連絡を入れて、また発熱外来に行って、コロナでもインフルエンザでもないことを確認して、さてどうしようかという。

水。後ろにタクアンと切った葱。ご自由にどうぞ用。

ラー油、にんにく、ヤンニョンジャン、酢、ギョーザのたれ、胡椒、つまようじ。どういう強迫観念からか分からないけれど、調味料がこれだけ(orこれ以上)ないと不安に駆られてしまう、日式拉麺業界。

特製醤油味玉ラーメン。京都北白川のコッテリ味ですが、天下一品ではない、京都では誰も知らなかった全国チェーン店。

九条ねぎラーメンにしなくても、自分で卓上の葱を大盛に盛り上げてしまえばそれでいいという。

焼きめし唐揚げ定食。この、セットのごはんものはミニチャーシュー丼にすれば楽なのに、焼きめしにし「なければならぬ」というあたりが、関西的で、差異化を図ってると言えます。だいたいチャーハンと呼ばないし。関係ありませんが、京都でチャーミングチャーハン行かなかったのは今でもあんまり心残りではありません。

唐揚げ。頼むときが一番楽しく、卓に来た後はカロリーなどを気にしながらたいらげるしかない、「作業」になってしまった自己の食事を反芻する悲しいグランドオーダー。

焼きめし。ヤンニョンジャン(豆板醤でもなんでもいいですが)と沢庵を添えて。この、タクワン感が京都な気もします。もちろん向こうに行くとハリハリ漬けや水菜の世界(あるいはキムチ)なので、幻想のキヨトでしかないのですが。

完食。ほんとは十月にワンコインで食べたラーメン屋にまた行きたいのですが、あそこまで129を北上すると、やっぱりペルー料理店を目指してしまうという…

水。「おしながき」means menu in Japanese, sometime you can see Japanese  letter "OSHINAGAKI", or the other case you can see the Jungle fever of Japanese letter and Chinese character,「お品書き」.

私も、こういうのを新しく買いたいと思う、石油ストーブ。部屋が乾燥しないよう薬缶をかけるとお湯も沸く一石二鳥。

割り箸、醤油、胡椒、爪楊枝、唐辛子と、後何か覚えてません。と、消毒用アルコール。

玉子とじそば。こういうのを食べるのもひさしぶりでした。市の総合病院の皮膚科に発熱と平熱が繰り返される状態だと伝えると、血液検査と尿検査をしてくれるというので行ったのですが、この時点の数値をそのまま新札大学病院の腎臓内科に見せれば腎生検かという高数値に関しての所見がまるでなく、塗り薬をアンテベートからゲーベンに変えて抗生物質の飲み薬を飲みきりで処方されただけで、しかも次の予約を、私は勤務のない日にしたかったのに、担当医が自分一人で何も決められず、もう一人に相談しないと何も進まないそのもう一人の医師が私の都合の良い日に休みなので、私の出勤日をまた休んでもう一人の医師の出勤日に検査を受けることとなり、それで有給は使い果たしだわ、次の検査でも何も事態は進展しないだわ、その後微熱だった発熱が39℃にまで更新して口内炎多発で味覚もおかしくなって何も食べられなくなるわ、それで有給もないので職場復帰ということになります。

玉子とじそば。病院の駐車場は診察があるなら五時間以内二百円で、それを越えることはめったにないのですが、この日は六時間かかってしまい、三百円払いました。

とりあえず当時の外食を遡行するだけで、「どうしてこうなった」感しかないなあという。ほんとは昨年年末の外食をぜんぶ置いときたかったのですが、タグが十個しかつけられないので、ここまで。

先日東京リベンジャーズの映画がなぜかテレビに映っていたのですが、CMがほとんどACジャパンで、気づきを動きへは分かるけど、ACジャパンは東京リベンジャーズの広告枠ぜんぶ買うほど半グレや闇バイトがキライなんだなと思ってましたが、その二日後にネットで見ると、フジテレビや中居正広の人がエラいことになっていて、そういうことかと分かりました。関係ありませんが、痛快!布マスク新聞夕刊一面でトラソプ就任を寿いだ記事の見出しは議会襲撃逮捕千五百人恩赦で、私は見出しを見ながら、そういえばタイガー・ウッズが性依存や薬物依存から復活して2019年のマスターズで優勝した時、解説の人が感に堪えないように、ほんとにアメリカ人は敗者復活にやさしい、あたたかく迎える人たちだ、と言っていたのを思い出しました。

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おやすみなさい。

今日も、明日も、穏やかに、静かに、落ち着いて、平和に。そして、出来ることなら、自分も周りもみな、しあわせにすごせますように。

年賀状で質問されたのですが、来年の年賀状で返事をするわけにもいかず、どうしようか考えてます

人形シリーズ 座間編

1/20㈰は朝方少し雨が降ってる感じです。ストレッチはまだ様子見。トイレ一回。夜中は六回くらい小用に起きたかな。

1/19㈰は夜雨が降るということなので、昼間帰宅してシャワーを浴びてヒゲを剃って、そのまま寝てましたが、遮光を忘れたので窓から外が見えて、昼間少し小雨がぱらぱらして、ねこが屋根の下に避難するのが見えました。夜も早めに就寝。

1/18㈯は新聞をとったりしましたが、まだストレッチはせず、お湯を沸かしてお茶もあげず、出かけました。ストレッチいつから再開するかなあ。

ふだん絶対に履かないような靴をあれこれ靴擦れ防止で試行錯誤で買ってますが、そのうち、やはり結果が出なかったものを、職場の休憩用に持っていきます。そこでもダメなら捨てる。家の靴箱に余裕がないので。

ゲーベンという白いクリームから赤チン(のクリーム)に塗布剤が切り替わったので、シーツを汚さないよう、靴下をしたまま寝たりしましたが、寝袋に下半身を入れて寝るという案も試してみます。千円くらいで買った寝袋のかたちをしてるだけの中国製の何かなので、上下に布団を挟まないと保湿も保温もないのですが、シーツにじかに寝て赤チンで汚すよりマシかと。ので、家と職場の往復にいつも寝袋を持ち歩くようになります。

