“Imigrantes japoneses inesquecíveis: a jornada de um documentarista ao Brasil”『忘れられない日本人移民 ブラジルへ渡った記録映像作家の旅』Jun Okamura 岡村淳 読了

www.minatonohito.jp

在伯邦人作家(移民一世)松井太郎サンの『うつろ舟』を読み、松井サンの著作一覧が岡村サンのサイトから来ていたので、サイトを見て、あまりの膨大さに呆然とし、ふと見ると著書もあるので(この本)読みました。いくら同じ県の出版社(鎌倉)とはいえ、よく「港の人」なんてマイナー出版社の本が蔵書されていたものです。地元図書館に感謝。

ポルトガル語タイトルは岡村サンのサイトのグーグル翻訳。古典的なホームページの体裁なのですが、すべての記事がグーグル翻訳でポルトガル語に変換出来るようになっています。ドメインは"br"、日本のプロバイダーじゃありません、そっからしてブラジル(でも日本語サイト)

岡村サンのホームページより

日本図書館協会選定図書に選ばれました!
編集はサウダージ・ブックスの淺野卓夫さん、解説は「俺俺」の星野智幸さん、出版は書籍ファン垂涎・鎌倉の「港の人」、さらに西田優子さんの息を呑む装幀!

岡村サンのサイトのリンクについての考え方(リンクフリーですよんとかそういうの)が書かれた箇所がないかったので、URLは貼りません。気になったらそくご本人に連絡して確認すればいいんでしょうが、たかがはてなブログの読書感想でそこまでやるのもどうかと思って。

序盤は自分史です。小学館からティーンズロードのよもやま話の本*1を出した比嘉健二サンも、こういう語りをしたかったんだろうなと思いました。岡村サンは中高はアマチュア映像少年、大学では考古学を学び、「すばらしい世界旅行」などのテレビ番組を制作する日本映像記録センターに就職、牛山純一Pからまぎれもないパワハラ指導でビシバシ厳しく鍛えられ、五年でストレスから体調を崩し、離職。日系ブラジル人の伴侶とともにブラジルへ渡ります。仕事を辞める前は脅しかけてきた牛山Pは、独立後は一転して猫撫で声でやさしくなり、世渡りかくあるべしという姿をまたも岡村サンに見せてくれます。岡村さんは牛山ワールドの洗脳支配下にあるので、独立して対等の関係になったことを「勘当をとかれた」ととらえ、映像作家として育ててくれた恩人として牛山サンを尊敬しています。すばらしいですね。

牛山純一 - Wikipedia

その後は七人の日系一世ライフヒストリー。最初の石丸パウロ春治サンは、下記に関して例外的にムーヴメントに寄り添った日系人だったそうです。

ja.wikipedia.org

pt.wikipedia.org

pt.wikipedia.org

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海外移住資料館 Japanese Overseas Migration Museum. Museu da Migração Japonesa ao Exterior. Museo de la Migración Japonesa al Exterior. 見学 - Stantsiya_Iriya

頁45

 そもそもブラジルへの日本人移民の大半は、農業移民として受け入れられてきました。(略)野菜を食べる習慣の乏しかったブラジル人の食卓を豊かで健康的にし(略)ジャポネース(日本人)はブラジル人たちから「土の魔術師」と称されるほどになるのです。(略)大都市サンパウロで老後を持て余してカラオケ三昧、あるいは一日じゅうNHKの衛星放送浸りという日本人移民は数えきれないほどいますが、ブラジルでの農業の先輩として土地なし農民といわれる人たちに、ひと肌ぬごう、というような奇特な日本人を私は佐々木神父以外に見つけられないでいました。いっぽう土地なし農民側に立った発言をする私は、日系社会から「非国民」「アカ」あつかいされることもありました。

次の溝部富雄さんの前半戦は、絶縁したので仮名で出てくる「アメ子さん」という人の独壇場です。迷惑極まりないという意味でとてもおもしろい二世、アメ子さん。ロンドノポリスという街の郊外に先住民の線刻画というか岩絵があって、それをドキュメンタリー作品に仕上げるわけですが、「インクラ(INCRA=農地改革院)の土地」だと地元の人が言うのを「インカの土地」だと聞き間違え、ブラジルにもインカの遺跡があった!世紀の大発見と鼻息を荒くするアメ子さんは最後まで聞き間違えを認めなかったとか。頁64。アメ子さんは日本で水商売をして資金を稼ぎ、専門家を現地に連れてきて調査させたりします。調子こいて岡村さんや溝部さんたちにどんどん命令するようになり、探検部的な日本の若者(と書くと各大学の探検部に失礼)が現地に行きたいといえば現地の都合も無視してトーシロのアテンドをさせ、彼らが現地の若い女性をひとけのない場所でレイプしようとするのを溝部さんたちは間一髪、必死で阻止します。こうしたことがもとになって、アメ子さんと岡村さんたちは絶縁するのですが、彼女抜きに本章は語れないので出て来ざるをえず、非常に読んでておもしろかったです。親切に山道を案内したら強姦されかかった現地の娘さんには同情を禁じ得ませんが。

