これも、『ヘルマン・ヘッセがカレーライスを食べる話、ありますか うろ覚えから学校司書が探した、十代が読みたい本』少年写真新聞社刊*1に出てくる本。高校図書館に通い詰めた高校生たちは単行本表紙の少女二人に見果てぬ夢を追い求めていたようですが、私が読んだのは廃屋にベッドが置かれたような表紙の文庫本。下の上の左からふたつめの、顔出しNGみたいな少女ふたりが単行本表紙です。花粉症の頃はためらわれたマスクによるビジュアル匿名宣言も、コロナカで社会的に認知され、すっかり今の十代の当たり前になりました。この小説はその遥か前、2009年の刊行。コロナカどころか、東日本大震災よりも一年も前の年。ベルマーレがJ2三位昇格で、ひらつ化時代の降格から最初にJ1昇格を決めた年でもあります。その頃、上記本の高校図書館に通う今の高校生たちのオカーサンがいっしょうけんめい読んだマンガ、否、本がこれ。

映画は、ダッシュボードにピザも置けるヨ、の「ばっさー」と、2ちゃんねるで「ぼくは山本美月ちゃん!」というアスキーアートがあったことで知られる(知られない)(そのAAは探し出せませんでした)人なんですね。見ないかな(先入観)上の下のいちばん左が文庫本表紙です。

stantsiya-iriya.hatenablog.com
バングラディシュの小説に出てくる、布をかけた聖廟、聖櫃。本書の文庫本表紙で、これを連想しました。
ハヤカワは書き下ろし単行本だったそうで、なんというか、巻頭の「子どもなんてみんな、試験管で作ればいい」で、村田沙耶香サンの近書ディストピアワールドにも表れる、女子のあいだで連綿と受け継がれた思想キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!と思いましたが、第一章になるとまず、「公立の女子校」宣言で断絶を感じました。神奈川の高校生には敷居が高いというか、怖いもの見たさの世界になってしまうというか。



関東の公立女子高はみんな偏差値が高く、本書の「伝統と礼節を重んじるたいして優秀でない女子校」なぞ存在しそうにありません。(私立ならあると思う)作者の湊サンは広島出身で武庫川女子大卒なので、「ああ、そういうことね」と根拠なき上からマウントの愉悦に浸りたい人もいることでしょう。私とか。まあ私はその報いで孤独死予備軍で咳してもしとりなので、世は因果応報(本書文庫本解説にも本書を評して出てくることば)
女子高の人権映画鑑賞会で、クーラーのない体育館で夏休み前に鑑賞させられる「マイ・フレンド・フォーエバー」という邦題の洋画が本当にあるとは思いませんでした。主人公二人の少年の吹き替えをしているのはジャニーズの人気アイドル二人組と書いてあったので、検索したらタッキー&翼でした。これで翼ふたりめ。次は与沢かな。2009年当時は、それから十数年後に、そのことばに痛みを覚える人がいるという理由で、ほとんどの媒体から「ジャニーズ」という呼称が消えてしまうとは想像も出来なかったにちがいありません。スタルト。ぬんべり。
前田敦子がモデルかとリアタイの読者の大半が誤解したと思われる敦子が誕生日プレゼントに由紀(柏木しか連想しなかったと思います、当時は皆)からもらった「リズのハンカチ」が分からず、検索しましたが、本書から17年も経っているので、AIにも確とした断定は出来ないようでした。

2009年の仏花、否物価で一枚二千円もするそうですが、今から見るとどれもそれくらいしそうに思えます。キャラクターグッズはいろいろ上乗せされているので…
『ヨルの綱渡り』は、YOASOBIとかヨルシカのような、コロナカの時短営業、休業補償、三密回避のテイクアウト奨励時代に生まれたネーミングとは無縁の2009年作品ですが、施川ユウキ『ヨルとネル』ならジャストかなと思って検索したら、『ヨルとネル』は2014年なので、本書より後でした。
これらがみんな由紀の小説の盗作だと思った人は病院へおや誰か来たようだという話はどうでもよくて、小倉という國語?教師が交通事故で亡くなったからといって、遺作になった新人文学賞受賞作が刊行されないなんていうことあるんだろうかと思いました。遺族に了承取れば出せるんじゃいかと。出版するなと遺書にでも書いてたのかな。
この女子高は公立なのにナマイキにも学食があるんですね。公立校で学食があるっていうと、川崎の、漫画『オフサイド』の土手高のモデルになった高校に行ったひとが、この学校には学食があるんだ、定時制が併設だから、と言っていたのを思い出すだけです。カレーライスはともかく、ハンバーグドリアがある学食。うどんとかでいいのに。まだ少子化が本格化してなかった時代の産物でしょうか。
イーユン・リー『自然のものはただ育つ』で、『理由のない場所』時点では書かれていなかったこと、長男のヴィンセントが自裁の前に、両親には何も告げなかったのに、友人のうちふたりにはメールを送っていたことが分かる場面があります。メールを送られなかった、別の友人(女の子)が、死んだヴィンセントの親に文句を言いに来る場面。私は浴室自殺というと、ねこぢるうどんのような、どうやってやるのか知りませんが、ネットには出ているらしい、上から吊り下げないロープ首吊り自殺を連想するのですが、この小説ではそれは手首を切るという古典的手法で、前世紀末から広まった新手法はヤバいので差し替えたのかもなと思いました。
由紀が片手を損傷した理由の祖母の認知症、体罰をくわえまくる認知症については、こんな認知症はいねえ、と思いました。もっと支離滅裂で、内容の分からないことを吠えたり、つじつまが合わなかったりすると思う。暴力は振るうかもしれないが、体罰の形をとるほど理路整然とするのだろうか、と。
以上













































