たまにはということで、熱も下がったし、ケーキ買いました。金箔入りのムダに豪勢なケーキ。

1/17㈮は洗濯やら布団干しやらあれこれやった後で、入院と発熱で二度延期していた歯科検診に行きました。年末年始だったら高熱の影響で口内炎出来まくりだったのですが、もう直っていて、数日前から右下の奥歯と奥歯のあいだのカスが取りにくくなっていることくらいしか懸念事項はないかったです。歯科的には。二千百九十円。平常運行の医療費は斯くあるべき。九千円とか七千円の検査をポンポンやって薬も出しまくって、それで発熱や数値異常の説明が一㍉も出来ないなど、ありえない。

爪切りました。

その後火燃しをしたり鍬で土寄せをしたりしました。職場復帰して日常に戻るなら、安静にする必要もなく、体力に不安はありますが、また野良で汗をかくと。ただ冬で寒いので、日が高いうちに引き上げるようにしました。寒風吹きすさぶ中でとっぷり日が暮れて、手許も見えず、かじかんで歯の根もあわないような状況の百姓仕事と給与もらう仕事の並立など出来るわけがない。

そして、入浴禁止がいつまでなのか分かりませんが、足の傷が治るまでだろうなあ、ぜんぜん直らないけど、と嘆息しつつ日の高いうちからシャワー。ヒゲも剃ります。入浴後患部をティッシュで拭うと、果たして壊死のカスがつき、赤チン塗って、さてどうなるものかとしばらく乾燥のためほっときました(しかし乾かない)

ファンキーフライデーを音量調節の出来ないラジオで大音量で流してましたが、乾電池でも動かなくなっていて、コンセントにつないでないとダメなので、ほとんど近くにいませんでした。

もう夜の早いうちから布団でゆっくりして、仕事復帰に備えます。といっても一時間半おきにトイレに目が覚めて、寒い中どてらを羽織ってトイレに行き、さして出ない量の放尿をするのですが。

欠勤7日。有休消化し尽くしたので、日給月給でこれらの日々がひと月分の給与から減額されます。その前月は有給が残ってましたのでそこは救済されますが、出勤に伴う諸々の手当てがゼロ、減額。

年賀状に質問が書いてあったので、質問書くのやめてほしいと思いました。メールするのもなんだし、LINEとかやってないし、携帯番号にかけるのもなんだし、来年の年賀状で返事するのもおかしいし。寒中見舞いのハガキに返事書いて出そうかな。

1/2㈭におかしな人が農道で握りこぶし大の石を両手に持っていて危なかったので、石を引き剥がした時に右手の中指を切ってしまって、やはりそこがかさぶたになっていて、両足のようにかさぶた剥がれても中が腐ってないか怖かったのですが、1/18㈯に剥がれて来て、今のところ大丈夫です。

職場の人の母親はやはり足のかさぶたが剥がれても中に新しい肉や皮膚が盛り上がってなくて壊死してる、を繰り返した挙句、車椅子生活になってしまったそうで、私の赤チン足はどうなるのか怖いです。とりあえず仕事中履いていた靴下二足に壊死の破片がいっぱいついたので、持ち帰ったので、洗います。

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1/18㈯のウィークエンドサンシャインでかかってた曲。吾妻光良&ザ・スウィンギン・バッパーズ「誰もいないのか」 上の動画は例によってtopicです。トピックって、公式垢なのかそうでないのか、誰か教えてほしい。リスナーが選ぶ年間ベストアルバムの一位にすずめのチョッパーズ、否、すずめのティアーズという人たちが選ばれたそうで、その人たちに公式的な一曲最初から最後までの動画は上がってません。ちゃんと買えというスタンスか(邦人に多い)前にここに置こうとした時もそうでした。個人的には、ネーネーズとか上々颱風とかのエッセンスが時代を経て内地に吸収された、感じなのですが、同様の感想をもつ人はいなさげです。

先週のマイフェイバリットアルバムが山本彩という人だったようで、月曜がアグリルラヴィーンだったのかな、それがもう聴けず、ちょっと残念です。この人に関しては、職場の地下アイドルなんかに詳しい人が、「さや姉」とふつうに言っていて、よくそういう人称を音波に出来るなと京福、否敬服しています。五十代のオッサンが二回り位下の元ナニワ男子、否元浪花48のシンガーソングライターを”My Big Sister”と呼べることがすごい。

水と、紙カップのブラックコーヒー。砂糖もミルクもあるのですが、遠慮して入れません。

角度を変えてもう一枚。退院後、初めて出社して仕事を終えた後、ホームセンターであれこれ買い物をした後。

缶 。ビン  LATA . VIDRO

ゴミの分別の貼り紙。ガラスはビードロなのかと驚いてパチリ。

牛かつ&トマトソース、チーズかけ Bife à Parmegiana Parmesan steak

一時期、ここではこればっか食べていて、もうこれしか食べない常連扱いされたこともありました。が、ペルー料理の鶏料理で、ポヨ"pollo"と呼んだりガジーナ"gallina"と呼んだりする違いが気になった時、ブラジルでもバイーア州にシンシンデガリーニャなんていう料理があるので、ブラジルスーパーの鶏カツはポヨ、ガリーニャどっちなんだろうと鶏カツに浮気した時があり、「なんで今日は鶏カツなんだ」と厨房から非常に不思議そうに見られたことがありました。結論から言うと、ブラジルの鶏カツはフランゴ"frango"で、ポヨでもガリーニャでもないかったです。