溝部さんは岡村さんに1991年になっても日本が大東亜戦争に勝利したと信じている「勝ち組」老人を紹介したりもします。そんなバナナですが、実は私も最近、読んだ本の関連でアマゾンに出てきた書籍か電子書籍がそんなんで、「アジア解放が日本の戦争目的でアジアは解放されたんだから実質日本勝利でおk」というような文脈を読んだばかりです。なんでもものはいいようだない。そういう論理なら、今でもどこでも「勝ち組」が存在し得る。

頁73

 ブラジル日系社会の「勝ち組」事件、そしてブラジルにも広島や長崎の被曝者がいるといったネタは、私自身がそうでしたが、ブラジルと日系社会の初心者には、かなりの衝撃があります。少し調べてみれば、すでに山ほどメディアの俎上にあがっていることがわかりますが、無知であるほど自分だけのスクープぐらいに勘違いしてしまいがちです。

その後は、西さんという、戦前移民なのかな、ポルトガル語も話せるが、世捨て人のような生活を送り、語り部として空想の物語をえんえんとしゃべる人が出ます。本書は2013年、まだまだフクシマのメルトダウンがなまなましいころに刊行されてますので、開くと反原発的文言も多数飛び出し、私は読んでいて、こういうのネトウヨだめだろうなあ、と思ったりもしたのですが、西さんのくだりでも、日本企業がやったマットグロッソ環境破壊の取材にかまけて西さんが後回しになってしまい後悔した、などの文章が飛び出します。そういうのを偏向と思う人も読み進めば必ず発見があると思うのですが、人はなかなか物差しを広げて生きていかない。

頁81

 面白いことに、ブラジルで私と関係の深い人ほど、私が訪日をする際になにか入り用な買い物でも、と御用聞きをしても頼もうとしません。逆になんでこの人が? というような縁の薄い、他人と言ってもいいような人ほど、日本でも御法度の品や、何に使うのかもどこで買ったらいいのかも検討もつかないような特殊な物、さらにブラジルの税関でトラブルの起こりそうな製品の買出しと持込みを、代金の支払い方法やらトラブルの際の処置など、おかまいなしで気軽に頼んでくるものです。

サウダ~ジ~、と思いました。「いや、サウダージって、そういう時に使うことばじゃないから」

次の森下妙子さんは、岡村さんの、最も成功を収めたドキュメンタリーのひとつの主人公です。「日本海外移住家族会連合会(海家連)」が実施していた、高齢移民の団体里帰りに寄り添ったフィルム。奇矯な言動の多い彼女をなぜ撮るのかと、ほかの日系人からは歯に衣せぬ物言いでハッキリ言われまくり、しかし上映ではインパクトを残しまくったという、原一男監督の素材大作戦みたいな話で。コロコロ取材拒否と容認を繰り返し、私生活でも老人ホームを出たり入ったりする彼女は、お酒が好きで、岡村サンが訪問すると、数々の和食の手料理とともに、よく冷えたビールを「まずはお喉湿しに」という言い方で出してくれたそうです。湿すのか。私はドライ。

次はブラジルで上映される日本の無声映画の弁士を努めた移民たちの話。細川周平サンが岡村サンとタッグを組んで新潮選書で書いたテーマ。

日系社会最大のヒット映画は、1957年アラカン主演「明治天皇と日露大戦争」だったとか。そりゃ寅さん不評なわけだ。小泉照男さんという語り部の方がサンパウロで営む食堂の描写が頁126にあり、バイキングスタイルの食べ放題で、メインのおかず(ステーキやカツレツなど)のみ注文するスタイルだそうで、それって大泉のブラジル食堂に共通するスタイルじゃん、と、読んでて驚きました。あれって、ブラジルでのポピュラーだったんだ。綾瀬はブラジル人人口が少ないのでそういう不経済なスタイルはやってませんが、大泉なら出来るんだなあ。