パルメジャーナなのでチーズのせ。こういうチーズ載せの世界って、ペルー料理にはない気瓦斯。有名なワンカイナソースも、アヒデガジーナのソースも、手の込んだクリームソースではあるけれども、「チーズ載せ」ではない。どちらもチーズはイタリア系が持ち込んだんだろうから、差分が出るのがおもしろいです。考えると、ペルー料理にはパスタの世界があって、タヤリンとかタジャリンという、イタリアのどこぞの方言の呼び名がパスタという標準語を駆逐してるのですが、逆に日本のブラジル料理店でパスタを見たことはありません。大泉と綾瀬の狭い範囲だけですが、麺類で簡単に食事したいなと思っても、ブラジル料理店には麺類がない。ブラジルのパンのサンドイッチだけ。あれ、ぽろぽろパンくずが零れるので、車中食などには非常に向きません… ペルー料理店だと沖縄由来のソーキそばがある店もありますが、ブラジル料理店でソーキそばがある店も寡聞にして知りません。

イタリア系の泉の女神さまが、右手にチーズ、左手にパスタを持って現れて、ペルー人はパスタを選び、ブラジル人はチーズを選んだ、そういうことでしょうか。

で、上の写真はコーレーグースみたいな、ブラジルの唐辛子調味料を載せてます。ソーキそばはないが、これ(コーレーグース的ピメンタ)はブラジル料理店ならどこにでもある。ペルーだとこれは緑やオレンジのアヒソースになってしまうので、ペルーのソーキそばはコーレーグースでなくアヒ・アマリージョを載せたりするのだろうかと、また悩んでしまいます(まだペル―料理屋のソーキそばを食べたことがないので)

ブラジルポルトガル語も、胡椒と唐辛子の区別が不明瞭で、どちらもピメンタだった気がしていますが(スペイン語ならアヒとかロコトという、唐辛子しか指さない単語があるのに、ポルトガル語圏にはそれが入ってない)ブラジル人には区別がつく言い方があって、私がそれを知らないだけかもしれません。

ブラジル料理店でパスタを食べたことがないと書いた直後の写真に、つけあわせのボロネーゼみたいのが出て来る恥ずかしさ。ブラジルスーパーの付け合わせお菜は、家族で来日した後の、幼稚園の子とかのオベントー的世界を継承してる感じがあるので、ブラジルでこれが出て来るかどうかはともかく、日本で食べる分にはとても納得しています。大泉のようにブラジル人社会のパイが大きいところだと、お菜はバイキング形式で各種野菜のマリネやフェイジョンが食べ放題です。神奈川県央はそこまでは㍉。六百人くらいしかいない(と一度聞いたことがあります)のに二軒も店が存続出来てることが偉業。

神奈川では副菜に冷食戻しなども取り入れてガンバッテるわけですが、大泉に行くと、オリーブの実やパルミット(椰子の芽)なんかも食べ放題のバイキングに入っていて、豪気だようと思ったりします。

ゴハンにフェイジョンを載せた後で、この店の大出血サービス的卓上調味料、各テーブルに備え付けのファロッファ(キャッサバの粉を煎ったもの)を載せて食べました。味の形容をしますと、ファロッファを載せると、ドンパッチ*1ゴハンに載せて食べてる気がしてきます。この店のファロッファ食べ放題は相当気合い入れて、頑張ってると思います。これだけでほかのブラジル人コミュニティと張り合える気瓦斯。私が最後に行った時点の大泉では、ファロッファをタダで提供してる店はないかった。

ja.wikipedia.org

なんかこの日は、ずっとお店で常連客にお守をしてもらってるような子がいて、私がこれを頼んだら自分も同じものを頼んでいました。日本語で。

完食。この日も意地で左手でナイフ使いました。

以下、ビッグコミックオリジナル 2025 1.20 No.1521 2 の感想。

巻頭カラーは釣りバカ。四国。佐々木社長も多胡取締役(だったかな?)も出ません。

作者も父親をガンでなくしたと単行本広告に書かれたマンガ。書かなくてもいいのに。自分からインタビューで言うとかの形にした方が自然。942、568の意味が分かりません。お坊さんの知り合いて、宗派にこだわらず、何処も引き取りがないんだったらウチの無縁仏にしてもいいよ、とかいろいろ言ってくれるのですが、まあ、まだそのご厚意に厄介になったことはないです。いつか墓じまいするその前に和尚さんの方が物故してるかもしれないし。

鮭のチャンチャン焼き食堂。先日、我が家ではお歳暮の鮭を使ってトライして失敗したそうですが、その時私はまさに味覚障害まっただなか。塩分のあるもので温かいものが全て気持ち悪かったので、成功してもマズかったと思います。おそろしい状態だった。

頁56

「てめぇ 昔、リツ子とやっただろ(青スジ)」

「やってないよ、やってないって」

「白々しい、白状しろ!」

(略)

「信じてくれ 神に誓うよ」

 その日それで収まったが、陰山さんいまだに疑ってるよ

これが正しい状態。男の友情を優先して、「向こうから誘ってきたんじゃ、そしたら据え膳喰うのが当たり前じゃろう、ワシ、どこも悪くないけえ」を信じるのはどうかしてる。蒲田行進曲でもそこまで醜悪じゃない。

「そば処 その名は八兵衛」で男の自画像まんが。花まるうどんにも、ゆで太郎&もつ次郎にもまだ行ったことがないので、元ネタが分かりません。何そば食べたのか気になります。かき揚天たまご載せの定番かなあ。幼稚園の先生が都内でピアノ弾けるってことは、休日前の金曜夜か何かでしょうか。そしたら次号は、全室満室で無難に次のネタに移行出来る気瓦斯。

黄昏。柔道選手だったのに、国家資格の柔道整復師を取って整骨院に勤めず、民間の整体院にいるのが不思議。

natalie.mu

オメガトライブヒットラーを模倣した副主人公の髪型とか覚えてますが、その後、自転車マンガの頃はもうマンガを読まなくなっていた気がします。私も体調管理が必要な頃だったのに。今回のマンガは1987年から始まっていて、内田裕也と同じ髪型だがそれを感じさせない村の商店のオヤジが出ます。そんで、次の掲載もそんなに間が空かないとか。ガンダムといい実家清掃業といい、いろいろ地殻変動が起こってるのは分かりますが、この先どうなるのか。

三丁目の夕日は、人生の禍福は個人でどうにかなる問題でなく、福の神と貧乏神の仕業であるという、新連載よりこわい話でした。

太平洋戦争物語。まだライター発火せず。

宮崎漫画。我が家は鏡餅にわらびの葉を飾ったことはありません。初めて見た。

ゾンビまんが。冒頭逃げてる人物は噛まれて感染したんでしょうか。今回の展開で、すべてが一気に終わりそうな。設定厨なら、「この世界はまだ電気自動車がそれほど普及していないと、ふんふん。中国が世界を席巻してるわけではないのですね」など細部をつついて楽しめそうですが、なんかもういい。

なりすましマンガ。哲学堂とか江古田にいそうな女子の造型がよかったです。

看護助手まんが。私は今年おみくじまだ引いてません。初詣はしました。

海産物絶滅コラム。今回はコンブ。根こそぎ全滅の未来も地球温暖化の影響だそうなので、今からヨードの供給代替物を考えておくべきかも。もう誰かいろいろやってるでしょうが… ダシとしては、煮干しもイリコも何もかも消えてから考えても間に合うのかも(関西以外)

トラソプコラム。著者の中央公論新社から出ている単行本の広告があって、へーと思いました。晶文社じゃないのかとか。ウクライナもガザも停戦するし、韓国は北朝鮮になってしまいそうだし、トラソプ&イーロン時代、おもしろくなりそうですね。二人がすぐ仲違いして、プーチンが漁夫の利の未来があるかもしれない。キンペーチャンは、韓国が北朝鮮になったら、台湾とかどうでもよくなるくらいショックと思うので、そこでどうするかなという。予想外のファクターが突然膨らんできた。

カレー澤まんが。相手のだらしない点を指摘する対象が、パートナーから子孫にシフトしない淋しい少子化社会。

新人読み切り前後編前編。ちゃんと読んでないせいなのか、一寸よく分かりませんでした。練習しすぎて腱とか筋を痛めたってことでしょうか。

鉄オタまんが。今回は知らないことがたくさん書いてあって、よかったです。ノースドックは有名ですが、鶴見に燃料基地があるんですね。

COMMANDER FLEET ACTIVITIES YOKOSUKA COVID-19 MEASURES 在日米海軍横須賀基地 新型コロナウイルス感染症検査処置 Over the past 24 hours, have you had any of the following symptoms? Fever, cough, sore throat, shortness of breath, and loss of smell or taste? 過去24時間に以下の症状はありますか? 発熱、咳、喉の痛み、息切れ、臭覚・味覚の喪失 Treveled INTERNATIONALLY in the past 14 days? 過去14日間に海外渡航歴はありますか? Have you had close personal contact with anyone who has been disagnosed or is suspected of having COVID-19? 新型コロナウイルス感染者もしくは感染の疑いがある人物との濃厚接触はありますか? If ou answered yes to any of the questions, please return home and contact your medical provider. 上記項目にひとつでも該当する場合は、帰宅し医療機関へご相談ください Doctor GATE No.1 SECURITY WARNIG THIS PROPERTY PATROLLED BY MILITARY WORKING DOG TEAMS 警告 この所有地は軍用犬が巡回しています WARNIG 警告RESTRICTED AREA・KEEP OUT AUTHORIZED PERSONNEL ONLY 立ち入り制限区域 許可された者以外の立ち入りを禁ず AUTHORIZED ENTRY INTO THIS RESTRICTED AREA CONSTITUTES CONSENT TO SEARCH OF PERSONNEL AND THE PROPERTY UNDER THEIR CONTROL この制限区域への立ち入り許可を得た者は その身体及び持ち物に対する検査を同意した者とみなす UNAUTHORIZED ENTRY PUNISHABLE UNDER JAPANESE LAW 無許可の立ち入りは日本の法律による処罰の対象となります。 BY ORDER OF COMFLEACT YOKOSUKA 米海軍横須賀基地 NAVSUP NAVAL SUPPLY SYSTEMS COMMAND FLEET LOOSTICS CENTER YOKOSUKA OPERATION UNIT 1

ストビューのURLを貼っても分からなくなってしまうので、ヴァンスさんの著書の感想のように、撮りました。出船駐車ばかりなので、勤務してるのは邦人が多いのかもしれません。

安善駅のストビューには、確かに「JP-8」と書いてある燃料輸送車がたくさん写っていました。

日本製油輸送株式会社 1000-904 ガソリン専用 JP-8

拡大。ジェット燃料だとケロシン油かなんかなので、ガソリンじゃないと思うんですが、よく分かりません。

米軍厚木基地専用線は、相模大塚から厚木基地までのあいだの線路なんですね。たぶん私もむかし撮ってこの日記にあげてると思うんですが、探し出す術を知りません。⇒「廃線」で検索したら、何枚か出ました。

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2022年3月。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/stantsiya_iriya/20191016/20191016185121.jpg

2019年10月。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/stantsiya_iriya/20191016/20191016185127.jpg

同。

頁305の機銃掃射の絵が、F6Fとかのグラマンでなく、P47サンダーボルトでもなく、P51ムスタングだったのが、リアルでよかったです。こっちからしたらなんでもグラマンですが、戦後になると、いろいろ分かって来る。

ここまでビッグコミックオリジナルの感想。おしまい。

「オトノケ」の歌詞を読んで、「コッチ来んじゃねーよバカが」「今確かに目があったな」をヤンキー同士のメンチ切り合い(それをいじめられっ子が仮想体験)と思っていたのが、違うことが分かりました。「そういうことかよシャマラン」はあのシャマラン監督という見解がネットでは有力だそうで、私はカードキャプターさくらのシャオラン(小狼)くんの仲間でしゃまランくんというのもいるのかと思ってましたが、そうではないようです。そしてしかし、「くわばらくわばらくわばら」は幽遊白書と関連あるという意見がネットの寡占状態かどうかは検索してません。