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頁131

 第二次大戦後のブラジル日系社会の混乱期にシネマ屋として巡回上映を行なった複数の人たちが、空前絶後のヒット作品と語るのが、作者不明のナゾの「戦勝映画」です。

(略)日本敗戦の報はアメリカの謀略であり、実際は日本大勝利、という怪ニュースがサンパウロ州奥地の日本人移住地に広まっていった頃です。日本戦勝のニュース映画というのがシネマ社に登場しました。(略)日米開戦前に日本で製作された「僚機よさらば」「上海陸戦隊」などの戦争映画の日本軍が勝利を収めているシーンが続き、最後に米軍艦ミズーリ号での日本の降伏調印式のニュースフィルムがつなげられています。(略)マッカーサー総司令官を始めとする連合国側の軍人もこの時は武双をしておらず、かたや日本側の重光葵代表はシルクハットの礼装で、(略)かえって堂々とした印象もあります。これを勝ち組たちは日本戦勝の証拠としたのでした。

(略)マッカーサーは参加できない部下の記念にと、何本も万年筆を替えてサインをしました。(略)回転を挙げてみました。するとマッカーサーが震えながらサインをして、万年筆を折ってしまっているように見えます。

「あわれなるかな敵将マッカーサー、調印の手が震えております、震えております、また万年筆を折ってしまいました!」(略)日本戦勝を盛り上げていきました。ミズーリ号に掲げられている星条旗も、当時の鮮明でないフィルムでは、日本の旭日旗だといわれれば、そのように見えてもしまいます。

「ご覧ください、敵艦ミズーリ号にはためく我らが皇軍旭日旗!」

次は被曝者の移民。インチキ扱いされたり、内部で対立や中傷があったり。従軍慰安婦と自分たちを並べて論じるなと激高したり。日本の伝統芸能グループのおっかけで訪伯した邦人女性小説家は、ブラジルの水銀汚染問題は取り上げてくれたが、被爆移民についてはスルーしたので、岡村サンがブチ切れて、相手が絶縁してきたそうです。

頁162

 アルゼンチンで取材させていただいた被曝者のなかに、ひとりだけ男性がいました。沖縄出身で徴兵により大日本帝国海軍兵士となり、長崎県大村の海軍基地に所属していたという人です。長崎への原爆投下の後、救援活動で被爆地に入りました。いわゆる入市被曝者です。この人によると、原爆で長崎が全滅したというが、自分が行った時は市内の丸山地区の遊郭が営業していて、自分も遊んできたと言います。そもそも被爆国の日本こそ、核武装をするべきだという主張を続ける人でした。私が各地でお会いした被曝者のなかで、日本の核武装を説くのはこの人だけでした。(略)アルゼンチンの他の被曝者の方々とはあまりにも異質で、(略)撮影はさせていただいたものの、私の判断で発表は見合わせて、その人にお詫びの手紙を出しました。その人もすでに鬼籍に入っています。

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被爆50年の節目には、ブラジルメディアも多数取材に来たそうですが、日本とアメリカが戦争したのも知らないような記者もいて、さらにポルトガル語の取材に対しポルトガル語が堪能でない一世の被曝者の語学の問題もあったそうです。そしてそれは、日本から被爆問題に詳しい邦人が取材に来た時、現地化したコロニア日本語をスルーしてしまう現象と表裏一体でもあったそうです。

頁171

 女の先生を中心に、一四、五人ぐらいの女学生たちがうずくまっていました。勤労動員の最中に被爆したのでしょう。体を焼かれて、着ているものもぼろぼろです。

「助けて、お水をちょうだい」

「お母さん、お母さん……」

「兵隊さん、仇をとってちょうだいね」

 この少女たちは全員、間もなく亡くなったことでしょう。一三、四歳の少女たちが敵愾心をむき出しにしながら、命を終えていきました。

「よし任せとけ、アメリカをやっつけるぞ!」二一歳の守田憲兵兵長は、断末魔の少女たちにこう答えたと言います。

 私は今回、この草稿の細部を確かめながら、思い切って尋ねてみることにしました。

「森田さん、女学生たちに託された仇は、とれたと思いますか?」

即答で否定されるわけですが、ではその思いはどこに行くのか、天にのぼってどこに行くのか、と思いました。

さいごは、七十過ぎてから陶芸を始め、成功した女性。

巻末に刊行時までの全映像作品紹介。どこかに見に行きたいですが、近場でやることがあるのかどうか。

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ブラジルスーパーに來る老人たちはもうポルトガル語話者の二世三世で、その連れ子や孫が日本育ちで日本語ペラペラの21世紀、その世界もどう切り取ればいいのか(老人に話を聞くとして、日本語でいいのか、ポルトガル語で聞いた方が芳醇な世界が広がるのでは、etc.)それ以外にも気になってることがチラホラあり、意見を聞いてみたいと思いました。以上