さて。

今日も、明日も、穏やかに、静かに、落ち着いて、平和に。そして、出来ることなら、自分も周りもみな、しあわせにすごせますように。

『ペルーから日本へのデカセギ30年史』"Peruanos en Japón, pasado y presente" 第5章「奇跡の主」の祭りからみる在留ペルー人の信仰 Capítulo 5 "La Fe de los Peruanos en Japón Vista a Través de la Festividad del Señor de los Milagros" オチャンテ・村井・ロサ・メルセデス Rosa Mercedes Ochante Muray 読了

https://impact-shuppankai.com/html/upload/save_image/0201153522_65bb3baaa7d78.jpg装幀 いちむらみさこ

科研費助成成果物。「挑戦的研究(萌芽)20K20777」

本書でイチバン私が分からなかった章。著者にとっては「奇跡の主」"Señor de los Milagros"(セニョール・デ・ロス・ミラグロス)は空気のように身近な存在なので、あえて説明するのが難しいのかもしれませんが(15歳という人格形成の終わった段階で来日、本書執筆時点で滞日27年)私には、土俗化したペルーのキリスト教催事が日本でも行われているってことなの? ちがうの? という混乱がまずありました。映画「太陽がいっぱい」で、媽祖像としか思えないマリア像を海に投げ込んでレスキューするイタリア南部(ナポリ海浜の習俗が描かれるじゃないですか(私の模造記憶でなければですが)ああいう、ローカル行事化したカソリックのいち地方の何かかと思った。一読二読しただけでは混乱は収拾せず、この感想を書きながら、検索して、だんだんに理解を深めてる段階です。

本章を書いたオチャンテ・村井・ロサ・メルセデス "Rosa Mercedes Ochante Muray" サンは七章を書いたオチャンテ・カルロスサンとおそらくきょうだいで(どっちが上かは知らない)オチャンテという苗字はケチュア系なので、それで先に来るのかなあなんて思いました。村井という日本姓も持っていて、夫婦復姓かなと(中国でもそれは、夫婦復姓の蒋宋美齢から両親の姓をともに名乗った北京五輪100m背泳の徐田龍子サンまで、波が来ては去ってまた来るポリリズムな現象なので)思いましたが、村井をMuraiと書かずMurayと書くのが、スペイン語だよおっかさんと思いました。この章は伊賀上野が出て、そこはカソリックの管区でいうと京都教区になるそうで、その京都もKyotoでなくKiotoと書かれます。おそらくこの章も、日西両文メルセデスサンが書いてると思われます。

<目次> Índice

1 はじめに 1 Introducción 
2 ペルーの宗教と奇跡の主の起源 2 La religión en Perú y los orígenes del Señor de los Milagros
3 ペルー人コミュニティの誕生、筆者の体験 3 Mis experiencias en el nacimiento de la comunidad peruana ✣
4 調査概要 4 Método de la investigación 
5 奇跡の主 5 El Señor de los Milagros y la primera generación de migrantes 
6 祭りの形態について 6 La forma del festival 
7 リーダーたちはパイプ役 7 Los líderes trabajan también como intermediarios 
8 奇跡の主の祭りを超えた、教会への所属意識 8 Un sentido de pertenencia a la iglesia más allá de la fiesta del Señor de los Milagros 
9 移民第二世代と奇跡の主の将来の展望 9 La segunda generación de inmigrantes y las perspectivas de futuro del Señor de los Milagros 
10 終わりに 10 Conclusiones 

頁125、ペルーでは"Donde hay un Peruano ahí está el Señor de los Milagos"(ペルー人がいるところ『奇跡の主』あり)En Perú se usa mucho esta expresión:página 240(111)とよく言うそうで、同じ南米のアルゼンチンや欧州のイタリアでも、ペルー人コミュニティは奇跡の主の聖行列を行い、自らのペルー人アイデンティティを再確認するんだそうです。

下は「奇跡の主」についての日本マリネラ協会の記事。日本語。

marinera-jp.com

下はスペイン語と英語とケチュア語ウィキペディアの「奇跡の主」

es.wikipedia.org

en.wikipedia.org

qu.wikipedia.org

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/6e/Se%C3%B1ordelosMilagrosNazarenas.jpg/600px-Se%C3%B1ordelosMilagrosNazarenas.jpg17世紀半ば、アンゴラ人Angolanのペドロ・ダルコンPedro Daiconという人がパチャカミージャ(エルふたつ)地区の壁にヘススサンと聖母マリアサンとマグダラのマリアサンの絵を描き、奴隷の信徒会"una cofradía de esclavos"が信仰を始めたとか。

左の絵です。

その後、治安を懸念する当局の介入などによって、一度は廃墟となった同地区ですが、18世紀、度重なる地震からの復興に際して、リマ市市議会がこの絵をリマの守護聖人と認めたことなどから、毎年10月になると聖行列が行われ、たいそう盛り上がるんだそうです。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/67/La_Procesi%C3%B3n_m%C3%A1s_multitudinaria_del_mundo.jpg/626px-La_Procesi%C3%B3n_m%C3%A1s_multitudinaria_del_mundo.jpg

上の写真はウィキペディアから。確かに盛り上がってます。何故かこの祭列は紫のフォーマルでキメなければいけないようで、リマの写真を見ると大群衆がみんな紫で、見ててクラクラしてきます。

www.infobae.com

頁136、伊勢崎教会の奇跡の主信徒會代表は、「紫色の服等分からないことが多いと思う」"Creo que hay muchas cosas que no entienden, como la imagen del Cristo moreno, o porque vestimos el hábito morado, etc."と言ってるそうで、黒人が書いたから黒いキリストなのは分かるとしても、何故紫の服なのかサッパリサッパリでした。英語版ウィキペディアなんか、

There are seasonal delicious sweets like mazamorra morada ("purple pudding") 

(グーグル翻訳)マサモラ・モラーダ(「紫色のプリン」)のような季節のおいしいお菓子があります

と書いてるのですが、「だからなんだよ」と、泣きっ面に蜂になりそうになりました。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/stantsiya_iriya/20241211/20241211162505.jpg

クラシコ」という名前の、マサモラ・モラーダとアロス・コン・レッチェのハーフ&ハーフ。こんなの奇跡の主のパープル・レインとどう関係あるのか。ペルー料理は確か、焼きめしと焼きそばのハーフ&ハーフもエアロポルテだかアエロポルテ、要するに「空港」と言うそうで、どうしてなんだか考えるな、感じるんだ"Don't think, foolfeel."で行くしかない時があります(どんな文化もそういう一面は持ってますが)

しかしメルセデスサンに言わせると、「奇跡の主は外国人の信仰というより、普遍的な教会であるカトリック教会の「ただ一つの信仰」表現である」(頁137)"El Señor de los Milagros es más que una fe de los extranjerons, es una expresión de la "unica fe" de la lglesia universal, la lglesia católica. " página 229(122) だそうで、そこでけっこう長いことゴッツンしてました。普遍なのか? 普遍でいいのか? ペルー人の自己表現なんでしょ? う~ん。

頁131 図3:京都教区カトリック上野教会の聖行列の様子(オチャンテ・カルロス撮影) página 235(116) Imagen 3:Procesión a las afueras de la iglesia católica de ueno, diócesis de Kioto.

伊賀上野三重県なのにどうして京都教区ナンデスカ~と言いたくなる、上野教会の聖行列の写真。京都のカソリック教会というと、下賀茂だか上賀茂だかで例のスコットランドの半ズボン姿でバグバイプ吹いてた神父サン(でもフランス人だったような)が思い出されますが、もう百億光年の彼方の時相なんだろうな。

頁135 図4:カトリック浜松教会、香を焚く女性信者たち(モリタマリアナ撮影) página 231(120) Imagen 4:Iglesia católica de Hamamatsu, hermanas sahumadoras. Fotógrafa:Mariana Morita

浜松教会はどこの教区なのか書いてありません。伊勢崎教会も。

この章の主題は①教会にも忍び寄る少子高齢化②教会活動に熱心な信徒と信仰心篤い信徒の比率の違い③同一宗教内の民族モザイク、だと思います。

頁132「日本人信徒は高齢化が進み、どんどん亡くなっていく」página 234(117) "También dijo que la communidad está disminuyendo porque va envejeciendo y los mayores van falleciendo, las personas que trabajan  se van jubilando, y contribuyen cada vez menos, y todas las iglesias se encuentran en una situación diffcil."

なんでもかんでも、どんなコミュニティでもそうなんですが、既成の日本の団体は少子高齢化シュリンクせざるを得ないんですね。以前橋本大三郎サンの講演聞いた時も、まあこの人はプロテスタントなので新教の教会でしたが、キリスト者の日本での人口比率における圧倒的少数振りと、欧州の世襲宗教とちがって、自覚的に選択した上でのキリスト者が多い(戦前の良心的徴兵忌避など)自分たちの日本での役割を思い起こし、少数者として改めて多数派に警鐘を鳴らそう、身を挺して社会に善を示そう、それが少数派そして自覚的に宗教を選択した者の役割である、みたいなことを、今後どれだけ続けていけるのかということがあるのだと思います。実際に私が知っているカソリック教会も、フィリピン人の司祭サンからベトナム人の司祭へと代替わりがあって、フィリピン人の人は本国から来てた人でしたが、ベトナム人の人はボートピープル世代で日本で苦労して神学の世界で足場を築いてきた人ですので、とても厉害で、ぬくぬくと生きていた邦人なんかメじゃないところがありました。蹴散らす蹴散らす。同胞だけでも社会主義国から研修生で来てる今の本国人とはどういう関係なのか分からないでしたしね。交流はあっても、あまり勧誘して引きずり込むと社会主義国の何かのバランスがあるかもしれないし。日本人の信徒会は誰が来ても支えてゆくというスタンスでしたが、邦人信徒会自体が進化の系統樹でアレなので、①は③にレガシーマイグレーションしていかざるを得なくなる。

頁133「一年に一回参加すれば守られると思う人もいるだろう。しかし、宗教は魔法ではないです」página 233(1178 "Algunas personas creen que, porque participan una vez al año, ya están protegidas para todo el año. pero la religión no es magia, "

②もふつうにあるあるで、働きアリの割合ではないですが、自助グループでミーティングに参加する人とサービスに従事する人の割合みたいな感じで、ペルー本国のペルー人自体が、カソリック七割の国土だが、教会活動に熱心に参加して教会を支えてゆこうという人は人口の一割くらいしかいない、と頁118にあり、なんでもソウナンデスネと思いました。

página 246(105)

Los resultados del censo peruano de 2017 mostraron que el 76.0% del total de la población de 12 o más años de edad se declaraba católico. En el censo anterior de 2007, la población católica había alcanzado el 81.3% de la población peruana, por lo que podemos apreciar una considerable tendencia a la baja. 

Con ocasión de la visita del papa Francisco al Perú en 2018, una encuesta realizada por el medio digital Perú Católico mostró que, si bien el 78% de los católicos decía asistir a misa todos los domingos, solo 21% decía participar de algún grupo de la parroquia. Asimismo, con motivo de la visita del Papa Francisco al Perú, Mons. Norberto Strotmann, Sectetario General de la  Conferencia Episcopal Peruana, en entrevista con el diario Perú 21, estimó que "en el Perú, solo el 10% de los fieles están muy sercanos a la iglesia, cumpliendo sus deberes como católicos"

③伊勢崎教会のペルー人修道女のコメント。

頁137

祭りとしてブラジル人に「アパレシダの聖母」、フィリピン人の「サントニーニョ(幼きイエス)」ベトナム人には「ラ・バンの聖母」を持ってくるようにして、みんなで祝う祭りは素敵と思います。

página 230(121)

Creo que sería maravilloso tener un festival en el que todos celebraran juntos, pedir a los brasileños que traigan la imagen de Nuestra Señora Aparecida, a los filipinos con el Santo Niño y a los vietmitas con Nuestra Señora de la Ban.

伊勢崎ということは、大泉なんかのルポで読む、エスニック・グループ同士が、お互いに交流したりするような方向にはならない、いくら国際交流協会が笛吹けど踊らない、その状況を踏まえての話だと思います。素敵だけど、なかなか実現しない。宗教が同じでも、言語が違う、民族が違うと、さて。

かてて加えて、本書では触れてませんが、その宗教内での新興勢力の存在もバカにならないと私は思います。深沢正雪サン『パラレル・ワールド』で、大泉にブラジル人のデカセギが来た時、同時にブラジルのわりとキッツいキリスト教新興宗派、収入の十分の一税を課すようなアコギな教会も同時に進出していたという記事があり、一寸思い出しました。そういうのって、エスニック・グループの枠を超える方に逆に熱心なのか、いやいやと同一言語内に引きこもるのか。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

そういう貴重な情報の報告が、左翼系出版社でなく、新仏教の創価学会の潮からの本に書かれていたということ自体が、日本で狂わずに信仰を考えてゆく、その示唆を示している気もします。どういう人がそういうことを考えながら日々暮らしてゆくポテンシャルを持っているのか。

インパクト出版会 / ペルーから日本へのデカセギ30年史 Peruanos en Japón, pasado y presente

カトリック伊勢崎教会で行われた「奇跡の主」でのひとこま (2014年10月) 頁182(169)página

この写真は、本書の日本語部分とスペイン語部分の境目の、著者紹介訳者紹介の所に載っているのですが、スペイン語での説明がない気がします。スペイン語では説明不要ということなのかも。"pasado y presente"というタイトルですし。日本語の題名にはないニュアンス(というか単語自体ちがう)

以上

『ねこのくにのおきゃくさま』シビル・ウェッタシンハ さく まつおか きょうこ やく(世界傑作絵本シリーズ)"Strange Visitors to the Cat Country" by Sybil Wettasingha Japanese text by Kyoko Matsuoka 〈World Masterpiece Picture Book Series.〉読了

スリランカ関係46冊目。シビル・ウェッタシンハサンが、1994年、『きつねのホイティ』と同年、『わたしのなかの子ども』の前年に出した絵本。日本では1996年4月25日福音館書店刊。

www.fukuinkan.co.jp

www.ehonnavi.net

本書はかなり無国籍な話で、働き者揃いだが楽しむことを知らない猫の国に、歌舞音曲の達人(正体はナゾ)を乗せた船が漂着して… という話。

英語版はおろか、シンハラ語版の表紙も見つけられず、シンハラ語のタイトルも分かりませんでした。タミル語版のタイトルだけ分かったので、下記に置きますが、「キャットカントリー」という表現が、ファクトチェックで日本語に再翻訳すると、「ゲットカントリー」になります。なやましい。

"ஸ்ரேன்ஜ் விசிடர்ஸ் டு த கெட் கன்ட்ரி" சிபில் வத்தசிங்க மாட்சுவோகா
கியோகோ〈உலக தலைசிறந்த படைப்பு படப் புத்தகத் தொடர்〉

見返しの猫たち。かなり無国籍。

勤勉に働く猫たち。左上は柄杓を作ってるみたいです。ゴハンもこういうのによそって出してるのを、『きつねのホイティ』で見れます。右上のホーキづくりは、今でも何故かホーキはスリランカから輸入してたりするので(金物屋やホームセンターで確認してみてください)*1なるほどなあという感じ。左下の、染色した葦を編んで茣蓙を作る作業は、『わたしのなかの子ども』で、シビルサンの父親の長兄の未亡人(子どもたちは独り立ちして家を出るか、寄宿制の学校に入っている)がなりわいとしてる場面がありました。頁68。

https://archives.sundayobserver.lk/2015/11/01/spe-the01.asp

https://archives.sundayobserver.lk/2015/11/01/z_p32-Sybil3.jpg関係ありませんが(あるか)左は新婚の頃のシビルサン夫妻。パートナーの人の名前はドン・ダルマパラ・ウェッタシンハ。

シビルサンのウィキペディア各言語を読んでいて素朴な疑問だったのが、シビルサンの旧姓はなんだろうということ。どうもシンハラ人女性は結婚するとパートナーの姓になるみたいなので(むかしからなのか、英連邦時代にそう変わったのかは知らない)何だろうと思ってましたが、この、スリランカの英字新聞サンデー・オブザーバー"Sunday Observer"2015年11月1日、"Sybil at 88"(米寿シビル)by Husna Inayathullah(HUスナ・イナヤットゥラーというシンハラ系でなさそうなライターのひと)の記事によると、父親はHikkaduwage Sawadwris de Silva(ヒッカドゥワゲ・サワドゥリス・ダ・シルバ)という名前で、母親はKotanadurage Joslin de Silva(コタナドゥラゲ・ジョスリン・ダ・シルバ)という名前であることが分かります。シビルサンの旧姓はダ・シルバ。ということは、シンハラ人でなくポルトガル系のバーガーじゃナイデスカ!!! けっこうおどろきました。ネットの追悼コメントに時折書かれる「不滅の黒人少女」"නොමියෙන කලු දූ"(ノミイェナ・カル・ドゥー)にも驚きましたが(姉は色白だったので何かと親戚から区別されたとは『わたしのなかの子ども』に書いてあったこと)父母の代の苗字が明々白々にポルトガル系バーガーなのにも驚きました。なんで各言語のウィキペディアみんなこれちゃんと書かなかったんだろう。しょせん父系だからかな。
話を戻すと、架空の国であっても、インド亜大陸なので、サリーっぽい服が出ます。

左の庶民はコロンボ・スタイル、インディアンスタイルの左肩かけのサリーです。それに対し、キャンティ・スタイル、オサリヤ姿の王宮女性が出たら勝ちだ!(誰に対して?)と思ったのですが、右のふたり(二頭)は、ともに右肩かけのオサリヤ姿なのですが、サリーっぽくない気もします。真ん中のヨダレたらしてる人はシャツ着てないようにも見えるので、そうなるとサリーではないですし、右の数珠をつけた人は呪者もしくは僧侶にも見えます。

で、この絵本のねこを見て、誰かのイラストに似てると思い、ハグキ『ハトのおよめさん』に出て来るトニャーではないかと考え、イイ線いってると自画自賛してたのですが、よく見たらやっぱり似てませんでした。

ハトよめ (はとよめ)とは【ピクシブ百科事典】

でなきゃヤケドするゲ!! じゃあネコがトビネズミを食べるのも 生態系のうちだな やめろよ! ジョボジョボジョボ

6巻頁103、6巻頁53、6巻頁22。

うまいじゃん! この魚まんじゅう!! ワンカップ酒をナメながら探偵ナイトスクープを見るのが 数少ない生きがいの一つなんだ ワンカップ酒をナメるって…

9巻頁93、6巻頁132。

チュル チュル チュル チュルぅ~♪ チュル チュル チュル チュルぅ~♪ ついに壊れたのか? こちらはレディーガガのプラモでございます お前も「レディーガガ」って言いたいだけだろ

10巻カバー裏

ママーッママーッ コラーッ家で待ってろって言ったでしょーっ ちょっとヤメて下さいよ! なんでオシリ触るんですか!?

6巻頁108、このネコ(シンママ)のほうがシビルサンの絵に似てました。10巻頁108、ふと、シビルサンも痴漢防止啓発マンガ描いてたのを見つけたので、比較として貼っておきます。

පොදු ප්‍රවාහණ සේවය තුළ ස්ත්‍රීපුරුෂ සමාජභාවය හේතු කොට ගෙන සිදුවන ප්‍රචණ්ඩකාරි ක්‍රියා – සිබිල් වෙත්තසිංහ

srilanka16days.wordpress.com

https://srilanka16days.wordpress.com/wp-content/uploads/2015/12/sexual-harassments-sinhala-by-sybil-wettasinghe.jpg?w=1102&h=760

自分がシンハラ文字をスラスラ書けたらラクなのですが、相変わらずグーグルレンズはうまいことシンハラ文字を文字として認識してくれず、だいたいで頑張ったのが下記。日本語はぜんぶグーグル翻訳。

(ピンク地の部分)මග තොට දී 「ウェイポートで」

(抗議する女性)මොා තෝ  මං කොස් ගෙඩියකද ඔබලා බලන්න අ?

ジャックフルーツの中に私がいるのが見えますか?」

(痴漢の後ろの、吊革につかまった男性)කොස් ගෙඩය පැණිලද?

ジャックフルーツは甘いですか?」

(席の口ひげ男性)ලෙඩෙක් අතේ සව!

「病人は死んだ!」

(吊革につかまった女性)ඕමා මග තොටදි නිතර වෙන දේවල්

「オママガ港でよくあること」(意味不明)

(苦虫をかんだような席の男性)බයක් හැකක් නැතිකම থে!

「恐れ知らず!」

(席の白髪の人物)සිරිම නමටත් ලැරීජයි

「シリマの名前もラリーです」(意味不明)

(席のサングラス女性)පොට මැරවුනා තේ?

「死んだの?」

(ピンクのサリーの女性)අම්මත් බිරිඳත් ගැහැණු. එයාලා ගැන හිතලාවත් ඔවැනි පවාත් වැඩ නොකරනවා නං හොඳා

「母も妻も女性です。考えてもうまくいかない」

目視しても違う文字があることは分かるのですが、それが書けない… このイラストはシビルサンひとりでの創作ではなく、"Focus Woman"という団体との合作だそうです。2015年12月5日の記事。

話をこの絵本に戻すと、シビルサンはほかにもこのテーマの絵本を描いていて、トムとジェリーじゃないですが、右なんかもそうみたいです。"පූස් නැට්ට"(猫のダンス)という題名だとか。

中島京子サンの『やさしい猫』*2もそういう話ですし、スリランカでは永遠のテーマなのかもしれません。楽師が覆面なのも、うがった見方をしようと思えば出来るし。

でも本書の英語版もシンハラ語版も見つからない…

しらすだぞしらす!! 好きなんだろ? 「アナタのしらすが欲しいです」って言ってみろ アナタのしらすが欲しいです!

6巻頁19。以上

*1:

2017年10月の日記より。"MADE IN SRILANKA"と明記してあります。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/stantsiya_iriya/20171011/20171011160023.jpg

下記は2019年9月の日記。タカサゴシルバーというホーキ。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/stantsiya_iriya/20190920/20190920204746.jpg

メイドイン何処か書いてなかったので問い合わせると、柄の部分は日本製、ホーキの棕櫚の部分はスリランカ製とのことでした。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/stantsiya_iriya/20231230/20231230184139.jpgちなみに、スリランカ製の亀の子たわしもあります。左。

2023年年末の写真。この頃は体調まともだったなあ。

昨年11月に連日激しい頭痛と38℃の熱が一週間続いたとき(市の総合病院の内科医がカロナールを一日三回一回二錠服用の指示を出して収まる)買った氷嚢もスリランカ製でした。意外とつながっている両国。

*2:

stantsiya-iriya.hatenablog.com